3月になった。
こうして年は暮れていく、と3月くらいになると毎年思うものである。 息子がようやく言葉らしいものを発し始めた。 返事の「はーい」(語尾の「い」はなく「はー!」だが)、Eテレ「おかあさんといっしょ」の「からだダンダン」の「ゴーゴー」、忍者の「にん!」(これも語尾がなく「に!」だが)、「いないいないばあ」(顔でなく耳を隠しながらやる)、「でんしゃ」(てンてぃゃ、というような感じで自信なげに)。 ちなみに「ママ」と話し始める子が多いと思うが、家ではもっぱら「おかあさん」なので難しいようだ。 ここのところ、分かりやすい成長が目覚ましく、文字通りの日に日に成長が見受けられる。 発語、発生に関しては、ここ3日間くらいで更に格段に良くなった。 多くの子は1歳6か月までに意味の分かる言葉を3つ4つ言うのが平均的らしい。 しかし今月で1歳8か月になる息子はこれまでのところ全然喋らなかった。 周りの大人が言っていることは何となく理解していそうだが、どうやってその発音をするのがが分からない、といった風であった。 時折言葉を教えると、困ったように苦笑いをしていた。 女の子の早い子はもう片言で会話をしている子もいて、羨ましいなあと思っていた。 それに、一歳半検診で発語の部分が経過観察となったことが、全く心配が無いというのは噓になる。 しかし、もし発語および発達全体に何らかの難ありという診断が下った場合、失望したり嘆いたり悲しんだりするのだろうか。 それは本当に、私や息子において悩ましい問題に当たるのだろうか。 私は一体何に対して心配を抱いているのか。 子育てをする中で、自分が、他者や世間や一般と比較をしていることにいちいち気づかされて少し嫌気がさす。 言葉の発達においては、男の子は3歳くらいまでほとんど喋らない子もいるようで、何もかもが「個人差」と言って片付けられるような話でもある。 ただ、人と比べることでしか、医療的に判断したりケアしたりできないから、統計や平均というのは参考にはすれば良いと思うけれど。 まあでも、とても単純に、私は息子とお話をすることをとても楽しみにしている。 言葉は万能ではないし、時に言葉よりも雄弁なものもあるだろうし、何をもってしても他者に真意を伝えることはほとんど不可能であると思いつつも、それでもやはり人間は言葉の生き物といっても過言ではないと思う。 それに、私は言葉によるコミュニケーションが好きである。 子育てにおいて、もっとゆっくり大きくなってくれればいいのに、赤ちゃんのまま止まってくれたら可愛いのに、ということをよく耳にするが、私は今のところそういうふうには一度も思ったことがない。 確かに時が過ぎるのも、息子の成長も早いとは思うが、どんどん進んでくれて構わない。 たどたどしく、あどけなく、いとけない。 そんな言葉の芽吹きの春がやってきそうだ。
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さて、とパソコンに向かうと前回のブログの更新から2週間ほどが経過している。
平日は毎朝9時前に保育園に送り、その足でスーパーで買い物をして昼ごはんと夜ごはんをざっと拵え、軽く掃除をして、10時や11時に生徒さんが来たり、郵便指導の添削をしたり、今日の書を書いたりして、あっという間にお昼がやってくる。 大方在宅勤務の夫と昼食を食べて、数十分休憩して、今日の書を書いたり諸々の片付け作業などをしていたり、13時や14時や15時などに生徒さんが来たり、するとすぐに15時を回ってしまう。 1日1万歩の目標達成のためお迎えは少し早く出るので、15時を過ぎるともう店じまいの準備のごとく気持ちが急いてくる。 17時前に息子を連れ帰ったら、息子が寝るまで、だいたい22時前くらい、までは自分のことはほとんど何もできない。 休日は休日で生徒さんが来ていたり、息子がべったりと張り付いてくるので当然自分のことは夜寝るまではできない。 いよいよなかなか、ブログを書くという時間が持てなくなってきている。 それに、以前のように、あれやこれやをブログに書きたいという欲求も薄れてきているように思う。 それは、日々の濁流に飲み込まれて、次から次へと自分のペースでない事象に埋もれてしまっているからなのかもしれない。 一人暮らしをしていたとき、よくラベンダーやユーカリの精油で床を水拭きして、部屋中と自分中の清涼感を大満喫していたことを思い出す。 今は息子の食べこぼしなどで、拭けど拭けど我が暮らし楽にならず、といった風である。 子育てのこと、もう少しアウトプットする手立てを持ちたいなあとずっと思っているのだが、それもそれで濁流に飲み込まれている現状である。 