素麺を茹でる。 暑くなってくると素麺率は俄然高まる。 すぐに茹だるし、うどんより食べやすいし、つるつる涼しい。 でも、つゆにつけて食べることは少なく、だいたいいろんなものと茹でて、いろんなものと和えてしまう。 一緒に茹でるのはえのきだったりしめじだったり豚肉だったり、和えるのは卵だったりオリーブオイルだったりネギ油だったり鰹粉だったり納豆だったり。 これは、ごった煮のように当たるとものすごい幸せ感を産んだことがない。 でも、ラーメンでもごはんでもパンでもなく、これが食べたいときが夏は多い。 いや、こういうのが堕落と妥協なのかもしれない。 しかし、空気がぼおっとしている。 光がくっきりとしている。 まるで夏だ。 何か機械の大きくて広くて薄い遠くの暗雲のようなゴーという音が全体に一定音として鳴り響いていて、ひこうき雲を描くだろうか飛行機が空を割る音が時折波のようにうねり、ヘリコプターがバババババと飛び、大きな鉄板や鉄棒を動かしていそうなクレーンのエンジン音とそれらがぶつかるガタゴト、急ぎ救急車が遠くで焦り、下校中の子どもたちの「待ってるよ!」という幼い高い声と走り過ぎる靴音、エンジンの軽そうなバイクの発車音、ちゅんちゅんとスズメの鳴き声、およそ聞き取れない婦人たちの会話、私がPCのキーボードをカタカタと打つ音。 そんな音たちがしているけれど、おしなべて静かである。 今日は仕事が夕方からなので、HPの更新をしてブログの更新をして、1週間ほど前に買った書家の井上有一の本でも読もうか。 いやしかし、やっぱり、夏より気温が低い。 4月のカレンダーをめくることなく、5月の末日になってしまった。 めくらねばねくらねばとは5月中に5回ほどは思った。 単にめくるだけでなく、括りつけてある紐を外さないといけないのでそれが億劫だったのだ。 意を決して紐を外し、5月の絵をちらり一瞥して、6月の開始を待たずに2枚めくった。 6月はトマトケチャップとマスタードのボトルの絵。
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ある25歳の生徒さんが面白いと言って貸してくれた「天使なんかじゃない」という漫画。
一目ぼれしていた名も知らぬ男の子と生徒会で会長・副会長をやることになって、間もなくして恋人関係になりながら、いろいろな過去や障壁を明るく切なく描いてゆく、そんな恋愛少女漫画。 中学生や高校生のときの自分は、あんなにも無邪気ではなくもっとどちらかと言えば淡々としていたような気がするけれど、私にも淡い恋愛の思い出なんかは少しだけあったりして、「天使なんかじゃない」を読んでいると微笑ましい気分にもなる。 ただあたかも「恋愛至上主義」であるような高校時代の風潮は、それにうまく乗れなかった私には少し辛かったように今思い出す。 この漫画はとても売れていただろうし、世代的に言えばどんぴしゃな世代だと思うけれど、私は漫画と言えば「ちびまる子ちゃん」と「クレヨンしんちゃん」「ドラえもん」「燃えるお兄さん」くらいなもので、特に漫画の思い出はない。 目の大きさがどう考えてもおかしいじゃん、というような少女漫画さを私はなぜか受け入れられなかった記憶はある。 現在比較で、いろんなものに私は優しくなかったと言えるかもしれない。 今私は漫画全般、とても優れた芸術分野であると認識している。 一方で、過去、小林深雪さんが書く恋愛小説には私にしては珍しくハマっていた。 「失恋なんてこわくない」という小説のタイトルを私は「しつこい」と読んでいて、父に「何読んどるだ?」と聞かれて、特に父と会話することを好ましく思ってなかった私は「しつこいなんてこわくない」とムスッと答えたことを覚えている。 漢字の読みは間違っているし、父と私の間に恋愛ネタだなんて、その後の会話は一言もなく小説の文章は頭に入ってこなくなり、字面をただ見ているだけの微妙な時が流れたのだった。 昔も今も読書量が少ない私であるが、そう言えばそんなものを貪り読んでいたことを、エピソード付きで思い出したことを、今何だか感慨深く思っている。 