南瓜、椎茸、えのきだけ、ピーマン、パプリカ、油揚げ、をフライパンで焼きつけて、まだ熱々のだし汁に薄切りにした生姜と鷹の爪を三本ほど投げ入れて、浸ける。
半日くらい寝かせる。 常温でほの冷たくても、冷蔵庫で冷え冷えにしても。 最近よく作る野菜がメインの焼き浸し。 要は夏バージョンのごった煮ならぬごった浸しと言ったところである。 簡単、それなりに美味しい、汎用性がある、大量に作れる、味付けが繊細でなく再現性がある、そんなレシピは定番として地位を確立して何度も作られることになる。 汎用性がある、というのは、具材はこの他、非常に幅広くほとんど何でも良いということである。 まだ試していないが、牛肉やゆで卵、冥加やセロリやトマトなども良いだろう。 しかし、鯖や秋刀魚などの青魚は臭みが広がってダメかもしれないと想像する。 茅乃屋の出汁パックをいただいたところからこのメニュー開発に至った。 決め手は何と言ってもこのだし汁である。 このだし汁の波及力というのは、様々な食材全体を十分に覆い尽くし、ちょっとやそっとのことで揺らぐものではないのである。 出汁のきいた料理を作る人のことを所謂「料理上手」と言ってしまう向きというのは確実にあるように思う。 出汁のきいた料理は味が染みているということでもあり、時間と手間がかかっているように思えるし、何かしらの“本格感”を否応なく醸してしまうものだろう。 しかしながら、既に完成された出汁パックなどを使えば実に簡単に本格感の醸成された和食料理が出来上がる。 気を利かせたいところと言えば塩味の調整くらいなものである。 あと、それなりに味を染み込ませるには時間が必要だが、放っておけば良いだけなので手間はない。 シンプルなレタスとハムのサンドイッチや、塩胡椒のみの味付けの葉物の炒め物、絶妙なチキンライスやチャーハンなどの方がよほど難しい料理のように思える。 もちろん立派な出汁パックを使わなくても、化学調味料としての和風粉末だしや出来合いのつゆの素を使ってもそれなりに良いだろうけれども、「料理上手」の華々しい演出としてはある程度高級高値な出汁パックを使った方が良い。 と言っても、出汁パック一つあたり70円ほどのようなので、かなり現実的でもある。 いただいた出汁パックが無くなったら、今度は自分で買ってみよう。 誰かの家に出向く時の手土産にも良いかもしれない。 さて、産休に向けて少しずつ仕事をセーブしている。 何せひと駅分ほどを歩くと高い確率で貧血を起こしてしまうので出歩くことがままならない。 打合せの場所などもご自宅まで伺いましょうかとおっしゃっていただいたり、皆様にご迷惑をおかけしながらも甘えさせていただいている。 今までやってきたことができなくなる不甲斐なさに実のところだいぶ追い詰められていたのだが、最近は少しずつ諦めがついてきた。 またたくさん歩けるように、またサウナに行けるように、きっとなるのだろうから、今は身体の言う通りスローな動きを取っていれば良いのだろう。 そんなことに、今さらようやく納得が得られてきた。 安静にしてください、どうぞお身体を最優先に、と妊娠期間中に何度言われたことだろうか。 それはそうなのだが、自分が退化していっているような気がしてそれは何とも辛いものであった。 既に10キロほど増加している体重も、ようやく上げ止まり。 慎重に、泰然と、暮らしていこうと思う。
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氷食症、という言葉を聞いたのは、いもうとが妊婦のときであった。
氷をがりがりがりがり貪り食う現象のことを言うらしい。 現在の私も発症している。 が、私は元から氷をよく食べる方だ。 ジュースなどに入っている細かいクラッシュアイスは子どもの頃からジャクジャクと全部食べ干していたし、キューブのブロックアイスも冬やエアコンの効きすぎでもない限りはたいてい食べてしまう。 しかしながら、わざわざ氷を買ってきて家で食べるということは無かった。 今は冷凍庫にクラッシュアイスが欠かせない。 まあ実際には、食べずにはいられない、というほどではないのだが、無駄なカロリーを摂るよりも水分も摂れる氷は今の身体にも良いのではないかと思っている節もある。 ガリガリバリバリ、何となくお腹も膨れる気がするというものだ。 