10月末日である。
寒い、冷える。 明日からセーターを着ても良いのだろうか。 本当は、いつだってダウンコートもセーターも着ても良いはずだ。 私はクローゼットの中の衣替えという本格的な衣替えはほぼしないので、クリーニングから上がったビニール袋を外せばダウンコートもすぐ着られるし、セーターだって簡易な箱にふっくら入っているだけなのでいつだって着られる。 たとえ、季節感やファッション性のない人、と見られようとも「温かい」ことの嬉しさだって知っているはずだ。 冬のような灰色の曇り空の下、「寒い寒い」と凍えているところに、ダウンコートを着てこの気温なんてへっちゃらだもんねと自転車でさっそうと通り過ぎていった人を、私は羨ましく思わずにはいられない。 ただ晴れていれば昼間はダウンコートのような嵩張るものを手にしているのは、雨が降らなかった日に傘を3本くらい持っているような鬱陶しい気分になるので、春や秋の寒暖差の激しい季節は難しいのだけれども。 季節感や社会性があるという自己呈示をしなかったとしても、まだ10月にダウンコートやセーターを着るもんか、という気持ちもある。 外からは見えないインナーをヒートテックにすることさえも抵抗がある。 来る冬に備えて、こんな気温で寒いなんて言うもんか、という強がりである。 暖房だってまだ入れるものか。 しかしながら、春が来ようとしているとき、私たちはいち早くコートを脱ごうとする傾向にあるのではないだろうか。 暖かい季節に向かう頃には、季節を先取り、などと言ったりして、胸元が開き気味の服を着たり、ふんわり軽い寒々しいスカートを履いたりする、ヤセ我慢して。 これから暑くなることに備えて、こんな気温で暑いなんて言うもんか、とセーターを着たままに汗をかいていることはないだろう。 これは暖かさを歓迎する気持ちなのか、寒さに強いのは元気で良いことだという観念なのか、何だろう。 暦でなくて、体感で生きればいいじゃないか。 と思いながら、明日になれば堂々とセーターを着るのだろう。 そしてそうしたら、すっかり空は晴れ渡って9月下旬並みの気温です、なんてことにもなるのかもしれない。 こんな10月末日の夜は、せめて温かいものが食べたいと、おでんやらシチューやらを食べようかと考える。 ほくほくと温かい身体は、ほくほくと温かい気持ちを産むだろう。 夕暮れ時、昼に干した洗濯物はひんやり湿っていて、コーヒーが覚めるのがやたら早い。
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若かりし頃の岡村靖幸が歌っていたsweet memoriesがあまりにも良くて、「We love SEIKO」という松田聖子総集のような3枚組のアルバムを買った。
岡村靖幸のおかげである。 その動画には、あの、野沢直子が奇声を上げていて、私史にピンで留めておきたい動画となった。 sweet memoriesは松本隆さんの作詞らしい。 松本隆さんの作るラブソングの詞は、ラブソングの体をした別のこととも思えて大好きである。 それもそうと、先日東京書作展に出品した「ア、秋」が東京新聞賞を受賞したお知らせを電話で受けた。 そのとき私はとあるビルの6階にいて、階段の踊り場で手すりに持たれて遥か階下を身の縮む思いで見ていた。 今携帯電話が手から滑り落ちたら、もし手すりの格子から私が滑り落ちたら、息の止まる思いを自分で演出していたのかもしれない。 携帯電話と手すりをぎゅっと握った。 手すりから離れれば良いのに。 ある思いと一緒にあった映像や匂い、あるいは、映像や匂いと一緒にあった思いは深く心に刻まれる。 取り立てて誰かにそのことを話すことをしなくても、それは私の記憶の引き出しに大切にしまわれるだろう。 それらのことは後に“思い出”と呼ばれる。 “思い出”になる可能性のある、ささやかだったり取るに足らない心の動きを、私はブログに書くのだろう。 2000点くらい(おそらく)の出品作品から、上位13点に選ばれたのだ。 書作展の仕組みはいろいろあれど、自分で言うのもなんだけれど、素晴らしいことである。 