近所に住む3歳の男の子の家に出向き、一緒に遊んでもらう。
私は、昔からの知人のお子さんらと遊ぶことはあっても、ママ友たるママ友はいない。 今回遊んでもらったのは、私の元生徒さんで、士業の方なので個人的な登記手続きなどを依頼したこともあり、度々連絡を取っていた。 この度歩いて15分のところに彼らが引っ越してきたので一度遊びましょう、ということになった。 ママ友たるママ友がいないことを特段憂えているわけではないのだが、やはり子育てにおける地域の情報収集をしたいと思うことは時々ある。 また、子ども同士の交流ももっとしていきたいと思うので、やはりママ友はいた方が良いのだろう。 保育園とか幼稚園とか送迎とか習い事とか小児科とか歯医者とか美容院とか子どものごはんとかおもちゃとか遊び場とか・・・。 やはりインターネットで調べるよりも信頼のおける人の経験談の方が格段に有力な情報と言える。 2歳10か月と3歳6か月。 言葉の発達を聞いていると、数か月分の違いがとても明確だった。 息子はまだ会話のキャッチボールと言えるほどスムーズに言葉が返ってこないが、お友達はキャッチボール感のある会話ができていた。 また、息子が大きなおもちゃを動かしたいときは「これ、あっち、おかあさんきてえー」くらいだが、お友達は「このおもちゃこっちで遊びたい。かか(お母さん)、一緒に運んで」と言う。 修飾語なども格段に増えるし、言葉の概念の多さや深さのレベルが全然違うのだなと思って興味深かった。 まだまだ一緒に仲良く遊ぶという感じではないのだが、電車好きの男の子同士、同じ空間にいるということだけでも彼らにとっては一緒に遊んでいると言えるのだろう。 また彼らの共通点は、食べ物に興味がないこと。 「そろそろお昼だからごはんにしよう!何食べる?お休みだから好きなものにしよう!」なんてキラキラと彼らが盛り上がってくれることは露もない。 息子はマンションのエレベーターにもう一回乗ると言って頑として動かず、お友達はお外に探検に行くといってこちらも頑として聞かず。 何とかカフェの椅子に座らせてスマホを渡し、パンと唐揚げの鉄板メニューを母二人はそれぞれの息子の口に突っ込んでいく。 彼らは悪くはないものが口に運ばれてくるので、画面に集中しながらそれを頬張る。 食事を楽しむということがほとんどないので、食事に集中させない方が逆によく食べるのである。 2人とも、家ではスプーンやフォークを自分で持つことなどない。 2人とも、食卓の椅子に座って食べることも少ない。 プリンやリンゴジュースが冗談抜きでとても健康なものに思えてくる。 やっぱそうですよねえ、保育園ではちゃんとしてるみたいですけどねえと、母たちは分かっていることに安堵したりした。 お友達は最近黄色しか着てくれないらしく、靴まで全身黄色い格好をして黄色いピカチュウを持って出かけていた。 息子はこちらの提案を色々と嫌がることはあっても、自らの意思で選び取るこだわりはまだないので、今後そういうことも出てくるんだろうなあと思う。 10時過ぎから会って、最後公園で別れたのは17時。 その頃には人見知りの息子も心を許しているようだった。 お友達の家でうんちまでして。 息子は疲れたようで、帰り道の抱っこで寝てしまった。 ひーひー言いながら帰宅して、私も隣で休んだ。 また一緒に遊べると良いな。 【人名編】異体字の世界へようこそ!【その1】 どうぞご覧ください。 https://www.youtube.com/watch?v=SJYUDCaJA9c&t=22s
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保活、という言葉はいつから市民権を得たのだろうか。
