パトカーとショベルカーのことを「あかー」と息子は呼んでいる。
救急車は「ピーポ」か「ぎゅうぎゅっしゃ」、消防車は「しょうおうしゃ」、ゴミ収集車は「びししゃ」、バスは「ばぱ」から最近「バス」になった。 多くの子ども、特に男の子がそうであるように、もれなく息子も大きめの働く車が好きなようだ。 これらの運転手さんは、切羽詰まっていないときであれば、結構な確率で笑顔を向けてくれたり手を振ってくれたりする。 地下鉄の運転手さんも、先頭で待っていると、こちらをちらりと見て、スッと手を上げてくれたりする。 お巡りさんも運転手さんも、小さな子からすれば皆ヒーローである。 場合によっては小さな子が疎まれることもある社会ではあるが、私は子を育てるようになって、なんだかんだと優しくしてもらっている気がしている。 ヒーローたちが手を振って合図をしてくれたり、電車では席を譲ってくれる人も多いし、パン屋さんや薬屋さんではおまけをもらったり、犬を触らせてくれたり、道端で目を細めて声をかけてもらうこともしばしばである。 今後そうでないことも経験するのかもしれないが、子どもがいるのが当たり前の社会になると良いなあというのは多くの人の願いでもあるだろう。 さて、私は書道の所属団体から独立して久しいが、最近、現時点においての「私らしい書」というものの骨格が粗方できたなという感じがしている。 筆致のあり方と画面構成上のひとつの「型」という意味で。 いつもふらふらいろいろ実験するように書くのだが、この力加減と流れと配置で書くと紙面が決まりやすい、というようなことだ。 これはかつての所属団体の創作理論やその他の書諸々を借りながら、私らしさをプラスしたもの、と言って良い。 まあ、何を創作するのも、過去の創作物に学びながら盗み、新しさを追加する、ということに他ならないと思うが。 書は字の連なりであるので、つながっている様、がひとつの肝である。 書道用語では「気脈」と言うのだが、どういう書風にするにしてもこの気脈というものが欠かせないらしい。 簡単に言うと、それぞれ一字の中心を中心をもって繋いでいく、ということ。 そうすることで、見えない流れが産まれ、一貫性のあるまとまりに見える。 書は言葉であり、文であるので、それが滞りなく書かれているのは紙面上の「落ち着き」であるだろう。 無論これを破った書き方もできるのだが、そうすると途端に画面構成が難しくなる。 奇は衒えば良いというものではない。 私が自分のひとつの「型」を見つけるにあたって、それまでに思っていた”自分らしさ”とは別のものを認めざるを得なかった。 数年前の私は、何となく自分の傾向として、どかんとびしゃっと太く力強い書が向いていると思っていた。 しかし、そのようなものを書くと、目の前の書がどうにもこうにも決まらない。 それでもできないはずがないと多々試行錯誤したものだが、あるときある人からの助言もあって、それを試みるのを控えることにした。 反対に、弱くちまちま、力を抜いて書くと、枚数も少ないうちに「なんか良いじゃん」と言ったものができる。 もちろん一度や二度の話ではなくて、何百枚何千枚の結果であって、それはもう抗えない事実であった。 見た目にも派手で、書をあまり知らない人でも分かりやすい、気迫たっぷりの書が書ければ良いのだが、私はそういうタイプではなかったということだ。 そのことは何となく、打ちのめされるようなことではあった。 変な言い方だが、私の書は一般的に言って「モテない」書の部類であったわけだ。 まあでもそれは私にとって全く卑屈になるようなことではなく、自分がちょっと変な人の認定がされたようで嬉しいというような面もあった。 私の好きな言葉に種田山頭火の、 『あきらめ』ということほど言い易くして行い難いことはない。 それは自棄ではない、盲従ではない、 事物の情理を尽して後に初めて許される『魂のおちつき』である。 という言葉があって、そんな感じである。 ようやっと、あきらめられたのである。 今は比較的水平な地にいるような気がする。 また変わっていくのだろうけれど。
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先日の息子の発熱からひと月も経たないうちに息子は鼻水を垂らし始めた。
