空がきれいな夜。
濃紺の空に白熱灯の点みたいな星が光っていて、その上をほぐした綿のような綿雲が通り過ぎていく。 星座の名前はさっぱりで、見つけられるオリオン座だけが見え隠れ。 煙草の煙も、自分が吐く息も、雲よりもずっと儚くて、移ろうどころかすぐに霧消してしまう。 昔、実家のベランダからよく星を眺めていたことや、10年くらい前に行ったサハラ砂漠の圧巻の星空に落ちたいと思ったことを思い出す。 もともとファンタジックな方では全然ないけれど、そういえばとても軽やかな意味で空が好きだったり星が好きだったりすることを、最近特に意図的に封をしていたような気がする。 私の頭の中には、そこかしこで見た空の映像がいくつか保存されている。 雲ひとつない、青に近い色をした強い空。場所はヴェルサイユ宮殿だったろうか。 6月頃の湿った早朝、淡い緑色の街灯の後ろで明け始めたオレンジ色の空。飯田橋の交差点。 小石川植物園でひとり、青々とした紅葉をiPhoneのカメラを向けて見た5月の水色の空。 ある幼き日の元日、嫌々初日の出を見るべく山登りをして見たグラデーションに感動した夜明けの空。 初めてのフジロックで、もう会話もできないくらいに疲れ果てて眠たくて、でもふと一瞥したしんとした山の夜空。 夏休みに、蛙の声に怯えながら流れ星を待って望遠鏡を覗いたおばあちゃんの家の畑の上の空。 そして、サハラ砂漠の、地球の半球を身体に感じながら見た、プラネタリウムの何億倍もの広がりのある星だらけの夜空。 こう思い返してみると、映像だけが切り出されて保存されているということなどひとつもなくて、その状況や心情がセットになって記憶されているものだ。 「今までに食べた一番美味しかった食べ物は何?」という質問をされたことがあるけれど、それは、そのときの時間的前後と空間をひっくるめたそれ、でしかなくて、改めて同じ興奮や幸せを呼び起こそうと思ってもそんなのはもう全然不可能なのである。 長らく空を見上げる部屋に住んでなかったけれど、今の部屋からは空が眺められる。 物思いには都合の良い雲と風がそこにあって、いつの間にか煙草はフィルター近くまで燃えていた。 身体を冷やして、でもセンチメンタルな気分で部屋に入ると、なぜかプラスチックの墨池に入っている朱墨が置いてあった棚ににゅわーとこぼれ出している。 墨を入れっぱなしにするから腐敗したのだろうか。 朱墨は普通の黒い墨汁よりも色が取れづらい。 敷金に関わるところでこぼれなくて良かった。
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私は大抵、電車に乗るときや歩いているときは音楽を聴いている。
自転車に乗るときは法律が変わったから一切しなくなった。 家、前日に着ていたコートのポケット、カフェ、居酒屋、いろいろな場所にイヤホンを置いてきてしまうことがよくあって、それでも「あぁどうしても音が欲しい」となることがあるのでいつも予備のイヤホンをバッグに入れている。 と思っていたのに、その予備もバッグに見当たらない。 今までに10個くらいイヤホンを買っているけれど、初めて100円ショップのものを買ってみる。 私は耳が小さいので、普通のサイズのイヤホンを買うと耳からの拒否に遭って抜け落ちてしまう。 一番小さなサイズのカナル型のものを買う。 本当はもっと小さい方がいい、それくらい耳が小さい。 音は1000円ほどのイヤホンとは歴然と違って、まるで段ボールで作られたスピーカーか、段ボールの中で聴いているようなくぐもった音がした。 なんならドラムは段ボールで作ったドラムを叩いているのではないだろうかと思うほど。 これはくるりの「東京」かなと流してみるとなんだか味わいが増した感じがする。 岸田さんがカラオケのマイクで歌ってくれているような、そんな粗さと身近さが生まれていた。 