苦節、なんて言い方は似合わない気もする一方で、がんばった気はする。 根性出した、そんな感じがする。 少しだけ、目頭が熱くなる。 書をやっているのは、当然ながら誰のためではなく己のためだ。 無論賞を獲ることが一番の目的では全然ない。 しかしながらいつだって、私が成したことを誰かが良いと言ってくれるのは、頭を撫でられているような気分になるのである。 □東京書作展 11月30日〜12月4日まで。 池袋サンシャインシティ展示ホールA お時間とご興味がおありでしたら、ぜひお足をお運びくださいませ。 せっかくひとりで行けるようになった近所の飲み屋に何となく長い間行ってなかったので、もう少し離れた居酒屋にひとりで入ってみる。
朝から食パンと卵かけご飯しか食べておらず、タンパク質が摂りたかった。 魚よりも肉派なので、もう少し離れた近所の焼きとん屋さん。 「ワカコ酒」の気分で。 ひとり焼肉は少々抵抗があるけれど、ひとり居酒屋は入り口さえくぐってしまえばもう平気である。 入り口をくぐる前は、一度くらいは店の前をそろそろと通り過ぎて横目に店内の様子を伺ってしまうけど。 ちなみに、私は肉派と言いながら牛肉が得意ではないので誰かと一緒でもあまり焼肉は行かない。 あと15分で食べ物のラストオーダーだと言う。 閉店まで1時間半、ひとりでそんなに長居もしないので十分だ。 このあたりのお店の閉店時間は夜型の私からすれば皆早い。 ひとり居酒屋やバーなどに入るとき、そこに居合わせた誰かや店員さんとと話したい気もするし、話したくない気もする。 話したくない場合の方が、傾向としては多い気がする。 このお店は店員さんがすべて外国人ということと、閉店間際はほとんど人がいないので良い。 寒くなってきたけれど、とりあえず生ビール。 ジョッキが冷凍庫に保存されていて、きんっきん冷えっ冷えの生ビールが出てきた。 霜のような氷、まさしく霜なのかもしれない、が浮いていて、シャーベットビールの様相。 今が真夏だったとしても、いくらなんでも冷え過ぎだ。 冷た過ぎるのも熱過ぎるのも、それが先立ってしまい過ぎて味がよく分からなくなる。 握る取っ手が酷く冷たい。 そういえば、料理は熱々を出さず常温に近い温度で出す、といつかに「情熱大陸」に出ていたイタリアンにいつか行きたい。 ひとりで食べて飲んでいると、やることがないのでピッチが早くなる。 あと、たいてい食べ物を頼みすぎてしまう。 梅きゅうをばりばりぼりぼりむしゃむしゃ食べるハメになる。 居酒屋のメニューは基本的にひとり分の量でできてはいない。 ねぎまやらなんこつやらかしらやらエリンギやらを食べて、梅干しサワーを飲んで。 今日気付いたのは、ひとりでいると、からしをつけたくならないんだなということ。 たぶん元々からしが好きではないのだ。 このことは薄々知っていた。 ただ、誰かと一緒にいるときにからしを常としてつけてしまうのは、会話というスパイスが常に振りかかってきているのでそれを凌駕するような刺激を口に入れたい衝動に駆られるからだろう。 ひとりでいれば、からしをつけたときの「うわーからし」という感じよりも、より肉を味わいたいということが先立つ。 私は基本的におしゃべりをしているときに食事をしていると、味がどうこうというのはかなりオフになっていることが多い。 そのことを話題に出せばまた別だけれど、人との食事で味を詳しく覚えているということは実はあまりない。 会話を越えてくる「?!」みたいなものは時にあれど、そしてそれはいつだって欲しいというのはあれど。 マルチタスキングが苦手なのは、電話をしているときにテレビや音楽を消してしまう私の拙さである。 気付けば最後の客である。 酔っ払ってきた。 もう少しゆっくりこの文章を書きたかったけれど、閉店間際の店員さんの早く帰りたい一心の締め準備と、酒を飲んでいることでやや思考が前のめり気味である。 いつもが微細であるかは置いておいて、酔っ払っていると微細な感じではあまりいられないように思う。 もうちょっと、焼きとんや店員さんの動きに対する描写もしたいと言えばしたかった。 