納豆とか卵とかチーズとか海苔とかしらすとかたらとかヨーグルトとかバナナとか子供用ジュースとか、息子がよく食べるものを切らさないように購入するのだが、息子の食費がそろそろカウントできるくらいに上がってきたように思う。
大人二人であればあれもこれも買わないというものを日々平均して200-300円ほど買っているだろう。 母乳が主食だった頃はかからなかった食費が明らかにかかるようになっている。 相変わらず食にさほど興味のない子であるが、それでも一人が生きていく分の食糧は重量にしてもお金にしても、それなりの大きさになるのである。 保育園にしてもそうだけれど、いよいよ社会参加の感が高まっている。 ところで、1歳と1か月を過ぎた息子であるがまだ歩かない。 つかまり立ちもつたい歩きも上手にするのでそのうちとは思うのだが、歩こうとする意志を本人に感じない。 こういったことがあると、もしかしてどこか変なのでは!?と咄嗟にひやりとしてインターネットで検索を始めてしまう。 1歳3か月までに約8割の子が歩き始めると書かれている。 最近では、歩く練習をもっと幼い頃から始めるという話も聞く。 一方で体幹を鍛えるためにハイハイを大いにさせた方が良いという話も聞く。 子育て論についてはほとんどがトレンドだと思っているので、うちではこれと言って特別に何かをやらせたり教えたりをしてこなかった。 言葉や指差しやベビーサインやおもちゃの遊び方なども、こうさせようと特段教えていることはない。 それは我が家の方針というものでもなく、単にあまり考えることなく日々が過ぎているだけであるが。 「バイバイ」と手を振ることは、対外的コミュニケーションとしてできると望ましいと思っているので軽く教えているのだが、20回に1度くらいしかやってくれない。 同じ時期に産まれた女の子のインスタグラムを見ていると、その子が特別発達が早いように思うが、もうバイバイは当たり前、てとてと歩いて、指差しして気持ちを伝え、「ママ」らしき言葉を発語し、絵本のイチゴを手で取って食べる仕草をし、自分でスプーンを持ってヨーグルトを食べている。 そうなると、息子の発達が遅いのではないか、そんな不安に駆られてしまう。 今度は、私の育て方というか遊び方などがかなり不足しているのではないかという自責にも転じたりする。 そして更に、かと言って息子の発達プログラムを私が組むこともしないだろうという罪悪感も上乗せされる。 子育てネタの漫画やブログが炎上しやすいとよく耳にするが、こういった母親の不安や欺瞞や罪悪感が複合的に出てくるからだろう。 成長が早い子も遅い子も色々いる、他人と比べなくて良い、そんなことは分かっているし、あっけらかんと構えていたいのだが、心配の種がどんどん発芽して大きくなって心が苦しくなる。 落ち着いて、邪気を抜くように深呼吸してみたりする。 子育て全般そうなのだが、子どもの不調や発育に関して、どうしてこうも心臓が高まりやすいのだろうか。 私は、息子において人より優れていて欲しいとか、どこか病気だったら困るとか、そういったことを思っているのだろうか。 そんなとき、私は以前息子が離乳食も哺乳瓶のミルクも全くダメになって本当に悩んでいたときに言ってくれた「その子が困っていなければ大丈夫だよ」という言葉を思い出す。 そう、私が悩みに悩んでいたことも、息子自身が悩んでいたり不快に思っていたことはもしかすると一度もないのかもしれない。 どうやって私の深層心理の不安を拭い去ればよいのかまだ分からないのだが、息子に社会基準を当てはめてそれに向かおうとすることは良いことではないことは分かる。 とか言って、手を引いて歩く練習をしてみたりする。 きゃいきゃい言いながら楽しそうに歩くので、折に触れてやっても良いかなと思っている。 できないことができるようになるのは嬉しいことなので、息子が二足歩行をするのをやはり私は楽しみにしている。 こうした自分の一貫性のなさや、覚悟の足りなさに憂えたりもするのだが、まずすべきなのは、あっけらかんとしていたい、という憧れを捨てることなのかもしれない。
0 コメント
とても久しぶりに国立新美術館に来た。
