沖縄旅行から帰還。
記憶が熱いうちに他のやらねばならないことを置いて書いておこう。 私の家族、いもうとの家族、マイナスいもうとの旦那さん、プラスけいこ(おばあちゃん)。 大人4人、子ども4人の総勢8人の旅。 いもうとの旦那さんは奇しくも仕事でハワイへの出張が重なってしまった。 いもうとの子どもは小学4年生、1年生、1歳3か月の三姉妹で、お父さん無しでは行くことが難しいだろうということで、けいこも招集。 けいこは今年70歳になる年だが、70を超えるとひょいと旅行に行くこともだんだん難しくなるよと周りから言われているらしく、行けるときに、と参加を決めてくれた。 と言っても、普段もとてもフットワークの軽い、まだまだ元気な69歳である。 この旅の企画をしたとき、当初はシンガポールの友人のところに行く予定だった。 しかしいもうとの旦那さんのハワイ出張が決まり、お父さん抜きで外国へ行くのは厳しい、しかしこの盛り上がった旅気分をどうしてくれよう、そうだ沖縄にでも行こう、となった。 コロナが始まって遠出することはめっきりなくなっていたので、遠き外国への期待感は沖縄で溜飲を下げることになった。 沖縄のどこでも良かったのだが、いもうとの知り合いに沖縄に詳しい人がいて、是非小浜島へと勧められ、小浜島に行くことが決まった。 小浜島は石垣島から船で30分ほどの小さな島である。 息子には2週間ほど前から、「飛行機に乗るよ」「お船に乗るよ」と動画などを見せて気持ちを高めてもらった。 以前羽田空港に行ったときに買った飛行機のおもちゃを持ってきて、「こうやっておそらがとぶんだよ」(お空が飛ぶのではないけれど)と自分の頭の上に飛行機のおもちゃを飛ばしていた。 2月の沖縄は20度前後。 海開きはしていないが、晴れれば波打ち際でぱちゃぱちゃくらいはできるだろう。 水着と半袖とサンダルをバッグに詰めて皆わくわくしていたが、天気予報は曇りマークばかり。 タブレット端末やお菓子や新しいトミカやたくさんの着替え。 新しいトミカは息子の機嫌が保てないとき用にいつもいくつか備えてある。 新しいトミカの箱を見ると本当に目がきらきらに輝いて飛びついてくる。 こうして家にはトミカが山積していく。 私は自分だけなら本当に少量の荷物で旅ができるのだが、息子関連のものでリュックはパンパン。 仕方なくスーツケースを持っていくことにした。 当日パッキングを終えて、いざ。 息子はスーツケースが気に入って押したがるが、そんなことをしていてはいくら余裕をもって出かけても離陸時間に間に合わなくなってしまう。 あらゆる乗り物が好きな息子は、スーツケースも新種の乗り物だと思っているのだろう。 スーツケースに息子を乗せて何とか最寄り駅まで行く。 たかだか5,6分の道のりなのだが、私と夫はすでに疲れてしまう。 羽田空港でいもうとたちと合流。 飛行機は旅のわくわくを嵩増ししてくれるが、いかんせん飛行時間以外の時間がとても長い。 離陸1時間以上前に空港に着いて搭乗ゲートの前で待ち、座席に着いてもなかなか出発しないどころか、離陸が遅れることも多々ある。 大人だけならどうということはないが、待てない子どもたちの時間を潰すことが酷く大変だ。 今回は羽田、那覇、石垣、の乗り継ぎ便。 乗り換えも子どもたちにとってはアクティビティのようなもので、細切れの方が飽きなくて良いかなと思ってそうしたが、やはり直行便にすべきだった。 シールを貼ったり、ラムネを食べたり、本当に何とか石垣空港に到着。 那覇空港に降り立ったときからすでに空気は生暖かくて嬉しくなった。 石垣空港に着いたのは19時ごろだったのだが、まだ日暮れからそんなに経っておらずほの明るい。 あぁ、南の方に来たのだ。 手配していた大きなタクシーに乗り込み、石垣島のホテルに向かう。 いもうとたちと同じホテルを取ったつもりだったのだが、なんと同じ系列の別のホテルを予約していたことが判明。 今夜はもう遅く疲れているので、別行動にする。 私たちは夜ごはんを食べに街へ繰り出した。 おそらく石垣島の最も栄えている場所だろう、多くの店があった。 旅の楽しみのひとつは現地の食べ物だと思うが、ド偏食の息子がいるので、とりあえず唐揚げとポテトのある店を探す。 息子は、唐揚げ、ポテト、お子様カレー、アイスクリーム、おそらく外食時はこれら以外のものを食べたことがないかもしれない。 