酒を飲んで脳内に起こることをひとり楽しむのは面白い。 家ならたいてい寝てしまうけれど、居酒屋ならそうもいかないのも良い。 「酔ってたしね」というのはよく聞くフレーズだけれど、「酔ってた」のであればなんでも許されるような風潮というのはどうなのだろうと思う。 例えばだけれど、「酔ってた」のであれば、自転車を盗んでも、たとえその人が法律上罰せられたとしたとしても、「まあ酔ってたし仕方がない、そういうこともあるよね」のようなことで軽く許されてしまうのだろうか。 酔っていない人だっているわけで、だからやっぱり節度というのは酔っていても酔っていなくても誰かの許容の幅は変わらないものだとも思える。 2000円くらいのお会計で、10円のおつりをもらって店を出る。 この文章に、後で読んで何か変なことが書いてあったとしたらどうなのだろう。 「酔ってたしね」 なんてやっぱり言うのかもしれない矛盾である。 姪からお返事が届いた。
ミッフィーちゃんの便せんに、セサミストリートのエルモが25くらい貼り付けられていた。 4歳の姪は、ひらがなは読めるけれど、読めるひらがなはほとんど書けないと言っても良い。 怪文書のようなお手紙は2枚あって、1枚は解読できたけれどもう1枚が解読ができず数日間出しっぱなしにしていて、ふとそれを見た生徒さんが解読したのであった。 かぜひいた おみやげほしい かぜひいた の方が私が解読できなかった方だった。 吹き出してしまった。 「おばさんだいすき」ということがなかったとしても、「またあそぼうね」とか、そんな感じの言葉を書いてくるのだと思っていた。 きっとおかあさんであるいもうとの入れ知恵だろうけれども、私は子どもの世界をいささか勘違いしているのかもしれない。 しかしながら、大人の私のイメージ上の決まりきったお返事文句ではなく、「かぜひいた」という近況報告と、私の手紙の内容を受けての「おみやげほしい」というのは、なかなか感心するではないか。 4歳くらいの子どもだと、簡単な単文を作れることの少し手前にあって、「お手紙は“普通”こういうことを書くんだよ」ということも学習前なのだろう。 子どもは残酷、という言い方があるけれど、それはきっと純粋さと世間知らずが成すものだ。 おそらく、その後に大事になるのはそのバランス力であって、その残酷さ、あるいはピュアさは少なくとも自分の中だけでも失わないでいてもらいたい。 子ども相手だとどうしても上目線で話をしがちだけれど、姪を見ていていつも思うのは、自分が幼かった頃のことや今の自分にそのバランス力があるかどうか、である。 「大人になることは、より自由になることだ」と、私は姪にも教えるかもしれないし、自分にも言い続けるのだろう。 久しぶりにものすごい二日酔いになって、一日中頭痛に苛まれていた。 二日酔いのときは空腹でいると治らないイメージがあるので、とりあえずキレートレモンを飲んだり、ハンバーグ定食を食べたりしたけれど、それでも全然だめだった。 睡眠不足が大きく祟ることもそうだけれど、この日は6時間強くらいは寝ていたのにも関わらず、がんがんがんがんと頭痛はし続けていた。 夜の8時や9時くらいになると大抵戻ってこれるのだけれど、それ時間になってもだめで、何か塩気のある温かいものをと、自分でお味噌汁を作って飲んだ。 これがすこぶる美味しくて、体全体に温かい血が巡って頭痛も幾分和らいだ。 早々にベッドに入り、8時間ほどが経った。 算数のテストで0点かもしれないという吐き気がしそうな夢を見た。 目が覚めて、振り切って、コーヒーを淹れて、爽快な朝である。 洗濯機の二回目を回しながら、お味噌汁を作るべく出汁を取っている。 豆腐は昨日使ってしまったから、えのきと油揚げのお味噌汁。 アルミ箔で箱を作り、残っていたピーマンを二つ割りにしてと卵を割り入れて、粉チーズをかける。 冷凍ごはんを解凍して、ブランチとしよう。 最近めっきりまともなごはんを作っていなかったけれど、寒くなってきたのでまともにごはんを作ってみる。