友人とふたり、機会を得て今までやったことがなかった経験をふたつした。 1回だけではきっと何事もそのことについては分からないだろう。 でも、1回目というのは何でもわくわくもするし、心が牽制状態にもなる。 ふたつというのは、ひとつはパチンコ、もうひとつはホテルで泊まらずに喋る、ということ。 後者においては、偶然やっていたお祭りの屋台で食べ物を買ったりして、ホテルのアメニティにも盛り上がった。 けれど、まあ、喋るということがどうしても本題になってしまうので、あまり場所は関係ないかなとも思った。 帰り際にはアメニティがゴミのように見えた。 パチンコはそれそのものを楽しむにはまだほど遠く、これからまたそれをやるかと言われれば誰かに誘われたとしても年に1回もやらないだろうと思う。 レバーを一定の角度で持ち続けていないといけないことを初めて知って驚愕した。 良い季節だ。
とても良い季節だ。 窓を開けて寝ると、ひんやりと微かに濡れた緑の匂いが入り混じった風が音もなくそっと入ってくる。 抱き心地のない薄い夏蒲団を巻きつけながら眠る。 これからだんだんと夏に向けて進み、コントラストは強さを増していく。 アスファルトは目玉焼きが焼けるような温度に熱を蓄えるようになり、上手に汗がかけない私の顔は紅潮してゆくことだろう。 斎藤和義さんのコンサートのチケットをいただいて、静岡まで出向く。 数年前、私はきっと音楽のライブに行ったのはあれが初めてだった。 千葉のホールで、「生の音楽っていいね」と純粋に思って、YouTubeのライブ動画を漁り始めたきっかけだった。 だから、ブルーハーツよりも手前にロイター板だったのは彼だと言っても良い。 数年後に観た斎藤和義さんの弾き語りライブは、とても良かった。 12弦ギターや、ベースとギターを合体させたもの、ドラムのシンバル部分を足元で鳴らし、ループマシンも駆使。 本人曰く苦手だというピアノも弾いていた。 弾き語り版の曲のアレンジもさることながら、ギターはとても上手くなっているように思えたし、熱い進化が感じられて感動的だった。 確か彼はCDの録音時も基本的に自分でほとんどの楽器を演奏していると「情熱大陸」で言っていた気がする。 自分でやった方が自分の「よれ」が分かる、と言っていたように思う。 確かに時折よれるような彼の歌声と演奏は彼自身によって見事なバランスで回収されているような感じがした。 彼はぼそぼそと「まあ別にどうでも良いんだけどね」と少し斜に構えたようにして可笑しく話すけれど、きっとほとんど照れ隠しなんだろうと思う。 音楽について、ギターについて、とても真面目な方なんだろうと思う。 途中、なぜか私は、斎藤和義さんがaikoの「カブトムシ」を歌うのではないかという縁なき発想に取りつかれて、斎藤和義バージョンの「カブトムシ」がライブ後の私の頭に流れていた。 会場を出ると、千葉のホールで感じたキャンプ場の夜のような濃緑の艶めかしい匂いがしていた。 「青葉おでん街」というところで静岡おでんを食べてみたくて向かう。 30メートルほどの細い道に静岡おでんの小さなお店が20軒ほど軒を連ねている。 きれいなおばあちゃん店主は自分の年を「皺(四八)、32」と笑って、「大正時代からやっているこのおでんを守ってかにゃあかん」と、おそらく毎日死ぬほど同じことをお客さんに言っているであろう様子で、私たちが店にいる間にも3回くらい聞かされた。 おでんは好きな物を自分で取るスタイル。 何がいくらなのか、串の本数を数えているのか、全然よく分からなかったけれど、お会計は二人で4000円だった。 大げさに言わずとも、一生思い出に残りそうなほどの良い風があの場所には吹いていた。 と、この場所を私に教えてくれた人が言っていたけれど、本当にそんな感じだった。 撤去自転車の保管場所にいるおじさま達は本当に親切な人が多い。
