21時から、お風呂を磨いて、洗面台を磨いて、窓を拭いて、網戸を拭いて、キッチンの洗い物と換気扇のフィルターとシンクと排水溝を歯ブラシで磨いて、トイレを磨いて、玄関の小物たちを掃除して少し入れ替えて、作品を整理して、書類を整理して、床をドライシートで拭いて、水拭きをして、もう一度水拭きをして、近くのコンビニで片づけに足りないものを買い足して、そうしていたら「ゆく年くる年」が始まった。
程なくして、年が明けた。 あけましておめでとうございます。 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 さっき昨日の大晦日のことを書いていて、今は新しい年になっている。 昔から私は、誕生日よりもクリスマスよりも、年越し元旦の方がなんだか感慨深い感じがする。 時間は何ら変わらず悠久にいつも通り過ぎただけのことなのに、人間が定めた時間と日付に気持ちを動かされて年替わりに感慨に耽っているようでは、厄年も気になるというものである。 しかしながら、人間は何かしらの節目を作ることで、自分を見つめ直すことを太古の昔からしてきたのであろうし、その効用においてはきっと計り知れないものがあるだろう。 節目の行事を丁寧に執り行うことも、それを敢えてやらないことも、両方に意味が生じる。 いずれにしても、作られた外界の節目は存在するし、それに意味があって、意味がない。 加湿器代わりに、濡らしたタオルをエアコンの風の出口にかける。 はっかオイルを含ませたら、清涼な温かい風が吹いている。 つるりぴかぴかになった部屋で、元旦の課題をするべく書き物をしようと、墨やら何やらを広げようとすると、どうにもつるりぴかぴかの床を汚す気になれなくて、ちんまりとセットを用意するにとどまった。 髪の毛一本が落ちているのが気になって、それを見つけた瞬間に拾い集めながら書き進める。 部屋はある程度汚れていた方が創作には向いているのかもしれない。 たっぷり寝たから全然眠たくない。 年始特有の音楽番組を流しながら課題を仕上げて、コンビニで買ったさつま司をオンザロックで。 あと少しになった干物を焼いて楽しむ。 なぜだかあまり酔えないので、これを書いている。 お雑煮が食べたい。 出汁がぎゅうっと出て、どろんとお餅が柔らかくて、最後はお餅の溶け汁がとろとろと口に流れ込んでくるような。 夜中は楽しい。 初日の出の頃には眠ってしまうだろう。
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何日ぶりの丸一日の休日だろうか。
大晦日、おほつごもり、というのは大和言葉らしい。 昨日はレッスンを納めた後、麻婆豆腐を食べて、依頼事の結婚式の宛名書きを50枚、4時間をかけて一気に仕上げた。 一昨日は、トータル40枚ほどの年賀状を書きあげて、急いで切手を貼って郵便局に託した。 仕事は納まっている。 大晦日というよりかはお休みということにわくわくして、なんだかそわそわして、もっと寝るつもりが10時に目が覚めてしまった。 と思ったら、また眠たくなって結局13時まで寝る。 今日のミッションは大掃除をすることと、借りっぱなりの「ジョジョの奇妙な冒険」を読むことである。 さて、腹ごしらえをして、カーテンを洗濯したところで早くも力尽きてしまった。 少し休憩と、みかんやいただきもののお菓子を食べながらテレビを流しているとなんとまた寝てしまう。 起きたのは、つけっぱなしのNHKは「まもなく、紅白歌合戦でーす!!」という今の時刻である。 「ジョジョの奇妙な冒険」が読めなさそうな気がしている。 今年一年、なんだかんだと忙しかったなあと思う。 たぶん、ものすごく暇、ということはできないタイプだと思うので、毎年振り返ると結局1年分の色々なことがあって忙しいと言っている気もする。 書的には少し進んだ一方で、悩ましさも増した年だった。 結局そんなものはいつだって悩ましいだろうから、とにかく今のその感じをやっていくしかない。 来年は、もう少し形になるものを作っていきたい。 