夏より冬の方が、ごった煮の季節でもある。 本日のおしながき ・ピーマンのくたくた煮 ・冬の間のごった煮 ・トマトとおじゃがのオムレツ ・納豆と葱を詰めて、栃尾揚げ ・幡豆の赤出しお味噌汁 ・白ごはん ・御麦酒 というおしながきのイメージを書において仕立てたかったという理由も大きい。 結局私はごはんを作ることよりも、字を書いている方が真剣だったりする。 このことが望ましいかどうかは分からないけれど、私において真剣に興じることができたのであればやっぱり望ましい。 ピーマンは、二つ割りにしてヘタの部分を折るようにして種と一緒に除きます。 熱したフライパンにサラダ油を少し、ピーマンの外側を下にして並べます。 時々、ピーマンの薄皮が弾ける音がして油がぴちっと飛んだりしますが我慢します。 ピーマンの外側に焦げ目がつくまでじっくり焼いたら、ひっくり返して少し焼き、お酒・みりん・醤油・すりごま・水を合わせておいた調味液をダッと入れます。 味の締まりに唐辛子も一本、じくじくと調味液がなくなってくる頃合いで出来上がりです。 こういったものは熱々よりも、冷たくならない程度の常温まで冷ました方が美味しいように思います。 くたくたになったピーマンに調味液が良く染み込んで、ピーマンのやさしい苦味と相まって、ごはんにもビールにもよく合います。 冬の間のごった煮、は主に白菜の煮物です。 今は秋ですが、おおまか夏季と冬季でごった煮は内容が異なります。 まず、豚ひき肉を大きな鍋に油を敷かずに炒めて、過去に肉本体に塩胡椒をすると味が良くなった経験があるので、ここで軽く塩胡椒を振ります。 白菜はざく切りにして洗って、豚ひき肉が炒まっている大きな鍋に放り込みます。 えのきだけとしめじをほぐして、油揚げを太め千切りにして放り込みます。 蓋をしてしばし、具材全体が汗をかいてきたら、酒をどばばばと入れます。 鰹粉もざざざざと入れます。 入れ忘れていた生姜もひとかけ、ふたかけ分ほど入れます。 木べらをグーにして握って、全体を大きくかき混ぜながらあとは煮るだけです。 味見をして、塩と醤油と、砂糖を少し。 これは一度冷まして、再度熱々にして食べます。 肉様と油揚げ様に支えられた白菜が幅を利かせる、渾然一体感が重要な煮物です。 生姜を入れると「本格的だ」と言いたくなるのはなぜでしょう。 次の日はうどんを入れると美味しく食べられます。 和風ばかりでは飽きてしまうので、トマトとジャガイモを使って、スペイン風オムレツも作ります。 最初にベーコンを2枚ほど、細切りにして油がしっかり出てカリッとするまで辛抱強く炒めます。 ベーコンがじくじく炒まっている間に、トマトとジャガイモと人参は粗く細かく切ってベーコンの入ったフライパンに入れ、ジャガイモが透き通ってくる感じがするまで炒めて、塩胡椒をしてお皿に上げておきます。 卵4個をどんぶりに割入れて、牛乳をたぷっと入れて、かき混ぜます。 卵が変に火が入ってしまわないようにと少しの祈りを込めて、早々と冷めたと決めつけた野菜の角切りたちをその中に入れて混ぜます。 顆粒コンソメと細切りのモッツァレラチーズも入れて、重みのある卵液ができました。 フライパンを熱し、バターがあったのでナイフで少し切って、バターが溶けるのを待ちます。 家の熱源はIHで温まりが遅いので気長感が必要です、やっぱり熱源はガスが良いです。 重たい卵液をどどどどっと一気にフライパンに流し入れて、しばらく放っておきます。 卵液の端が焼けてきて、全体にふるふると固まってきたら一旦平皿にとって、えいやっと、後は野となれ山となれなんてことを一瞬だけ思いながらひっくり返します。 少し崩れて、卵液が大さじ2くらい飛び出ましたが大丈夫です。 蓋をして蒸し焼きにして、全体がふっくら押し膨らんで来たら出来上がりです。 ベーコンとチーズとコンソメのしっかり味なので、ケチャップなんかは要りません。 栃尾揚げが美味しい、と3,4年前に友人に聞いたような気がして、それを偶然スーパーで見つけたので作りました。 明日がその友人の誕生日であることを途中で思い出しました。 栃尾揚げは、厚揚げと油揚げの中間くらいの、分厚い油揚げです。 中のふかふか感も厚揚げと油揚げの間くらいです。 