この生活に文句はあるが、だがしかし、息子は可愛い。 可愛い、という言葉で全部を包括するが、毎日息子にぶちゅぶちゅすりすりしている私はまだ今のところは息子の好きな人ナンバーワンでいられているのではないだろうか。 全然話は変わるが、業務スーパーで買った「姜葱醤」という生姜のたれがとても美味しい。 普段あまり出来合いもののたれを買うことがないのだが、これは大ヒットであった。 焼いた肉につけるだけでとてもちょうどよく美味しくなる。 同じシリーズでレモンや葱のたれもあるのだが、これには全然かなわない。 料理は基本的に面倒だと思っている私だが、自分でも各種万能たれは作る。 梅酢+醤油+オリーブオイル、 たたき梅+醤油+砂糖+出し殻鰹節+ごま油、 柑橘系ジャム+酒+醤油、 これらはインターネットでレシピを一瞥して、分量は測らずに適当に混ぜ合わせるだけである。 柑橘系ジャムのたれはわーっと煮詰める。 少し前までは、玉ねぎ+人参+醤油+砂糖+オリーブオイル、のたれをよく作っていたのだが、息子があまりミキサーを必要としなくなったためにこちらは次第に下火になっていた。 今書いていて思い出したので、また作りたいとも思う。 世にある簡単レシピ、というのが私には全然簡単と思えないことが多々ある。 まあでも、そんな私があまりお惣菜とかを買わないのは、面倒な調理を極力しないのでそれほどまでに料理のハードルが高くないからかもしれない。 あとはコストパフォーマンスの問題というのも当然ある。 魚より肉派であるが、最近は良さそうな魚を買うこともある。 石持やにしんやししゃもなど、内臓処理の要らないものあるいは処理済みのものを買えば焼くだけで良い。 焼き魚を食べると、そろそろお酒が飲みたいと思う。 揚げ物も要領を得れば楽であり、他にかえがたい美味しさだという話はよく聞くので、やってみようかしらとパン粉だけは早々に買ってきた。 そういう、日常。 先日書いた行事ごとへの薄いプレッシャーについて、昨日はそういえばバレンタインデーだったわけだが、何事が起こることもなく通り過ぎていった。
夫からではなく、あくまで自分自身への薄いプレッシャーは確かにあったのだが、それでも何事が起こることもなく通り過ぎていった。 まあ、夫は香り高い高級なチョコレート全般が苦手だし、息子にはチョコレートはまだ時期尚早である、という理由が最も大きいということにしておくが。 私自身はチョコレートは好きなので、わいわいと買ってわいわいとあげて、わいわいと自分が食べるのもひとつの手だったかもしれない。 それは浅ましい感じもするけれども。 行事ごとに対するハードルを自分で上げながら、いざ当日になるとすこんとそのことが抜け落ちて忘れてしまうという何ともアンバランスな感じがしばらくは続きそうな気がする。 さて、今日は本題がある。 先日初めてベビーシッターを利用してみた、という話である。 ここは書道家竹内恵美子のブログだが、ベビーシッターの話である。 そもそも、このブログにおいて書道ネタを書いている割合は2,3割だし、私の個人HPなのでブログで好きなことを書くというのはもう10年以上も前からの話である。 ベビーシッターは前々から一度利用してみたいとは思っていた。 私は個人事業であり、夫も休日出勤があることもあり、息子が同席してのレッスンは時によっては難しいことがある。 けいこを呼ぶことも、姪を呼ぶことも、当たり前だが叶わないこともある。 しかしながら、息子をひとりで置いておくことは不可能であるから、万一に備えて日常から安心できる方策を増やしておきたいというのか目下の課題であった。 とはいえこれまでは何とかかんとか、けいこの手をほんの時々借りるくらいで何とか夫婦二人で賄えてきたのであるが。 いくら都会でベビーシッター制度が充実しているからとはいえ、急な仕事の都合で、初めての方に都合よくシッティングをお願いできるかと言えば難しいだろう。 当然ながら私も息子もシッターさんも人間だから、相性というものもある。 とにかくいずれにしてもベビーシッターというものを利用してみる価値はあるだろう、と思っていた。 ベビーシッターの利用については、 ・息子が一人きりになるというどうにもならない状況が案外なかなか訪れず、何とかやれてしまうこと ・金額的に安くはない(もちろんベビーシッターにはそれなりのお金がかかり、金銭的な面から言えば自分がそこまでして仕事をする意味があるのか) という2点が主な理由で、子育て中でも利用したことがある人はそんなに多くはないだろうと思う。 