今日から、前のブログでそうしていたように、Facebookの書グループで毎日書いているものなどをブログ記事中にアップしたいと思う。 HPの更新がなかなかかなわないので。 例年に比べて、体調を崩した日が多かったように思う。 インフルエンザは辛い、と身体で知った。 これは年を取ったからなのか、私の自律神経がやや狂っているのか。 そのせいで、来年自分が本厄であることを不意に知り、厄払いに行った方が良いのか悩んでいる。 占いごと全般が私は好きではないのだけれど、気になってしまう時点で大いに気にしているということだ。 とある方に、「派手な厄払いを見られるところでエンターテイメントとして行ったらよい」と納得のアドバイスをいただいたので、年始に時間を見つけて行ってみたい。 もしくは行かなくともそれが全く気にならない精神性を手に入れたい。 NHKの天気を伝えるアナウンサーが、「これからお出かけになる方は、あ、紅白を観てからお出かけになると思うのですが、温かくしてお出かけください」ときちんと宣伝をしている。 偉い。 去年は確か京都で紅白を観ていた気がするけれど、今年はこの部屋で紅白を見ながら大掃除をしよう。 本年、本当にありがとうございました。 来年も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。 来る2017年が良い年でありますように。 紅白が始まった。 忙しい、とっても忙しい。
もちろん忘年会やら何やらの予定を含めてだけれど、まさに師走たる師走である。 そしてまだ仕事がひとつまるまる残っている。 私はいつも、掃除をするときは毎度大掃除のように水拭きを二回通りして、シンクを磨いたりお風呂を磨いたり、玄関を拭いたりする。 だから、年末もこれと言って大掃除に精を出すということはこれまでやってこなかった。 しかし、最近はこれまでの真剣掃除をすることが極度に少なくなった。 家に人が来ることがかなり増えたために、その度に簡易的にウェットティッシュで床を水拭きしてしまうので、本気を出すことがなくなってしまったのだ。 しかし、年末だからと、大掃除をしたい気持ちに駆られている。 床の水拭きはもちろん、服を捨てたりなどもしたいし、書類の整理もしたいし、PCのデータ処理もしたいし、HPも更新したい。 これらは半端な気持ちではスタートできない。 特にやらなくても困らないことばかりだからだ。 何となく、手始めに、服の断捨離を始める。 数年前、私は度々断捨離をして、毎度大量の服を捨てていた。 元々捨てるのは上手な方で、それに快感すら覚えていた。 しかし、いつからか、特に断捨離するものが見当たらなくなって、物が増えて困る、なんてこともなくなった。 考えてみれば、度重なる断捨離とはやや恥ずかしい行為のようにも思える。 数年後、使わなくなって部屋を圧迫するだけの一過性ものにその一時目がくらみ、金銭を支払う。 もちろん当時は数か月後には使わなくなるなんて思ってはないわけだけれど、こんなに年を重ねても自分が長く使う物か否かを判断できないのは、自分が自分のことを知らなさすぎるようにも思う。 まあ好みは移り変わることもある。 あと、時々するしょうもない衝動買いというのは、その時にそれを買うこと自体で既に刺激的でハッピーだから良いと思う、というか、むしろそんな気持ちになりたいものだ。 私も少しは自分を知ることが上手になってきたかななんて思いながら、45Lのビニール袋半分くらいの服などを捨てることにした。 ストールやマフラーは、とっても気に入って買ったものもあるけれど、結局し心地が悪いものは保持しておく理由はないだろう。 元旦に帰省するつもりだが、出かける前には、以前の掃除をひと通りして、すっきりとした部屋で東京に酸欠で帰ってくる私を迎えたい。 Facebookに書グループがあって、そこで毎日お題が出て、毎日アップをする、ということに5日前ほどから参加している。 お題、というのはありがたい。 いつか書きたい言葉はいろいろあれど、それを形にするのは骨が折れるし、その時に気分が乗らないこともある。 となると、何かとりあえず書きたくてもお題に困ることが多々。 お題、は自分ではあまりそこに踏み入れないような言葉も上がってくるので、敢えてそれを書くというのも面白い。 「いいね!」や「超いいね!」やら。 なんだか人の基準のみならず自分の基準も曖昧になるような中で、とりあえず休まず出している。 私は何がしたかったのかを、ぬぅっと押し出せたらいいな、なんて思うのは早計だろう。 ふたりの姪に会いに行く。