ネギを粗みじん切りに刻んで納豆と混ぜ、半分に切って切りこみを入れた栃尾揚げに詰めます。 トースターで栃尾揚げがカリッときつね色に染まってくれば出来上がりです。 ひとつが名刺の2.5倍くらいの大きさがあるので、包丁で切ったら、中身の納豆が雪崩のようにどどっと出てきてしまいました。 食べるときにポン酢でもかけると良いでしょう。 お味噌汁は、私の育った家の味です。 赤出しは塩分が強いなどと思われがちですが決してそんなことはありません。 汁物用の小さな鍋をミートソースで焦げ付かせてしまって捨ててしまったので、フライパンで作りました。 豆感がたっぷりなので、負けないように鰹の厚削りで濃い出汁を取ります。 水にしばらく浸けておいてそれから火にかけると鰹の旨味が搾り取れるような気がします。 鰹の厚削りを握って味を出し絞るようなイメージで黄金の出汁が取れたら、豆腐を手のひらの上でそっと切ってじゃぽんと入れて、なめこを一袋ずるんと入れます。 なめこのぬめりでとろみのある泡が沸いてきたら火を弱めて、こんなもんかな、とお玉で掬った味噌よりも少なめの味噌を溶き入れます。 こんなもんかな、と思う味噌の量はたいてい多いです。 味噌を入れたら煮立ててはいけません、これはけいこの教えです。 沸騰直前で火を止めます。 お味噌汁は出来立てが一番美味しいです。 たくさん作ってはいけません。 私がメニューを考えると、どうしてもメイン料理が何なのかがぼやけてしまう。 肉料理たる肉料理を私はあまり作りたくない、それは生肉を触ることがあまり好きではないからだ。 ちゃんと作るのならば美味しい方がいいに決まっているので、今回はいろいろな面倒なステップを端折らずに作った。 器はこれよりもこれの方が良い、と見栄えへの妙な美意識も走り出して、盛った器を盛り替えたりもした。 RCサクセションとザ・バンドとドアーズを聞いている間に全ては出来上がった。 出来栄えは、上々。 それもそうと、お品書きを書いているときに、「おビール」「お品書き」「おじゃが」の「お」について思いを巡らせていた。 丁寧語としての「お」の使用方法やシチュエーションにおけるカテゴライズについて。 一般的には、外来語に「お」をつけるのは日本語的に間違いであるとするというのが主流の考え方のようで、「おビール」「おコーヒー」はその考え方を用いると正しい用法ではないらしい。 まあでも実際に使われているわけなので、言葉は生き物であり、時代によって言葉の意味は変わり広辞苑も改訂されていく、わけなので考えてみるには値するだろう。 前提として、丁寧語である「お」は、“美しい言葉づかい”を目標に使われているものだろう。 多くは女性やサービス業に従事している人が用いる言葉とも言えるだろう。 そしてそれらは時に過剰のようにも聞こえてしまって、違和感を覚えるときがある。 銀座のクラブのママや“お上品”な奥様が言うようなイメージで、あくまでイメージ、「おフランス」的な分類にされるのが、「おタバコ」「お紅茶」「おビール」「おトイレ」「お車」「おセンス」「お上品」「お下品」「お受験」「お醤油」「おソース」「お大根」などなど。 気になるのが、おそらく「おネクタイ」「おライター」「お人参」「お玉ねぎ」「おバス」「おイタリア」などとは言わないと思うのだけれど、それはなぜなのだろうか。 「おじゃがいも」とは言わないのに、「おじゃが」ならばありそうなのも気になる。 「おケータイ」とは聞いたことがないけれど、何となくどこかでは言われているような気もする。 きっと、「お焼酎」なんて言い方もどこかでは言われているだろう。 また、上記の内容ともかぶるけれども、幼児に対しても過剰に「お」は使われる。 「お机出してきて」「お茄子も食べようね」「おうどん食べる?」「お布団で寝ようね」「おリボンつける?」「おズボン履こうか」「お手てつなごう」などなど。 普段大人同士ではつけないような人でも幼児との会話では「お」を過剰につけるわけで、しかし幼児にとってみれば「お」などない方がシンプルで覚えやすいように思うのだけれど、私でさえも幼児に対しては無意識に言ってしまっていることもあると思う。 