そういえば区の主催するベビーシッターネットワークにも登録しているが、まだ一度も利用したことがない。 区の制度はべらぼうに安いのだが、事前に顔合わせが必要であったりなどいろいろと制約が大きいのもネックである。 今回なぜいきなりベビーシッターの利用にふん切れたかと言うと、Instagramで個人で精力的に活動するベビーシッターさんを見つけたからである。 Instagramの投稿記事も非常にInstagram的で上手く、フォロワーもたくさんいらっしゃって、記事内容に共感でき、貫禄がある。 なんとそこにモニター利用で、通常は3時間パックのところを2時間で利用でき、さらに次回30分無料券がもらえる!というキャンペーンにつられていそいそと申し込んでみることにしたのである。 ちなみに、何かの組織やシステムを通さずに個人的に依頼すること、ましてや自宅に招き入れて自分の大事な子どもを預けるということに躊躇してしまう人もいるとは思うのだが、私は自分の仕事の性質上そういうことはまったくない。 オンライン上の発信情報しか頼りにすることはないのだが、ある程度発信情報の量があれば粗方の信頼性は得られるものだと思う。 インターネットと切っても切れない、いやもう最重要の宣伝ツールであると言っても過言ではない昨今においては、HPやSNS等は更新頻度がまめである方が良い。 とにかく今現在息をして、活動しているということを示すべきである。 できれば長年やっている方が良いし、淡々と息切れせずに情報発信をしていることは何気に大きな信頼につながるだろう。 特にSNSは見知らぬ個人宛にDMを送るハードルもかなり低くなっているので、あとは直接のやりとりをすれば良い。 先月から予約をして、いざ当日。 子どもというのはそういうものなのだろう、風邪気味である。 予防接種も区の検診もあるというのになんてことだ。 とりあえず予防接種の可否のついでに小児科の診察を受けることにした。 熱はなく「ただの風邪」という文書をいただいたが、予防接種は念のため延期、検診も延期になってしまった。 あぁまたこのためのスケジュールを立てねばならぬのか。 その旨をすべてベビーシッターさんにお伝えする。 このベビーシッターさんは病児対応もしていらっしゃるのだが、発熱がないので病児にはあたらず通常シッティングできます、でももし心配でしたら別日にすることもできます、とこちらの立場に立った優しい返信が素早く返ってくる。 レスポンスが早い、というのも信頼獲得のベースだろう。 仕事を受ける側からすると、当日キャンセルは仕方のない理由だとしても、悲しいし脱力する。 なるべくそれはしたくないなという思いから、ルール上この風邪ひき君でもOKであるなら決行しようとお越しいただくことにした。 ちなみにこの日はなぜか夫も休みをとっており、人手が足りなくてシッターさんを召喚するという趣旨とはかけ離れた状況になってしまった。 でも、両親でシッターさんに挨拶できるのは良いことだと思う。 Instagramの記事内容は貫禄があり達観されたような内容が多いことから、シッターさんはそれなりに年配の方だろうと思っていた。 しかしこんにちはと直前のお電話ではお若そうな声である。 実際の年齢は私よりも3つ若く、柔らかな印象の女性であった。 最初に手洗いうがいとお着替えをなさって、様々な確認事項をヒアリングされた。 息子は基本的に人見知りなので、私のところにまとわりつきながら少しずつシッターさんに距離を詰められていった。 普段息子とふたりでいるときになかなかやることがなく、遊び方法に困っていたので、遊び方法をいくつか教えていただく。 簡単な遊びも、片付けること面倒で付き合ってあげることができないことが多いのだが、ペンや絵の具などは楽しめるお年頃なので、これを機に面倒を買ってもっとやってみても良いだろう。 シッターさんが息子と遊んでいる姿を見て思ったのは、当然のことかもしれないけれど、もっとしっかりと腰を据えて子どもと向き合わないといけないのだなあ、ということだった。 1歳半ではまだまだ大人も楽しめるような遊びはほとんどないと言っても良い。 だから遊ぶのであれば覚悟を決めて、短くてもその時間は自分の全てを捧げて、何の片手間でもなく遊んであげることが必要なのだと思う。 あとは、できうる限り簡素な動きで、思うよりももっとずっとゆっくりと。 子どもの集中力は5分と持たないので、何種類もの遊びを用意して。 やることの内容は簡単なのだけれど、実際にこれはものすごく体力と精神力を消耗することで、子どもに付き合うということは本質的に本当に難しいことだと思う。 まずは一日一回15分でも30分でも、こういった時間をとってみようかと思う。 