たこ焼きもお好み焼きも、ラーメンも親子丼も、食べない。 そもそもあまり食べることに興味がない。 唐揚げとポテトのある居酒屋を探し、息子には持ってきたタブレットを渡す。 彼の至福は車や電車や歌の動画を見ることで、タブレットはほとんど自分で操作できる。 タブレットを見ながらポテトを食わせろと命令されるので、お殿様スタイルで彼は食事をする。 同時に私と夫は、ビールと島らっきょう、じーまみ豆腐、刺身などでひと息つく。 居酒屋は未成年を連れていると21時までしか滞在できないらしく、観光客がたくさんいるファミリマートで沖縄のビールなどを買ってホテルの部屋でまた少し飲む。 いつから私はこんなに酒好きになったのだろう。 翌日、私と夫と小学生の姪2人でカヌー体験。 年齢制限があり3歳~65歳まで、けいこと1歳の姪がアウト。 しかし、カヌーは自分たちで漕がねばならず、3歳の息子も極めて難しいだろうということで、本当に直前まで悩みに悩んだけれど、留守番してもらうことにした。 マングローブ林の中でカヌーに乗る息子の姿を見たい気持ちも大いにあったが、私は10年ほど前に同じく石垣島でカヌーをやったことがあり、こういった操作が本当に苦手な私はマングローブに突っ込んで座礁した。 そんな私と一緒に乗るのは危ないだろうという判断。 夫と一緒に乗るとしても、姪を見ながら乗るのはやはり厳しいだろうという判断。 私たちが出かけるときに半べそかいていたので、ここぞと新しいトミカを渡した。 申し訳ないけれど、どうせなら沖縄体験を楽しんでこなければ。 カヌーはどきどきしたけれど、かつての経験もあって今回はなかなかうまく乗れたと思う。 でもカヌーは水浸しでお尻も濡れるし、川面が思ったよりも近いので恐怖感もあり、漕ぐのも力が必要で息子の面倒まで見られる状況ではなかったので、やはり置いてきて良かった。 小1の姪は相当疲れたようで、最後は顔が能面のようになっていた。 マングローブ林の群生する川は、ワニとかいないですよね?とインストラクターさんに聞くと、ワニはいないですけどピラニアはいます、と言われ私は絶叫してしまった。 冗談が通じない奴だ。 このカヌー体験をしているとき、お天気雨が降ったけれど、日差しも出ていた。 思えばここまでが比較的穏やかな天候だったと言えるだろう。 お昼時、ざーざーと雨が降り始め、雨宿りで立ち止まったビルにあった焼き肉屋ではご飯を食べることにした。 石垣は石垣牛が有名らしい。 ちなみに、各地の和牛は、ほとんどが石垣島の離島である黒島という島で生まれた牛らしい。 黒島生まれ、〇〇育ち、で「〇〇牛」というブランド牛になる。 出荷される際の場所がその牛の名前に付く。 黒島では、年に一度、観光客も参加できる「牛祭り」があり、そこで行われる抽選会のトップ賞は牛一頭。 牛一頭当たっても困ってしまう人がほとんどなので、牛は役場が数百万円で買い取ってくれるとのこと。 牛祭りのホームページには「夢の牛一頭!!」と書かれているのはそういうことか。 焼き肉屋で食べた牛肉は、思い返すにこの度一番美味しかったものだ。 なんと驚いたことに息子も食べた。 白いごはんやクッパも食べる?と勧めたが、いつも通り食べなかった。 でも、これで外食の選択肢が増えてくれたのであればとても嬉しい。 昼を過ぎても雨は止まず、ほど近くの石垣港まで移動し、小浜島行きの船を待つ。 出航まで1時間以上もあり、アイスクリームを食べてお土産屋を見学しても、まだ15分くらいしか過ぎてくれなかった。 子どもが産まれてから、たくさんの時間を潰さねばならなくなった。 日々時間が無い、と過ごしているのに、子どもといるといかにして時間を潰すかに頭を悩ませる。 子育ての最も大変なことのひとつは、緩慢な時間であると乳児期の頃から切に感じている。 船に早く乗りたい息子は船の方ばかり行きたがるが、柵も簡易なもので、ともすれば簡単に海にドボンしてしまう。 暑ければまだしも、いやそれでも危険すぎるが、羽織りものがなければいられない気温なのだ。 ここでも何とかかんとか、時間を乗り切って、乗船時刻に。 こんなときは自分の家族だけでなく、他の家族がいることで気が紛れて良い。 息子の存在は、いもうとのとこの三姉妹の姉妹喧嘩を減らすのに一役買っただろうと思う。 長いし、タイムアップなので、続きはまた書こうと思う。 <YouTube> 書道は格闘技!スポコン漫画顔負けの書道人生ストーリー。曽祖父から書道家の家に生まれたサラブレッド【池田勝一氏】が、幼少期の字嫌いを経て中国の蘇軾に魅せられた <note> 「゜」の歴史【ポルトガル人により、キリスト教布教のために半濁点が広まった】
