4月末日。
毎月予算を決めて家計をやりくりしているのだが、今月はピーピーである。 昨日使い切って残金ゼロ。 来月どうしてもベビーシッターさんへの依頼をしなければならず、そのお金を先立って取っておいたからというのもあるけれど。 このピーピー具合を分かっていながら、割高なウーバーイーツでタイ料理を注文してしまったからというのもあるけれど。 まあ決めた金額からはみ出したらもう立ち行かないということではないし、結構カツカツとした予算設定をしている気もする。 ちなみに夫の収入はだいたい把握はしているが、財布も口座も文字通り別なので互いに関知していない。 コロナ禍になって夫の出張はほとんどなくなっていたのだが、先週久しぶりに2泊3日大阪へと出張へ出かけて行った。 私と息子のふたり、所謂ワンオペというやつである。 私ひとりなら夜ごはんは野菜炒めだけというような至極簡単なもので済ませるが、息子がいるとそうもいかない。 せっせせっせと唐揚げを揚げたり、カレーを煮たりした。 冷凍唐揚げやレトルトカレーにすることもあるが、出来れば作ってあげたい。 料理がさほど好きではない私もそれくらいは思う。 ところで唐揚げはもっぱらもも肉派だった。 もも肉を大きめに切って、醤油砂糖酒にんにくで漬けて、片栗粉をまぶして、皮目をしっかりと揚げる。 唐揚げはとっても面倒だけれど、カリっとジューシーに仕上がったもも唐揚げの美味しさはその面倒を十二分に上回ってくる。 しかし、むね肉の方が圧倒的に安い。 しかし、むね肉は脂が足りず、パサついて美味しくないのではというイメージがある。 しかし、やはり圧倒的に安いので試しにむね肉で作ってみることにした。 パサつかないように施策として、小さめに切って、塩麹を加えた醤油砂糖酒にんにくで漬けて、いつものように揚げる。 小さく切っているのですぐにこんがりと揚がった。 もも肉唐揚げよりももちろんジューシー感は劣るが、その分軽くてぱくぱくと食べられる。 塩麹のおかげか全然パサついてもいない。 息子も驚くほどたくさん食べた。 調子に乗って、むね唐揚げを2日に1回くらいのペースで作っていたある日、べちっっと腕に大きな揚げ油が飛んできた。 いつものぴちぴちと飛んでくる油が霧雨なら、大粒の雨が3粒くらいまとまったくらいの量の油。 急いで水道の水を当てたけれど、ちょうどお風呂を沸かしていて、蛇口からはお湯が出てきた。 急いで水に切り替えて冷やす。 ヒリヒリじりじりビリビリとしたまま、むね肉唐揚げを食べていると水泡になってきた。 水泡の周りの皮膚は赤くなっていた。 水泡は2度の熱傷、赤くなったところは1度の熱傷というところだろう。 息子とお風呂に入っているとき、息子と皮膚が擦れ合って水泡が破れた。 皮膚は焼けてえぐれてしまっていた。 冷蔵庫には日々買うようになったむね肉がまだ眠っていた。 2,3日後、火傷は収まってきたが、あの油の返り討ちを思うと唐揚げを作る気分になれずにいる。 それでもきっと、数日後にはまた私は唐揚げを揚げるだろう。 息子のためというのもあるし、唐揚げは愉悦の食べ物だからだ。 <YouTube> 【書道家・伊藤牙城】父はスゴワザ看板屋!書道大好き、書道オタクの半生- お字書き道TALKS #024 <note> 花押(かおう)ってなあに?俺のサイン!
