京都に行って、お寺や市内を観光することも一切なく、友人の家で紅白を見て、喋って、喋って、年が明けた。
あけましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 京都から実家に帰り、先ほど夜遅く、東京に豪速で戻って来た。 そんなに長い滞在でなくても、東京に戻ってくると、本当にいつも、いつも、ほっとして心が浮かれる。 まだ静かな東京の街中を自転車で走るのは、何だかもう深呼吸して叫びたいくらいの自由度を感じてしまう。 実際、叫びはしないけれど深呼吸はもう、大きく繰り返す。 別に特筆すべき抑圧のある家庭ではなかったのだけれども。 未だある少しの郷愁を携えてはいるものの、3が日で染み付いた方言も、何のことはなく封印されるだろう。 けいこは私が実家に帰るとき、「何時に帰ってくるの?」と数日前から頻繁に聞いてくるくせに、全くもって迎えに来てはくれないし、ちょっとしたおもてなし料理やお菓子などが何もないのはお正月でも何でもいつものことだ。 私をいもうととその子どもたちと同じ部屋で寝かせたのは、単にひとりで寝たかったのだろう。 下着が置きっぱなしだとメールがきたのでできれば送ってほしいと言うと、返信が途絶えた。 親戚の集まりに行くと、私が幼かった頃のように、各家族が総出で集まるということはなくて面子はここ数年ほとんど変わらないけれど、小さな子どもが2人や3人、また数を増やしていた。 ああいった場において小さな子どもたちを中心に時間が回っていてくれるのは、私としては楽なこともある。 動き盛りの3歳児はモンスターのごとく走り回り、寝ている私を踏みつけて起こしに来たり、お風呂やトイレの扉を開けられたり電気を消されたり、まるで起きているかのような鮮明な寝言を大声で言ったり、電気の紐を引っ張ると言って15キロの体を幾度となく抱っこを強要されたり、本当に大変である。 おばさんの私としては、睡眠の邪魔となるいたずらはいかなるものもやめてほしいけれど、その他いたずらや遊びに付き合うのはまあ日常ではないのでいいか、と思う。 あと私は、所謂「注目行動」と呼ばれる以外の子どもの無垢な行動を常にキャッチしたいと思っているのだけれど、そんなに見られるものではないのか、私の視線が穿っているのか、遊び方が足りないのか、それはあまり見つけることができない。 つい先日会った4か月の姪が、抱っこしてうずもれていると何かに似ているとしばし考えていたのだけれど、ちょうど角煮まんのようだ。 ほっぺが落ちそうになっていたり、むっちりの体が折りたたまれているその様が何とも角煮まんなのである。 毛がうすうすでふっくらしっとりつるつるでかわいい。 地元の友人と飲みに出かけ、割に量を飲んで、ひどく酔っぱらって終電に乗った。 最寄駅で降りて、バッグを持っていなかった私は「ん、財布とケイタイ・・」と思ってポケットに手を突っ込んで確認しないままに、「車内に置いてきてしまったかな」と、なぜか、本当になぜか、再度電車にひょいと飛び乗ってしまった。 その瞬間に扉はプシュウと締まった。 財布とケイタイはきちんとポケットの中にあったし、一応下りる前に何か落し物忘れ物はないかと座席を一瞥はしている。 まあでも、財布さえあればタクシーで帰れるか、と、なぜか電車に軽やかに戻ってしまった自分を責めるのはやめた。 次の駅で降りると、客もいなければ駅員もいない。 駅周辺は真っ暗極まりない。 小さなロータリーはあったけれど普通車は一台もなく、タクシーなどいるはずもない。 大通りに出て眺めてみるけれど、ちらほら車が通るだけで、タクシーなど一台も通りかからない。 お金があってもどうにもならない、ということはこの世の中にいろいろとあると思うけれど、あぁお金があってもどうにもならない・・・と痛切に思い知らされた。 仕方がないので夜道を一駅25分ほどを歩いて帰る。 大通りだから真っ暗ということもないけれど、少し遠くを見遣ると息を飲むような漆黒の夜が広がっていた。 その漆黒さは冷たくて怖くて、でも酔っているのも手伝って少しの高揚感をもたらした。 田舎の夜、というのは、都会の夜、とは明らかな異質感がある。 夜の漆黒さは、街自体が寝静まることによって生まれるものなのかもしれない。 おばさん寝ないで、と言った先日の姪の言葉は、きっと切実だったのだと思う。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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