下の姪は人見知りが激しく、お母さん以外を全然受け付けなかった2か月ほど前。 おばさんは力及ばず、というか私が早々に諦めてあまり構いもしなかった。 それでも私は、いもうとが送ってきた下の姪のいないいないばあの動画が愛くるしすぎて100回くらいはこの間に眺めている。 よく聞く話だけれど、幼子の人見知りというのは時期によって変わっていくものらしい。 数か月前は多くを拒絶をした子も次第に、お母さんやいつもいる家族以外の人間も、自分を可愛がってくれるということが分かってくるのだろう。 そうしてまた、色々な経験を積んで、もっと人を好きになったり、こういう人、往々にして見知らぬ男性はだめなどという風にまた変わっていくのだろう。 そうしてまた、変わっていくのだろう。 今回は下の姪は、前ほどの人見知りをせず、おばさんとも遊んでくれた。 上の姪と同じく食いしん坊になった下の姪は、私の手からふかしたさつまいもを食べてくれる。 餌付け、とは言葉が悪いけれど、子どもはメリットのある大人が好きなのだ。 いやこれは広い意味で、大きくなっても全然と言っていいほど変わらない精神性のひとつであろう。 つかまり立ちでぐらんぐらんしていた体幹も、ずっしりと地面を踏んばり、てこてこと歩き、いろんなものを持ってきてくれたりする。 「だっこ」の一言だけをいっちょまえに覚えて、前回は私に抱っこされると顔を「X」にして泣いたくせに、「だっこ、だっこ」とせがんできた。 まあそれは私に抱っこされたいというよりは、自分が届かないところのものが見たかったり移動したかったりするからだけれども。 窓ガラスには美味しそうなグミのようなクリスマスの飾り、ジェルステッカーと言うらしい、を剥がしてまたくっつけるという遊びをすると、小さな手でグミを引っ張って、おぼつかない様子で窓に貼り戻した。 「いえーい、できた」と私が言うと、ぱちぱちと嬉しそうに小さな手を叩いた。 「もう一回、ぺた、して」と言うと、またグミを引っ張って適当な位置に貼り戻して、「いえーい」と拍手する。 ものすごい可愛さで。 しかし長く抱っこをしているのは重たいので降ろそうとすると、しがみついて降ろすなとアピールをしてくる。 足をからめつけ、服を握って、「んーーー」と言う。 重たいのもそうだけれど、しがみつかれることが嬉しくて、私は何度も意地悪に降ろそうとした。 子どもが自分の手を引いてくること、抱きついてくること、それはとっても嬉しくて、やや勘違いを起こしそうになる。 「Xmas」の「m」を反対にくっつけて「くりすわす」になったり、「a」を床に落として「くりすむす」になったり、仕舞いには「Xmas」は散り散りになって、挙げ句「m」を引っ張って千切られた。 上の姪が寄ってきて、きれいに直してくれる。 上の姪は相変わらず私をソファ代わりに使ってテレビを見ていた。 私がいもうとに書いた「Tout va Bian」という書を、「やむい13」と読んで、「おばさんどうして変なふうに書くの?」と聞く。 うむ、そうだよね、変である。 「うん、なんでだろう。おばさんの気分」と答えると、「変なの」と笑う。 浜名湖のおみやげのうなぎいもチップスを、ごはんとデザートの後に「一個だけ食べる」と言って、本当に一枚だけ、机の下でこっそり食べていた。 一個だけなのはお母さんとの約束、机の下で食べるのは、同じく食いしん坊の下の姪に見つからないようにするため。 ぷりきゅあか何かのぬりえを私にくれた。 