ただ息子のいる日々は濁流なので、数日前に心に刻んだはずのことを今整理して書き出すまで忘れていたのだが・・・。 2時間のシッティングの間、わらわらといろんなお話をして、途中そっと私が抜けだしてみたり、最後20分ほどは夫と二人でそっと抜け出して、近所のコーヒーショップでコーヒーをテイクアウトして家に戻った。 二人ともいなくなったことに気づいた息子は少し泣いたようだが、シッターさんは上手く場面を切り替えてくださっていた。 その後、個人でベビーシッターをされている方はそんなにいないと思うし、私の仕事の形態と似ていると言えば似ているので、少しお話を伺った。 お帰りになった後も、個人ベビーシッターという職業について思いを巡らせていた。 まず風邪をひいたら本当に大変なことになるなとか、移動時間を含めるとどうしても高額になるなあとか、移動しない個人ベビーシッターをやるにはどうしたら良いだろうかとか、どういう人がベビーシッターを利用しているのだろうかとか、新しい利用層を作るにはどうしたら良いだろうかとか。 とは言え、私は自分の仕事においてあまりそういったことは考えてはいないのだけれども。 ひとつ思いついたのは、ぜいたく品としての個人ベビーシッターなので、誰かにベビーシッター券をプレゼントするような文化ができると良いのではないだろうか、ということである。 普段はなんとかやれていても、2、3時間のシッター券がもらえるなら是非!という方は多いだろう。 友人や親族からこんな券が届いたのなら、私なら嬉しくて飛び上がってしまう。 あるいは、夫から妻へ、妻から夫へ、誕生日プレゼントでも良いだろうし、結婚記念日の互いのプレゼントでも良いかもしれない。 そしてまた、高いけれど自分でもシッターさんをお願いしたいと思う。 その一番の理由は、子どもは普段と違う人と2時間以上同室にいると何かしらの成長がある、と思っているからである。 これまでの経験則で、何かはわからないし、すぐには効果は出ないのであるが、何かは必ず変わっていくのである。 家には生徒さんがたくさんやってくるけれど、そのときは私と離れて夫と待っている時間なので、そういうことではなく他人とのコミュニケーションを増やしていきたい。 何についても言えるけれど、人間関係は一度ではできないし、何度か時間をかけることで構築されたり分かったりすることがあるものである。 おばあちゃんの家に行くのも、いとこに遊んでもらうのも、やはり定期的にやっていきたいし、その一環としてシッターさんを召喚するのもやっていければと思う。 私自身色々考えさせられて、とても良い経験となった。 言うまでもなく、今回のシッターさんのお人柄がそうさせたと思う。 最後に、今回お願いしたシッターさん情報です。 ◇Instagramアカウント @irairaikuji_byebye 保育士 山崎歩美さん 私が字について時系列的に何を思ってきたのか、そういえば断片的に書いたことはあるかもしれないが、まとめてはない気がするので、書いてみたいと思う。
とある人がここまでの書人生の振り返りをしていたので、私もしてみたくなった。 誰から頼まれているわけではないけれども。 ちなみに私の家系では書をやっている人は叔母しかおらず、叔母が書をやっている影響が私にあるかと言われると、おそらくほとんど無い。 なので社会学的に言うところの文化的資本の再生産(医者の子は医者になる確率が高い、というような)というような継承は皆無であると考えられる。 父の字はあまり知らないし、母の字は雑である印象である。 一緒に暮らしていた祖父母は、ボールペンをしっかり持って宅配便の複写伝票のようなのものによく写りそうな起筆しっかり筆圧強めの字を書いていた気がする。 改めて今思い返すに、字について何らかの最も古い記憶は、小学校一年生のときのことである。 小学校で初めて字が書けるようになったのか、保育園の時代から書けていたのかさっぱり覚えていない。 ただ小学校1年生のときの加藤先生という担任の先生の字がとても上手だったことを覚えている。 先生というのは皆字が上手であるという、多くの人が持っているかもしれないイメージを私も持っている。 クラスメイトの采くんという男の子が、生活態度はハチャメチャなのにとても字が上手くいつも金賞を獲っていた。 彼は4Bの濃い鉛筆で真っ黒になりながら漢字ノートを書いていた気がする。 ヤスエちゃんやアヤミちゃんも字が上手で、「何か違う子」と思っていた。 確か、小学校二年生で私は友達が行っている書道教室に通い始めた。 海辺にある今で言う古民家のような壊れそうな古い建物の二階、火曜日と土曜日、いつ行っても良い仕組みであったと思う。 