もうずっと同じ服を着続けていた。
毎日夜に洗濯をするので、朝に乾いた服をハンガーからそのまま着る。 洋服を選ぶ、ということはしばらくほとんどなく、私はその日常を気に入っていた。 しかしながら、服は他人への影響を左右するものであろうことは一応知っているので、くたくたよれよれ褪せ褪せの服を着ていることへのほんの少しの恥ずかしさのようなものも一緒に身に着けていたように思う。 それでも朝に洋服を選ぶには至らず、毎日毎日ハンガーから外して着ていた。 着心地が良かった、というのはそういうことだろう。 破れたら捨てよう、と思っていたのだが、よく転ぶ子どもではあるまいし、そんなに簡単に服は破れない。 まあそれでも毎日毎日着ているものだから、日々少しずつの摩耗を積み重ねて、そして先日、ようやく、ついに破れた。 なんと上のシャツと下のパンツがほとんど同時にかすかな穴を開けたのであった。 シャツは首のところが擦れて、パンツは膝のところが擦れて。 変だけれど、そこにはちょっとした感動があった。 かすかな小さな穴は、一縷の望み、ではないのだが、そんな言葉が浮かんでしまった。 一縷の望みの穴が開いてからも2,3日着て、ようやく捨てることにした。 よく頑張った。 ふと、台所の使用済み揚げ油が冷えたフライパンが目に入った。 私はつい最近まで揚げ物をやったことがなかったのだが、息子が唐揚げが好きなので頻繁に揚げ物をするようになった。 揚げ物といっても、フライパンに1,2センチほどの油で揚げ焼きをするくらいなのだが、それでもやはり油が残ってしまって、その処理はどうしたものかと思っていた。 凝固剤など、捨てるものにお金をかけるのは嫌だし、キッチンペーパーも油を吸わせるにはたくさんの量が必要でなんだか勿体ない。 使い古しのタオルは雑巾としてとっているのだが、雑巾としての役目があるので、油を吸わせて捨てるには忍びない。 そこで目についたのがお役目を終えた服である。 およそ綿なので油はよく吸うだろう。 それに服は、雑巾としては使いづらすぎる。 今まで毎日身に着けていた服を、揚げ物の焦げカスが入ってどろどろに参加した油を吸わせるのも一抹の後ろめたさがなくはなかったが、もうどうしようもなく捨てられるだけにしかならないものが最後の奮起を見せたと考えればもう言うことはない。 シャツとパンツを適当に切って、ぼろ布がたくさんできた。 3,4枚を使って、今回の油はきれいに処理ができた。 こんなことをする人がいるのだろうか、とふと検索をしてみると、古着の処理方法として少し出てきた。 まあ人がやっていてもやっていなくても良いのだが。 今日からの服をどうするか、衣装ケースを見渡す。 ミニマリストということはないので、少ない方だとは思うが、それなりに服は持っている。 私がこんなにも毎日同じ服を着るようになったのは、妊娠・授乳のせいが大きい。 それまでも大体同じ格好をしていたが、こんなにも同じ服を着続けているということはなかったと思う。 妊娠も授乳期間も終えて、増えた体重も2年以上をかけてようやくもう少しで元に戻らんとしている。 ちなみに下着も2つを着まわしていたが、授乳によってのびのびのぼろぼろになってしまったので新調することにした。 久しぶりに、空柄のジーンズと、何やらうるさい柄のカットソーを着る。 ここからの日々、毎日これになるのかは今の時点ではわからないけれど。 ひとつのシーズンが、ひとつのフェーズが、終わった気持ちである。
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相も変わらず好き勝手歩く息子をやむを得ず連行する日々なのだが、やはり少し慣れてきた感じがある。