ここには、「お」を付けた言葉の方が丁寧で美しいとされていて、子どもに対しては、この後社会で愛されるべき人になってほしいという無意識で暗黙の願いが込められているのではないだろうか。 単に、「お」を付けた方が丁寧で丸く優しい感じがする、という理由だけではないような気がする。 敬語には尊敬・謙譲・丁寧があって、例えば「お品書き」は「品書き」と言う人は聞いたことがないのは、「お品書き」の「お」は主にお客に対して使われる謙譲語で用いられるだろうからそれが広く一般的に定着しているのだろう。 そういうことは少し置いておき、あくまで私基準であるが、どんな時に「お」が過剰に聞こえるのか、また同じように思える単語でも「お」を付けるものと付けないものがある区別は何なのかが気になるところである。 あと、私が言いたいのは、“お上品”とされているその“お上品”の設定を空気のように仕向けられた時への反発があるのかもしれない、とこれを書いていて思った。 “お上品”であることが悪いことでは全然ないけれども。 あ、「おばけ」は「ばけ」と言う人はいなさそうだし、「化け物」は「おばけもの」と言う人もいなさそうである。 いつものように、思考は既にとっ散らかって、時間切れである。 誰かと話してみたい。 金木犀が香っていたのは2、3週間前のまだ蒸し暑さの残る日々のことだったと思う。
甘ったるい香りが湿り気に溶けて、脱ぎたいのになかなか脱げない濡れた水着のような鬱陶しさと、それとともに訪れつつある秋への憂いを思った。 そして今日、急に穴に落ちたみたいに冷たくなった空気は、金木犀の香りすらもうしなくなってしまった。 いつの間にか、あんなに寒かったはずが夏になって、あんなに暑かったはずが冬になろうとしている。 会社員で勤めていた頃よりも今の方があれよあれよと季節が進んでいく感じがする。 今年は気持ちの良い天高き秋晴れの日をさっぱり味わうことなく、このまま冬になってしまうのか。 いやいやまだ秋だ。 秋ハ夏ノ焼ケ残リサ 夏ハシャンデリヤ、秋ハ灯篭 コスモス無残 秋はずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度を整えてせせら笑ってしゃがんでいる。 これは既に提出した展覧会の作品で書いた太宰治の「ア、秋」の一部。 いろんな作家の本を読むと、あぁやっぱり上手いなあ、と、どんな目線から物を言うのかということを棚に上げて、一応言葉を紡ぐのが好きな者の1人として手放しで感心したりする。 文章が大いなる売り物になるほどの価値を持ち得ているのだから当然とも言える一方で、私はそういった些細な言い回しにいちいち足止めを食らって敬意を表するとともに、少し、あぁやられた悔しい、と思うこともある。 こういうことは私が本をなかなか読み進めることが出来ない原因の大きな一つでもある。 夏が好きとずっと答えて生きてきた たかじ これは俳句仲間のたかじさんの句であるが、私にもこんな類の経験が継続的にあって、作者の本当のところの意図はどうかは分からないけれど、こんなことではだめだ!、と思ったのが私の感想である。 夏は確かに好きなのだけれど、夏の猛暑で身体が疲弊するのも確かでそのこと自体は暮らしづらい、過ごしやすい気温の秋の方が良いに決まっているではないか、と最近ようやく気付いた、というか、受け入れた。 夏の夜のクーラーの効いた寝室のすべすべのシーツ。 「今日も暑くなりそうだ」という夏の朝に飲む一杯の水。 汗で湿った身体を引き連れた何かの帰り道で食べるガリガリ君。 うだるような暑さの昼下がりの部屋で扇風機を回して寝っ転がること。 結局のところ、好きなのは「夏の涼」なのであって、まあそれも「夏が好き」の一環ではあるし、こういったスパイス的な夏の楽しみは大好きだ。 しかし、炎天は苦手だし、汗がうまくかけないのは辛い。 これまで発言として「常夏に住んでも良い」と言うほど夏好きだと豪語してきたのは、秋とか春とか、生温いことを言いたくなかったという心情が少なからず含まれているのだ。 