正式名称は、保育園活動? 略語はこそばゆくてあまり使わない私であるが、保活ほかつホカツ、保活はどんどん使って行こうと思う。 と言うのも、保育園活動、というのも何だかしっくりこないからである。 幼稚園も含むとなると、幼活になるのか、ならないのか。 Wikipediaによれば、自身の子を保育所に入れるために保護者(親など)が行う諸活動を指す、とのこと。 さて、保活が始まった。 今の保育園は2歳児までで、来年の3月で必ず卒業となる。 1歳になる少し前から行き始めて、早2年が経とうとしている。 息子は、現在保育園では最年長だ。 今の保育園の先生や、調理師さん、保護者の方たちから少しずつ情報収集をしてみる。 保育園の先生たちのお子さんはなんと皆同じ幼稚園に通っていたそうで、急遽幼稚園という選択も出てきた。 幼稚園は、文部科学省所管の学校教育施設。 保育所(園)は、厚生労働省所管の児童福祉施設。 法律上は、幼稚園は学校教育法、保育園は児童福祉法、ということらしい。 幼稚園は13か14時くらいまで、基本的にお弁当。 保育園は18時くらいまで、基本的に給食。 幼稚園は面接。 保育園は抽選。(親の勤務体系による点数評価) 大雑把にこんな理解をしていたので幼稚園はありえないと思っていたが、今は園ごとに特色が様々で、徐々に幼稚園と保育園の差は縮まっているようである。 幼稚園でも18時までの預かり保育があり、完全給食、週に何回か給食というところもあるらしい。 選択肢は多い方が良い、というのが一般論かと思うが、これに関しては実に悩ましい。 選択という行動は何であれ思いのほかパワーを要するもので、検討事項が増える分だけ重荷が増える。 ・園までの距離(無論近いに越したことはない。幼稚園は園のバスもある。電動自転車の購入も検討。) ・できれば基本的に給食が良い ・日当たりが良い、風通しが良い(文字通りの意味で。私は、日当たりと風通しが良ければ結構いろんなことが大丈夫な気がすると本気で思っている節がある。) ・園庭はどちらでも良い(このあたりは広い公園が多い) ・英語や知育などの教育プランは特にこだわらない ・大規模園より小規模園(これは成長するに際して悩ましい) ・見学時のフィーリング こんなところだろうか。 フィーリング、というところにすべてが集約されてしまいそうだけれど。 近い、給食、日当たり風通し、あとはこれを凌駕するポイントがあればそちらを優先するといったところか。 息子はとても人見知りで、新しい環境を嫌がるので、今の保育園のお友達が一人でもいてくれたらなあとも思う。 しかしそれを優先事項にすると、最終的に何らかの理由で別になる可能性も大いにありうることからやはり優先事項にはできない。 私は保活においてとっても悩んでいるのだが、なぜ悩ましいかといえば、最大の理由は基本的に自分のことではないからである。 自分のことなら責任は負えるし、後の変更だって可能である。 しかしながら息子には選択の意思もなければ、後の変更の決定も基本的にはできない。 そんな彼の代わりに選択を肩代わりしてやらねばならない。 彼が生きてきた3年間でこの保活が最も大きな選択のように思っていて、私はその選択の責任から逃れたいと思っている。 しかしながらすべての選択を放棄して、園見学なしで近い順から手当たり次第に応募するということも嫌なわけなので、腹を括って保活するしかない。 またしかしながら、ココだ!というところを仮に見つけられたとしても、そこに入れるかどうか分からないのが、保活への意気込みを萎れさせる。 保育園幼稚園は毎日のことである。 息子にとっても私にとっても毎日のことである。 さて今から元気に見学に行ってこよう。 梅雨の匂いがする。
久しぶりにカレーを煮込む。 いつもは市販のルウの半分の4,5皿分を煮るが、明日から土日なのでえいやと8皿分を煮込むことにした。 息子は大人用のルウでも甘口ならば難なく食べられる。 彼が難なく食べられないのは、細かく切ったはずの玉ねぎやにんじんである。 味というよりかは口当たりが気にくわないと一旦もぐもぐしてからでもべえっと出てくる。 こちらは、おいコラッとなるのだが、同時に言い知れない悲しい気持ちにもなることをもう何百回と経験済みなのでなるべく何も言わずに淡々と片付けることにしている。 食べ物を粗末にされた、せっかく作ったのに吐き出された、息子のエネルギーとなるはずがならなかった、今後この子は食べ物と上手く付き合っていけるのか、吐き出した分の少しのお金だって勿体ない、等々がぼわっと一緒くたに沸き上がって、酸素を上手く体に取り込めないような大きなストレスを感じることになる。 これは大げさに言っているのではなく、私が冷静に考えるよりもずっと、私の心がダメージを受けてしまうのである。 