熱はないから鼻風邪でしょうとかかりつけ医。 ところで、かかりつけ医、という言葉はよく耳にするが、よく行く病院、ということで良いのだろうか。 それとも、患者は医師に浮気は極力しません、医師は患者にあなたの病の傾向と対策を施します、といった明示的な取り交わしが必要なのであろうか。 そう思うと、私のかかりつけ医はいない。 病院に行くほどの風邪をひくことが滅多にない。 3か月に一度、クリーニングに行く歯医者くらいだろうか。 しかしこの歯医者だって私の顔を覚えてはいないと思うし、歯のことを何でも相談できる、というふうにも思わない。 しかし、何でも相談できる専門家、というのが普段からいてくれるのはありがたいので、そういった働きかけを平常時にしておくべきなのかもしれない。 さて、最近の息子は病院に連れて行くのも一苦労である。 私も物凄く気が重い。 しかし、事前に話をしておくのは効果があるので、朝から「今日は病院に行ってから保育園に行くよ。服をペロンとしてぺたぺたしてもしもしするんだよ。痛いのはないよ」と10回以上は話しかけた。 病院にはすんなり入ってくれたし、診察の場では泣いてしまったけれどきちんとできた。 病院を出て「すごかったねえ、かっこよかったねえ、できたねえ」と褒めちぎる。 以前そうしたからか、病院に行くと電車に乗れると思い込んでいたらしく、保育園の方向に歩き出すとめちゃくちゃに怒ってしまったけれど。 子どもだからと言って、何かをするときに話をしないでいきなりやるのは良くない。 発音はままならなくても言葉の理解力はおそらくかなり進んでいるのではないかと思う。 たとえ説明が理解に及ばないとしても、懇切丁寧に全部話す、そういう方針で行こうかと思う。 その一時は面倒なのだが、トータルで考えるとそちらの方が消費エネルギーが少ないことも多いだろう。 ところで、来年の4月からもう1年、今と同じ保育園に通おうかと思う。 企業主導型の2歳児までの小規模園、現在ひとり増えて園児総数5人。 先生たちとのコミュニケーションも時を重ねるごとにできてきた気がするし、本当に手厚く見てもらっている。 様々な手厚い保育エピソードは、2人の母であるいもうともびっくりな手厚さだ。 3歳児で転園するのは、希望園に入れない場合はどうするのか、言うなれば崖っぷちなのでリスクはある。 私としては、先述の転園リスクを減らすために早めに転園させたい思いがある。 そして、私自身は自立という言葉や状態が好きなので、あまり個別に構ってもらえる状態というのはどうだろうと思っていたこともある。 しかしながら、その前提に、しっかりと大人の、特に親の、愛情を存分に満足いくほど得られないと自発的な自立は難しいと考えている。 現在の息子の様子を見ていると、人見知り、場所見知り、食物見知りなどは激しく、常時私を求める態度も激しい。 客観的に、というか私の主観に過ぎないけれど、まだまだ手を放して安心できるほどの自信が息子には身についてないように思う。 大規模な園で自立した行動を学ぶのも私は好ましいことだとは思っているが、通うのは息子だ。 そう思うと、まだもう少しの間手厚い個別の保育が必要なのではないかと感じている。 息子と言えど、れっきとした個別の他人なので、何が吉と出るかは分からない。 実際、3歳児の段階でどうなっているかも分からない。 ただ最も身近にいる他人として、まだ種々の判断力に欠ける彼の代わりに、最良の選択と判断をしようとは思っている。 もちろん、”最良の選択と判断”には、トータルで考えると親の消費エネルギーが少なく済む、という旨も含まれる。 物事を短期的に見ずに、中長期的に見る、ということは息子が産まれてから少しずつ身体で会得している気がする。 転園するまでの1年半の間に、別の多少大人数のコミュニティに慣らす何かをした方が良いかもしれない。 何かを習得する目的ではなく。 とあるモンテッソーリの教室のホームページを覗いてみるが、入会金も月会費も思った以上にべらぼうに高い。 まだそこしか見ていないが、都心の乳幼児の習い事の世界とはそんなものなのか。 驚きの世界である。 写真館で家族写真の撮影。