0 コメント
新しい生活がまだ少し馴染まず、何となくぎくしゃくとした日常を過ごしている。
新しい保育園への道のりと登降園の時間も少しだけ変わって、スーパーへの買い出しの動線も変わった。 9時に保育園に送り届けても、今の保育園の最寄りのスーパーは開店が9時半であるから、送りからその足で買い出しに行くのは何だか効率が悪い。 そして、この4月から毎週月曜日には午前中に息子の療育へと連れて行く。 直線距離はさほど遠くないのだが、公共交通機関の接続が極めて悪く、交通費も時間も無駄にかかってしまう。 加えて、息子は保育園に途中から行くのは嫌らしく、毎度泣かれてしまう。 療育は好きな電車をメインにやってくれているので、それなりには楽しいようだ。 どれもこれもまだ1か月も経っておらず、そのうちに慣れることだろう。 今日の文章が曇っているのは、天気が曇っていて肌寒いからだと思う。 おそらく人間とは、多かれ少なかれそのような生き物だろうと思う。 気持ちが曇ったら、まずお腹が空いていないかを確認し、身体をとことん温めなさい、と何かの漫画で読んだことがあって、それはひとつの真理に近いものだろう。 色々と書こうと思っていた些細なことがあったような気がするのだが、さっぱり思い出せない。 今思い出されるのは、昨日遊びに行った公園のすべり台のことだ。 都心にも公園はたくさんあって、子どもにとって刺激的な遊具がある場所もある。 しかしやはりそういう場所は混んでいて、日曜日の昼下がり、人気のすべり台はごった返していた。 息子は人に対して怖がりなところがあるが、スピードの出るすべり台が好きである。 昨日のすべり台は、一般的に想像されるそれとは少し形の違うものだ。 通常すべり台は一人ずつすべる幅のものが多いが、昨日のすべり台は全体が山のようになっていて、頂上の平らなところから、かなり幅広の滑走路?となっていた。 小さな子どもたちなら、横並びに10人ほどが一気にすべれるほどの幅。 そして傾斜も結構きつい。 そこに子どもたちはわんさか群がって、奇声を上げながらすべり落ちていく。 息子が一緒に上ってと言うので私も頂上部に行くのだが、大人がすべるのは邪魔なので、息子を頂上から送り出す役目に徹していた。 パーマンのように手を前にやってそのまま前から腹ばいですべっていく子。 ただでさえスピードが出るのに手で勢いをつけている子。 怖くて頂上部の手すりを持っているが、後ろからの圧に押されてやむなくすべり落ちていく子。 友達と一緒に手を繋いですべる子。 軽く前の子を押している子。 手すりを持っている子の手をはがそうとしている子。 息子を含め、すべっているほとんどの子たちが、何十回もすべっては上りすべっては上り。 すべり終わった子にぶつかったりもしているのだが、結構みんな平気で、大人から見るとひやひやして見守るのが辛いのだが、子どもなりにそれぞれ自助的な行動を取ることですべり台は運営されているように見えた。 写真を撮ることもままならないほど混雑していたので、私はひやひやしつつぼーっとしつつ、頂上の壁に張り付いて身をひそめながら息子をずっと見守っていた。 公園遊びの見守りって結構辛いなと思う。 それも昨日は気温が低くて寒かったからとも思うけども。 さて、不定期で行っているいけばなの先生とのコラボワークショップの次回日程が決まった。 どなたでもご参加いただけますので、お気軽にお問い合わせください。 <YouTube> ⇒いくつ読める?「小鳥遊」さん「十二月三十一日」さんに会いたい!【難読苗字の世界】- お字書き道TALKS #022 ⇒【沖縄の文字の歴史】消えた?古代?文字?日本国よりも平仮名を使っていた琉球人。 - お字書き道TALKS #023 <note> ⇒【永久保存版】国が運営する歴史資料等検索サイトまとめ ⇒お字書き道TALKS動画まとめ 新しい保育園が始まった。