ストーンローゼズも良いかなと思ったけれど、飛散していくような音の広がりがなくてダメだった。 まあでも、とにかく音楽を、という点はどんな音であってもクリアされるので全然良い。 スコーンと「焼きドーナツ」を持って友人の家に行く。 先日買った「焼きドーナツ」は案の定食べてしまったので、再度買い直して。 私が、極めて寝不足だけどよろしく、と言うと、彼女は一睡もしていないと言う。 その理由は、私と彼女では立場的な違いとして付与される意味が全然違う、けれど、私たちがやっていることはとてもよく似ている。 彼女の子どもは大きくなって、ゆらゆらと立ち始めていた。 まだ体幹がぐらんぐらんなのに、手を持ってあげると、立てる歩ける、と勘違いするので支えている方は大変である。 私たちがスコーンをもさもさと食べながら、そのもさもさについてなどを話していると、「私がいること忘れないで!」と言わんばかりに存在をアピールしてくる。 その子は、前髪が目にかかっちゃうから、とお母さんの計らいでちょうどツノの位置に二つ髪を結んでいた。 そのゴムの飾りがちょうちょとてんとうむし、だったかどうかは記憶にないけれど、なんだかとても良い質感でその子によく似合っていた。 私の姪へのプレゼントとして彼女が作ってくれたスタイのお返しにあげた多肉植物たちも元気に育っていた。 そのひとつが、おそらく光の関係で、風に靡いたまま止まってしまったような形で伸びていて愛おしくて笑ってしまう。 句会仲間でもある彼女と俳句の話も断片的にする。 彼女は俳句が上手い。 というか短歌も上手いし、言葉の扱いが上手い。 描こうとする何かを自分で選び取って形作り、それに自分自身の色を滲ませたり、ぎりぎり他人が分かる感じに組み合わせたりすることはそんなに簡単ではない。 私は彼女の紡ぐ言葉には時々密かに、悔しい、という思いを抱いていることもある。 そういえば、彼女とはよく会うけれど、ここ数年の私たちの会話としてヒロトとマーシーの名前が出なかった一日は初めてかもしれない。 寝不足の私たちはそれなりにぼーっとしながら、しかし自分たちの話題に引っ張られてそれなりに元気に話をした。 私の仕事の都合で時間が迫り、私としては不完全燃焼だったけれど彼女の家を後にする。 帰宅してから、あいうえお作文みたいなあいうえお俳句で彼女と続きを少し遊んだ。 もっと、借り物でない“わたし”に出会いたい。 それにはただ私がやるしかないのだ、というのを阻んでいるのは、私の小心さしかない。 楷書の臨書をするのは息が詰まる、というより、実際に息が止まる。
呼吸をしてしまうと線がブレるから。 ”わたし”の気配を消そうと息を殺して書くのに、書いたものはどう見たって“わたし”がいる。 そしてそんなこんなあれこれ考えていると間がブレる。 臨書が重んじられる書道の世界だけれど、私は臨書をするのは好きではない。 けれど、沸き出でる新しいものがない場合には外から取り入れるしか方法がない。 まあでもやり始めたらやり始めたで、諦めたらダメだ!と、ひとり部活のような修練の時間は嫌いではないし、何かひとつの作品となったら、結果的に枚数で言えば一番多く書く。 それに、ああこうなってるのね、こんなふうにいくの、そういう手もあったか、これはストックしておきたい、などという発見はだいたいいつもあるのでそれはとてもとても楽しい嬉しい。 鹿島田にある「パン日和あをや」というパン屋さん兼カフェに招待されて初めての街をゆく。 ベッドタウンであるこのあたりはいくつもの高層マンションが建設中で、どれも日当たりが良さそうだ。 都心の公園とは違って、公園には子連れの母子がたくさんいる。 これからどうなっていくのか知らないけれど、まだまだ空の在り処を大手を広げて確かめる余裕がある。 料理は、誰かがそれなりに真剣に作ると人柄がとてもにじみ出る。 同じ素材を使って、尚。 