何度撤去されているのかということはさておき、あそこに行くと何だかほっこりした気分になって帰ってくる。 返してくれる自転車を、ガソリンスタンドでそうしてくれるように、乾拭きをかけてくれるのはいつものこと、今回はチェーンに油をさしてくれ、がたついていたカゴのねじを締めてくれ、割れてなくなっていた反射板まで取り付けてくれた。 反射板は小さな掘っ建て小屋みたいな事務所の裏からがさごそと持ってきてくれた。 挙げ句、「また来てね」と言う。 「え?」と笑って返すと、「撤去じゃなくてね♡自転車気になるところがあったら」と。 おそらくあそこは年配の方向けの働き口として設けられている。 色んな余裕が感じられる。 フェイスブック上で参加させていただいているグループで、実際にはお会いしたことがない遠く青森の方から、「誕生日が一緒だったのですね」とメッセージをいただいた。 ついでに、私は下の娘さんと同い年で、上の娘さんと顔が似ているのだそう。 誕生日が同じで、娘さんと同い年で顔が似ていても何も起こらないけれども、そんな共通点はふっと一笑してにっこりと笑顔が続くような気分になる。 実際にメッセージをくれるというその瞬発力は、受け手の私には何だかとても嬉しくて、柔らかな気分になる。 今まさに、空が真っ暗になって雷鳴が響き、ざざざっと雨が降って来たけれど、雨も雷も午後2時にブログを書く背景として絵的であるなんて喜びながら。 ブログでも定期的に読んでいると書き手のことを受け手が知っているように感じることがあるけれど、ブログはかなり一方向的なものであるのでSNSの方が身近感は強い。 ブログは基本的に書き手の王国というか、受け手は「お邪魔します」の気分になるだろう。 ブログやHPのメッセージから「誕生日が一緒ですね」という発信を瞬発的には発揮しづらいだろう。 もちろんしても良いのだが。 毎日書のやりとりは、どんな字を、どんなつもりで書いているかを垣間見て、軽く会話をしたことがあるくらいの人となりを知ったような気分になる。 時にコメント欄でちょっとした会話を交わす。 日常的な言語でなく「音楽語」で会話をする、ことに憧れを抱いている私であるが、「書語」で会話をすることを少ししているのかもしれない。 もっとも、ジャズのように掛け合いでひとつのものを織りなして作るということは書においてはほぼないので、そういう意味においては違うけれども。 別の方だが、実際にお会いすることも増えてきた。 実際に会っても会話はスムーズで、あれこれ共通の話題を嬉々と話す。 自分がやっている特定の事柄は、やっている人と話すのとやっていない人と話すのでは大違いである。 もちろん、やっていない人でもその物事から一般化できることはたくさんあるから話は楽しいけれど、やはりその細部というのは、どうしてもやっている人にしか分からないことがある。 やっていない人からすると、時には鬱陶しい話にもなりかねない。 「私は双子なので、もうひとり顔の似た同じ誕生日の人がいます」と送ると、「同じ誕生日には、坂本龍一と山口百恵、寺内タケシがいて嬉しいです」と返信があった。 ざざざっと降った雷雨は、この間に止んだ。 句会があった。
投句した3句は全て入選と他者的に上々の評価をいただけた。 夏浅し放物線の山上る 「先生へ、産まれました」の初夏の文 履歴書を今破りをり青葉風 (兼題:先) 最近は日常的に俳句を詠んではおらず、句会の前に焦って言葉を書き出して、小さな粘土の塊を半ば無理やりにくっつけるみたいにして作るのだけれど、今回はわらわらとたくさんできた。 一先ずは床磨き終え青葉風 父の声再生せむと青葉雨 翔子弾くピアノ腕上ぐ初夏来る 一縷の灯榊の新緑伏す老婆 唇を紫にしてプール開き 夏といふ文字の旗めく氷店 幼子が足を畳んで柏餅 輝きは金髪に似た新緑かな 五月晴れ球はカキンと天届く 最近の句作は日常の体感実感に基づかないものが多い。 私は自分で作るものも、人が作るものも、切実なものが好きだったりするけれど、切実なものというのは切実さが自分の中に内在していないと作れない。 それに、ポップでキッチュでファンタジーでフィクション、なんて雰囲気もそれはそれで好きだったりもする。 自分の中に置き去りにしている切実さがないだろうか、とそろそろまたそんなことを問うても良いのかもしれないとも思う。 