先日の息子の発熱で延期されていた件の仕切り直しである。 カメラマンさんは私の生徒さんでもある女性の方で、これまでにも、去年の家族写真や息子が2か月の頃の写真や結婚披露宴なども撮っていただいている。 しかしながら息子の人見知りが筋金入りであることが明らかになってきた昨今、その数回で息子が彼女のことを覚えていて、懐いてすんなり写真が撮れることがあるとは思えない。 彼女やスタッフさんには、事前に念押しして、「できる限り息子に注目せず、構わず、しれっとした雰囲気でいてください」と頼み込んでおいた。 想像通りか、想像を超えてか、息子は私の着付けのほんの数分間以外は一度も床に足をつけることがなかった。 そのほんの数分間もギャンギャンに泣き、私の足にしがみついていた。 今回は親は浴衣、息子は甚平スタイルで、事前に息子の草履を履く練習もしていたのだが。 しかも彼はお父さんの抱っこも許さず、終始延々と私が抱っこし続けていた。 両親の間に手をつないで立った全身写真のイメージは叶うことはなかった。 彼の機嫌を損ねないよう、電車の動画を見せながら、時々ひょいとスマホを隠してシャッターを切ってもらう。 なんとか、かんとか、我々両親とスタッフさんの取り計らいで撮影を終えることができた。 スマホと映った写真はたくさんになったが、泣いている顔のものは一枚もない。 上出来、というしか皆慰まないだろう。 去年もそれなりに大変だった気がするが、2歳の方が断然大変だった。 さて3歳はどうだろうか。 そもそもこの家族写真撮影を積極的にやりたいのは3人のうち私だけなので、彼ら2人には何とか合意を取って協力してもらうしかない。 息子は何歳まで付き合ってくれるだろうか。 来年の衣装も考えねばならない。 1歳は貴族風、2歳は浴衣。 当初はアオザイやサリーなどの民族衣装でも着ようかと思ったのだが、どうも男性の衣装が見つからないというか、見つかっても学芸会のようになってしまいそうで断念した。 ハイブランドの服をレンタルして着るなんていうのも良いなと思ったが、1日レンタルでも数万円かかるようで、それも断念。 また1年間かけてうっすらと考えて行くことにしよう。 写真館を出ると猛暑が待っていた。 カンカン照りの中、抱っこ紐に入った息子は寝てしまった。 「すずめや」というどら焼き屋に寄って、純朴などら焼きと最中ときびだんごを買う。 近くのカフェで息子を抱えたままハヤシライスの昼ご飯。 皆、疲れた。 どっぷり、疲れた。 今年の猛暑はサウナのようである。 しかし、サウナと思えば全然温度が足りないとも思えるので、気持ちが幾分楽になる。 キンキンに冷えたコンビニやドラッグストアで冷気をいただく。 また街サウナに出る。 翌日は水族館にも行った。 楽しめるのかなと不安にも思ったが、息子は絶好調で「かなな、っぱい」と連呼していた。 「魚、いっぱい」らしい。 少々心配していた2語文も出てきたこの頃である。 君が楽しいことは親が疲れることも多いけれど、君が楽しいことは間違いなく良いことだと思うよ。 梅雨が明けた途端、太陽が入れ替わったのではないかと思うほどぎらつきが増した。
ニュースも何も見ていなかったけれど、梅雨が明けたその日、梅雨明けを肌で実感したのは都会のアスファルトの上だった。 昼間の外出は危険、私が子どもだった頃、そんな風には言われなかった気がする。 しかしながら日傘をさして出てみても、ちょっと身の危機を感じざるを得ない暴力的な夏である。 私が好きな初夏の果実ソルダムの季節ももう終わってしまった。 今年は一度しか食べられなかった。 ソルダムの真っ赤で瑞々しい果実を食すと、太陽や植物の恵みへの畏敬の念と感謝が溢れてくる。 これは、別に果物に限らず生命活動全般に対する畏敬の念なのだが、甘くて瑞々しいという人間にとって好ましく、またさらに、それが食べる前の想像を超えるときには、この畏敬の念と感謝が溢れこぼれるような思いがする。 最近ではとうもろこしについて、そう思った。 私に関して言えば、ソルダムやとうもろこし、色合いがビビットなものはさらに畏敬の念と感謝を感じやすいのかもしれない、と思う。 夏は短い。 夏は切ない。 夏が終わると、放物線の頂点を超えてもう下るだけのような気がする。 夏が終わると、もう一年がまもなく暮れるような気がする。 息子は、走り回れるようになった分、去年よりもきっと夏らしい顔が見られるのではないかと思う。 保育園の行き帰りだけで紅潮したほっぺと、嫌々被っている帽子が愛おしい。 先日の発熱からまた言葉が増えてきた彼は、「ぶ、かしゃい」と言ってげらげら笑っている。 「ぶ」はおならの音、「かしゃい」は臭い。 うんこおしっこおならは子どもが皆そろって好きなようだが、それはもう理屈ではなく反射のレベルなのではないかと思う。 おならはつい最近までは「ぶ」とだけ言ってにやついていただけだったが、いつの間にか「くさい」と覚えて、「ぶ、かしゃい」とげらげらをセットでやってくるようになった。 