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昨年より開催しているいけばなの先生とのワークショップ。
3回目が無事に終了した。 前にも書いたけれど、どんなに小規模でも会を催すということは大変だ。 毎回、実施日のひと月ほど前から私は、当日現場で何かが一式ない、というような夢を見る。 ワークショップを行うのに必須なものを忘れてしまって、買いに行ったら間に合うか、家に戻ったらどうか、などとあたふた涙目になっているという夢である。 目が覚めたときには夢なのか現実なのかが判別できず、恐怖感がまだ残っている。 のちに「あぁ夢か・・・・」と納得するとともに準備をきちんとしよう、という気持ちになる。 このような夢を見るのは、リスクヘッジの身体の反応なのではと思っている。 また、毎度人が集まってくれるかどうか、どきどきする。 なんだかんだと開催日の10日前くらいには人がそれなりの予約が入って、心底ほっとする。 東京にはおそろしいほどの人がいるし、危険なほど人が詰め寄せるところもあるが、やはり集客というのは難しいものである。 人気になる、人気者になる、それはどういうことなのだろうと、私は昔から何か漠然とした蟠りを自分の中に抱えている。 人気者になる、というのはモテる、と言い換えても良いだろうか。 数か月前、前職の社長と数年ぶりに会ったとき、「俺はもっとモテたいんだ」と言っていた。 素直で良いなあと、その発言を羨ましく思った。 もちろん、モテる、は所謂異性からモテる、ということではなくもっと広く人から愛されたいというようなことである。 私も漏れず、モテたい、のだと思う。 まあでもこのワークショップで言えば、単発で来て下さる方々に、普段やらないことにおいて自分の手を動かす楽しさ、を主に知ってもらいたいと思っている。 試行錯誤を重ねながらたくさんの準備をしているので、ぜひ皆さんに遊びにきてほしい。 ヘタな告白みたいになってしまった。 私は自分や自分の企画を売り込むことが滅法苦手である。 ということで、こちらもよろしくお願いいたします。 noteの方はログインしなくてもハート押せますので、記事を読んで「へー」と思ったらハート押して行っていただけると嬉しいです。 <YouTube> →漢字が日本から消えていたかも?!【日本文字最大の混乱期】ひらがな歴史編 - お字書き道TALKS #014 →江戸時代の寺子屋は今の教育より優れていたのかも。江戸時代にも子どもたちが漫画(のはしり)に熱狂?!【ひらがな歴史編】 - お字書き道TALKS #013 →平安宮中女子のハートを燃やせ!最古のネカマ系日記著者「キノツラユキ」 - ひらがな文学がバズった話【ひらがな歴史編】 - お字書き道TALKS #012 <note> →「゜」の歴史【ポルトガル人により、キリスト教布教のために半濁点が広まった】 →筆順って昔と変わった?”正しい”筆順は存在しない?! →書道家の文字と子どもの文字を見分けられるか。ヘタウマ(プロ)とヘタヘタ(子ども)の違いって? 息子がまた風邪をひいて休んでいる。
しかし今月の下旬に沖縄に行くことになっており、かかれる風邪にはかかっておこう、という気分なので私もあまり辛くない。 ちなみに沖縄にはいもうとの家族と一緒に行くのだが、一家は今胃腸炎が大発生しているとのこと。 沖縄に行く前にかかれるウイルスにかかっておこう。 息子は比較的元気なのでYouTubeの動画を見たり、プラレールをやって遊んでいる。 私は何か普段ならやる気が起きない雑用をやろうと、確定申告の領収書を一通りまとめた。 これだけで確定申告は終わるものでは全然ないけれど、一歩前進することが大切だ。 その他にもゆで卵を茹でたり、ネットスーパーに注文したり、台所のシンクと風呂の掃除を念入りに行った。 なぜだか掃除をするとブログを書きたくなるのは昔からで、今に至る。 風邪っぴきを連れて外には出られないが、外はとても寒そうである。 このあと、クレジットカードの一年間分の明細ダウンロードと、銀行振込履歴の一年間分の明細ダウンロードくらいまでやりたいものだ。 