実際には、こども園、というところで、こども園というのは保育園と幼稚園が一緒になった園のこと。 うちは幼稚園の方で入園している。 保育園の方が満員だったからだ。 保育園は働く両親をもつ子どもが入る厚生労働省管轄の施設、幼稚園は両親のどちらかが腹大抵なくても3歳からなら入れる文部科学省が管轄する施設。 幼稚園はプレスクールで比較的お勉強的なことをきっちりやることが決まっているイメージがあるかもしれないが、今は保育園と幼稚園の差はあまりなく、その園ごとの特色によってかなり異なる、という感じだ。 保育園と幼稚園、何が大きく違うかと言えば、費用と預かってくれる時間である。 保育園は3歳児からは基本的に一切無料、最大7時半~20時(園によって異なる)まで子どもを預かってくれる。 幼稚園は多くのところが9時~13時半の預かり時間で、それ以外の時間は費用が発生する、しかも預かり保育は最長で17時まで、おまけに給食費も別途でかかる。 私は子育てに対する行政の仕組みについてここまではさほど不満を持ってこなかったが、保育園と幼稚園の格差についてはかなり不満がある。 長時間預かってもらえる保育園がすべて無料で、短時間しか預かってくれない幼稚園には何かとお金がかかる。 管轄省庁が違うことなのか、特別なプログラムを持つ私立幼稚園等の特権の関係なのかなんなのか、このことが変更になる兆しが全く見えない。 ひと世代前から圧倒的に定着している核家族化や、危機的な少子化の中で、働いている働いていないに関わらず、望む園にハードルなく行けるような努力がもっとできるのではないか、と思う。 まあこの問題に直面するまでは、私は悠長に全然不満なんてないです、と言っていた方なので、いかに自分の社会的問題意識が狭小であるかを思い知らされるけども。 それに、もちろん無料の保育園に行くこともできた。 けれども今の園が良かったから、その事情を知ってその上で入園している。 だからこの状況は致し方ないのは承知しているが、幼稚園の慣らし保育は長く、9時半に預けて11時に帰ってくるなんて日が続くと、仕事も何もできたものではない。 幸い、保育園併設のこども園なので、そこは頼み込んで慣らし保育の期間をかなり短縮してもらっているが。 無論、保育園の方への変更希望を出し続けている。 どなたかが何らかの理由で転園するのを待つという、何だかハイエナのような気持ちで保育園の方への変更を待っている。 息子は初日は大泣きしていたが、すぐに状況を理解したようで翌日からは腹が据わった様子で園に入っていった。 大きな木々がたくさんある公園が近く、新緑が美しくて、私も初日は滲んだ涙で新緑がさらにきらきらと見えた。 がんばっている。 実に勇敢だ。 まだ数日なのでよく分からないが、息子はこの園が好きになれるのではないかと思う。 少なくとも、悪くない、と思っていそうな気がする。 人数の多い大規模園だが、空間的にも広いので、ひとり遊びをすることもそれなりに許されるような感じである。 同世代の子たちと積極的コミュニケーションを好む方ではないので、ある程度自由に過ごせるのが良いのではないかと思う。 けいこが応援で来てくれているので、仕事もしつつ不規則な日々を送っている。 そんな中で私は「ロングバケーション」を食い入るように観て、月額課金してしまったので勿体ないからと「ミステリと言う勿れ」を観ている。 「ロングバケーション」はやはり絶品だったし、「ミステリと言う勿れ」もなかなか面白い。 <YouTube> ⇒そんな読み方アリ?!万葉仮名【古代日本人が漢字と戯れた理由】- お字書き道TALKS #021 <note> ⇒【永久保存版】国が運営する歴史資料等検索サイトまとめ ⇒キラキラネームが消滅!?2023年現在名前に使える文字全部【1/3】 ⇒時に裁判騒動!キラキラネームは伝統文化!?明治・大正時代の実名実例集【2/3】 ⇒キラキラネームが消滅!?2023年法改正案について【3/3】 神戸京都旅行の後編を書く間もなく、息子は保育園を卒園し、そして新しい保育園の入園式まで空白になった1週間が始まった。