異食症の一種とのことであるが、詳しい機序は分かっていないのが現状のようだ。 有力な説のひとつは、鉄欠乏性貧血。 今のところ数値的異常な貧血ではないのだが、献血を断られるくらいには元々血液成分が薄い。 慢性的に鉄分は不足しているのかもしれない。 先ほど読んだネット記事で興味深かったのが、鉄欠乏の人はドパミン受容体の数が減少していてむずむず脚症候群というのを併発することが多いのだということ。 とても合点がいく、やはり私は数値的異常でなくとも鉄分が不足しているのかもしれない。 むずむず脚症候群というのは、英語で言うと、レストレッグスシンドローム。 私が今抱えているマイナートラブルの大きなもののひとつである。 妊婦の1,2割が発症するらしいのだが、「むずむず脚症候群」という医学病名とは思えない名前が付けられているのは、その原因も症状もはっきりとは何とも言い難いという点にあるのだろう。 私の場合むずむずするというよりは、痛いでもなく痒いでもなく、「脚がムカつく」という表現がしっくりくる。 夕方以降リラックスしていたり、夜寝る前や寝ている最中に、とにかく自分の脚がムカついて不快なのである。 友人もいもうとも妊娠期に発症していたらしいが、私は幼い頃からこれを発症していたと思う。 ちょうど小中学生の頃の成長期から脚の不快さは感じていた。 大人につれ和らいでいったし、何せ明確な痛みなどが無いものだから、浮腫んでいるのだろうというくらいで特に気にしてはいなかった。 とあるタイミングで「むずむず脚症候群」という名前を知って、あぁそういう病気があるのか、とある種の安心感を得た気がした。 何だかよく分からない現象に合点のいく名前が与えられることがある種の安心につながるということは広く存在すると思う。 分からない、ということはつまり不安でありストレスであると言える。 と安心を得て数年程、妊娠が発覚。 「むずむず脚症候群」の症状が強くなって戻ってきたではないか。 しかもほとんど毎夜、数回にわたって。 脳的理解の安心感と、現実の不快感はまた別のことである。 鉄欠乏のせいであれば、今度の検診で鉄剤を処方してもらえるようにお願いした方が良いのかもしれない。 数値的には問題がなくとも処方してもらえるものだろうか。 とにかく忙しそうな先生に勇気をもって相談してみることにしよう。 急に夏の空気になって、夜になってエアコンをつける。 夏の暑さは好きなのだが、今は少しでも身体的快適であるように過ごしたい。 かえるくんは冷やさないようにしないといけないが、母体が快適であるべきだろう。 dTVの解約前に何かとても古い邦画が観たいと思い、「失楽園」を観てみた。 滾滾と陰鬱な話だった。 バッドエンドとされているが、本人たちからすれば全然バッドエンドではなく寧ろハッピーエンドなのだろう。 それにしても私はいつしか、盲目的で情熱的な恋物語には全般的にあまり興味が沸かない。 先日の作品の整理の延長で、少しずつ部屋の片づけをしていく。
子どもが動くようになったらきっとあれもこれも危険なものになってしまうだろう。 今の私のお腹は部屋の片づけだけでもぱんぱんと張ってしまうので休み休み。 妊婦は雑巾がけをすると良いなどとよく言われるが、雑巾がけなどしたら5秒ほどで息が切れてその場に横たわってしまうと思う。 しかしながら、出産を経験した友人たちの中には妊娠後期になっても、お腹が張る、という現象があまり理解できなかった、という人もいる。 私はと言えば、床に座ったり立ち上がったり、それだけでも難儀である。 仰向けに寝ることさえも許されない。 仰向けに寝ると太い血管が圧迫されて低血圧になり、貧血のように気分が悪くなってしまったりする。 妊娠とは、身体の一大革命であり、非常事態である。 何せ、自分とは別の生命体が自分の腹の形を変えるほどに、私の意志とは関係なく動いているのだから。 十月十日、十人十色。 今この地球上に70億人ほどの人間がいるとして、その70億人分の十月十日があったのだと思うと気も遠のく気分である。 十月十日、私たちは誰もが母体の子宮の中で母体を拡大ときに圧迫しながら過ごした過去があるのである。 だから母子の絆がとか、大切な命を育むとはとか、そういった展開をするつもりは毛頭ない。 人間とは、妊娠とは、そういう十月十日を経るものなのである。 生命の神秘、というくらいは言いたい気もするが。 