検温と消毒と、入場制限を行っているので、観覧者としては安心感があって良い。 ごった返すこともなく、人の間から作品を覗き込むようなこともなく、館内が喋り声で喧しいこともなく。 私の大好きな一人がけの椅子も全部空いている。 吹き抜けの天井はいつも高いけれど、今日は建物の空間的広さに天井を仰ぎたくなった。 今日は平日だからということもあるだろうが、美術館はいつもこのくらい贅沢な空間であって欲しい。 ちなみに、入場時の制限はあるが、退出の時間は無制限である。 古典×現代、という企画展を観る。 仙厓や円空や北斎などといったそれぞれのジャンルの古典の代表格と、現代に生きるアーティストがそれぞれにコラボレーションというか同じ展示室に飾られている。 とても盛りだくさんな内容で、展示物も多く、見応えがある全体として素晴らしい展示であった。 会期は3月21日から6月1日までだったらしいが、頃な騒動で延期になったようで、それでも、明後日の24日に閉幕となる。 こういう良いものが盛りだくさんで単純に足が疲れてしまう展示は、2度3度足を運ぶと良いのだろうけど、24日までに時間は取れなさそうである。 川内倫子さんの写真と、円空の木彫りが特に印象的だった。 川内倫子さんは写真集を持っているくらい、結構好きなのだが、テイストそのままに進化しているなあという感があった。 確か川内倫子さんはここ数年の間に出産されていると思うが、赤ちゃん関連の写真の説得性が高かったと感じるのは、たぶん私も出産をしたからだろう。 写真も絵画も書も、実物を見るときの適切な展示方法というのがある。 私はこのあたりにはさっぱり慣れていないのだが、今回の川内倫子さんの展示は、作品の良さを充分に発揮する展示方法であったと思う。 光沢のあるガラスのような質感のものに印刷されていて、額縁は無いものが多く、パネルそのままの展示。 川内倫子さんの写真はセピアではないのにセピアを感じるような少しくぐもった風合いなので、マットな髪のようなものに印刷するのが良いのかと素人目に思っていた。 しかし、つるりとした硬質な質感の方が相性が良いのは、被写体に生死の正面や草木水の一瞬のきらめきを切り取っている切実なものが多いからなのかもしれない。 実は昔買った川内倫子さんの写真集が、美術館やインターネットで見るほどにはあまり良さを感じていなかったのだが、おそらくこの辺りのことが原因なのではないかと思う。 写真集はマットな質感の紙に印刷されていたはずだ。 円空とは、17世紀江戸時代の僧侶で木彫りの仏像などを残した人。 仏像ファンでは特にないのだが、やはり「良いお顔」をしている仏像にはこちらの顔や心を緩ませる効果がある。 そして、えも言われぬカーブや湾曲がそこかしこにあって、全体の存在感が何とも魅力的である。 どうして、このような形になったのだろうと疑問に思ったが、説明を読んでみると、円空は一本の木から彫刻を施しているらしく、木の節や筋などの性質に逆らわずに彫っているのだという。 なるほど、である。 木と彫り師と立ち現れる仏様が、絶妙な融合地点にいるというわけだ。 とても気に入ったので、良いグッズがあれば買おうと思っていたのだが、ポストカードも図録も缶バッジも、やはり質感がいまいちであった。 円空と対比されていた棚田康司さんという彫刻家の作品も、同様に全て一本の木から掘りだされているらしい。 木彫りの女性像が多く、ゆったりとしたワンピースの布の柔らかさのある木を撫でたかったが、もちろん触れない。 息子の保育園の合間、私は仕事をしつつ、美術館やギャラリー巡りをしてみよう。 本や図録からのインプットも良いが、やはり百聞は一見にしかず、と思っていて、それは昭和生まれだからだろうか。 梅雨らしい梅雨に、夏らしい夏である。
世の中はあまり活気がないけれど。 とても久しぶりに電車に乗って、空いていていいな、とも思ってしまうけれど。 出先で、暑いのでコンビニで涼を求め、クーラーの冷気をいただきつつ、アイスを買う。 寒いときに温かいものを食べると身体が温まるように、暑いときに冷たいものを食べると身体が冷える。 当然のことながら、暑かったり寒かったりするときの、最も手っ取り早い対処法だろう。 最近、とある集まりの書の勉強会にオンラインで出席させてもらっているのだが、色々と考えさせられることも多い。 私は所謂書道の世界もさほど知らないというのに、今勉強しているのは現代アート、世界的な美術作品についてである。 現在の書の世界は非常に閉鎖的で、団体の構造も新しいものを生むことを許さないかのような構造になっている。 