しかもその心情を本人が無自覚で持っているわけだから、もう本当にタチが悪いし、これはある種の絶望とも言える。 一体誰に対しての自己演出だと言うのだろう。 こうありたい、という自己イメージは自覚的であるならまだしも、無自覚的捻れは早いところ解いてしまいたい。 ここ数年で少しずつ捻れが正常になってきているような気がするけれど、しかしながら、まだまだ無自覚的捻れは私の中に存在するような気がする。 「急に寒くなってびっくりですよね」 レッスンを行うとき、どちらからともなくやはり天気の話から入ることが多い。 世間話に天気や気温の話はうってつけで、みんなが毎日何かしら少しは感じること、ちょっとは興味のあること、当たり障りのないこと、なのである。 アイスブレイクはいつだって必要で、お互いの心がほんの少しでもじわりと温まった方が筆滑りやペン滑りだって良くなるってものだ。 しかし、毎度天気の話も一辺倒なので、何か他の話をと思って、家でのレッスンのときは時折玄関に貰い物の香水をふったりすることがある。 明らかな香りは話題にされることが無きにしもあらずである。 自分は身体に香水をつけることが好きではないこと、洗濯柔軟剤の香りは好きであること、ルームフレグランスとして貰い物の香水を消費しようとしていること、花や花の匂いのこと、時にそれをわざとしていることであることを明かす。 実際に今まで3回ほど取っ掛かりの話として成功した。 しかし例えば男性が、「部屋、いい匂いしますね」というのは何だか別の意味を醸しそうで言いづらいということももしかしたらあるのかもしれないと想像はする。 それにこの話は、天気の話のように変化がなく一度きりでもう使えないので、毎々の取っ掛かり話としてはあまり適切ではない。 いつも、「しんにょうが上手く書けなくてキックボードにしか見えない」とか「“美”という字が昆虫の触角みたいだ」とか「私の書く字は怪文書みたいだ」とか「“友樹”が雑魚キャラになっちゃう」とか「“心”がせせこましい」とかいろいろと面白い表現をしてくれる生徒さんがいて、私も便乗して言ったり笑わせてもらったりしている。 その方が「先生と話するの楽しみにして来てるので」とポロリと言っていた。 他にも「今度レッスンの後、一杯飲みに行きましょうよ」とも度々言われるようになって、それは私を嬉しくさせる。 私は曲がりなりにも字や字に纏わることを売っているし、それが継続されることが私が食べていけることであるけれど、それがきっかけとなって自分が金銭の外の関係の窓口になれたことは嬉しいのだ。 おげんきですか?おばさんはげんきです。
わたしはこんど、おばあちゃんといっしょにはまなこにりょこうにいきます。 おみやげをかってもっていくね。 かぜひかないようにね。 またおばさんとあそんでね。 おへんじまっています。 えみこおばさんより。 4歳の姪にひらがなでお手紙を書く。 最近音楽教室の先生からはがきをもらった姪がとても喜んでいたらしく、それを見たいもうとが私に書いてほしいと頼んできたのだ。 かつて、小中高生の頃は私は手紙が好きでよく書いていた。 小中の頃には交換日記も複数の子とやっていたし、雑誌に「文通しませんか」の募集から見知らぬ仙台の子と文通もしていたし、高校生の頃は何か藁半紙の裏にびっしり、授業をまるまる費やして手紙を書いていた。 大学生の頃にも、メールがあるにも関わらず浪人していた友人としばらくの間文通をしていたこともあった。 とにかく手紙を書いて、お返事をもらうことが楽しくてたまらなかった気がする。 机の上やポストの中、私宛に届くお返事の手紙を見つけるのはとってもわくわくしたものだった。 何を書いていたのかほとんど思い出せないので、きっと内容云々よりかは手紙をやり取りするというそのこと自体が好きだったのだと思う。 今はもう全然手紙など書くこともなくなって、暑中見舞いも年賀状さえも書かない。 長い長い手紙を書いたのは、3年ほど前に書いたヒロトへの手紙だろうか。 あれは長かった、B5ほどの便箋に7枚くらいあった。 