あきらめられてきた、というか。 山頭火の「赤い壺」というエッセイ?日記の一節に、「『あきらめ』ということほど言い易くして行い難いことはない。 それは自棄ではない、盲従ではない、 事物の情理を尽して後に初めて許される『魂のおちつき』である。 」というのがある。 数年前不意にこの文章を読んで私は、静かに、でも派手に、膝を打った。 この一節を展覧会の作品に仕立てもしたし、その後何度か書にしている。 山頭火のこの文章を知ったからというのもあるし、「あきらめる」ということの語源は「明らかにする」から来ていると何かで知って、そして仏教用語の「諦観」とも相まって、「あきらめる」ことへの概念が変わり、以降日々何かしらの「あきらめ」をしながら生きている。 無論、一般的に使われるように「継続していた何かを止める」ということではなく、この「あきらめ」は、例えば「もうあきらめる!」と高々と宣言したところでなし得るもの毛頭ない。 身体全体でそのことについて納得をする、というような感じであって、今その時の意思でもってできることではないのである。 考えることは頭だけですることではなく、全身ですることだ、と言ったのは夫であるのだが、私もいつからか身をもってそうだと思っている。 言葉が浮かんでないときにも、心の片隅にあることは遅々とでも、また眠っているときにさえ、考えることを止めないような感じがする。 そして、何かが言葉になって明度を増して認識するに至ったり、あぁもういいか、と本質的にその事柄と距離をとることが出来るようになっていたりする。 しかしながら、「魂のおちつき」まで、何日、あるいは何年かかるかまったくわからない。 だから「あきらめ」られていないときは辛さもある。 子育ての日々の悩みについて、私の感覚では今のところ、およそ3週間から1か月くらいで辛さからの光が見えてくることが多い。 渦中においては「これがずっと続くのではないか」という不安が膨らむものであるが、その渦中にいてもとりあえず3週間から1か月くらいは腐らず様子を見てみようと思うことにしている。 きっと何かが転じると信じるのである。 3週間から1か月だって、渦中にいればとてもとても長い。 でもとりあえずでも目途があるのとないのでは気持ちが違う。 ただ、子育ての場合は、問題となっている子どもの変化のスピードが大人よりも劇的に早いので、日常的な悩み事は月単位、年単位には長引きづらいのは助かると言えば助かる点である。 今回の件については息子はあまり変わっていないのだが、私の方が慣れてきたことと、対処の方法が身についてきた。 緊急事態宣言最中のゴールデンウィーク。 雨降りの中、車を借りて、電車を見に行く。 荒川線の路面電車は間近で電車を見ることができる。 息子は加速度を増して、電車ファンになっている。 好きなものがあることは、良いことである。 この大いなる疲弊をどうしてくれようか。
子育ての悩みは次々と勃興してくるのだが、ひとつ前に悩んでいたことが思い出せないほどに眼前の悩みがにょきっと聳え立って支配してくる。 最近の悩みと言えばもっぱら保育園への徒歩での通園である。 怒りに似ているけれど、膨満した疲労感背負った悲しみのような、やるせない気持ちでいっぱいなのである。 10キロを超えた活きのいい男児を制止したり抱えあげたりしているので、単純に疲労感が大きいのはある。 保育園の行き帰り、私は大きなため息をたくさんついてストレスを蹴散らすしかない。 これまで1年半ほど、息子について色々な悩みがあったと思う。 しかし先ほど書いた通り、ひとつ前に悩んでいたことが何だったかよくわからない。 他の何で悩んでいたかと思い返すと、もはや1年ほど前の離乳食問題である。 食べない、飲まない、噛めない、体重が減る、保育園の先生方にも心配され、区の発達支援センターにまで行った。 言い知れない悲しさと不安で鬱鬱としてベビーカーを押していたことが思い出される。 今ではすっかり、ということもないが、日々のカロリー摂取は問題なくできているので、この問題は解決に至った。 そういえば、夜なかなか寝ないことも問題ではあるのだが、寝かしつけはこちらが気を張って体力を使い続けないといけないわけではないので、まあそれほどではない。 今、あの時の食べない噛めないと同じくらいの大きさに通園問題が膨れ上がってきているように思える。 どうしてこんなにも悩みとして膨れ上がってしまうのか。 