いずれにせよ、俳句的日常を取り戻すことができればまた違ったものができるようにもなるだろう。 とりあえず、日常の所作や空気の実感、言葉の面白味をメモするくらいはしたいと思う。 機会があって、玉置浩二さんのライブを観に行った。 上野の東京文化会館、大ホールの一番上5階席は、下を眺めると身の縮む思いがした。 ステージは遥か遠くだったけれど、真正面で、言わば「天皇席」みたいな席だった。 昔からそうなのかもしれないけれど、オーケストラをバックに置いて、より歌唱の方に力を置かれているようで、ものすごい歌声であった。 山下達郎さんも年を取ってさらに声量が上がったという話を聞いたことがあるが、身体や声帯の変化に応じてそんなことも起こせるのか、という感じであった。 ただ、全然知らないバラード曲のオンパレードで、歌と演奏が上手すぎてCDを聞いているかのような気分になって、途中ややうとうとしてしまった。 一切のMCがなかったこともある。 安室奈美恵さんのように「ライブアスリート」になったのだろうか。 アンコールを二回、一回目は「田園」、最後は「メロディー」をマイク無しで。 ああいった音響のしっかりしているホールでの拍手喝采というのは、鳥肌もの、圧巻であった。 帰省したとき、兄の車に乗って兄と話をした。
兄は基本的にどうしたのと聞いてうんと返ってくるくらいの無口な人だけれど、実は自分の意見は強固に持っていて頑固であることを皆昔から知っている。 後部座席のチャイルドシートには、漫画に出てくるような顔をした2歳の甥っ子がどんと座っている。 兄と同じく、比較的無口である。 兄は「田舎が一番」と思っていて、私は「東京が一番」と思っている。 「スーパーと病院が近くにあれば絶対田舎の方がいいら」と言われて、「えええーーー」となる。 兄の言葉にはもちろんその他生活必需あるいは生活を潤す諸々も手近にあることを意味している。 まあ確かに、地元はど田舎というほど田舎でもなく、スーパーもコンビニも病院もドラッグストアもカラオケもアウトレットも飲み屋も眼鏡屋も特段選ばなければ、車で10分圏内にあって、駅だって至近である。 amazonや楽天で注文すれば何だって届く。 ちょいと車を出せば自然の多い場所にも市街にも出られる。 名古屋だって電車で1時間かからず、東京だって新幹線で2時間かからない。 別にもちろん私もそれで暮らせないわけではない。 しかし、十分ではない。 そもそも、東京まで2時間もかかる。 私は、東京の良いところは、「選択肢が多いこと」であると思っている。 人も物も圧倒的に絶対数が田舎よりも多い。 まだ知らない人が圧倒的にたくさんいる、まだ知らない物が圧倒的にたくさんある。 それが東京だ。 「田舎は知っとる人ばかりでつまらんじゃん。東京の方が知らん人が多くて面白い」と兄に言うと、「知っとる人だけおりゃいいじゃん」と返ってきた。 どうやら、大きな考え方の差がここにあるようである。 既知のことはそれはそれでよいし、それを大切にしたり育てたりはもちろんするわけだけれど、未知のことがたくさんあった方が自分にフィットするものがたくさん見つかる可能性が高いのではないかと思っている。 兄はそのようには貪欲ではないのかもしれないし、元々よほど地元がフィットしているのかもしれない。 私は私で、もはや東京の方が知っている人や既知のことが多くて、フィットしていて安心感がある。 そんなに未知のことが好きならば、実質的な意味で遊牧民のように世界中を転々とする暮らしを選んだらよい。 だがそれはしないし、したくもない。 そして、私が地元のことを事細かに詳細に知っているかと言われれば全然知らない。 言ってみれば未知のことだらけだし、私は地元の良さなど少しも分かっていないだろう。 短絡的に、東京にいる私が冒険心に溢れていて、地元にいる兄が保守的であるとも言えないだろう。 私と兄の、現暮らしの人と物、環境における未知と既知のバランスというのはさほど変わりはないのかもしれない。 となると、この意見の差は、まだ自分で暮らす場所を選べなかった頃、つまり幼少期のその場所での良い思い出の総量の差なのではないかと思う。 深夜、前髪を切る。 前髪があると、しばしばそれを整えなければならない。 横に流してしまっても良いのだけれど、面倒を押してでも何だか前髪を気に入っている。 いつ買ったか知れない白米を食べきって、初めて玄米を買った。
