年度末、という言葉は私には特に関係がないが、年度末である。
年度始めを迎えるにあたって、人々はそわそわし、浮き足立った空気が支配する。 そんな春の覚束ない感じが私は好きではない。 しかしながら、去年今年とコロナの影響で、そんなそわそわした春の雰囲気があまり感じられない。 もちろん入学する、入社する、そんな当人たちやその家族たちにとってはそわそわしているのだと思うけれど。 そういえばそわそわしていないなあ、と思うので、私にとっては過ごしやすい春、なのかもしれない。 さて、私はお酒を再開した。 これまでもノンアルコールビールやホッピー(割り材)は飲んでいたけれど、ついに普通のビールを飲んだのである。 2年間以上も飲んでいなかったので、本当に恐る恐る。 町の小さな中華料理屋で出てくる感じの小さなビールグラスに一杯。 息子が手を出してくるので、そんなに厳かには飲めないけれど。 ごくり、と飲んだビールの味は、こんな味だったっけ、という感想だった。 しかしノンアルコールビールやホッピーと違って、アルコール独特の味の重さがある。 そういえばもとより、私はお酒全般は好きだけれど、お酒の味そのものについて美味しいと思ったことはほとんどなかった。 味の違いが分からないということでもないのだが、どれも美味しいしどれも美味しくないし、言うなればどれでも良いのである。 ビールが良い、ワインが良い、焼酎が良い、日本酒が良い、というくらいの好みはその時々によって発動するが、それ以外は特にはこだわりはない。 私は、アルコールが身体に回って平常と違った所謂”酔っている”という状態が好きなのと、食べ物のお供としてのアルコールが好きなのと、そんな状態で誰かと一緒に話をするということが好きなのである。 これはおそらく立派なお酒好きと言えるのだと思う。 さほどお酒の味を求めていなくとも、そんな状態は求めているので、再開後結構な頻度で「飲みたいな」と思い、飲んでいる。 しかし本当に弱くなっているので、グラス一杯、二杯程度だ。 先日三杯飲んで、ぐでっと横になったら動けなくなってしまった。 それでも息子が寄ってくるので、わちゃわちゃあ~~と撫でまわすとやや迷惑そうな嬉しそうな、複雑な顔をした。 酔っぱらいは往々にして人恋しくなるのか、撫でまわす酔っぱらいと撫でまわされる素面の人という構図は昔ながらのものである。 まあ息子もいるので、それ以上に泥酔することもかなわない。 ほろ酔い程度の晩酌はこれからまた楽しんでいきたい。 以前はブログを書いて、翌日あたりに読み直しておかしなところを直したりしていたのだが、スマートフォンの編集アプリがiPhoneのバージョンに対応しておらず編集ができない。 なので一発書きっぱなしになっていることが多いのだが、不意に読み返してみると誤字や言い回しのおかしなところがたくさんあることに恥ずかしさを覚える。 なかなか更新頻度も上げられないので、文章ももたつく。 そういう時期だから仕方ないと思うか、もう少し筋トレを増やすか。 息子に曲げられた眼鏡が顔にフィットしなくて疲れる。
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私は流行り言葉を上手く使える方ではない。
何年かに一度くらい、巷にあふれてかえっている、今まであまり目にしなかった言葉や言い回したちがとても気になることがある。 「わかりみがすぎる」「大好きすぎる」「最&高」「控えめに言って」「ゼーハー」「ぴえん」「とりま」「それな」「じわる」「尊い」「詰んだ」「エモい」などなど。 ほんとはもっとあると思うのだが、書き出そうとするとなかなか思い出せない。 「尊い」というのは主に育児系のブログでよく見かけるのだが、「新生児のにおい、尊い・・・!」と昔だったら言っただろうか。 上記の言葉たちを私は流行りの意味ではほとんど使わない、というか使えない。 ただ「エモい」という言葉が持っているニュアンスは、他の言葉で言い表せないように思うのでこれだけは普通に使うが。 こうしてみると、新しく勃興してくる言葉というのは感情の強調の言葉は変化が大きいのかもしれない。 「まじ卍」(私は会話上で聞いたことがないが)、とか「やばい」とかも同様に、そしてあえなく死語となったが「チョベリバ」がそうであったように。 こういった新しい言葉や意味の付与は、どこで発生してどうやって広まっていくのだろうか。 