考えてみると、おそらく、「自分も他人も行きたい方へ行かせたいという私の中の大方針を、力でもってねじ曲げているから」ではないかと思う。 自分の中でうまく整合性が取れなく、矛盾しているのである。 あっちへ行きたい、こっちへ行きたい、あれを触りたい、あれを覗きたい、外の世界で息子にはやりたいことが山のようにある。 もちろん、登園時刻の制限などは知ったことではない。 もちろん、人の敷地や人の物であることも知ったことではない。 色んな意味でボーダレスの彼はきらきらしている。 丁寧に説明すれば少しくらいは理解するのだろうけれど、でもやっぱり、その場の好奇心や衝動が勝ってしまう。 双方有効な相談は現時点ではできないと言っても良いだろう。 好奇心や衝動は、こちらも大いに理解できる。 理解できるだけに、その好奇心をダメダメ言って力づくで引っ張って阻止することは、私の方だって泣きたい気持ちになる。 揚々としている人の行く手を阻むだなんて、そんなことしたいはずがない。 やりたいことを遮られて暴れる息子をがっしり抱え上げて連行するだなんて、したいはずがない。 私は自分がしたくないことをせざるを得ないことに、随分と疲弊しているようだ。 1年前のあの頃、作った離乳食やミルクをどれだけ捨てたかわからないが、あの時のやるせなさも、食べてくれないストレスだけではなく、作った食べ物を捨てるという行為がストレスを増大させていた。 なるべく食べ物を捨てたくない、という私の中の大方針に反していたからである。 そんなにストレスならば自分が食べれば良いと、食べたこともあるが、その時の自分の欲求にそぐわなければそれもまたストレスとなる。 語弊を恐れずに言えば、私は全てのことを自分のためにだけ行いたい。 傍から見れば誰かのために見えたとしても、結局のところ自身の選択である。 自分がやりたいことをやれずに息子のために時間を割くとしても、それは総合的な判断において、自分のためだと思うからそうするわけである。 私はこういった大方針を自分の中に置いているため、「あなたのためにやってあげた」というような言い回しを酷く嫌う。 私はこのことを口にするのは、この大方針が転換しない限りはないだろうと思う。 まあ子育てにおいてはその点においてひずみが生じやすく、不平不満や愚痴となって現れてくるのだけれど。 こういった理由で、私は現状の息子との行き違いに困り果てているのである。 無論、この社会のルールを知らない彼にはまずルールを教えるべきであると思うから、「人の家に入ってはいけません、人のポストを漁ってはいけません、道路に飛び出してはいけません」と話をする。 最悪、死んでしまうかもしれない危険性を見過ごすことは出来ない。 子どもに話すとき、「いけません、いけません」と言ってはいけません、といった育児の方法があると思うが、もうすでにあなたがいけませんと言っているのがいけません、と言いたい。 幸いながら、通っている小規模保育園ではいろいろと相談に乗ってくれる。 しかし、息子は保育園ではとても聞き分けの良い子らしいので、家庭用の息子の惨状はふんわりとしか伝わらない気もする。 元気が良すぎて大変だったことは後で良い思い出になるよ、ということでは慰まない。 渦中では、気が休まらないだけでなく、火事場の馬鹿力を出さざるを得ない状況でぎっくり腰になるのではという身体の方の懸念もある。 あふれ出る子育てのやるせなさを、こうして文章や漫画として吐き出している人が多いのは、そのやるせなさの行き場がないからであろう。 細かな子育てネタは、狭い子育て界の中で大共感を得て、そしてその中だけで消費されていく。 子育てネタが不満以外に、昇華して社会的に役立つ教訓のようになっていることが少ないように思えるのは、昇華させる側の力が足りないからか、社会にとってとるに足らないことだからか、どちらだろう。 念のため、少なくとも私は、このような不満は息子の可愛さによってカバーされている。 今日も息子は可愛いのである、嘘も誇張もなく。 ぽっかり時間が空いたので、とっても久しぶりにしれっとホームページの改修を行ってみる。