化学調味料も時にとても好きだけれど、私はやっぱりどこか“やさしさ”の染み出た素材味の料理が好きで、そんなものを食べると不意に泣きそうになることが最近たまにある。 先日食べた焼き鳥とかカレーとかはそんな味だった。 素材は大切だけれど、素材そのものだけでは特に何も起こらない。 塩ひと振りでも、サッとあぶるでも、異素材を組み合わせるでも、8時間煮込むでも、絶妙な加減というのがある。 絶妙な加減、というのは人によって違うと思うけれど、「オレの絶妙」といったその加減で、誰か他人が感動することができたのだとしたらなんだかそれはもう嬉しくて切なくて泣きたくなるようなことだ。 「あをや」さんの料理は、ぎりぎりまでシンプルで、そのシンプルにほんの少しだけ店主さんの魔法が掛かっているかのような感じがした。 無論パン作りの工程が、ほんの少しの魔法、なんてことは毛頭ないであろうけれど。 いろんな味が溶け合った温かなクラムチャウダーに、アボカドとクリームチーズの厚みがベストなサンドイッチ、甘い甘いこっくりとしたホットチョコレート、絵みたいなかわいらしいクロワッサン。 クロワッサンは、おそらく一般的なものよりもバターが控えめで中がふわふわ、それでも軽すぎずにお菓子ではなくてパンを食べている感がある。 おいしい。 料理だけでなく、お店全体の世界観が店主さんの絶妙なバランスによって成り立っていた。 小川洋子の小説に出てくるかのような、少し古くなった水彩画のようなお店。 シンメトリーや対、ということが好みではないのだろう、飾り物など一つひとつに独立感があってアシンメトリーになっている。 しかし不思議な統一感ですべてが絶妙なバランスで結ばれていて、その不思議な統一感こそが店主さんのお人柄なのだと思う。 これは私の好みかもしれないけれど、食器類はもっとばらばらでもいいのでは、という気もした。 まあメニューが変わることもあるだろうから、汎用性を考えてのことだとも想像できるけれど。 スコーンとコッペパン、マロンパンを買って帰る。 夜、財布とスマートフォンをポケットに入れて外に出る。 できることならいつだってバッグを持ちたくない。 まいばすけっとで売っていた「焼きドーナツ」というお菓子がとてもおいしかった。
ドーナツ、というよりはスコーンといった感じで、小麦粉が砂糖と一緒にぎゅっと焼き上がっている。 でも齧るとその破片を落とさずに食べることが難しいほど、ほろほろして。 いつかにもらった「ミルクせんべい」のような仄かな甘みのやさしさも詰まっている。 パンでもクッキーでもうどんでも、小麦の小麦感がするものが好きだ。 口の中の水分を持っていかれるような小麦のお菓子が好きな友人もきっと好きなはず、彼女の食育方針の縛りがきつくなければもうじき1歳の赤ちゃんも一緒に食べられるかもしれない、と今度会うときのために二つ買ったけれど、友人に会うまでに私はこれを食べずにいられるだろうか。 親株から切れてしまって水差ししておいたミントが新しい葉を芽吹いてきた。 いまいちずっと元気がなかったのだけれど、部屋の環境に根付いてきたということだろう。 しかしいったい、水しかあげていないのに、何がどうして芽吹くなんてことが起こるのだろう。 葉緑素が光合成で云々という科学的な説明は付くのはわかるけど、なかった葉っぱが目に見える質量を伴った物質として大きくなってくるのは毎度びっくりするし、そのさまは何とも愛おしい。 ふと今気になって調べてみたけれど、プレクトランサス・アロマティカスという植物らしく、ミントに似た植物でミントではないらしい。 ずっとミントだと思っていた。 育ちはしないと言われたエアプランツも心なしか伸びた気がするのは気のせいだろうか。 二人の姪に会いに行くと、下の子は4か月になろうとしていて、夜以外はにこにことよく笑う。 お風呂上がりの赤ちゃんにまたおむつを逆に付けてしまって、いもうとに呆れられる。 テープを後ろから?テープは前から?