きっと排泄物は触ったり口に入れたりすると危険があるから、口から遠い場所に出口があるのだろうし、それらを特別視して笑うことも、危険物を遠ざける人間の仕組みなのかもしれない。 人間の行動は皆似たり寄ったりで、同じような行動をする。 意思や個性なんていうものがどこに存在するのだろうか。 しかしながら、似たり寄ったり、同じであるということは嬉しさにもつながる。 同じ人間、の違う個体。 数年前にそのことがやっと腹落ちして自覚できたとき、上手く言えないけれど、私はなんだか大きな安心を手にした気持ちになった。 来年の夏には、息子ともう少しまともなお喋りができるようになっているだろう。 そう思うと、今年の夏もきらめきが増す。 夫は時々、本当にたまに、月に1度ほど、会社に出勤する。
コロナが流行して自宅でリモートワークをする人が増え、日常ががらりと変わった人も多いだろう。 夫が久しぶりに出勤した日、保育園に息子を送り届けて帰宅すると、私は家にひとりだった。 ひとり、ひとり、ひとり。 ひとり・・・・!!!!ひとり・・・・!!! いやはや、私はどうにも、誰もいない家が好きなのである。 別の部屋にいる、ということでもなくて、この所有区分のスペースに私ひとり、というのが良いのである。 夫がどうということではない。 8人住まいの実家にいたときも、めったにそんな機会は訪れなかったが、ひとりになるのはとっても高揚することだった。 私はそんなにも家族の目を気にしながら生きているのだろうか。 とにかく、ひとりの舞を踊りたくなるほど、自由を感じてしまうのは、幼い頃からの癖のようなものかもしれない。 日曜日、やや間が空いたが句会に参加した。 もう長らくzoomによる句会である。 zoomで話すのはもちろんできなくはないし成立はするのだが、実際に顔を突き合わせながら行うよりは当然ながら音声が聞きづらい。 同時発話もまごつくので時間も延びがちである。 家にいながらにして、皆で楽しめるのは大きなメリットではあるが、やはりもう”普通”になりたい。 句会後、グループlineでInstagramの話の流れになったので、私のアカウントも皆さんにお伝えした。 実は句会への投句作は「未公開作」というルールがあるが、誰も見ていないと思っていたので私は書にした俳句を句会前に載せていた。 最近は書のネタのために句作をそれなりにしているのである。 今度からはInstagramへの掲載作は投句できなくなるので、また直前にその場しのぎで拵えた俳句を投句することになるだろう。 ちなみにこのホームページの俳句のページには句会後に細々とテキストを増やすようにしている。 梅雨時で蒸し暑く、日々エアコンをつけているのだが、リビングのエアコンの効きが良くないので、フィルターでも見てみるかとエアコンを開けると、なんとびっしり埃がついている。 過去に一人暮らしの賃貸の部屋でエアコンのフィルター掃除をしたことが無かった。 というか、フィルター掃除の発想も持ち合わせていなかった。 4年ほどの、その埃の量たるや。 幸いカビは発生していないようで、びっしりぎっしりの埃を歯ブラシで取りながら洗い流して、案外簡単にきれいになった。 ちなみにこの状態でも臭いは発生していなかった。 それをエアコンにはめなおすと、冷たい風がぶおーーーんと出てきた。 エアコンの調子が悪いのではなく、埃が風を遮っていただけだった。 説明書を読むと、「2週間に一度フィルター掃除をするのが望ましい」と書かれていて、驚愕する。 まあでも考えてみるとエアコンは空気を取り入れて吐き出しているわけだから、埃吸い取り機とも言える。 エアコンをつけることは空気清浄機代わりにもなるということだろうか。 あの惨状を見てしまったので、2週間に一度はなくとも、1シーズンに一度はやったほうが良さそうである。 それにしても、エアコンが効きすぎて寒い。 今回のブログに掲載している書は全て「凛」という字である。