私は要らないものを家に置くのが嫌なので、どんどんと物を捨ててしまう傾向にあるのだが、一日経った今日、やはり捨てられなかった。 今度いつか引っ越しするときに、もう一度考えよう。 子どもはいちいち大変で、いちいち面白い。 だから幼子を持つ友人のブログがいつの間にか子育てブログと化しているのもうなずける。 しかしそれと引き換えに、自分について多分にないがしろにしていることがおそらく結構大きな悩みでもあるのではと想像する。 子どもはかわいい、ただそれだけは独立してあるにせよ。 子どもがいなければ暇だ、というタイプであればその悩みは起こらないのかもしれない。 別にこれは良し悪しの話ではない。 いもうと宅からの帰り道、やっぱり私は家族と会うと妙に疲れてしまうようで、電車の中はほとんど眠っていた。 少し酸欠なのも感じて、誰に向けてなのかこれ見よがしに深呼吸を繰り返す。 翌日の今日、冷蔵庫を覗くと、豚肉を買ったことを忘れていたことに気付く。 少し茶色に変色していて、匂いを嗅ぐとうげっという臭いがして仰け反る。 仕方がないからそれを捨てて、あの干物屋の干しエビと小松菜と卵を炒めて焼うどんを作って食べる。 ひとりでごはんを食べることについては、本当に少しも強がらずに、全くもって平気というか楽しい。 特別に美味しくなくても、まあいい。 誰かと食べることが嫌なわけではなくて。 一緒に食べる場合には、その場の空間も、料理も、会話も全部をひっくるめての楽しさだ。 もちろんそれは楽しいことのひとつである。 しかし毎日毎食誰かと一緒にごはんを食べていたら、ごはんくらいひとりで食べさせてよ、となるだろう。 おそらく私は食事について結構閉鎖的な方なのではと思っている。 私は食についてひとり飽くなき冒険探究することは、この後の人生あるのだろうか、いや。 先日、おでんと赤ワインという奇怪と思える組み合わせが、遠縁の親戚かもしれないということを今知ったこれからよろしく、みたいな出会いをした。 おでんの味醂とワインの甘味が交わるでもなくぼんやり一緒に寄り添っていたり、ゆず胡椒のほんのりとした刺激と赤ワインの酸味がお互いに少しだけジャンプしてそっとハイタッチしたようにして消えていったり。 「神の雫」を読んでから、ワインが好きというか、ワインと食べ物について観察し、頑張って無理やりにでも自分の言葉で表現してみるという試みが面白い。 酔っぱらっているので表現は適当だけれど、何となくこんな感じ、ということを誰かと共有する遊びとしてはとても趣が深い。 良いお年をお迎えください、と今年最後のレッスンの方々に軽く挨拶をする。 私は30日まで仕事が入っている。 けいこが送ってくれたちび蒲郡みかんをせっせと剥いて食べる。
一つひとつ、微妙に味が違ってかわいい。 久しぶりに大好きな食パンを買ってトーストする。 以前この食パンを「水みたいなパンだ」と形容したけれど、今はあまりそうは思わなくなった。 でもやっぱり美味しい。 バルミューダのトースターを買わなくても、2000円ほどのトースターでも外はカリッと中はもちっと焼ける。 インフルエンザになって買い換えたマットレスは、なんだか寝起きが良い。 点で支えられているような感じがして身体が沈まず、負担が少ないのだろう。 普段使いのバッグ、シャンプー、マットレスと、これまで絶対に買わなかったような値段のものに、質を優先してランクアップさせてきた。 すべてはコストパフォーマンスなわけだけれど、たまに使うものではなくて、毎日使うものにはきちんとお金を出したい。 自分にとって良いものを良いと選び取れる勇気を持ちたい。 自転車を行きつけの自転車屋さんに通りがかった際にメンテナンス。 タイヤの空気を入れてもらって、油をさしてもらって、鳴らなくなったベルを直してもらった。 タイヤの空気が満ちて、これまで太線の軌跡を描いて走っていたのが、鋭い細線を描いて走っている心地。 チェーンの回転もぬるりといって、漕ぎ出し上々。 年賀状の宛名書きのお仕事をせっせと進める。 