学年問わず常に10数人程がいて、入れ替わり立ち替わり空いている席に座って書く。 先生は40台くらいの先生で、艶やかな服を着ていたおばちゃんだった。 習字・そろばん・ピアノは、当時の習い事の鉄板であった。 その一環として私は何となく書道教室に通っていた。 「よくできました」「もうすこしです」というシールを集めて、シールが溜まるとお菓子やおもちゃに交換することができた。 覚えていないだけかもしれないが、字の具体的直接的な指導を受けたことはあまりないような気がする。 級とかあった気もするがさほど真面目にやることもなく、学校の競書会などではクラスで銀賞や銅賞という成績だった。 小学4年生の頃、書写の先生がお休みで、担任の先生が代わりに書写の授業をしたことがあった。 専門ではないからそんなに上手くないだろうと思ったら、え!と思うほどに上手かった。 そうだったのか、とひどく感心し見る目が変わったことをよく覚えている。 書道教室は6年生で辞め、そのまま中学生になった。 中学生では所謂「可愛い文字」というのにとてもとても興味があった。 手紙を書くことも好きだったので、いかに可愛く書けるかに執心していた。 特にタエちゃんという子の字が憧れで、線の長いところ短いところなどよく観察して分析をしていた。 おかげで今でもどうすると可愛く見えるのか、可愛い字というのはどういうものなのかが粗方説明できるし、それを書くこともできる。 おそらく中学生の時だったと思うが、家に来た年賀状を見て、「あけましておめでとう」とその辺にあった広告の裏に筆ペンで書いた。 それが楽しくて筆ペンのインクが出なくなるまで遊んだりしたのだが、それを見た祖母が「これはあんたが書いただかん?この年賀状より上手いねえ」と言ってくれて、「そうなの?!」といい気になった。 そして中学三年のとき、何がきっかけだったかさっぱりわからないのだが、漢字練習帳の漢字をきれいに書くことにはたと目覚めた。 こうするときれいに書ける、あぁきれいだ、いいね、と自分で思いながらどんどん書いた。 特に何か狙ってやったわけではないのだが、普段は何もコメントのない漢字練習帳の宿題に「とてもきれいに書けています」と浅井先生という国語の先生からコメントがあった。 そうでしょう、そうでしょう、と思った。 参考手本があったわけではない、ただ急に、きれいに書くということが分かって楽しくてたまらなかった。 そこからは友達の名前や先生の名前など、とにかく色々と書いていたと思う。 時を経て人に教えるようになって、生徒さんに「先生は初めから字が上手かったんですか」と聞かれることがあるが、その質問からするとある程度イエスになるだろうと思う。 もちろんもっと上手くなるために研鑽を積んだことは間違いないのだが、さほど苦しむことなくある程度一般的に上手いと言われる字は書けたといっていいだろう。 しかし、このような場合はさておき、字は練習によって上達していくことは、これまでの指導経験からしても自信を持って言えるけれども。 受験があるからと中学三年の競書会は硬筆だった。 これまでの毛筆では鳴かず飛ばずな成績だったが、ペン字に目覚めていた私は自信があった。 変な話だが、周りを見渡してもこれならば自分が客観的に上手いと思っていた。 ペンにもこだわって、皆があまり使っていなかった水性のインクが良く出る太め0.7か1を使った。 案の定、私はここで人生初めての金賞を受賞する。 そうでしょう、そうでしょう、と思った。 まあ30~40人クラスの中の一位ということなので、全国総理大臣賞を獲ったとかいうレベルではもう全然ないのだが、それでも一つの自信にはなった。 ただ、このようないくつかの字にまつわる思い出は、その時に「これでひと花咲かせよう」とか「将来習字の先生になりたい」とか「書道をもっと勉強したい」とかいう火付けには全くならなかった。 字に興味を抱きつつも、高校生の選択の授業では書道・音楽・美術の中からほとんど迷わず音楽を選んだし、再び人に習うということもなかった。 数年後に友人に聞いたが、高校の時にも私は「さらさらっと上手い字が書けるようになりたい」ということは言っていたらしいが。 大学生の時も一時的に興味が再燃して、資格を取ってみようと通信テキストを申し込んでこともあったが、一括払いで払ったのに一度も出さずに終わったと記憶している。 賞状書士や筆耕については時々検索していたような気がする。 大学4年生になり、就職活動の際、当時はまだ手書きの履歴書があったので、それをものすごく丁寧に書いたりして、面接官に度々そのことを言われた。 