先日急逝した方が管理人を務めていたFacebookの書の集まりで、創立記念日に毎年書かれる文字である。 私は書作品を書くとき、依頼書でなければ、なるべく気持ちを乗せないように書くことにしている。 と言うのも、例えば「楽」という文字を書くときに「楽しい気持ち」みたいなイメージで書くとどこかで見たことがあるようなものが出来かねない。 私はほんの少しでも良いからまだ見ぬ書が見てみたいので、そのような書き方ではだめだ。 逆に「イメージを裏切ってやろう」という狙いも品のないものになる可能性が高いので、それもだめだ。 まあでも、言葉は意味を持つものであり、どうしてもその言葉に引っ張られた感じになってしまうし、いかようにもその文字を書いている以上その意味を鑑賞者の方も感じてしまうのは当然のことである。 なので、できればすべてを手放して、その文字の造形のみを紙面に書きつけ、まだ見ぬ作品にする。 そのために日々、気持ちを書に乗せない訓練をしているというわけである。 しかしながらこの日の「凛」は「凛」という文字の意味ではなく、背景の思い出に引っ張られてしまったなあと思う。 思い出とともに6作の「凛」を、もう届かない「凛」を、管理人を想って宙に放り投げた。 きっと天国で見ていてくださる、と考えることは確かに生きている人間は慰むのかもしれない。 このグループには管理人の女性がもう一人いて、先日その方とメッセージのやり取りをした。 10年間晴れの日も雨の日も旅行の日も病気の日も、一日も欠かさず書を投稿してきた彼女の書が投稿されていないと気付いたからだ。 独特な柔らかさと存在感のある書が掲示板に現れないのは、いつもよりも薄めのお味噌汁みたいな気がした。 「休憩中ですか?」と聞くと、「管理人はやっているけれど、投稿はやめたのよ」と返ってきた。 彼女とは直接お会いしたこともあるし、これまでに四方山話をたくさんしたことがあるということもあり、私は即座に、なるほど、と思った。 10年間一日も欠かさなかったことを止める、それはなかなか勇気の要ることである。 しかもその一日も欠かさなかったことは、特段やるべきことでもなく、自分の意思のみで続けてきたことだ。 もはや、習慣であり執念であり執着である。 私はグループに参加して5,6年の間、数日は書いていない日がある。 数年間の投稿が途切れたのは帝王切開の手術のときだった。 あの日も、無理をして夫に紙を持ってもらえば手は動いたわけだから書けたなと少し後悔している。 あとの3,4日は、昨年夫の父親が亡くなった騒動のとき。 あのときも無理をすれば書けないことはなかっただろうけど、息子の世話も相まって気持ちが失せていた。 一日空けることだけでもどこか不安な気がするし、何かに負けた気がした。 一日空けると、まあもう何日休んでも一緒かななんて気分にもなる。 しかし何日もさぼるともう出さなくなりそうだなとも思う。 続けることは良いことである、継続は力なり。 これはもう本当に身に染みてその通りであり、長年継続してきたことによってさまざまに波及してたくさんの良いことを享受しうる。 継続すること自体への誇りさえ生まれてくる。 一方でそれに囚われすぎて、無自覚で悠長な囚人にもなりかねない。 これをやっているから安心、これをやっているから充実している、これをやっているから他のことはやらなくても良い、これをやっているから日々新しい、そんな風に思い込んでしまう。 最初は意思をもって能動的にやっていたことも、だんだんとやっていること自体にやらされることになってしまう。 結局自分は何のために何をするのか。 全ての選択権を携えて、一々にそれを行使することを忘れてはならないと思う。 何にもしない、流される、という選択権を行使するとしても。 彼女が止めた最も大きな理由は、「自分の言葉でないことを書くことへの違和感が膨らんだ」ことと言っていた。 種々様々な理由が積み重なったうちのひとつが明文化されただけだとも思うが、それも納得である。 私がまだ止めない理由は、「書のバリエーションを身に着けるのに役立ちそう」だから。 でもいつか止めるのかもしれないなと、思う。 続ける理由も、止める理由も、別になんだって良いのだけれど。 自分で選んで自分で行動している、そんな当たり前のことに快感を覚えることがある。 全てが自分の選択である、と言えばそうなのであるが、ただの反射ではないかと思うことも多い中で、自らの意思選択を自覚的に行使できたという実感、たぶんそれが”生きている実感”のようなものなのかもしれない。 月曜日、お昼前に保育園から電話があり、息子が発熱しているからお迎えをお願いしますとのこと。