食べることと息子、食べることと私、食べることと子育て。 まだ判然としない何かがここにはあるのだろう。 まあ一番大事なことは「食べれば何でも良い」ということだ。 食べない子どもを持つ親がよく言うことだ。 チョコレートでもスナック菓子でもクレープでもジュースでも、とにかく食べないよりは安心だ。 ということで、カレーの玉ねぎとにんじんをミキサーにかけることにした。 玉ねぎにんじんペーストが思いのほかきれいな色になって、日常の感動を見た気がした。 オレンジと黄色の中間のような、サフランライスのような鮮やかな色。 じゃがいもがなかったので代わりにブロッコリーを刻んで入れた。 ミキサーにかけなくて大丈夫だろうかという一抹の不安がよぎったが、すでにミキサーはシンクにあるのでそれを再度引き上げる労力に負けてしまった。 しかしそのおかげで、サフランライスの黄色に鮮やかな緑がちりばめられてより一層美しくなった。 牛肉が安かったので、珍しくビーフカレーである。 牛肉は高いからというのもあるが、夫も私も牛肉が最も好きというわけではないので滅多に買わない。 牛肉を買うのは、年に数回程度だろうか。 私においては良いと言われる高価な牛肉ほど苦手で、高級焼き肉も高級すき焼きも、万歳して喜ぶことはない。 まあ行くのは吝かではないけれど、量があまり食べられないのである。 そうこうしているうちに牛肉にも火が通ったので、水を入れてぐつぐつしている間にこれを書いている。 時々灰汁を取りに戻ったりなど。 ルウを割り溶かし、息子が食べてくれると良いなあと、温かい母の愛情を木べらから伝えて、かき混ぜる。 期待は禁物。 長かった長かったゴールデンウィークがようやく終わろうとしている。
何というか、やっぱり休日という休日はこんなになくて良い。 最近息子が寝ているときに鼻詰まりになって、ふがふがしている。 息が出来ていなさそうな様子は見ているこちらの方がドキドキしてしまう。 酸素は肺に取り込まれて、血液に乗って全身を巡る。 その酸素量が少なくて全身の細胞が喘いでいる、そんな気がしてしまう。 成長や発達に悪影響なのではないか、そんな風に思ってしまう。 ふがふがしているのが心配で目が覚めてしまったそのついでに、子ども 鼻詰まり で検索をしてみる。 子どもは身体の様々な器官が未発達で、大人とは異なる。 そのため症状が重症でないものは治療の必要はなく、発達とともに良くなることが多い。 それまでは症状の度合いに応じで対症療法をしていくしかない、というのが大体のところだった。 身体の成長が止まるのは17歳くらいだろうか。 それまでは言い知れない違和感とともにあるのが子どもの身体だと思う。 臓器を発達させ、骨を伸ばし、ホルモンなどの分泌物を産生し、血肉を増やしていく、それが日々四六時中起こっているわけだからそれは大変なことだろう。 もちろん細胞分裂は大人になっても行われているわけだが、身体のサイズや機能が変わっていく(衰えはするが)わけではない。 私は早く大人になりたいと思っていたし、今でも子どもに戻りたいなんてほんの少しも思わない。 子どもはいくつもの意味で大変だなあと思うし、それを自覚的に自覚できないところがもっと大変だと思う。 まあなので、子どもが素のままの状態で気分が良い状態を作ってあげることが子どもにとっての幸せなのではないか、と思う。 こちらのできうる限り、ということだが。 とにかく鼻詰まりがかわいそうなので、対症療法として昔ながらのヴェポラップを買ってみた。 その瓶のふたを開けると、即座に、タイガーバームと万金膏、の名前が思い出された。 蚊に刺されたり、やけどをしたときなどにおばあちゃんがいつも勧めてくれた薬である。 白濁した不透明のラードのようなペースト、薄荷のスーっとした香り。 息子に、第一印象で嫌な思いを持たれないように、「くんくん、いい香り。お母さんぬりぬりしてみよう」と楽し気に演出をした。 「くんくん、してみる?」と言うと、警戒しながらも寄ってきた。 「お母さんの胸のへんに塗ってくれる?」と言うと、恐る恐るヴェポラップの瓶につんと指を入れて私の胸に塗ってくれた。 「ぬっていい?」と聞きつつ、息子の胸に塗って、ほんのちょんと鼻の先にもつけた。 スースーする香りがあたりに充満した。 その夜、前日より鼻詰まりが改善していた気がするのは、自然治癒か、ヴェポラップのおかげか。 新しい動画が更新されました。 長尺動画の完結編です。 ぜひご覧ください。 第五回【新世紀】書道レイアウト入門 ♯4【完結編】2022/05/07公開 https://youtu.be/4DJbkFzjcY4 5年ぶりに、SNSを通してご連絡をくださった方がいた。