、はて?、と泣いている赤ちゃんを前に私は平静を装いながらバグを起こす。 いもうとが「大きな栗の木の下で」を歌うと喜ぶよというので、3回通りくらい歌ってあやしてご機嫌を取り持つけれど、そのうちに私はその歌に飽きてしまって、きっと姪も飽きていた、何か他の歌、と思っても私には童謡のレパートリーが少なすぎるので、「アンパンマンマーチ」を歌ってみる。 それでも間が持たないので、iTunesから曲を流そうと、何かポップでリズミカルな、と咄嗟に出てきた小沢健二の「ラブリー」を流す。 姪はなんだかノッているように見えた。 お母さんを下の子に取られ、未だ釈然としない様子の上の子は寝転がっている私に「ソファー」と言いながら座ってくる。 とりあえず私はソファーになる。 子守りの助っ人をしているつもりが私がうつらうつら寝てしまうので、「おばさん寝ないで」と「おばさん寝てないよ」を繰り返す。 「おばさん今日ふーした?」 “ふー”とは煙草とのことで、姪は私が外で煙草を吸っているのを覗きに来る。 お母さんに怒られるので「ちょっとだけー、見るだけー」と。 誰が教えたのか、「たばこ」という言葉も知っていて、心なしか目をきらきらさせながら。 元旦の予定をけいこに聞かれたので伝えると、家族会議的なものにそれでは参加できないからね、と言われる。 夏もそうだった。 仕事の調整をしてわざわざ帰ったというのに、私が時間通りに駅に着くころ、もう終わったと言われた。 なんで大事なことを、私にはきちんと伝えてくれないのか。 いよいよ年の瀬の東京は気温が下がって寒い。 久しぶりにブーツを履いたら、めっきりヒールのある靴を履かなくなった私は、ウエッジソールのそんなに高くもないブーツで背がぎゅいんと伸びた気になる。 プールに行く。
数か月前に10数年ぶりにふと水に潜りたいと思い立ってプールに行ってから、私は自分がプールがかなり好きだということを知った。 髪の毛がとか、化粧がとか、荷物がとか、そんな面倒なことをしたいと思えるなんて、慢性運動不足の私にとってはとてもとても良い発見だった。 無論空気の中に立っているように思うようには進めないし、第一水中では呼吸ができない。 水に潜れば、景色も音も水になる。 人間にとって圧倒的な不自由な環境は非日常であり、その不自由は自由でさえある。 そして何より好きなのは、泳いだ後に身体がぼおっとする感覚だ。 体育のプールの授業の後の心地よい疲れと言いようのない微睡は、子どもだったから起きていたことではなくて、今でも変わらず起きる身体の普通の反応なのだ。 といっても、暇の問題でなくただの怠惰で、なかなか身体が動かずにここ2か月弱ほど行っていなかったけれど。 今回は、前に行っていたところとは違うプールに自転車を走らせる。 見知らぬ道はもちろん、知っている道でも他人から見たらおそらく信じられないほどに迷ってしまう私は、グーグルマップの自分が向いている方向を示す機能には本当に助けられている。 目的地とタイムリミットがあるときには、自転車に乗っていても、角を曲がるとき一度止まって方向を確かめる、交差点の名前を確かめる、自分の感覚でショートカットしようとしない、ということをとりあえず守ればさほど変なところに行ってしまうことがなくなった。 以前まで、目的地付近では番地の増減を見ながら進む方法を取っていたけれど、それよりも格段に効率的だ。 ということは、グーグルマップがなくなったら相当にまずい。 冬でも葉を散らさないもくもくとした大きな木の前を通ると風がよりひんやりしていている。 大きなビルの会社が看板だけ光に照らされてひそやかに佇んでいる。 いつかに行ったお店はその様相を見紛うかのような暗闇で眠っている。 日曜の街中は静かだ。 私は東京のことを、こんなコンクリートジャングル、とは思ったことがない。 上京して12年、東京は幾度も私に自由と安寧をくれたし、たぶんこれからもそうであろうと思う。 