しかし、それほど妊娠が大変だったというふうな声は多くは聞こえてこない。 自分が胎児であったときの記憶はない場合が多いと思うが、出産を経験した女性であれば妊娠期間中の記憶は当然ながらあるだろう。 にも関わらず、出産の苦労話はいくらでも溢れているのだが、妊娠の大変さがあまり取り沙汰されないのはなぜなのだろうか。 個人差はあれど、あまり大変だと感じる人が少ないからだろうか。 それとも妊娠が大変だと口に出して言うことはある種のタブーのような面があるのだろうか。 出産の痛みを鮮明に思い出すことが出来ないように、妊娠期間中の苦労も産み落としたと同時に忘れてしまうものなのだろうか。 子どもを腹に宿しているという幸福感が肉体的苦労を大きく上回っているのだろうか。 不思議とかえるくんに怒りが沸いてくるということは全然ないのだが、やはり妊娠そのものが辛い。 だから何だということもない、ただ私の身体の現状を言いたいのである。 夜様々な事情であまり寝られなくなっているが、ふと朝に目が覚めると一瞬だけ妊娠していることを忘れていて、自分だけの身体がここに存在する気がすることがあって、我が身ひとつで幸せな気持ちで布団に抱きついていることがある。 しかしもう次の瞬間にはぱんぱんのお腹に気が付いてしまう。 そのうちにかえるくんが動いていることを自覚する。 起きたの?おはよう、と心の中で声をかける。 この瞬間はとても愛おしく思う。 心の予定日まであと一か月。
長い長いと思いながら、随分と進んできた。 最後は大きなお腹から巨大になったかえるくんを出すのがもったいなく思えるのかもしれない。 かえるくんは今もぐにょんぐにょんと足なのか手なのか身体なのかを動かしている。 そろそろかえるくんの肺呼吸の世界の名前を決めたいと思っているのだが、夫はまだ考えあぐねているようである。 気まぐれに作品の整理など。 それなりに心血注いだ作品というのはそれなりには愛おしさがある。 しかしその全てを取り置いていたら日々の空間を圧迫することになる。 だから時折、雑多にしかしひとまとめにされた作品の山を見返して取り置くものとそうでないものを選別する。 古いものほど、その選別の目が何度も通っていることになるので、やはり捨てるものは少なくなる。 画像は少しの加工をするので、画像上は見栄えがするものがあったり、やはり現物の方が良かったり、様々なものがある。 作品を見返すことはアルバムを見返すようなものなので、作品は季節感やその日の思い出などを含んでいる場合がある。 しかしあまり凝視することなく、ちらりと全体を眺めて残す残さないを判別していく。 それなりに、私なりに、いろいろな試行錯誤をしてきたなあと少し自分を褒めたく思う。 過去の私の作品を見て、悔しいという感情を駆られるものもある。 今の私は、このときのように自由闊達に書けないと思うと情けなく思う。 一方で、目が肥えたのか、かつては良いと思っていたものもさっぱり良く見えなくなることも多々ある。 最近は半紙以上に大きなものは書けずにいるけれど、やはり単純に紙が大きいというスケールの大きさは、身体の動きのスケールに等しいので作品の存在感にもつながるなと思う。 また、私がぐっとくる字や線は確かな傾向があるなとも思う。 ある程度良かれと思うものをさらにさらに掘り下げていくことを今後はしてみないといけないと思う。 ざざざざっと見返して、捨てる作品もそれなりに山となって積み上がった。 画像ではほとんどすべてを取り置いているが、それもまたいつの日にか整理しないといけないときが来るだろう。 クラウド上の置き場だって無限なんてことはない。 そしてその後、私の産休中にやってもらう生徒さんへの宿題づくり。 その場でどうやって書いているかを説明できないとなると、たまたまそうなった、というような曖昧な書き方は許されない。 できれば産休中に、私に暑中見舞いの葉書なんて出してもらえたら嬉しいなと思っている。 ポストに葉書や手紙が入っている、そんな情景がたまらなく好きである。 かえるくんの服をユニクロオンラインで6000円分ほど購入。