他人様の年賀状を表面も裏面も書かせていただくなんて、この年賀状は自分には来ないけれど、もし自分に来たら薄目で一瞥しながら一笑してしまうだろうか。 今年中に友人の結婚式の招待状の宛名書きも依頼があって、自分の年賀状もあって、いろんな住所といろんな名前と戯れる年末になりそうである。 宛名書きは書き急いではいけないし、実際急げもしない。 乗ってくるまでじっと我慢して遅々しこしこと書き進めるしかない。 やがて訪れる、かもしれない、ランナーズハイならぬライターズハイまで。 私が宛名書きをしている間、奥田民生は全体として怠けて見えている自分が陰でこそこそ頑張っていることを歌い、宮本浩次は全体として世間の男に対してあるいは自分に対しての憤りの文句を応援歌として叫んでいた。 それぞれに、よく使いがちな言葉があって、言いたいことの傾向がにじみ出る。 私がそう聞こえているだけにすぎないけれども。 あれとこれとあれとこれと、やりたいこととやらなければならないことが山積している。 そういうときほど、それらをそっちのけにしてブログを書きたくなるのはなぜだろうか。 「書道というと、大きい筆持ってアレですか、うおおおって書くんですか?」とよく聞かれる。
私は大字書は特にはやらないので「大きな紙には書いたりもしますが、普通のサイズの筆を持ってちまちま書きますよ」と答える。 先日、キックボクシングをやっているという方に私は、「やっぱ殴られても痛くないんですか?」という質問をした。 月並みで無粋で、つくづく浅はかな質問だとは知っていながら。 アドレナリンが出ているから痛みはそのときには感じない、その答えめいたことも、何となく前から知っていた。 それが本当か否かは知らなかったけれども。 書でも、キックボクシングでも、全然知らない世界に対しての質問の定型文が、広く一般に共有されていることがある。 その世界のほんの片鱗がメディアを通して伝わって、それが全てであるような見え方をされていることがある。 それだけその世界が閉ざされているのか、波及力がないのかは分からない。 これらの質問は、確かに気になることではあるものの、この答えは何となく皆耳にしたことがあったり、想像できるのではないだろうか。 それでも似たような質問をしてしまうのは、そのよく分からないもの、知らないものが、自分の想像している通りだと無意識に願ってしまう心なのか、単なる会話処世術なのか。 私は後者だったわけであるが、そのような自分の社会性について時折嫌気がさすことがある。 もちろんそこから話が展開していけば良いのだろうけれど。 想像をする、それが他人とコミュニケートするにおいてできることの全てだ。 知ってほしいし、知りたい、その姿勢こそがコミュニケーションを成り立たせるものだろう。 とある場所で、あるキックボクシング協会のチャンプだという方と話をする機会があって、ほんの少しだけれど会話をした。 私が書をやっていると言うと、彼は「なぜ書道なのですか?」と聞いた。 私はハッとしたのもつかの間、その答えを頭の中に探して、「ずっと昔から好きだったことを大人になってから思い出したからです。」と答えた。 一方で私がしてしまった無粋な質問について後悔し、数日ほどやや気を揉んでいた。 そして、先日、チャンプの出場している試合を観戦しに行った。 格闘技全般、私は人が殴り合うシーンが映像であっても好きではないと思ってきたので毛嫌いしていて観たことがなかった。 一般的に言って、男性が心を燃やすもの、という暴力的な線引きの下、私の中で開けない箱にしまって隅に追いやってあった。 「フリースタイルダンジョン」のおかげでヒップホップに興味が持てたこともあり、観戦する前から、おそらく私は格闘技は自分が実は好きになれるかもしれないという予感はあった。 人を殴ることや人をけなすこと、それらそのものが好きというよりは、何か生きるのにほとんど無駄なことに一生懸命精魂燃やして行う勝負事は愛おしい気持ちで見入ってしまう。 もちろんその中にはダメなものもたくさんあるけれども、とても美しい試合を目の当たりにすることもある。 私はチャンプの試合を見て、感動した。 