自転車で走る知らない街は本当は知っている街で、駅が見えてきてようやく、ああここか、と思う。 ともすれば自転車を止めた場所が分からなくなってしまうので、目印になるものや風景を映像記憶しておく。 東京の区民プールはどこもビジネスとしてのサービスが良く、設備が整っていてきれいだ。 公営プールと言えば幼い頃の市民プールしか行ったことはないが、安いんだから面倒かけないでよね、という空気が漂っていたように思っている。 30分ほど、700~800m泳いで寒空を帰る。 ダウンの中がぽかぽかと温かい。 また化粧水を持っていかなかったせいで、顔はひりついている。 帰り道は大丈夫、とグーグルマップを見ずに帰ろうとしたら、同じ交差点の名前を二度見た。 ブログを引っ越ししたら、なんだか過去に書いた同じようなことをもう一回書いても良いような気になる。 結局「孤独のグルメ シーズン5」を全部見たけれど、どうしても脚本の質が落ちたように思えてならない。 漫画が読めるようになってきたので、今全然好きではない漫画喫茶にハマりたい。 単純な出来事は、ちょっとした布石になりそうで、ちょっとだけ心が揺らいでいる。 レッスンに行ったら、みかんをふたつ、いただいた。
和歌山のブランドみかん「有田みかん」らしい。 家にはけいこが送ってくれた「蒲郡みかん」があるけれど、ありがたく頂戴した。 私は「有田みかん」を知らなかった。 みかんの産地は愛媛、和歌山、静岡とよく言われる。 愛知の「蒲郡みかん」は、近くの静岡「三ヶ日みかん」よりも断然に知名度が低い。 しかし産物の少ないあの地域の誇れる産物のひとつと言えるほど、「蒲郡みかん」はおいしい。 そして、「蒲郡みかん」には勝てまいと「有田みかん」を食べてみると、なんと甘いことか。 海外で飲む冷えていない搾りたて100%の濃厚なオレンジジュースの味がした。 おお、これは・・・という感じがした。 しかし、「蒲郡みかん」の良さはその脳を射抜く甘味ではなくて、みかんそのものの味の濃さ、だと思う。 糖というよりは、みかんがぎゅっとしている、のだ。 やっぱり一番は「蒲郡みかん」と私が思いたいのは、乏しくも間違いなく存在する私の故郷愛なのだろうか。 私のブログを通年読んでくださっていた方にHPができました、とメールを送ったら、「久しぶりだったのでしょう、ブログの言葉があふれていますね」と言われた。 確かにそうなのかもしれない。 昨日のブログを読み返してみても、内容はさておき、ドシャーとしている。 私は現実にとてもとても言葉数が多いし、よく喋る。 まだ何か言いたいのかと、飽きれもするけれど、どうやら喋りたいらしい。 ブログはSNSと違って孤独なものだけれど、独り言とは違う。 このあたりは、前にもたくさん書いた気がする。 結局のところ、読み手を想像して書いているし、一方向的な度合いの高いれっきとしたコミュニケーションであると思う。 一方で自分が生来の口下手であるとも実は思っている。 私がお喋りなのは、ただただ喋りたい欲求と防御の意味もあるのだろうと思うと、自分でもよく分かってないけれど自覚はある。 何でもない何かを言葉にしたくて、しかし何でもなくない何かが言葉にできない。 言葉は単なる記号にすぎないけれど、その記号にそれぞれがそれぞれの意味を持たせ、それぞれの概念に則ってコミュニケーションをする。 通信、という言葉があるが、「通じたと信じること」であるといったのは、『カイジ』の福本さんだ。 「通じたと信じること」抜きには、私たちは誰もがコミュニケーションをすることができない。 音楽で会話ができる、という世界観を、私はつい最近まで存在自体も認めていなかった。 今は、何となく、本当に何となく、分かるような気がしている。 いいなあ、うらやましいなあ、と心から思う。 私にしては長らく、と言っても2か月ほど、ブログを書かない日々が続いていた。