もちろん世界的にも書はアートなのかと言われてしまうほど、矮小な存在である。 世界的な美術マーケットで最も高値がつく書道家は井上有一であるが、絵画が何百億円の中で、数千万の値に留まっている。 この勉強会の集まりは、書もれっきとした芸術のひとつであり、美術界の中でももっと日の目を見ても良いのではないか、と思っている人たちの活動の一環でもある。 私は今でこそ、やっとこさ様々な手法による書の表現ができるようになってきて、見る目も10数年分くらいは養われてきている自負もあるが、元々の美術コンプレックスは到底まだまだ拭えるものではない。 美術全般をやる人は「そのような生まれの変わった人」と位置づけ、私とは全く違うことを考えているから話も合うはずがない、長らくそう思ってきた。 今でも、作品的に全く解せないものを作る人を見ると、随分その機会は減ったが、私の美術コンプレックスはむくむくと顔を出してくる。 しかしながら、幼い頃からずっと長い間持ち続けている美術コンプレックスはその正面から向き合うことをなかなかさせてくれず、遠ざけて今日まで至ってしまっている。 美術界の人からすれば、歴史的背景や歴史的作品も知らずに何をそんなたわけたことを、と言うだろう。 しかしながら、私が表現について自覚的に気合いを入れ始めた25,6歳の時、出会ったロックンロールに影響を多大に受けていて、それは超実存主義的な「私、今、ここ、大事」のようなことを重んじていたから、歴史とか他人の作品とかどうでもよかったのである。 自分の好き勝手、自分の思い通りに作品を作る、それが最上最善であると、青き私は本気の本気で思っていた。 まして、ずっと引きずってきた美術コンプレックスの自分が、何か創作めいたことができるようになった、そのことだけで私は大満足だったのである。 もちろん、自分の好き勝手に作品を作ることは概ね今でも最上最善だとは思っているのだが、そこには思慮が必要だということである。 そんな青き頃からもう数年が経ち、私のロックンロールはきちんと胸の中に根付いて、無駄にヒートアップすることもなくなった。 それでも創作の楽しみというのを失わずにいられたことは、とても幸いなことだったのかもしれない。 そして、あらゆる美術作品を見て、個人の好き嫌いもあれど、歴史的・美術的に見て、価値があるものは主観的にも”良い”と思える状態にまではなった。 しかし今でも、自分が作品を作るときに、歴史的に見たり、美術的に見たりしたことがただの一度もない。 歴史的とか美術的とか、そんな大掛かりな舞台のような話に、自分の作品を乗っけるなど甚だおかしいという気もしてしまう。 しかし、私なんかも創作なんてことをやっても良いのか!、と気づいた時のように、自分の作品を歴史的美術的に見たって、当たり前だが何ら問題はないのである。 だが一方でこの観点を入れると、全く、手も足も出なくなるようにも思う。 筆致も内容もレイアウトも、すでに山ほどにありふれている。 この勉強会に参加させてもらって分かったのは、歴史的作品やその作品の背景を知ることで、今漠然と歴史的や美術的という言葉に圧倒されて手が付きがたくなっている作品制作において、多少視界がクリアになるだろうということだ。 知らなさすぎるから分からな過ぎて手が出ない、そこからは脱却できるかもしれない。 音楽もそうだが、漠然としすぎて恐ろしく、遠ざけがちなものは、落ち着いて基礎を知ってみると良い。 そうすることで、それをやることが叶わないとしても、受け手として楽しんだり、それについて会話したりできるようになって、人生はより豊かになるのである。 ある程度、書の創作ができるようになってきた私の、次のフェーズなのかもしれない。 たぶん、一旦恥さらしなただの愚作が増えてくるのではないかと思う。 でも仕方ない、美術的底辺から遅々と進むしか方法がないことだけは、よく知っている。 けいこから”本物の”梅干しが送られてきたので、ここのところ毎日食卓に登場している。