見事勝利して、その座を防衛された。 たぶん、格闘技を生で初めて見たという私の中でのスペシャル感が盛られていたとも思うけれど、何試合か観戦した後のラストマッチだったので、場の空気にも目も少しは慣れていたと思う。 しかしながら、どんなパンチが良くて、どんなキックが効くのか、私には全然分からない。 でも、野生の感で戦っているのではなく、文字通り血の滲む努力によって会得したのであろうその冷静沈着な戦い方に目が離せなかった。 体力のみならず、知力と精神力を加えた総合力なのだろうと思う。 私はまったく初めて見たのにもかかわらず、この人は前よりも強くなっているのだろうという気がした。 周りの観戦の大声を聞きながら、私は手をグーにして固まって観ていた。 ロックのライブも、身に危険が及ばないのならば、感動していたら私は動けない。 チャンプ曰く、「キックボクシングの試合は、選手2人が作るリング場の芸術です」ということらしい。 書作展の会期を終えて、いろんな方々が見に来て下さったり、懇親会に参加したりなどして、未だその余韻が残っている。
私はこれまでほとんど、書の世界の人々と話したことがなかった。 ある方がお声掛けをしてくださって、私は書をやられているいろんな流派の、あるいは個人の方々とお話をすることができた。 本当にありがたい機会だった。 辛口の批評もいただけて、心が縮んだ一方で無限の世界の拡がりを感じ、さてはてこれからどのようにして行けば良いだろうとやや気を揉んでいる。 「短気だろ?」とも言われて、一瞬どういう意味なのか分からなかったけれど、「あれだけの長文を書けるのは気が短くないと書けない、思い立った時に瞬発的にな」と聞いて納得した。 今まで、自分が短気であるかどうかは、トピックとして取り出したことがあまりないのでピンとは来ないのだけれど、確かに私は幾か月、幾年をかけて同じ書に取り組んだりすることはおそらく無理なのではないかと思う。 短期間であっても、同じ内容の書を500枚書くのも無理だろう。 200枚くらいなら分からない。 一定の短い時間において見せる根性はなくはないのかもしれない。 ゴールがちらりと彼方に見えている中距離走といったところだろうか。 事実、今回出品するにあたっては、気持ちの露出というよりは、どのようにしたら勝てるだろうかと少し考えて、今の技術では難しいが根性なら少しは・・・と思ったのだった。 これは、功を奏した部分と裏目に出た部分があったとは思う。 短気、なのかどうかは改めて自分を見つめてみたいところだ。 自己は虹色の多面体のようなものだと思っているので、何かを決めつけにかかることはしなくて良いし、ただ私が私をやり続ければ良いだけのことだとは思う。 しかし、短気、というワードが無性に気になるのでストックしておこう。 どんな芸事の世界にも、奥が深すぎて、やることが多すぎて、とりあえず気になる部分から手を付けているしか方法がない。 今いるところとは全然別のところで教えを請うてみたいとも思う。 改めて、私は大人数の中にいることが苦手だということも思った。 別にこれは全然良いことだと思っていないけれど、どうしても話が散ってしまい、話題は表層的になりがちで、私はどこに焦点を当てて話したらよいのか分からずに迷子になる。 緊張しているとよく喋るのは昔からで、そしてそれを飛ばそうとする意識もないままに私はお酒をたくさん飲んだ。 挙げ句、本当に酩酊してしまって、仕舞いには視界の焦点も合わないくらいになってしまった。 タクシーで何とか家までこぎ着けると、玄関の鍵も締めずに、全てを置き去りにして洋服を着たままベッドに横たわっていたことを知ったのは、翌朝、強盗殺人でもあったのかと思うほどに荒れた部屋を目の当たりにした時だった。 途中巻で読み止しになっていた「とめはねっ!」を読む。 勉強になる。 久々に濃いめのメイクをして、久々にストッキングをはき、久々にワンピースを着てストールを羽織り、久々に高いヒールをはく。