無論どこかの誰かが発明しないと存在し得ないのだが、それはじわりじわりと水が染みていくように音もなく周知されていつの間にか広まっていくものである。 JK用語というくらいだから、女子高生が発信元である可能性は高いのだが、誰ということもなく、多くの女子高生たちがげらげらと使い始めるのが最初なのだろう。 言葉という巨大で曖昧な生き物は、代謝しながらうねりながら拡大していく。 その言葉の発明者本人ですら、巨大で曖昧な生き物に飲み込まれて忽ち有耶無耶になる。 やがて時の流れにも耐えた新しい言葉は、「新しい」という接頭語が取れて、一般的な言葉となる。 「舟を編む」という辞書編纂の物語を描いた三浦しをんの小説があるが、以前その派生のドキュメンタリーをやっていた。 現代の新人の編集者が、改訂版の辞書に載せるに値する新しい言葉や意味を探して、語釈や例文を考えたりダメ出しをされたりする話だった。 その中で「盛る」という言葉の語釈の追加があって、「実際よりも程度や量を多くまたは良く見せたり申告したりすること。俗に、化粧を濃くする。また、大げさに言う。」という文章(仮)が採用されていた。 確かに「盛る」という言葉において、上記の意味で使うことは比較的新しいとは思うが、すでに多くの人に周知され継続的に使われていることで晴れて辞書入りしたのだろう。 このように辞書に載ることができるほど市民権を得る新しい言葉というのは決して多くないだろうと思う。 それにしても、新しい言葉を使う人たちは、その言い回しを自然に体得していくのだろうか。 何らの違和感もなく、自分の身体に取り入れていくことが出来るのだろうか。 このことは結構昔から不思議に思っている。 とはいえ、私も無自覚に使っている新しい言葉はたくさんあるとは思うけれど。 どんな言葉を用いるかは、自己表明にもなる。 また逆に、どんな言葉を用いるかによって、「その言葉を使う人たちのキャラクター」に近寄れるということもあるので、逆に使う言葉によって人格形成に影響するということもあるだろう。 稀に、流行り言葉の世界とは全く無縁の、自分の言葉を喋る人がいる。 そういう人に出会うと、私はとても嬉しかったりする。 やはりあれから、息子はおっぱいを吸っていない。
晴れて私は、夜中の身体の差し出しや薬やお酒やワンピースなどの制約から自由になったのだ。 でもまだお酒は飲んでいない。 2年半ほどもお酒を飲んでいないので、復帰するにはなんだか勇気が要る。 復活祭とか何かそういうきっかけの催しでもしないと、どうやって飲んだらよいのか、いまいちよくわからない。 まあ飲まないなら飲まない方が様々なことの効率は良いのであるが。 断乳完了と同時に所謂ネントレというねんねのトレーニングも始めて、今までは夫の抱っこ紐の中で眠って静かに布団に下ろすという方法をとっていたのを、私と一緒に寝室に入ってそのまま布団の上に寝るという方法に変えた。 これは案外スムーズにいっている。 保育園でそうやっているのか、寝る時間になると「ねんねー、ねんねー」と可愛い発語をして布団に寝転がってくれる。 すぐには寝ないけれど、少しうろうろしたり私の胸に手を突っ込んだりそれを払われたりして、だいたい30分くらいで寝てくれる。 でんしゃ、ねんね、いないいないばあ、できた、わんわん、は上手に言えるようになってきた。 電車も車もバスも自転車も飛行機も全部「でんしゃ」と言う。 「ひこうき」は何となく、「ぁーき」と多分ひこうきと言おうとしているぐだぐだの発音が出始めている。 絵本のうんちをするページでは「うううん」と言う。 乾杯は、教えてないけれど、「でぃー」と言う。 おかあさん、と読んでほしいけれど実際にはあまり教えてはいない。 ところで息子の靴がすごい勢いで増えていく。 自分たちで買ったものや、両おばあちゃんに買ってもらったものや、甥っ子からのお下がりや、そしてもはや履けなくなったものや。 どんどんどんどん、まだきれいなのに、履けなくなる。 小さな靴が今家には9足ある。 うち2足はもう履けない。 そういえばファーストシューズはベビーカーのクリップに挟んでいたらいつのまにか1足無くなってしまって、もう片っぽも処分してしまったことも思い出す。 今ジャストサイズの赤い靴はまだ一度も履いていないから、週末に履かせよう。 平日保育園に行っていると、家で靴を履くことはあまりないので、休日しかタイミングがない。 そうこうしているうちにまたこれも履けなくなってしまう。 サイズアウトして履けなくなった2足は、まだきれいだし、小さくて可愛いし、いただきもののブランド物だし、風呂で洗い洗濯機で洗って、壁に飾っている。 もらってくれる先ができたらあげるもの良いけれど、これくらいはとっておこうかなと今のところは思っている。 私は余分なものが家にあることを好まないけれども。 さてそろそろ確定申告をやらなければならない。 息子の断乳というか卒乳が、おそらく、うまくいきそうである。