2016年頃に開設したこのサイトであるが、2017年くらいに一度触ったきりで、このブログ以外の更新をもう本当に一度たりともしていなかった。 当然のことながら、私はこの数年間で自分としては劇的に上手くなっているし、創作をする内容も変わってきている。 けれども、ホームページの改修というものに手を出すのはとっても心が重たく、ならばいっそ見ないことにしようと、あまり自分のホームページを見ることもなくなっていた。 全く駄目である。 でももう時代は令和であるし、それどころか令和も3年、そして4月も半ばである。 ようやく重い腰を上げてホームページ全体を見渡してみると、何だか少し恥ずかしい思いがした。 「2017年4月更新!!」と赤字で書いてあって寒気がした。 この度の改修では、ヘッダーの画像変更、試験速記レッスンとこども向けレッスンのページ追加、ギャラリーの大幅削除、SNS連携、細かな文章の変更を行った。 小さな命名書ページも改修予定であるが、最後まだここだけ手を付けられていない。 画像はもっと明るくしたかったり、ギャラリーはもっと見やすくしたかったり、色々と暫定と言わざるを得ないのだが、完璧に作るつもりもそもそもなくて突貫工事である。 というのは言い訳だけれど。 今回は、試験速記とこども向けレッスンの開講と、SNS連携が主な目的なので、良しとしたい。 試験速記については、そのページに書いた通りなのだが、奇しくも司法試験受験者や法律関係のお仕事をしている方が生徒さんや知り合いにそれなりの人数がいて、この界隈の事情に少し詳しくなったと思うので始めてみたい。 そもそも、司法試験受験者で且つ速記に困っている人という需要はさほど多くはないとは思うのだが、困っている人はとことん困っているということも目の当たりにしたので、何か字の専門家としてお役に立てないかと思った次第である。 私は本当に字そのものが好きなので、所謂上手いとか下手とかを超えた範囲にまで興味を持っている。 文字を書くという行為自体について、こういったことを通して観察させていただいていたりするので、私はとても楽しいのである。 あとは、こども向け教室について。 これもそのページに書いたけれど今までは原則大人のみに大人向けに教える教室としてやってきた。 自分自身が子どもを持ったことや、保育園の先生のお子さんたちを教える機会をいただいたので思い切って開講してみることにした。 書道仲間にこども向け教室の話を聞いて情報収集をし、大人の生徒さんの中に英語の個人塾をされている方がいるので話を伺ったり、図書館で「はじめてのこどもの書道」という本を読んでみたりなど、色々と現在進行中で試行錯誤している。 当然のことながら、大人とは全然違う、子育てに近い方の悩みも生じるものである。 周知の事実かは知らないが、私は大人の字も好きなのだけれど、本当にこどもの字が大好きである。 なんなら、練習する前の一発目のその無垢な空間バランスが、特に。 なので、その無垢な一枚を先生に頂戴ともらって、飾っていたりもする。 もちろん、こうすると良くなるよという指導をするし、上手くなれば嬉しいのだけれど、字は所謂上手いばかりが”良い”や”美しい”ではないことも、それとなく伝えている。 もちろん、所謂上手いも”良い”や”美しい”のうちだけれど。 特別に新しい春というわけでもないし、ホームページを刷新しました!と豪語できるほど変わっていないけれど、変化はできた。 少しずつ変化の一手を打っていくことを、止めてはならない。 名古屋でどうしても見たい個展があって、日帰り、保育園のお迎えまでの超弾丸で行こうかと思いついて息巻いていたところ、ギャラリーが火曜水曜と休みであった。