家族や友人からお下がりが来るかしらと期待していたのだが、様々な理由で思うほど集まらなかった実情である。 いもうとが姪のよれよれになった肌着や服をくれたのだが、あまりによれよれのくたんくたんなのと、あまりに女の子色や女の子柄が多くて使えるものが少なかった。 かえるくんは検診に行く度に変わる超音波の先生に「男の子ですね」と言われている。 男の子女の子、ブルーやピンク、車柄や花柄、それぞれにイメージを先行する象徴的な色や柄がある。 そんなものはどうだって良い、というふうに割り切れないのはなぜだろうか。 例えば震災などが起きて緊急事態で着るものもままならないとなったら、うさぎの刺繍があしらわれたふりふりのドレスしか着せるものが無かったら問答無用で着せる。 しかしそうではない通常時の状況では、やはりその男女イメージの象徴に合わせにいってしまうというか、そこから意図的に外れることを良しと出来ない。 男の子なんだから、女の子なんだから、と私も言うようになるのだろうか。 まあでも、私は性別に関して、肉体的思考的社会的かなり多くの面において明らかな資質の差異・傾向があると思っている。 そしてその差異や傾向は大切にした方が良いものだとも思っている。 男の子に車に興味がある子が多いのも、女の子に人目が気になる子が多いのも、固定概念や社会的に押し付けられた意味ではなく、元々の男女の資質の差異としか思えないほどに傾向は顕著であると思う。 当然ながら身近にいる子どもがそのマジョリティから外れている場合もあるだろうけど。 私がかえるくんに似合う、あるいは変ではないと思うものを着せる、とりあえずはこれでいこう。 かえるくんの意志が出てきたらなるべくそれに従ってあげたい。 夏生まれだから最悪タオルで包んでおけばよいというのも、少しの冗談を含んでいるだろうから、いよいよ必要と思われるものを買い揃えていく。 西松屋やしまむらで買ったらユニクロより安いのかもしれないけど、都心には店舗がなさそうである。 ベビーブランドもさっぱりわからないので、ここはやはりユニクロであろう。 しかしながら、私は姪や甥が何人かいても赤ちゃんのことがまるでわからない。 新生児用の肌着は一体何枚くらい必要なのか、出かけるときはどんな服を着せるのか、パンツはオムツだから要らないか、帽子や靴下は要るのか、どのくらいの期間でサイズ50というのは着れなくなるのか。 足りなければamazon注文で翌日には届くだろうから必要最小限にしておこう。 届いた新生児の肌着や洋服は、人間の大きさとは思えないくらいにとっても小さく感じた。 これで着られるのかしらと思うけれど、最も小さな肌着を私の膨らんだお腹に当ててみると肌着の方が随分大きい。 現在かえるくんはお腹には折り畳まって入っているから当然なのだけれど、そう思うと随分巨大なものが腹の中に入っているなと思う。 ところで、この半年ほどの間に自分の生活圏の語彙がとても増えたなあと思う。 増えた部分というのは、主に妊娠出産界隈の語彙。 これは実際に妊娠出産をしていなくとも、それを視野に入れた時点で少なからず増えていくものだろう。 誰しもそうだと思うが、日常生活を送る語彙の幅というのはかなり限定的である。 そこに今まで使うことがほとんどなかった大量の語彙が入ってくるというのは、生活が激変しているということに他ならない。 多くを持つことが最善であるとは言わないが、多様であることは豊かであり、何か選択する際の一助にはなるだろう。 しかし一方で、語彙は増えても、思考の方向性にはそれほどまでには大きな変化が見られないようにも思っている。 だから、確かに生活が激変していても、私の中見は主観的にはそんなに変わっていないように思える。 そう、あまり私の根本のようなところは変化が見受けられないのである。 そんなに簡単に、何か物事が分かる、なんてことは無い、ということなのだろうか。 新品のベビー服を一度洗っておこうと洗濯をした。 小さな服をどうやって干したら良いのか分からなくて、洗濯ばさみでハンカチを干すように干した。 自分の家では見たことのない、パステルカラーの多い今日の洗濯物干し場。 妊娠していると、どうしても妊婦でいることに心身共に支配されてしまう。