〇日にやめる!とそのうち決めようかと思っていたのだが、毎日夕方にこんこんと息子におっぱいは終わりということを話しかけていたら、その夜は不意にやってきた。 21時過ぎに寝る息子は24時になる前に一回起きて泣いて、おっぱいをもらうというのが通例である。 何となく、夜中の暗がりの中で、「もうおしまいだよ」と私は息子からおっぱいを遠ざけた。 その日はおっぱいにありつけないことに怒り、泣いて足をガンガン蹴りつけて暴れた。 互いに奮闘するも、私も寝たいので、「これが最後だよ」と私が折れて服を捲り上げた。 この日は未明にもそんな感じで暴れたので仕方なく私はおっぱいを差し出したのであった。 おしまいと言われているからなのか、乳首が引きちぎれんばかりに吸って、それでも話さなかった。 これは4日ほどまえのことか。 次の日、寝る前に「今日もおっぱいなしで寝ようね」と話しかけた。 いつものように、22時半頃に起きた息子はやっぱり泣いて怒った。 私は決意を新たに、「ないよ、ない」と優しく諭し、それでも暴れるので、暗がりのリビングに連れていき怒りの納まるのを待って、息子を抱きしめながら背中をさすり、ゆらゆら揺れた。 眠りに落ちそうになって、またおっぱいをよこせと怒り、寝たかと思ったら、またおっぱいおっぱいーーと怒り出す。 それを4,5回繰り返して、それでも私は揺れ続け、根負けした息子は再びの眠りに落ちていった。 夜深く、また目覚めた息子は暴れて私の服を捲ろうと引っ張って泣くが、私はそれを阻止し続けた。 息子は私の服に手を入れて触ることでようやく落ち着いて、そのまままた眠った。 また次の日、寝る前に寝室で息子とふたりきりになり、もう一度、向き合って、おっぱいをやめる話をした。 最近はすべて寝たまま吸わせていたが、息子が今よりもずっと小さかったころのように、私は胡坐をかいて座り、息子を太ももに乗せながら抱っこして見つめあった。 「今までおかあさんのぱいをたくさん飲んでくれてありがとう。今日で最後にするね。ありがとうね。これからも変わらずにお母さんは側にいるからね。」と私は言った。 息子はすこしすっとぼけた顔をしていないいないばあとふざけていたけれど、何となく聞いているような感じだった。 そのあと、そんなには出ないおっぱいを気の済むまで吸わせて、息子はそのまま寝た。 私はひと粒、ふた粒の涙をこぼした。 また次の日、いつものように23時ごろ目覚めた息子は泣いたけれど、私が背中をさすっただけでまた眠りに帰っていった。 明け方、私の服を引っ張って訴えたけれど、また背中をさすったらすぐに寝入った。 きっちり始めたわけではない断乳なので、どうせまた失敗するかなと思っていた。 今回はもしかするともうこのまま息子が私のおっぱいを吸うことはないのかもしれない。 そう思うと、もう反射的に目頭が熱くなってしまうのだけれど、でも、これで良いのだ。 私はへその緒から息子を切り離して以来の、第二段階の自分を取り戻すのである。 文字通りの血を分ける生活はもう終わりである。 悲しいのだろうか。 言い知れなく、悲しいのだと思う。 私には、一度始めた断乳を途中でやめるのは子どももかわいそうだ、という記事を誰かのブログで読んだことを思い出していた。 私には、息子への授乳において、言葉で片付けられない執着があったと言わざるを得ない。 所謂、愛、とは少し異なるような。 心よりも身体が悲しがっているような。 身体も授乳で疲弊しているはずなのに。 おっぱいをあげるという行為が、こんなにも深さのあるものだなんて私は知らなかった。 自分がこのことに、こんなにも執着するだなんて私は知らなかった。 何だろうか、全然まったく、上手く言えている気がしない。 複雑な気持ちである。 自分の観察者としては、自分のこの気持ちはそのままに暫く観察してみたいと思う。 そして、1週間後には、ビールも飲めるようになるのかもしれない。 リビングを軽く模様替えした。