大学3年生の時のゼミの研究テーマでブログを立ち上げて以来、ブログを引っ越しつつ、現在トータル9年ほど、私は2,3日に一度くらいのペースで、何でもない雑記を綴ってきた。 その辺に転がっている言葉も、格式の高いような使いづらい言葉も、とりあえず言葉の世界が好きというか、誰がいなくても喋っていたいのだと思う。 数年前にも、一度なぜか自ら宣言してブログを止めたことがあったけれど、宣言むなしく2か月で再開された。 ブログは、日々の考え事を書き留めておく、言わば自分にとっての文字アルバム的要素は大きい。 ちょっとした思い出を小さな紙に書いてピン止めして、部屋の壁に貼り付けておくようなものだ。 文章にしながら考え事をまとめていることも多い。 しかし本当にそれを紙に書いてピン止めしていたら、私の部屋は紙だらけで精神に支障を来すだろうと思う。 しかし私は文学部卒と言っていいのかと思うほど読書量が微量で、読むよりも書く方が楽なくらいだ。 これは昔からそうだった。 小学生の頃、読書感想文を「ナイチンゲール」で書いたことがあって、あらすじは誰でも知っているようなものなので本を読まずにそれを書いたら、市の文集に載ることになってしまって、先生に本の出版社や作者名を聞かれたときにとても困ったということがあった。 他にも、夏休みの自由作文のネタが何か月か前から書きたいテーマが決まっていたこともあった。 そのひとつに、確か「役立てる人に」というタイトルだったと思うけれど、部活のバレーボールでセッターをやっていて、本当はセッターでなくて私もアタッカーがやりたかったのを、セッターという地味なアシスト役でも人のためになる、人のために何かをするのは大切なことだと思う、そんな内容だった。 得点を決めるアタッカーはみんなに感謝され、トスを上げるセッターはミスをすると責められる、ずるいではないか、という愚痴も書いていたように思う。 当時の私はとても背が小さくてセッターとしての起用が当然だったように思うけれど、本当はアタッカーがやりたかった。 私だってできる、と思っていた。 でもアタッカーのポジションを取りに行ったりはしなかった、不満に思いながらもセッターの方が明らかに向いていることが自分で分かっていたから。 実はこのときの作文は、私は「人のためになる」という落としどころにすればウケるだろうということを狙って書いた。 案の定、良い賞をもらって市の文集に掲載された。 賞をもらって、それ自体は嬉しさもあって、文章を書いた満足感もあったけれど、アタッカーをやれない不満はずっと消えなかったように思う。 時々、バレーボールをやっていた過去のことを断片的に思い出すことがあって、私の打ったスパイクが鮮やかに決まったときや、きわどいサーブを打つのが好きで思い通りにいったときの映像が鮮烈に焼き付いている。 人によってはセッターの喜びも大きなものになりうるけれど、要は、私は自分で得点を獲りたかったのだと思う。 なんて幼い頃から、いろいろな点でなんてひん曲がっていのだろう。 そしてそのような傾向は、今の私にも脈々と、そしてすでにあたかも“わたし”と同化してしまっているかのように染み付いているような感じがする。 すべてが借り物だとしても、借り物と“わたし”がマリアージュしたいのに。 話はだいぶ派生して長くなったが、構わずさらに派生して、これはとても単純な話で、私はタイピングがとても好きだ。 最近PCを使う時間が明らかに減ったので、それについて単純な欲求不満があるのだなと、今これをカタタタタと高速にキーボードを叩いていて思う。 毎度思うけれど、高速でタッチタイピングするということは多くの人ができるけれど、ふと立ち返ると何だかものすごい芸当のように思えてならない。 久しぶりにギターを手に取る。 弦が最初の頃と同じくらい痛いほどに私はギターを弾いていなかったらしい。 