新小学5年生の姪と、3歳の息子と、38歳の私の珍道中。 4月3日、まずは姪が家に泊まりに来てくれた。 この日、午前中に息子を療育に連れて行き、午後に私の仕事が入っていたので姪をベビーシッターとして呼んだのだ。 お菓子やらおもちゃやらを用意して「よろしくっ」と私は仕事に出かけた。 リモートワークの夫もいたけれど。 姪は自分の妹(新小学2年生)とは仲が良くないが、いとこである息子の面倒はよく見てくれる。 歌を歌ってくれたり、プラレールを作ってくれたり。 しかし息子が「んちゅー」としに行くと嫌がっていた。 そういうお年頃だろうか。 予定には無かったのだが、突然高校時代の友人から家を建てる際の「棟札」を書いて欲しいと連絡があり、棟札を持って家までやってきた。 3歳と1歳と旦那さんの4人でやってきて、家には人が溢れかえり、息子は怖気づいていた。 久しぶりに会った友人とあれこれ喋りながら棟札を仕上げて、友人家族は帰っていった。 翌日4月4日、私たちは早起きをして浜松へ向かった。 新横浜から新幹線に乗って、浜松まで一時間ほど。 先日の新大阪までの2時間半を思えばあっという間だった。 浜松駅から路線バスに乗って友人宅へ向かう。 地方とはいえ、県庁所在地の浜松だ、当然ながらSuicaなどのICカードが使えるかと思いきや、使えるのは地元のカードのみ。 なんと整理券を取って、運賃箱に現金を入れる仕組み。 しかも小銭が無い場合は、バスが止まっている間に早めに両替してと書いてある。 私はバスの時間の緩さや、電車よりも大幅に揺れること、バス停の間隔が短く頻繁に止まること、一両しかなく空間が狭いこと、などの理由で路線バスが元々好きではない。 それに更なる不便さが加わって落胆してしまった。 その上、1時間に2本しかないので待ち時間も長い。 こう書くとなんとまあ都会人なことか。 まあでも田舎者の都会好きとして都会に住んでいるので、こういった地方の事情がなかなか汲めない私である。 鳩を怖がる息子と、お菓子を食べるという姪と一緒にバス停で時間を潰し、友人宅の最寄りまでたどり着く。 友人とその娘さん(新小学3年生)が自転車で迎えに来てくれた。 娘さんには赤ちゃんのとき2,3回あったことがあるが、なんと立派なお嬢さんに成長していた。 大切に育てられていることがにじみ出ている美しいお嬢さんだった。 友人はうなぎやピザやスパゲッティやサラダなどをテイクアウトして、息子のために唐揚げとポテトを作ってくれた。 久しぶりに会った友人は、なんだか穏やかさを手にしているようだった。 私と友人は所謂ドジ仲間である。 ドジなネタには事欠かない。 ・コップの水を飲もうとして口に近づける前に早々傾けて水をこぼしてしまう ・コンタクトレンズをコンタクトケースに入れて、朝コンタクトレンズを入れる前にケースごと洗ってコンタクトレンズを流してしまう ・鰹節で出汁をとって、ざるとボウルに入れようとしたらざるだけで、出汁を全部シンクに流してしまう ・ゆで上がった小松菜をざるに入れようとして、ボウルのみで重たくてびっくりする のが私。 ・コップの水を飲もうとして口に近づける前に早々傾けて水をこぼしてしまう ・バイト中にレジで受け取ったお金をレジに入れずにゴミ箱に捨ててしまう ・卵を割って殻を捨てるところを、ゴミ箱の上で卵を割ってしまう のが友人。 もちろんこのようなことばかりではないのだけれど、友人とは話が合うので、本当に時間が過ぎるのが早くて楽しかった。 子どもたちも、色々な独創的なおもちゃでたくさん遊べて居心地が良さそうだった。 16時ごろ、友人宅を後にして、一路蒲郡へ。 私はスマホで少し仕事をすることができたのも姪のおかげである。 蒲郡駅に着くと、珍しくけいこが迎えに出てきてくれていた。 カレーライスを食べて、私はワインを飲んで、比較的早めの22時前に就寝。 4月5日、車で5分ほどの兄宅へ向かう。 この家には新小学5年生と新小学3年生の甥がいる。 