それで就職活動が上手くいったということはなかったが、何とか就職して1年目、同期の友人に「このままだと何にもない人になるよ。アウトプットするような趣味を持った方が良い。」と言われたことに酷く心臓が波打ち、私は趣味を探した。 最初は、当時大好きだったピアスを作りに行ってみた。 面白かったが、買った方が安くて可愛いという結論に一回で達してしまった。 二つ目に行ったのが、書道だった。 「あぁこれだ、これやりたかった。」と、他の書道団体を見比べることなく体験したその日に入学した。 字を書くことが楽しくて、ずっとずっと字を書きたかったのだと、即時合点がいった。 ここから創作の道に行くまでまた激しく紆余曲折するのが。 長くなったし、保育園のお迎え時間なのでここまでにする。 いつしか行事ごとにさっぱり興味が失せたどころか、極めて自然に思い出しもしなくなっている私だが、子どもが産まれてからというものの、なんとなく行事ごとの前になると少しの罪悪感や圧迫感を感じるようになった。
クリスマスも、誕生日も、結婚記念日も、お正月も、節分も、子どもの日も。 みんなの行事から個人の行事まで、気が付くと過ぎ去っているのである。 もちろん、世の中は節分が124年ぶりに2月2日であると話題にしているし、鬼のお面をかぶって豆まきをする日であることは知っている。 最近では恵方巻なんてものを食べるらしいではないか。 だから当日の直前までは、あー何かそれらしいことをしようかしらという心意気がかすめるのだが、いざ買い物に行くときにはすっかりと抜け落ちてしまい、微塵も思い出さずに、たいてい翌日くらいに少しの罪悪感をもって思い出すことになる。 罪悪感は、息子にそのような行事の意味や楽しさを味わわせることが私のせいでできない、ということから来ている。 いくら保育園で行事を楽しませてくれるとしても、無論息子は私の影響を多大に受けざるを得ない存在であり、家庭内でのそれは息子の中の思い出としては大きなものになるのではないかと思う。 一方で、以前にも書いたが、私が行事などに囚われなくなってことを私自身のみにおいては良いことであると思っている節がある。 ここがややこしい。 そもそも年中行事とはそのほとんどが、古来から疫病や災害から守る、健康や豊作を願うお祈りだろう。 いつの時代も疫病や災害は困りものであるし、健康や豊作を願いたいといころなので、現代においても行事は残っている。 ひと月、あるいはふた月に一度ほどそのような行事があるのは、季節ごとに起こる災害や採れる作物は変わるので、定期的に生活を見直し背筋を正すという意味合いがあるのだろう。 また行事は人が集まって行うことも多いと思うので、地域の交流にもなる。 誕生日や記念日をお祝いするのは、自身の存在を周囲に承認してもらうこと、家族という最小単位のコミュニティを円満持続させるための効能、といったところだろうか。 これらの効能を私は否定しているわけではない。 ただ、普段から日々を大切にしていればあえてかしこまった行事なんてしなくても良い、その時々に行事よりも大切なことがあるかもしれない、決められた日を強制的に特別に思うのは変だ、もっと自分の身を任せてみたときの流れを掴みたい、というようなことを思っていたのも確かである。 そして私はあらゆる外的な呪縛から、一旦は解放されたか緩んだか、たぶんしたのだと思う。 そして子どもを持ち、再度子どもを持つ親目線で改めて考えてみると、やはり行事は大切にした方が良いのではないかとも思えてくる。 どれもこれも、楽しみに準備をする、楽しみに待つ、実際に楽しい嬉しい美味しい、そんな気持ちがたくさんあると良い。 それに、あんなことやこんなことが昔から世の中にはあるのよ、と知った上で、息子が大きくなって自立したときにそれが必要であるかどうかを考えればよい。 そのためにはある程度、身体でもってそれを知る必要がある。 次は一般的には端午の節句だろうか。 そういえば去年はいただいた柏餅があって、まだ食べられない息子はそれを床に投げていたような記憶がある。 鬼はうちには来なかったし、だから豆も撒いていないけれど、こいのぼりは何かしらの形にしてみても良いのかもしれない。 全くの別の話だが、森田子龍の展示会が銀座のギャラリーであって観に行ってきたのだが、何だか少し嫉妬してしまった。 結構たくさんの作品が一度に見られる稀有な展示会だと思う。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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