気分によってそれができれば良いのだが、今はそうはいかない。 息子が大きくなってきて、力も好奇心も強くなったことによる、大人の所持品の護衛と安全対策のためである。 柵だらけの部屋は、さながら檻のようである。 果たして、檻はどちら側であろうか。 広い方が外とは限らない。 柵が倒れないように、暫定的に手すりにロープを括り付けて結んだ。 思わぬところに出現したロープに洗濯物を干す。 テレビは窓を背にして置く。 朝日のまぶしいこのリビングでは、完全逆光で朝のテレビを見ることになる。 まあもっぱら朝にテレビを見ているのは息子だけであるが。 なんだか以前に増して滑稽な部屋になってきた。 インテリアは興味があるし、こだわりたい部分もあるのだが、当然ながら今は秩序なき赤子の安全が第一である。 しかし、久しぶりに柵やジョイントマットの下を掃除して物を片付けたので、すっきりさっぱりである。 これが保てれば良いのだが、まあそうもいかない。 すぐさまにおもちゃ箱をひっくり返して、水をこぼし、気づかぬところでは口についたプリンが柵についていたり、乾燥して硬くなった納豆の粒が転がっていたり。 エントロピーは増大の一途をたどるばかりである。 朝からカレーを煮込む。 豚ひき肉と玉ねぎとにんじんとコーンとパセリ。 じゃがいもにんじん玉ねぎ豚肉、をきっちりパッケージの表示通りの分量で作ることが美味しいカレーの正攻法という秘技であるが、なかなかそうやって作ることがない。 私は「〇〇を作ろう」と買い物リストを書いて買い物に行ったことがほとんどなく、適当に買い物をしてきてキッチンに立ってから何を作ろうか考える。 具材を炒めている途中でトマト煮込みになるかカレーになるか、変わることさえある。 何となく具材が足りなさそうであれば途中でしめじとかガルバンゾなどを入れることもある。 寄り道は厭わないという気分だけ携えていて、行き先が作り手本人にも明確に見通せない。 さながら私の書のようである。 今日のカレーはやや変わり種であるがどうだろうか。 ところでルウは甘口である。 甘口であれば子ども用カレールウでなくても息子も食べることがあるので、最近は甘口にしているが、本当はジャワカレーの辛口のようなスパイシーなカレーが好きである。 まあでも何を作っても、ゆっくり味わって食べることできないのでさほどのこだわりはないのだが。 息子に、ここ一週間ほど、毎日毎日こんこんと、「もうパイは終わりだよ」と話しかけている。 いよいよ出なくなってきた私のおっぱいは吸われることに嫌気がさすようになって、何より夜中に起きられると私は寝不足になってしまうことに困っていた。 昼間に机に突っ伏して寝てしまうほどである。 しかしながら、インターネットに転がっている卒乳や断乳の漫画を見るたびに私はどうしてもどうしても涙が滲んでしまうほど、私の方にも執着があったので、ここまで息子の好きなようにさせて見守ってきた。 おっぱいをやめることは8か月くらいの頃から隔月くらいのペースで考えてきたのだが、やめたいというその時の懸案事項はだいたい2,3週間で収まって、やめる理由がなくなってしまうということを繰り返してきた。 出来れば断乳でなくて卒乳が良い、なるべく息子が自発的に、私の気持ちにも協力してもらってお互いに折り合いを付けて、ぬるぬるっと卒業したい、そんな風に今は思っている。 「もうおかあさんのパイは出ないから夜中に吸うのやめてね。夜中にパイを探して怒って蹴とばすのもやめてね。代わりにおかあさんぎゅうってしてあげるからね。パイとさよならしてもおかあさんがいなくなるわけじゃないから大丈夫だよ。夜中の寝ぼけているときは心配だと思うけど、ぎゅうしてあげるからね。」 そんな風に毎日話しかけている。 昨夜は、一度か、あるいは一度も、パイを求められなかったような気がする。 私も寝ぼけているのでよく分からないのだが、久しぶりに私の睡眠欲が満ちた気がする。 代わりに朝方、息子は私の上に乗ってきて、私は息子をぎゅうっと抱きしめていたら、服を吸って服がびたびたになっていた。 息子なりに我慢しているのだろう。 「ありがとう、ありがとう。」と伝える。 ブログに書くことも、日々の生活も、息子のことばかりである。 まあいいか。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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