まもなく二歳、保育園に通い始めて丸一年になる息子だが、保育園からの呼び出しはこれが初めてである。 平均からしてかなり稀有なケースであろう。 発熱は以前に一度だけしたことがあり、熱は出なくとも鼻風邪は何度かやっている。 しかしながら基本的に身体が強い方であると現時点では考えられる。 仕事の調整をつけて急いでお迎えに行くと、息子は風に吹かれながらすやっと寝ていた。 先生が心配そうな顔で状況を説明してくれる。 熱は脇で計ると8度くらいで、散歩中に機嫌が悪くなったとのこと。 元気のない息子を抱っこ紐にくくりつけて、「大丈夫?」と声をかけながら家に戻る。 奇しくも翌日は2歳記念の家族写真を撮りに写真館に行く予定であったので、保育園は休み予定で、私も仕事を入れていない。 そして、写真撮影の様子を見に、ワクチン接種2回終えたけいこが久しぶりに来ていた。 少し様子を見て、夕方に病院に連れていくことにする。 このご時世ではお熱がある子は青空受診。 待っている間に体温計測。 とんでもなく暴れるので体温計を脇に挟めず、仕方がないので首元でなんとか測るとなんと39.3と出た。 先生が出てくるとさらに大暴れ、先生のおっしゃっていることも全然聞こえない。 1日前に一度だけ下痢をしたこと、急に熱が上がったことを絶叫の中伝える。 胸の音もきれい、喉も赤くない、とりあえず解熱剤と整腸剤で様子を見ましょうとなる。 帰宅後、息子はぐずぐずで私にまとわりつき、隙あらば寝ようとしていた。 身体が辛いのだろう、かわいそうに。 いつもは22時過ぎても寝ないこともあるが、21時過ぎに熱々の身体で眠りに落ちた。 あまりにも眠りが浅いようであれば解熱剤を使おうと思っていたが、意外と寝ていたのであえて熱を下げることをしなくても良いだろう。 しかしこの調子では水曜日も保育園には行けないだろう。 この日は横浜でこどもたちの出張体験レッスンが予定されている。 みんなとても楽しみにしてくれていると聞いていたのでとても心苦しいが、延期させてくださいごめんなさいとお母様方に連絡を入れる。 予定の変更は好きではないが、仕方ない。 火曜日の朝、息子は少しすっきりした顔をしていて熱もほとんど下がっていたが、とんでもない愚図りが始まった。 何か気に入らないことがあると、大方私が離れると、一度泣き始めたその怒りの熱量の納め方が分からなくなってしまうようである。 こんなに手に付けられないほどに泣かれたのは産まれてから初めてのことかもしれない。 どこか痛いのかと様子を観察してみるがそうではないらしい。 受診したときから突発性発疹の疑いはあったわけだが、この病気は別名「不機嫌病」と言われるほどに解熱後の不機嫌が特徴らしい。 子の不機嫌ならきっと発疹が出るはず・・・!と見守っていたが、皮膚は何にも変化を起こさない。 火曜日の夜も水曜日も丸一日、不機嫌は続いたが、とうとう発疹は出てこなかった。 インターネットの情報にどれだけ信ぴょう性があるかは分からないが、発疹が出ないこともあるらしい。 発疹が出ないタイプなのだろう、きっとこれは突発性発疹、そう思わないとやっていられないほど、怒りのエビぞりを食らっている。 食欲も息子なりに戻り、解熱後24時間はゆうに過ぎ、不機嫌以外の体調不良は無いので木曜の今朝は保育園に連れて行った。 「あまりに機嫌が悪いようでしたらお迎えをお願いするかもしれません」と言われてしまったが、そりゃあそれも仕方がない。 「帰ったら一緒にプラレールで遊ぼうね」と息子を抱きしめ、泣いていたが置いてきた。 大層身軽になって、私は3日ぶりに深呼吸をした。 体調不良や不機嫌は何かしらの原因がありそうだ、と夫は言う。 息子への接し方を改めて考え直す必要がありそうだ。 具体的には息子に捧げる時間を増やすこと。 息子はたぶん私ともっともっともっと一緒にいたいのだと思う。 その気持ちに全部は応えられないけれど、甘やかすでもなく、甘えさせてあげることはトータル的に早く自立の方向へ向かうのではないか、と前々から考えている。 それがいつなのかは分からないけれど、欲しい分だけひたひたと満ち足りたらきっと自分の道を歩んでくれるだろう。 私もそれが欲しかったから、なるべく欲しい分だけあげたいとは思う。 子どもは手がかかる、ということではなくて、人間は手がかかる、ということだ。 とりあえず、息子と一緒にいる時間にスマホを弄ぶのは止めよう。 一通りの反省と改善を考えてみることにしよう。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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