同じ年頃の姪と彼らはとても仲良しで、3歳の息子はいまいちその中には入れないので、けいこと三人で公園に行くことにした。 大きくてながいすべり台のある公園で、息子は大層それが気に入って、何十回も滑っていた。 公園というところは、基本的に私にとっては(きっと多くの大人にとっても)つまらない場所である。 遊具も大きさが合わず楽しめないし、砂だらけにもなりたくない。 かと言って、目を離して動画を見るなんてこともできずに、安全のための見守りも必要である。 でも、子どもは楽しそうだから、あまり早く帰ろうとも言えない。 最近は「良い写真」「良い動画」を撮影することで、その溜飲を下げることにしている。 撮影をしていればだいたい見守りも可能なので一石二鳥である。 3か所公園行脚をして、5~60回ほどすべり台を滑って帰宅すると、小学生チームは人生ゲームをやっていた。 けいこは人生ゲームは起きることが理不尽すぎるのでやりたくないそうだ。 この日、息子はあまりに疲れたようで21時半頃こたつで勝手に寝てしまった。 4月6日。 98歳になる母方のじいさんに会いに行く。 姪や息子のひいじいさんである。 生きる化石、と冗談を言いながらじいさんのいる施設へと向かう。 私ももう何年も会っていないので少しだけ、落ち着かなかった。 じいさんは寝たきりということもなく、耳が遠いのとやや呆けているので会話はあまり成り立たないが、座って食事をしていた。 95歳差の息子を見て手を伸ばしてきたので、息子はびっくりしていたが、タッチすることができた。 私が書いた「九十八」という書を持って写真を撮るなどして、部屋を後にする。 近くに住む叔母さんにもちらっと会ったが、少し見ないうちに本当に老けた。 それは私も当然ながら同様で、じいさんはまだ生きているが、もはや世代交代は完全に進み、新しいピカピカの子どもたちがうろちょろとしている。 私が50年後生きているかどうかは知らないが、こんなふうに自分の子孫がうろちょろしているのを見るのはきっと幸せのひとつだと思えるのではないだろうか。 けいこ宅に戻り、カレーライスの残りで昼食として、14時には蒲郡を出た。 降りるべき新横浜に着く10分前に息子は寝てしまった。 寝ている息子と重たい荷物を腹と背中にくっつけて、新横浜駅で姪とは別れた。 私たちは二人で、夫の実家へ向かう。 夫なしで夫の実家に泊まるのは初めてだろうか。 息子はエレベーターごっこをしたり、チョコパイを食べたり、自由に過ごしていた。 夫がいないことをいいことに夫の話などをする。 4月7日、夫の実家から帰路につく。 生憎の雨降りで、お義母さんがバス停まで傘をさして送ってくれた。 唐揚げとかとんかつとか、大量のお土産をいただいて、それは重かったけれど今日の晩御飯と思えば辛くはなかった。 またしても、降りるべき駅の10分前に息子が寝てしまったので、今度は下りずにそのまま寝て通り過ぎることにした。 引き返しやすい駅で引き返すことにして、私も少し電車で寝ることにした。 暫くして息子は目覚め、何とかして最寄り駅までたどり着く。 息子に、「お母さん疲れちゃったから抱っこできなくて、歩く歩くしてもらってもいい?」と聞くと「いいよー」と元気よく帰ってきた。 小雨の降る中、二人でフードをかぶり手をつないで家まで帰った。 空白の1週間、完遂。 <YouTube> ⇒書道家・池田勝一が古典をディグるワケ【書道を流行らせたい!】 書道におけるフォントの可能性?- お字書き道TALKS #020 ⇒そんな読み方アリ?!万葉仮名【古代日本人が漢字と戯れた理由】- お字書き道TALKS #021 <note> ⇒キラキラネームが消滅!?2023年現在名前に使える文字全部【1/3】 ⇒時に裁判騒動!キラキラネームは伝統文化!?明治・大正時代の実名実例集【2/3】 ⇒名付け文化にメス?!キラキラネーム法改正案【3/3】 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|