数ヵ月後にヒロトからのサインのお返事が来たとき、それはもう別の意味を大いに込みで、飛び上がるくらい、吐き気がするくらいの大喜びであった。 字の仕事をしているものだから何故書かないのかとよく問われるけれど、今はそういったものを書くのにもちょっとした作品感を求めてしまうので、思いのままにざざっと手紙を書くことは難しい。 あとは雑記的文章を羅列するのならブログで満たされる。 ただ、作品感を込みで手紙のやり取りをすることを許してくれる人がいたら今でもぜひともしたい。 一方的ではなくて、双方的なやり取りで。 姪への手紙は、その辺にあった分厚いポストカードに。 私が絵を入れると台無しになるので、字だけ、ひらがなだけの手紙。 ちょうど仕事で結婚式の席次表を書いていたので、細筆と墨を使って書く。 いもうととしては、“きれいな字”を身につけさせたいらしく、“きれいな字”を教えてあげてと言われていたので“清く正しく”かっちりと書いた。 おへんじまっています。と書いたけれど、4歳の姪は読むことはできても書くことができないだろうか。 まあ絵はがきでも何でも、お返事が来たら私は相当に嬉しいだろうと思う。 そんな4歳とのお手紙のやり取りが実現したのなら、それをそのまま絵本とかに仕立てられたらかわいい。 私は絵が描けないけれども。 友人に会いに行く電車の道中。 あとひと駅で着いてしまうから、ここでこれを書くのを止める。 お腹が空いたから、道すがら肉まんでも頬張って行こうか。 私は立って食べる肉まんが好きだ。 友人に撮っておいた姪への手紙を写真で見せたら「芽ひじきみたいだね」と言った。 確かに、艶のあるふっくらした筆文字の線は、戻した芽ひじきのように見えた。 流石だ。 念願の飯盒炊爨をしたりとか、ニジマス釣りをやったりとか、「?!」となった生えのきのサラダとか、ちゃんと美味しいのにサクサクだった鶏胸肉の焼き鳥とか、単純で嬉しかった事象について、忘れてしまいそうなので最初に留めて置くことにする。
飯盒を使って思いの外完璧に炊けたお米と、ぺらぺらで焦げ焦げのステンレス鍋で作ったカレーは、所謂青空スパイスも振りかかって、絶賛のカレーライスとなった。 私はほとんど何にもやってないのだけれど、それは手を汚したくなかったわけではなくて誰もやらないのであればじゃがいもの皮を剥いたり玉ねぎを切ったりなどはしただろう。 飯盒は私が買ったので持ち帰り、激落ちくんで洗って棚の上の方に保管してある。 また使う機会があったらそれは嬉しいので、物をすぐ捨てがちな私もこれは捨てはしない。 釣竿が思ったよりも細かったことや、カステラと卵黄を練って作ったという美味しそうな黄色い餌玉、Sの半分の形をした針金が刺さると魚の口でも人間の皮膚でも取れづらいこと、わざわざ釣りのために放流した空腹の魚を釣るという釣りという行為へのフォーカス感、餌を魚につつかれているときの糸のくんくんという張り具合の感触、ピチピチビクンビクン動く絖った魚を触るのはやはりできなかったこと、炭火で焼いた魚はやや生感があったのと当然ながら新鮮で透明な味がしたこと。 釣りはカレーライス作りと違って自分でやらせてもらったので書けることは多い。 主に竿を固定していなければならず少々飽きがちなので、それを上回る楽しみが見つけられなければしばらく釣りはやらないだろう。 朝に燃す炭が燻りて秋の雲 桟橋の低きにかかる水の音 秋湿り上がり半分石乾く 手持ち無沙汰で、川べりに座って作った3句。 桟橋の〜の句は、お気に入りだけれど、後で気づいたけれど無季語だ。 生えのきのサラダとサクサクの焼き鳥はまた食べに行くとして、今度はテーマ的に「時間の感覚」について書きたいことがあるのだけれど、また持ち越しとする。 結局どんな類のことも風化していってしまう。 新しいことを取り入れるか、今あるものをかき混ぜて違う味にするか、より深くを知ってアップデートするか。 ここは、ロイヤルホスト。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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