けいこにまで声をかけていたのだが、名古屋まで行って休み!!とならなくて本当に良かった。 滞在時間2時間ほど、交通費往復2万円以上、空回りしなくて本当に良かった。 最近、展示会友達のような方ができて、情報を交換しながら書に限らずいろいろな展示会をご一緒している。 その方もフリーランスで書を教えたり作品を作ったりしていて、ある程度時間に融通が利く。 コロナ渦では私たちのような仕事にも少なからず影響はあり、なんだかんだと空いている時間もあるので、ここぞとばかりに勉強したり目の保養したりをしているわけである。 無論私の周りには書道をやっている人たちがわんさかいるのだが、無論書道をやっていない人たちもわんさかいる。 当然ながら書道をやっている人としかできない話があって、そういう話ができる友というのはやはりかけがえのないものである。 ギターや音楽をやる人たちは、ギターの弦の種類だとか、海外アーティストのシークレットライブだとか、ギターや音楽にどっぷり浸かっていないと出てこないような単語にまみれて会話をすることを心地よく思うのと同じで、書道には書道の話が当然ある。 さすがに名古屋に弾丸で行きましょうとは誘っていないけれど。 あと、書道の話ばかりしているわけでもないけれど。 友人、というのはなかなか難しいものである。 かつて、7,8年前から、昔からの友人が次々に妊娠して子どもを産んで、それまでのようには遊べなくなった。 私は当時そのことを残念に思ったものだし、寂しい気持ちを抱いたものだ。 基本的には誰しも、自分の今現状と自分の興味関心について話がしたい。 そうなると、子どもがいるのといないのとでは全然まったく世界が違ってしまう。 そうこうしているうちに私はありがたいことに新しい友人ができて、たくさんの話をした。 そうして今度は、私が妊娠出産をした。 子育て界隈の単語がどかんと入ってきて私を覆いつくした。 その友人からしてみれば、私が妊娠出産したことで、それまでのように話すらできなくなって、連絡すらもとらなくなって、寂しく思ったりしたのだろうか。 私は離れても関係が変わらない、とは思っていなくて、一緒に過ごす時間、連絡をとる頻度や会話の量が関係を密にするだろうと思う。 だから毎日一緒にいる家族は、良きにつけ悪しきにつけ関係は深まらざるを得ない。 逆に言うと、離れたい人がいる場合には、連絡を絶つ、距離的に離れる、ということが最も効果的であるだろう。 コロナ渦もさることながら、子育て渦にいる私としては、友人と過ごす時間を心ゆくまでとることはできない。 子育て渦において子育ての話をしたいのもあるのだが、子育て以外の話もしたい。 その良き相手は夫であるのだが、わちゃわちゃとして家の中では夫とすら話に没頭するのは難しい。 閉鎖的になりがちな子育て渦を、少しでも開放的に。 何かの標語みたいだが、大事なことである。 息子は「ギたー」という単語を覚えて、私にギターを弾かせようとする。 車は全部「でんしゃ」だったのだが、バスを見ると「ばパ」と言うようになった。 屈託のない笑顔と、癇癪の海老反りを繰り返す、そういう毎日。 そういえば、比較的旧い友人が妊娠をして、なんと双子だということを昨日知った。 なんとまあ。 お腹の中で無事に育ち、無事に産まれてきますように。 保育園まで初めて歩いて行った。
大人の足で寄り道しなければ徒歩6,7分の距離。 保育園の先生からは「体力的に歩いてきても良いかもしれませんね」と言われていたけれど、私としては気重感で押しつぶされそうなことである。 もちろん体力的には申し分ないことは分かっている、それは分かっているが。 ちなみに、ええかっこしいの息子は、保育園のお散歩ではお友達や先生と手をつないでゆっくりさしてわき目もふらずに歩くことが出来るらしい。 決して保育園の先生から歩いてくることを推奨されているわけではない。 歩きたがりの息子は最近ベビーカーに乗ることを酷く嫌がるのである。 「安全に保育園にいくためにベビーカーに乗ってね」と予め説明しているのだが、最近の息子にとって外の世界はアドベンチャーワンダーランドなので、優雅なお籠に乗って景色を眺めている場合ではないらしい。 朝乗せようとすると仰け反って怒る、乗せようとすらさせてもらえず。 緊急事態宣言が明けてちらほら出勤するようになった夫はもう出かけてしまっていない。 押さえつけてベビーカーに縛り上げることもできなくはないが、行動を抑制することには言い知れない罪悪感が伴うのであまりしたくない。 