書道でもギターでも、落語でも踊りでも、芸というのは運動を伴う。 運動を身につけるにはただただひたすらな練習が物を言う。 頭で理解することももちろん役立つ。 けれど、頭の理解と運動による何かの体現は話が全然別物である。 せっかく覚えかけたトライアドも3歩進んで2.5歩くらい下がってしまった感じがした。 理解も、運動も。 あんなにたくさんあったおいしいりんごがあと1個になってしまった。 代わりにけいこからみかんが届いた。 今年もみかん切りのバイトをやっているらしい。 サンプルでいただいた大量のヨーグルトを冷蔵庫に収めないといけなくて、ビーフシチューのルウでポークシチューを夜な夜な煮る。
深夜の煮物は深夜には食べない。 私は、オムライスとか肉じゃがとかビーフストロガノフとか、名前のある料理を滅多に作らない。 それは特に避けているわけでもなくて、料理は趣味でもないので、なんとなく冷蔵庫にある材料を放り込む式のフライパンひとつでできるごった煮になってしまうだけだ。 あと、火力というか電力の弱い家のIHヒーターでは、ジャーッとやりたい炒め物が上手くできないということもある。 本当は、ごった炒めは作りたいのだけれども。 いつ買ったのか忘れてしまった玉ねぎと今日買ったにんじんを塩胡椒して炒め、半分残っていた豚肉を入れて炒め、水を注いでぐつぐつ。 おいしくないミニトマトも半分に切って入れる。 灰汁を取って、ビーフシチューのルウを入れて。 味見もせずに一旦完成。 だから、たとえルウ頼りでも、やっていることは変わらなくても、ビーフシチューとも言えるポークシチューという名のある料理ができて私は満足した。 たぶん、パンとか添えずに、いつもの通りに一回はここにうどんを入れて食べるのだろうと思う。 それでも私はおいしいものが好きだし、自分で作った料理が好きだ。 最近は、体に合わないと言い張ってきたワインをよく飲む。 今も、体に合う、というふうには思っていない。 漫画「神の雫」を読んで多大に影響を受けているわけだけれど、ワインの持つ世界観というのは、縦にも横にも奥にも悠々と巨大な広がりがあって、時にとても嬉しみに満ちた飲み物になる。 ワインと食べ物がベストマッチすることをマリアージュと言うが、このマリアージュ体験というのは心にポッと明かりに点くような発見と出会いの嬉しさがあるのである。 ワインの力だけでなく、食べ物の力だけでなく、互いの良さが消えることなく混じり合って、一緒になったそれはどこか別の新しい世界へと誘われる。 混じり合ってはいるけれど、それぞれの粒子が消されることなく、柔らかな霧となって消えていく。 ワインにチーズ、といってもどれでもいいわけでは全くないし、赤ワインには牛肉料理、というような安易な結びつけもできない。 個性と個性を以てして、非常に狭いどこかを射抜かれなければいけない。 と言ってもお高く留まるのもスノッブであることも、自覚としては嫌っているので、安いレーズンパンにチルドのチャーシューとか、マーガリンを塗ったバケットにウィンストンのイナズマメンソールとか、そういうことで十分いい。 もちろん、機会があるなら、コースの料理ごとにワインを変えて出してくれるフレンチだって行ってみたいけれど。 「おいしい」というのはとてもとても個人的なことだ。 しかし、「おいしい」というのはきっと、染み付いている先入観なしにも多くの人々で共有しうるようなことだとも思う。 そんな誰かも知っていそうな何かを、事細かに言葉にしたいというのは、私にとってとても楽しくて嬉しい遊びだなと思う。 前のブログの趣とそのままに、つらつらと日常を書いていこうと思う。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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