マクロビオティックなんてものに興味があるわけではない。 玄米って美味しいなと幾度か思っていたからだ。 ちなみに玄米が“健康的”な食物であるという噂は結構信じていて、健康であること、に興味がないわけではない。 今やざら紙よりも漂白されたコピー用紙の方が安価に買えると思うが、お米も同じで手間がかかっていないはずの玄米よりも精白された白米の方が安価に買えるくらいだ。 大量生産、大量流通の方が価格は下がる。 しかし多少値は張っても、美味しさと健康と変化を手に入れたい。 おそらくこの三つの手に入れたいものの中で今回の買い物において比重が高いのは3番目であろう。 玄米が良くても、何回か玄米を買い続けたら、きびとか粟とかひえとかキヌアとかを買うのかもしれない。 簡単に白米に戻るのかもしれない。 玄米は炊くのが難しい、面倒くさい、といもうとから聞いていた。 何が面倒かというと、水に漬ける時間がとても長くかかること。 また、炊飯器のスイッチを入れて炊く時間も1.5倍~2倍ほど長いとのこと。 加えて、炊飯器で炊く場合、「玄米モード」がないと上手く炊けないと知ったのはネット注文をした後だった。 上手く炊けない、とは、米に芯が残ってぼそぼそと食べられたものではない、ということらしい。 幸い、今まで目に止まってなかったけれど、私の炊飯器には「玄米モード」があった。 注文の翌日に段ボールに入って届いた玄米は、秋の金色の稲穂をそのままびっちり米袋に詰めて経年した感じの茶色をしていた。 米袋には炊き方が書いてあって、夏場は3~4時間、冬場は半日浸水させてください、とあった。 今は春だから5~6時間だろうか。 と思ったけれど、待てないので2時間ほど浸水させて炊飯。 ぷちぷちとした感じは玄米特有のもので、大方上手く炊けたと思う。 田舎臭いような香りと、ごま塩だけで食べたくなるような素朴な味。 これまた少し久しぶりに納豆を買って、お味噌汁も拵えた。 驚いたのは、「お米は生きています。美味しく召し上がっていただくために、開封後2週間ほどで食べられる量をお買い求めください」と書いてあったこと。 確かに古くなればなるほど味が落ちるのは経験済みだけれど、開封後2週間ほどで消費するのが美味しく食べるおすすめだなんて初めて知った。 約1年もかけて5キロを消費したというのに、5キロを2週間で土台無理な話だ。 次に買うときにはせめて2キロにして、今回は気にしないようにしよう。 虫でもわかないかぎり食べられなくなるということはないだろう。 虫がわかないように米を空きペットボトルに小分けし、唐辛子をそのまま3本ずつ入れる対策もしている。 随分と季節が進んだ。 鶯谷でたくさん飲んで帰って次の日、私の世界は明らかに歪んでいた。 直射日光がきついのと二日酔いが重なってこんなことになってしまうのかと、ふらふらと一駅分を歩いた。 そこから自転車に乗って帰宅して、眼鏡を外してシャワーを浴びて。 もう一度眼鏡をかけるとまだやっぱり世界は歪んでいた。 のではなく、眼鏡が大きく歪んでいた。 右のレンズが随分と上がって、漫画みたいなずれ方をしていた。 想像するに、踏んだか踏まれたのであろう。 いずれにしても、世界を歪んでなかった。 仕事の合間に眼鏡屋に行って直してもらう。 歪みをひねって直すくらいは無料でやってくれるらしい。 今年の花粉は長いけれどほぼ終息しているので、これを機にコンタクトレンズを復活させた。 いろんな身内の最近の話を聞いた。