かと言って、歩いて行けば腕がちぎれんばかりに息子の行く手を阻まねばならないことも目に見えている。 こんなとき、私は非日常を選びがちである。 いずれにしても、息子のすべての思い通りの行動をさせるわけには毛頭いかないのだ。 どちらを選んでも楽ではない、ならば新しい方を。 週明けの荷物の多い保育園バッグを担ぎ、息子に靴を履かせたら目が輝いた。 それにしても、何か良いことがあったときの、子どもの顔が明るくなることや、目が輝くのはどうしてこんなにもわかりやすいのだろうか。 逆もまた然りだけれど。 「手ってつないで行かないなら抱っこして捕まえるからね、手って離さないでね」と話す。 息子は私と離れることを良しとはしていないので、ある程度は手をつないでくれる。 しかし、興味のままに立ち止まったり、順路でない方向にも行こうとするので、案の定とっ捕まえたり引っ張り合ったりすることになる。 「はとさんいるねえ、ヴぁーぱ(ポスト)あったね」なんて悠長に会話しながら歩くなんて全くかなわない。 無論、車や自転車や通行人からも身を守らねばならない。 息子にしてみれば、公園の滑り台1回滑りたいし、排水溝の水のぞいて見たいし、ガードレール触りながら歩きたいし、カラーコーンがたがたやりたいし、マンションのエレベーターのボタン押したいし、パン屋に寄って行きたいし、自動販売機をくまなく探索したいし、もうやりたいことだらけで、道を進んでいる場合ではない。 どうしてお母さんは僕のやりたいことだけ阻止するのか、となるのも当然のことだろう。 しかし休日の散歩とは違って、保育園に行くには時間も限られている。 度々とっ捕まえて抱き上げて進みながら、それでも手をつないで歩き進んで、20分弱くらいをかけて保育園に到着した。 息子の小さな手を離さないように握って、20分間緊張しながら歩くのは骨が折れた。 先生はとっても褒めてくれたけれど、週明けで私と離れることが嫌だったらしく、うわーと泣いた。 とても小さな日常なのだけれど、渦中の当人たちにとってはなかなかに大変なことだ。 とても小さな日常で、しかも大人にとっての大した発見があるわけでもないので、何かしら子育ての一コマを外界に向けて発表するのは、子育て渦中の人たちとそうでない人たちの受け取り方に温度差が出やすいだろうと思う。 子育ては最高のクリエイティビティだ!というような言い方があるように思うが、決してそうではないことも多くある(あるいは瞬時に目に見えてクリエイティブなことは少ない)ので、子育て渦中の人たちとそうでない人たちの子育てに対する観念の差は埋まらないという面もあるのではなかろうか。 当人たちにとっては大いに価値の高いことだったとしても。 現代社会一般的に子育て事情が閉鎖的になりやすいのは、こういったこともあるのだろう。 たとえ自分の子どもであっても、四六時中見ているのは無理がある。 夫がよく言うが、ひとりの人間をひとりで背負うことはできない。 できるだけ多くの人に世話をしてもらうことが良いのではないかと、我が家では考えている。 子育てについての、言うなれば何か社会貢献をしたいと思っているのだが、上手く思い描くことが出来ない。 私が抱いている子育て界隈の違和感が、まだ私の頭の中で整理されていない。 そうこうしているうちに、濁流息子が帰ってくるので、また散らかってしまう。 お義父さんの百か日法要ということで、夫の実家に出向く。