お字書き道TALKSの企画で、書道家にインタビュー、というのが月末から始まる。 大学生の頃、私は社会学のフィールドワークで、ランダムに選んだ人に2時間ほどの人生の転機についてのインタビューをしてまとめるということをやっていた。 その経験上、ほとんど誰もが、真正面からスポットライトを当てられ、他人から自分の人生に興味を持たれ、批判されるでも議論するでもなく話す、ということは好ましいと感じることを私は知っている。 もちろん何らかの理由(主にインタビュアーの聞き方など)で好ましいと感じないケースはあるだろうが、皆例外なく人生の物語を持っているわけで、その話を丁寧に聞いてくれるのなら話したくない人はいないのではないだろうか。 書道の世界いうのは、各会派(流派)が林立、乱立している状態である。 今はSNSの発達によりかなり横のつながりも人によってはかなりできているが、閉鎖的なものであることには変わりはない。 日本で書道をやっている人口は決して少なくない。 しかしながら色々な意味において従来的な価値に閉じすぎているのではないか、と思ってやっているのがお字書き道TALKSである。 今はどの会派にも所属しない私と、全くの門外漢のジャズギタリストでやっているので、各書道家のざっくばらんな話を集めることが出来るのではないだろうか。 そういうわけで、ちょうど連絡を取っていた書家の方にお声がけをしたら快諾してくださった。 すでに収録を終えて編集中である。 そしてこれは予想外の大きなおまけなのだが、その方も文通がお好きらしく、かの爺さまが亡くなってから寂しい思いをしていた私の文通相手になってくれるかもしれない。 しかし、その方にとって手紙とは中国の昔の言葉で言えば「尺牘(せきとく)」、それこそが自分の書の腕前を見せるものだ、と言う。 私が文通が好きなのは、書の巧さ云々ということはまったくない。 相手が書家である必要もない。 ただ他愛もない肉筆のやり取りを、郵便という原始的なシステムへの敬意と喜びを以て行いたいだけだ。 でも、どういうスタンスであれ、文通してくださるのは嬉しい。 爺さまがあらゆる電子的な手段を持っていなかったことに対し、この方とはLINEでもつながっている。 「手紙投函しましたよ!」とLINEでやりとりするのは、滑稽で可愛らしい。 インタビューの初回アップは2月24日(金)である。 <YouTube> ◎平安宮中女子のハートを燃やせ!最古のネカマ系日記著者「キノツラユキ」 - ひらがな文学がバズった話【ひらがな歴史編】 - お字書き道TALKS #012 ◎江戸時代の寺子屋は今の教育より優れていたのかも。世界に誇る識字率!江戸時代にも子どもたちが漫画(のはしり)に熱狂?!【ひらがな歴史編】 - お字書き道TALKS #013 <note> ◎書道家の文字と子どもの文字を見分けられるか。ヘタウマ(プロ)とヘタヘタ(子ども)の違いって? ◎筆順って昔と変わった?”正しい”筆順は存在しない?!(2月14日(火)19時UP) 息子に人生初の胃腸炎がやってきた。
もう完全に去ったけれど。 姪が小さかった頃、7,8年前には胃腸炎のことを「嘔吐下痢症」と言っていた気がするが、最近耳にしなくなったのはあまりにもあからさまなネーミングだからだろうか。 姪は、「嘔吐下痢症」のことを「オウとゲリ」、つまり「オウ&ゲリ」というふうに理解していたらしく、「ゲリは出ちゃったんだけどオウは出なかった」と言っていた。 保育園から「大量に嘔吐しました」と電話をいただいたときにはゾッとした。 ちなみに息子はミルクや離乳食の頃に吐いたことは少しあったけれど、体調不良で吐くということはこれまでほぼなかった。 下痢もほとんどしたことがない。 そんな彼が大量嘔吐とはただ事ではない。 しかし一応そんなときの対応をいもうとの経験談から聞いたり、育児漫画で読んだりしていたのでできる限りの対策をしようと出先から一旦家に戻った。 連れ帰った直後はまだ嘔吐もするだろうから、簡易マットレスをブルーシートでくるみ、その上からシーツをかぶせ、使い古しのバスタオルやぼろ布を近くに積んでおく。 吐瀉物をキャッチできるよう、小さな手桶にビニール袋をかぶせ、中にぼろ布を詰める。 掛け布団は洗えるものを取り出しておく。 