へー、ほー、そうだったの、あぁそうね、そりゃ大変、と私は事も無げに聞く。 私ではどうにもならないことばかりで、まあ私もよほどの頼まれごとでもない限り。実際には何の行動も起こさないのかもしれない。 おばあちゃんにも会って、初めておばあちゃんがやさぐれていたのを見た気がした。 「わしゃあもう早う死にたい」と、冗談ではなく言っていたように見えた。 入れ歯を入れ直すこともなくやせ細って。 それでもどら焼き半分、「腹が減って」と食べていた。 「皆良くしてくれるけど、昔のようにはいかん」と何だか少し怒っているようにも見えた。 おそらく初めて、「元気にやっとるかん」と私を気遣う言葉もなかった。 正月には今でごはんを食べていたけれど、今は寝室からほとんど一歩も出ない生活をしているようだ。 立派な椅子のようなポータブルトイレを寝室内に入れて。 毎日誰かがごはんを作りに来たり、話に来たりはするものの、基本的にひとりで、寝たり起きたりの生活。 テレビもラジオも聞かない。 幸い、寝ることには困っていないらしい。 おばあちゃんがやさぐれているのを、私は生まれて初めて見たように思う。 身体が不自由になっていくどうしようもなさと、当然ながら自分の思うがままには動いてくれない家族、自分自身がお荷物のように感じてしまう申し訳なさ。 3人の子どものうち2人に先立たれた悲しみ、半世紀以上も一緒に暮らしてきた伴侶とのやむを得ない別居。 どれもこれも世間一般に、よくあること、なのかもしれない。 でも、大切なのは世間との比較で安心することではなくて当人の気持ちで。 当人にとってみたら晩年も晩年、やるせない気持ちでいっぱいなのかもしれない。 しかしながらどれもこれも私の想像で、ともすれば私自身がそう思っていることになってしまうけれど。 またしても何にも言えなかった。 「また来るで」と言うのがやっとで、手も握れなかった。 「恩返し」という言葉がある。 それは恩返しする側の勝手な解釈で、勝手に恩義を感じて勝手にやることだ。 恩を受けるのは肉親の誰かからだけではなくて、見知らぬおじさんかもしれないし、もうとうの昔に死んでしまった画家の絵かもしれないし、何ならふと吹いてくる風かもしれない。 そしてそれは、それを与えてくれた特定の何か相手だけに返される恩ではない。 身の回りの誰かや今後出会う誰かに、自分が受けた「恩返し」を、満を持してではなく、日常的に粛々とやっていくのである。 荒々しくて不器用で遠回りで、免罪符的な自己満足であることを自覚しながら、“あのときのあれ”を受け継いで遺していきたいと、そんな気持ちを携えながらいつだって自分の都合を鑑みているのである。 さて先日は、書いた記事が消えて相当なショックを受けた。
苦労して書いた書作に墨がこぼれて台無しになったことは今のところないけれど、たぶんそういうふうにショックを受けることだろう。 そして今私は下り列車に並んでいるけれど、けいこに頼まれた東京新聞賞の作品を家に置いてきてしまったことに今しがた気が付いて、また同様のショックを受けている。 数ある作品の筒を見て当該のものと確認し、すぐに持っていけるように押し入れから出してまであったのに。 出かけにゴミを持って、作品を持たなかったのだ。 あぁもう、せっかくけいこが生を観たいと言ってくれたのに。 しかしまた、同じことを思うが、あれをけいこはどうしておくつもりなのだろう。 明日には乱暴な子どもたちも来てしまう。 煎餅を握った油まみれの手で触ったり、マジックで落書きしたり、走って突き破ったりすることはぜひやめていただきたい。 と言っても、持ってくるのを忘れたのだけれど。 忘れ続きなので、先日書いた記事を脳内で掘り起こして記述してみるとする。 新幹線は暇だからちょうど良い。 久しぶりにふたりの姪に会いに行った。 もうすぐ5歳ともうすぐ2歳。 下の姪は四月から保育園に行き始めて、 ・・・と書いたところで、すっかり寝てしまった。 姪は愛くるしく、可愛かった。 さて、黒いアウディが迎えてくれる。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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