靴擦れを見込んでかかとには絆創膏をひと足ずつに一枚。 絶対にはき替えたくなるだろうと、リュックには低いヒールのパンプスをしまった。 ハレの日、書作展の表彰式に出席。 8年ほど前に買った黒のベロアのワンピースは、冬の間の正装パーティーごとに毎度着るものだ。 夏と冬、私は一着ずつしかそういった正装を持っていないし、増やすつもりもない。 アイシャドウもマスカラも、2年ほど前には毎日していた。 10センチくらいのヒールも5年ほど前にははきこなしていた。 今やもう全然そんなことをしなくなった。 服に興味がないわけでもなく、オシャレが嫌いなわけでもない。 快適さを重視するようになったので、オシャレのための我慢はならなくなり、優先順位がかなり下がってしまっただけだ。 しかしながら、ドレスアップをするのは、少しだけ気持ちが昂る。 背筋がシャンとする。 鏡やガラスに自分を度々映して、良き角度をチェックしてみたりもする。 しかしやっぱり、当然ながら歩きづらさや窮屈さがすぐに襲ってくる。 駅までの数分の道のり、私はもうやって行けない、という気分になって、何か身体のバランスが狂っていたのだろう、首の筋を違えてしまった。 電車に乗る前に、会場まではとリュックから低いヒールのパンプスを取り出してはき替えた。 よく覚えていないけれど、「曙の間」「鳳凰の間」というような仰々しい名前のパーティー会場がいくつかある大きなホテルで表彰式はあった。 会場のみならずロビーなどにも敷かれているふかふかの絨毯は、掃除機でないと掃除ができないような気がするけれど、客が寝泊りするホテルでどのように掃除をしているのだろうか。 出席者の方々は、お着物を召した方々が多かったけれど、普段着そのままムートンブーツで来ている方もいた。 私のような洋装は私を含め2人だったけれど、それは書が和の世界のものであることに加えて、平均年齢が高いからなのかもしれない。 40歳を越えるくらいの年齢になったら、ああいった場所に出席する際の服装は、着物でないのなら確かに悩んでしまうかもしれない。 あの程度の感じであれば、人前に出ることの緊張も、おそらく人からは緊張しているとは思われないくらいに振る舞えるようになった。 見られている、という場合の緊張は今でも結構するけれど、自分がメインに見られているわけでなければ雑多に溶け込んでそつなくやれば良い、ということを身に付けた。 会場で、私の作品の講評を書いてくださった先生にお話を聞くことができた。 私の作品は、ある箇所の空間の取り方がセオリーと逆だったらしいのだが、逆にそれが新鮮で良い、という意見があったと伺った。 私は割とセオリーに則って作品を書いているつもりなのだけれど、その空間的バランスについてのことは全くもって知らなかった。 今回の作品について言えば、その箇所の空間バランスにはさっぱり無意識であった。 無知が良いこととは全然思わないけれど、何気なしの感覚が功を奏したのは嬉しいし、セオリーから外れているけど良い、という評価が付くというのは、色々あれどこの世界のフラットさを感じてそのことも嬉しい。 団体としては、受け継ぎたい独自の作品づくりのセオリーや章法があるのは当然のことだ。 古典を血肉にしながら、後世の多くの人が受け継ぐに値する新しいやり方、フレームを編み出して系統立てた創始者は本当にすごい。 慣れないことで疲れ果ててしまった私は、祝賀パーティー会場を早々にあとにした。 帰宅してすべてを脱ぎ捨て、身体の解放に、湯船に浸かったときのような唸り声をあげたくなった。 小さなリンゴを洗ってシャクリと丸かじりした。 明日、会場に行って3カ月ぶりくらいに作品と対面する。 大学時代の先生で、句会仲間でもある方がいつものように来てくださるが、「今回の作品のテーマは何ですか?」と聞かれたら「気合いと根性です」と答えることに決めている。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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