SNSはやはり人とのつながりをいとも簡単に現実化するときがある。 別に全世界に対して窓を開けていても、大したことは起こらないと言えば起こらないし、決定的な良いことや悪いことが起こる、たいていの選択はメリットとデメリットをどう測るかの決断に寄るしかない。 その方がなぜご連絡をくださったかというと、再び字の練習をしたくなったということではなく、第二子誕生を目前に名前を一緒に考えてほしい、とのことだった。 5年前、その方はコンサル会社に転職をするタイミングで、顧客に手書きで書きながら説明するのでその書き方を教えてほしいとやってきた。 転職先はとても忙しく、予め5回ほどしか受けられないとのことだったので、それに合わせてプレゼン時の文字の書き方などを指導させていただいた記憶がある。 しかしながら、最後の2回ほどは、ちょうど初めてのお子さまが誕生される直前ということを打ち明けられ、名づけで悩んでいるということだったので相談に乗って差し上げた。 差し上げた、というよりは、名づけ好きの私はかなり盛り上がったしまったと言った方が良いのかもしれない。 あれこれとお話をしながら、名前の案を色々と出していくうちに、私もその方もピンとくるものがあって、それを家に帰って奥様に言ったところ、奥様がたいそう気に入ってなんとその名前が付けられてしまった。 私が名づけ親になってしまったその子は、当たり前だが5歳になったそうだ。 当時、今はなきお稽古ごとサイトからの連絡だったので、双方直接の連絡先を知らずにいた。 なのでInstagramの名前検索で探して、「もしかしたら竹内先生ですか?」とご連絡くださったのだった。 Instagramのメッセージを介して、すぐに日程が決まり、お越しになった。 5年の時を経て、お互いにマスクをする時代となり顔の記憶は朧気だったが、話始めるとありありと当時の記憶がよみがえってきた。 早速名前の相談をする。 私は名前を考えるとき、いくつかの方針がある。 ・見たことがない漢字をあまり使わない ・漢字の読み方は一般の人の想定の範囲内 ・漢字や言葉の意味において名前負けしづらい ・自分の子ども以外は、その人の要望を取り入れる ・流行っていない(ありそうだけど、聞いたことがない)、少し個性的 ・苗字との相性が良い(占い的画数は全く気にしない)、字面が良い、書いてカッコ良い(書きやすい) といった感じである。 曲がりなりにも書道家なので、最後の書いてカッコ良いというのは重視している。 画数の多い少ないの組み合わせ、形の似通った字を並べない、払いで終われる、などかっこ良くしやすい組み合わせというのは存在する。 あとは親の願うとおりでなく、その子自身が自立した人格になってほしいという意味で、あまり願望のこもった名前にしたくないというのは、完全に私の思いなのだがお伝えはしている。 まあ、自立した人格になってほしいという願望が強く込められていると言えばそうなのだが。 今回もあれこれわちゃわちゃとお話して、お話の中でキーワードを拾いつつ、即興で考えつつ、その場で奥様へ電話したりなどもして。 優先順位を付けて3つほど、筆でお名前をお書きしてお渡しした。 そういえば息子が生まれる前に、文通をしていた三島のじいさまに、候補の名前を書いてもらったことをふと思い出す。 あの書は今でもあるけれど、じいさまはもういない。 5月の半ばがご出産ということで、決まったらまたご連絡しますとのこと。 何はともあれ、ご無事の出産を終えられますよう、心からお祈り申し上げる次第である。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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