いろんな宗派や慣習があるもので、百か日法要とやらには私は初めて出席した。 如何せん、通夜葬式から、はちゃめちゃなお年頃の息子が常に懸念材料であるのだが、無論今回もそれは変わらない。 夫の実家には電車で行くと、一時間半の道のりである。 乗り換えは二回、最後は30分のバス。 30~40分でも寝てくれれば良いが、そんなに都合よくは行かない。 年明けに電車で帰ってくる際には、終盤4分の3ほど来た電車の中で騒ぎ出し、やむなくタクシーで帰ってきた。 この時年始だったからか車内はかなり空いていたので良かったが、普段は結構混んでいる線なので、混雑時の号泣は困るというかお手上げである。 お菓子やおもちゃで気分が釣れれば良いが、なかなか一筋縄にはいかない。 今回はいろいろと迷って、結局車で行くことにした。 自家用車はないので、タイムズのレンタカーである。 またいつか話したいが、このタイムズのレンタカーはものすごくよくできたシステムである。 家の周りにはとても多くのタイムズのレンタカーがあるのだが、季節柄か、土日だからか、緊急事態宣言が明けたからか、悉くレンタル中であった。 仕方なく、3駅分先の駐車場に夫が車を取りに行ってくれた。 新調していたチャイルドシートを取り付け、息子を取り付け、いざ出発。 ところで私は車の運転が、一切できない。 18の時にマニュアルで免許を取得しているのだが、一切できない。 冗談ではなく、今後有事の時にさえも私は車の運転をすることはないのではないかと思う。 そのくらい、私の機械操作や空間認識力はまずい。 なので、私は車の運転ができる人を、その点において全員尊敬している。 運転ができない、運転を代われない負い目があるので、私は車に同乗させていただくとき、文句やアドバイスをすることはただの一度もない。 絶対に邪魔しないようにと心がけている。 そうしていると眠くなって寝てしまうことが多いが。 と言うのも、車に乗っていることに真正面から向き合うと怖いからである。 これは自分が運転していなくても同じことで、何せ車幅の感覚が全然分からず、私の感覚ではすでにぶつかったりぶつかりそうになっているため、「きゃー」とか「わー」とか声を発してしまう可能性が高い。 高速道路など、時速100㎞ほどのスピードで皆が走りながら、車線を変えたり追い越したり追い越されたりしながら一度もぶつかってはいけないだなんて、そんな芸当よくできたものである。 まして、他の車が居眠りやよそ見は上の空をしていないと全員で信じて猛進するわけである。 そんな風な思考が走り出すのを交わしながら、わーきゃー言わないように毎度私は車に乗っている。 私が身体任せにわーきゃー言ったとしたら、それは運転者を驚かせ、本当に事故になってしまうかもしれない。 起きないはずの事故を自ら引き寄せるのは、無論本意ではない。 なので、車に同乗させていいただくときには、身を委ねて、信じて、楽観的平静を保つよう努めている。 今回は息子の相手をすることで手一杯であったのはかえって良かったのかもしれない。 初め30~40分くらいはぐずりながらもチャイルドシートに座っていたが、そのうちに怒って泣き出してしまった。 仕方がないので息子をチャイルドシートから下ろし、私がベルトとなって抱きかかえる。 それでももぞもぞと窓の外を見たり、床に降りてみたり、とにかく動きまくるので、私はそれに合わせて電車の歌を歌ったり、くすぐったり、そしてスマホでネットフリックスの動画を見せたりして何とかやり過ごした。 運転手も気を遣うだろうけれど、運転の邪魔にならないように子どもを制止するのも大変である。 息子は時折ちらっと見える生の電車を見つけては「でんしゃ!でんしゃ!」と嬉しそうにし、見えなくなると絶望した。 とりあえず、「あれは動画じゃないからボタン押して再生できないんだよ」と教える。 そんなこんな、息子は終始変な興奮状態で夜もなかなか寝なかったけれど、無事に帰ってきて今日は保育園に行った。 総じて心のコストパフォーマンスを鑑みると、車は良いな、と思った。 どの方法をとっても、大変は大変である。 だけれど、こういった大きめの刺激を定期的に与えていくのは息子の人生において大事なことと思う。 まあ当然のことながら、電車も良いね、という言い方もできると思うので、一長一短、いろいろな経験を親子ともども積んでいけば良いだろう。 何だかとても疲れた休日明けの月曜日は、静寂の休息日である。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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