けいこが漬けたわけではなく、おばが漬けたものらしい。 梅干しを漬けるというのはその世代、60~70代、あるいはもっと上の世代の人たちは毎年の風物詩のようにやっている人が多いように思う。 けいこが”本物の”というのは、梅干しを漬ける際に塩と紫蘇以外に使っていない、という意味であろう。 最近スーパーなどで見かける梅干しはたいてい所謂旨味調味料や鰹節や砂糖や蜂蜜が入っているものが多い。 ”本物の”梅干しよりもいろいろと入っているものの方が手間やコストがかかると思うが、それだけ”本物の”梅干しが食べづらいということなのだと思う。 ”本物の”梅干しを口にすると、思わず顔全体が歪んで、口が窄む。 ぎゅん、という梅干しの圧力が口の中だけでなく頭部全体に広がるような。 それでいて、すっぱいだけでない梅の実の味がじっくりと奥深く重たく伝わってくる。 威厳に満ち、荘厳たる存在感、さすが”本物”である。 幼い頃、私は好きな食べ物はと聞かれて「梅干し」と答えていた時期がある。 しかし、このような”本物の”梅干しではなく、駄菓子屋や梅産地のお土産屋で売っているカリカリ梅である。 祖父母が旅行に行くというと、必ずカリカリ梅をお土産に頼んでいたものだ。 そのおかげで祖母はヨーロッパに行く際にも、空港などでは孫のカリカリ梅を探していたらしい。 狂ったようにカリカリ梅を食べて、後に無性に水を欲していた記憶がある。 その名残なのか、今でもごく稀にカリカリ梅が食べたくなってコンビニで買うことがあるが、それも妊娠中を除けば半年に一度あるかないか、私はいつしか、めっきり梅干しへの情熱を失ってしまっていた。 しかし”梅干し”は、私の記憶を引っ張り出すとずるずると芋づる式に様々な記憶が掘り出されてくる言葉の一つである。 実家の庭には梅の木があって、私の物心つく頃には既に老木であったが、毎年身をつけていた。 祖母は、庭にあった梅の木の梅で毎年梅干しを作っていた。 「カリカリ梅に挑戦しただけどうまくできんわ」と言いながら。 なんでもカリカリ梅は塩分量が普通の梅干しに比べて塩分量が少ないのでカビやすいのだとか。 庭石に漬かる中間の梅干しを並べて干す。 陽をさんさんと浴びて皺がよって梅干しらしくなってくる。 一つ、二つ、未完成の温かな梅干しをつまんで食べると、やっぱりすっぱい。 そういう、思い出である。 3年か4年ほど前に祖母は93歳か94歳で死んだが、私は祖母が好きだったなあと思う。 「あんたなら何も心配いらんわ」「元気ならいい」そんなことをただ普通に、でも明確に言ってくれた人だったからだと思う。 死んでも生き続ける、というのはおそらくこのようなを言うのだろう。 髪を短くした。 基本的に誰にも触れてもらえないのだが、私は髪を短くした。 三連休、と言っても仕事はあったが、炎暑の中をえんやこらと3日とも散歩に出かけた。
1日平均15000歩、これは妊娠前に歩くのにハマっていたときの数値である。 もちろんこの3日間は息子をベビーカーに乗せて。 私としては、今年の夏は猛烈に危機を感じる炎暑ではないように思うが、それでも暑いは暑い。 やはりこの炎暑では、とりあえず大人は良くても息子のことが気になる。 2リットルの飲み水、凍らせたアクエリアスとカルピスウォーター、保冷剤、水を振りまける霧吹き、それらを持ってベビーカーの息子の背面に仕込む。 そしてなるべく日陰を歩く、水分補給をこまめにさせる、スーパーやコンビニで冷気を得る、霧吹きでこまめに濡らす。 息子の文字通りの顔色やご機嫌を伺いながら、熱中症になっていないかを逐一確認しながらの散歩はせかせかと慌ただしい。 大人だけで、気温がこんなに高くなければ、目的地は緩めに設定して歩いたことのない道をずんずん行きたいのだが、当然ながらそうもいかない。 今日の目的地はかき氷、のち、その近くの児童館。 夫の所縁の地に足を向けたのだが、20年ほど前とは違って人気の甘味処となったようで満席で入れなかった。 この暑さの中で路頭に迷うのは恐ろしいことだが、幸い少し歩いたところで「氷」の旗を見つけて入る。 いつからか「古民家カフェ」なんていうカフェジャンルができたが、まさにそれである。 昼寝から起き抜けの息子はすぐにいたずら顔になり、和室の部屋を散策し始めた。 元気な息子を制するのに必死で、ここでは宇治金時のかき氷とプリンを頼んだのだが、氷がふんわりして冷たかったことと、プリンがかなりしっかりした固さだったことしか記憶に残らなかった。 息子はやる気満々だし他のお客さんも入ってきたので、かき氷もプリンもかきこむしかなかった。 帰り際、入り口に篠田桃紅さんの絵(書?)を見つけて、もう少し見たく後ろ髪を引かれたが行かねばならない。 