オムツ卒業から久しいが、一応2,3枚とっておいたオムツの場所も確認。 ノロやロタなど胃腸炎ウイルスはアルコールが効かないというので、次亜塩素酸のハイターも残量を確認。 突然の出来事に最も驚いているのは彼自身で、そんな彼を抱きかかえて保育園から戻ると、ビニールシートのせいでシャクシャクと音のする布団が気に入ったようでしばらく足踏みして遊んでいた。 熱はないしぐったりしているわけではないが、休ませないとと思い、一緒にお昼寝をした。 胃腸炎の子と一緒にお昼寝とはなんと戦々恐々としたことか。 まあでも、コロナのときもそうだったが、3歳児と抱擁しないのも無理なので、うつってしまうのは早い段階で諦めている。 私は息子の様子を見守りながら、ここぞとAmazonビデオを開いて静かにドラマや映画を観る。 今回は「ダイイング・アイ」「きのう何食べた?」。 夜、息子はごはんを食べると言うので、お粥を作ったが初見のものを大警戒する彼はお粥には口を付けてくれなかった。 リンゴジュースとリンゴゼリーを一気に食べた。 大丈夫だろうか・・・。 しかし、食べる気のある子を制するのは辛いし、できない。 しかし、胃腸炎で嘔吐があるとき、水分はティースプーンひと匙から、それをふた匙、み匙と、1時間おきに増やして様子を見る、と何かで読んだことがある。 飲んだ以上に吐いてしまっては水分補給は本末転倒、それが原因で脱水になってしまうこともあるらしい。 そうは言っても・・・。 リンゴジュースとリンゴゼリーから2時間、3時間。 とりあえず大丈夫そうだと思った5時間後、息子が狼狽え始めたと思ったら再び嘔吐。 手桶でキャッチできたのは幸いだった。 ただ服は汚れてしまったので総着替え。 汚れ物は次亜塩素酸水を作って洗面所で除菌。 彼の家での常飲は炭酸水なので、それを飲むと言うから、お水にしようポカリにしようと必死でお勧めする。 しかしこの時胃は完全にWARNING状態。 赤いランプがワンワン回って、彼の胃は震えあがっているかのようだった。 飲んでもすぐに出そうだったので、やはりここはやめておく。 病院にも連れて行ったが、念のためとコロナとインフルエンザの検査をされてかわいそうだった。 吐き気止めと整腸剤の処方箋が出たが、まあ要らないからと思い、薬は取りにいかなかった。 いやしかし、嘔吐するかもしれない子をタクシーに乗せるわけにもいかず、往復20分の道のりを全抱っこで私も辛かった。 2,3日療養して、少しずつ回復を見せた。 元から細い彼がまたすっきり痩せてしまった。 あまり食べていなかったので4日ほどうんちがほぼ出ていなかったが、今度は最終章として下痢が彼を襲った。 お腹痛い、と言ってトイレに行くとものものすごい勢いで大雨のドブの濁流、鉄砲水みたいなのが出た。 こんなのを漏らさずに彼はトイレまで我慢できるというのが凄い。 ウイルスはそこから最も多く排出されると聞くから、マスクを着けて彼の尻を拭き、そのマスクは捨て、念入りに手を洗った。 私の手の皮膚は、石鹸に弱いので手はヒリヒリチクチク傷んだ。 そうして、完全復活。 保育園では、子どもから両親ともにうつってしまったという話を聞いたが、うちは無事であった。 元より胃腸が強いのが幸いしたか、あるいは運が良かっただけか。 息子に何も気にせずすりすりと頬ずりできるのが嬉しい。 <note>(2/7 19時公開) 野口英世の母・野口シカの手紙。書道家の文字と子どもの文字を見分けられるか。ヘタウマ(プロ)とヘタヘタ(子ども)の違いって? <YouTube> スタバの生分解性プラスチックのストローってホントに分解されるのかね?異言語との邂逅|ひらがなの歴史①【万葉仮名編】 #009 「doragonn kuesuto」外国の文字で自国語の音をあらわす話。|ひらがなの歴史②【平仮名誕生編】 - お字書き道TALKS #010 ひらがなって男性が作ったって知ってた?ロンゴロンゴと神代文字etc【ひらがな歴史編】 - お字書き道TALKS #011 平安宮中女子のハートを燃やせ!最古のネカマ系日記著者「キノツラユキ」 - ひらがな文学がバズった話【ひらがな歴史編】 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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