幼い子どもと一緒に行動する場合、自分の利益を優先したいという気持ちを全く持たないくらいでいかないと損をした気持ちになる。 お互いにことなる人間の欲望や欲求があるのは当然だが、子どもの要求度合いにはかなわない。 その後、スーパーでお弁当を買い、その近くの児童館で昼食をとろうと思ったが、コロナの関係で食事は不可になっていると言われる。 またも炎暑の中路頭に迷うところだったが、この辺りをよく知る夫が近くの公園に行こうと提案。 広々とした公園は、さすがにこの暑さで人も疎らで、机と椅子のある日陰のスペースで昼食をとることができた。 水道もあるので、息子の手も口も吹くことができた。 かなり暑い中、またかきこんでご飯を食べる羽目になったけれど。 腹ごしらえを済ませて児童館に戻り、涼む、涼む。 息子は家にはないおもちゃで遊ぶ、遊ぶ。 新宿区の児童館はほかの区と違って日曜日も祝日もやっていて、お休みは年末年始のみである。 私は子どもが生まれてから行政と関わることも増えたが、子育て系の支援というのは本当に手厚いなあというのが一番の感想である。 それでも行き届かないところもあるだろうけれど、本当にどの施設もきちんと運営されていて、使い勝手が良い。 1時間ほど、身体も涼しくなって、児童館を出る。 またまた暑いが、最後にもう一か所カフェに寄ろうと、和菓子カフェに。 比較的おとなしくしていた息子のおかげで、比較的ゆっくり抹茶とわらび餅を食べて帰路につく。 息子は午睡に入った。 スポーツセンターで冷気をもらって、ようやく帰宅。 みんな汗だく、みんなシャワー。 浴びたらすっきりして、疲れて動けない。 元気なのは午睡から覚めた息子だけである。 太陽というのは本当に思っている以上に体力を奪う。 しかもこの3日間、とても派手に日焼けをしてしまった。 帽子はかぶっていたがノースリーブを着ていたので、肩が丸焦げである。 中学生のようにくっきりした日焼け。 元々日焼けしやすい肌だが、ここ10年ほど外に出るときは帽子と長袖、日傘をしていた。 今はベビーカーを押さねばならないのとあまり日焼けを気にしなくなったのだが、あまりにも無防備だったかもしれない。 息子の足も丸焦げである。 思いがけないことだが、しっかりと夏を刻印した。 まだ身体が疲れているが、夏の思い出として不足はない。 保育園のグループLINEによる通信が始まって、その日の様子の報告と園児たちの写真が毎日1枚送られてくる。
写真は一応、正面の顔を映らないようにしているらしく、後ろ姿や上から撮影したもの。 この写真を通して、私は初めて息子の園での様子を垣間見た。 公園でお友達とハイハイしているところと、山ブドウの実をつぶしてジップロックに入れて触っているところ。 かの有名な卒乳の漫画を読んだときもそうだったが、今回も身体が自ずとまるごとに反応して涙が出そうになった。 お友達とハイハイしているだけ、山ブドウの実をつぶして触っているだけ、の写真でである。 お迎えに行くといつも明るい良い顔をしているので、私はとても安心して保育園を利用させていただいているのだが、実際に息子がどんな様子なのかはうまく想像ができなかった。 しかし息子は、私の見ていないところで、しっかりと楽しんでいる。 こんなことで胸がぎゅうっとなって涙が出そうになる。 ほんの少し母から手離れする寂しさも入り混じりながら、私全身からこみ上げてくるこの寂しさ以外の大部分の感情をどうしても言葉にすることができない。 切ないでも、嬉しいでも、可愛いでも、喜ばしいでも、もちろん悲しいでもない。 どちらかといえばプラスの感情だけれど、諸手を上げてハッピーという感じでもない。 心の大事な部分を程よい力で圧されているような。 第一次社会生活に進出した息子を、母は言い表せない感情で見守っている。 まだまだ夜中はち乳飲み子なのだけれど。 可愛い子には旅をさせよ、というが、まさにそんな感じである。 保育園に行かせて本当に良かったなあと思う。 そう思わせてくれて保育士さんたちには心の中で拍手喝采、スタンディングオベーションを捧げたい。 明日明後日あたりからこのあたりのパン屋さんが長いお盆休みに入る。 朝の食パンが買えないのはとても嫌なので、1.5斤を買ってきた。 しかし最近息子が千切った食パンを食べるので減りが早い。 息子が保育園に行って、夫は自宅でテレワーク、私も家事と仕事をする。 家族を営んでいる、そんな心持ちがする。 家族が一番大事、と広く一般で当然の当然とされていることだが、私は真っ向からそう思えずにいた。 自分の家族が嫌いというわけではなくて、しかし、家族を一番、あるいはそれが当然であり正義、でなくても良いではないか、と思ってきた、今も思っている。 たまたま一緒にいて、たまたま子どもが生まれて、それが「家族」という呼び名なだけである。 しかし、明日も明後日も明々後日も息子や夫に会いたいわけで、息子と夫と私は制度上「家族」という集団なので、では「家族が好き」と言っても良いか、と思う。 「家族」も「友達」も、通念上の価値観ではなく、それぞれに能動的に良くしていく姿勢が必要なのではないか。 それについては、自戒もあるけれど。 蝉がジャージャー鳴いている。
濃緑の木々の中を散歩しながら夏の中を歩く。 すると突然今のこの現状が急に有難く思えてきて、戦時中もこんな気持ちになったのかもなあと想像した。 きっと戦時中にも穏やかな時は存在して、当然ながら夏が来て、太陽が照り、青空が広がって、蝉も鳴いていたことだろう。 まだまだ社会は揺れていて、それでも平時と思っていた私の日常も、無論まったく軋みが発生しないわけではない。 あんなこともこんなことも、そういえばできていない。 忘れかけていたけれど、サウナに行きたい。 さて、仕事というか手伝いで、とても久しぶりにテープ起こしを行っている。 学生時代に2時間ほどのインタビューを起こすという作業をしたことがあるが、それ以降はライターの仕事をしていたころにもう一度だけ、やったことがある。 人によってはものすごく面倒な作業と思うかもしれないが、元より、単純なタイピングが大好きな私としてはさほど苦にはならない。 今後毎日8時間やれと言われたら嫌だけれど。 音声を自動で書き起こすソフトなども今はたくさんあるだろうけれど、喋り手もゆっくり喋ってくれるので、録音しつつ同時に書き起こしていくスタイルをとっている。 分からなかった部分だけ録音終了後にもう一度聞きなおす。 最近はブログを書く以外にキーボードで文字群をタイプすることはほとんどないので、随分と指先が鈍っている。 PCを新しくしてから数か月経つが、キーボードに手が馴染むほどPCを触らないので、Enterキーなどの距離感のチューニングもしなければならない。 そして今回最も気になったのが、新しいテーブルの角がとがっていて、腕をテーブルに置くと痛いことである。 いろいろあるなあと思いながら、カタカタカタカタ打ち続け、聞き直し、打ち直し。 久しぶりに1㎞ほどの距離を走ったような気持ちになった。 終わった後も完全な脱力状態ではなく、やや興奮が続いていて、いつもはぐったりしてしまう保育園お迎え前の16時ごろにも、あれやこれやとあくせく動いていた。 アドレナリンのような、交感神経を優位にする物質が出ていることで疲弊した体を突き動かすとき、根拠なき、得体の知れぬ有能感を味わうように思う。 やれる、まだいける、今なら何でもできる、怖くない、そんな高揚した気持ちになる。 一時的なことなら非常時の馬鹿力として良いのだろうが、おそらくアドレナリンのような物質で体を動かすことが長期間続くと心身を壊してしまうだろう。 また、このような状態では、簡単な単純作業しか行えない。 冷静さや沈思黙考を必要とするような作業をしてはならない。 ブログはかろうじて書けるが、書は書けない、あくまで私の場合だが。 私は基本的に予定が立っているときには予定を狂わされるのが苦手であるが、急な依頼ごとで何かを差し込まれてみるのは悪くはない。 ずっとやっていなかったことをやる、新しいことをやる、予定を変更してやる、日常に少しでもストレッチしたパラメータを注入するのは人間の拡張にとって必要なことである。 たいていの場合、それらをやるのは面倒で堪らないのだが。 しかし、でないと、留まったそこは淀んで臭いを発してしまうかもしれない。 梅雨明けで猛暑になると聞いていたような気がするが、比較的からりとして過ごしやすい。 あっという間に8月が過ぎそうで、そうなったら年末までのカウントダウンか。 それはあまりに気が早いか。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|