少なくとも思考は、どんな病気のときだって、陣痛渦中のときだって、原理的にはいつだって自由に羽ばたけるはずなのだが、一心同体とはこのことであるか。 ちなみに、陣痛時に私が試してみたい思考は、痛みを感じているのは身体のみであって、その痛みで本質的な“わたし”が脅かされることは一切ない、というより“わたし”の存在は脅かされようがないのである、というある種の哲学的思考である。 ヤージャニアヴァルキア・・・という古代の人物だったか、昔「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」飲茶さんの本の中で、「私は私を観察することができない」と言った人がいた。 私が私を観察するには、俯瞰する“私”が必要であり、その俯瞰する“私”を観察するためにはその俯瞰する“私”を観察するための“私”が必要となり・・・さてはて一体“私”とは何なのだろうか、と続いていく先に、かの有名なデカルトの「我思うゆえに我あり」といった言葉が出てくる。 上手く言えないけれど、“わたし”はこのことを知ったとき、“わたし”の存在の危うさと無意味さと無限の自由さを同時に感じた気がした。 思念の風が吹いた、そんな気がした。 それでどうなのだと言われると困るのだが、ほんの少しは人間的自由度が上がったのではないかと思う。 しかしながら、その思考を手段として発動することが実際にできるか否かは極めて難しいだろう。 痛い、暑い、痒い、といった我が身の不快は我が身として正しく不快なのだから。 痛いのは我が身に危険や死が迫っている信号なのだから、“わたし”の思考上別のことを考えていて痛みを放っておいたら、我が身も“わたし”も滅んでしまうかもしれないのだ。 我が身無しに“わたし”が生きられるか、それは分からないし、生きられないだろうと思っているが。 しかし陣痛は十中八九よりも高確率で死にはしない。 胎児をこの世に送り出すことができれば、とりあえずの母体の任務は完了である。 胎児から人間へ、臍帯呼吸から肺呼吸へ、寄生から自立へ、中から外へ。 言うなれば、これはかえるくんが死ぬまでの大いなる細胞分裂の旅の門出なのだから。 母体よりも胎児の力が大いに働いての出産であると考えれば、母体はただそっと見守るように応援する程度の態度を取っていれば良いのかもしれない。 ということで、私は大いに恐れている陣痛を何とか自分の都合の良いように捉えるべく、想像力を働かせているのである。 ところで、切迫早産になって一泊観察入院をしてきた。 要経過観察、ということで今朝無事に解放された。 切迫早産、とは何やらものすごく鬼気迫るものを感じるが、私のは軽い切迫早産であった。 糖尿病予備軍という言葉があるが、切迫早産予備軍、くらいのものだ。 元々妊娠してからというもののお腹が張りやすいのはとても感じていたが、昨日一昨日は子宮の収縮が周期的に訪れるものだからやや驚いた。 生理痛に似ていて、そう言えばもう何カ月も生理が来ていないことにも少し驚いた。 我慢しようと思えばできる程度の痛みだったのだが、やはり私ひとりのことではないので病院に行くと、膨らんだお腹に計測器とバンドを巻かれて収縮具合を測ると緊急ではないもののやはり少し心配な状況ですねと言われる。 かえるくんの心拍、私の心拍、陣痛度合、というのがモニターに映し出されて数字で見ることが出来る。 かえるくんの心拍は私の1.5倍から2倍ほどだがこれは正常。 陣痛の数値は当然かもしれないがきちんと私のお腹の痛みと連動していて、5分から7分おきに軽く収縮を起こしていた。 私が見た最も高い数値は67だったのだが、これは本番の陣痛ではどのくらいの数値になるのですかと聞きたかったが聞きそびれてしまった。 その他にも諸々の検査を行う。 切迫早産とはまだ産まれて良い時期ではないにも関わらず胎児が産まれそうになっている状態を言う。 妊娠週数にもよるが、胎児はお腹の中で十分に成長できていないため、産まれてしまうと様々なリスクを伴うことがあるものである。 妊婦の中には本当に切迫逼迫の状況の人もいて、そういう場合は2ヶ月も3か月も管理入院となる上、最も酷い人では点滴打ちっぱなしで起き上がることも許されず、排泄さえも看護師介助の上ベッドの上で行うという人もいるらしい。 私でさえも、診察室から車いすで移動したし、洗面所からトイレの2,3メートルの範囲から出るときは必ず看護師に行って車いす移動をしてくださいという指令が下った。 ルールはルールである。 明らかにそのような安静の仕方は私には不必要なような気もしたが、ルールを守らなくて危険を見るのは私自身だし、看護師さんも監督者として非常に困るだろうから、郷に入っては郷に従えである。 私は人生で初めて入院して、身体は元気であることも大いに関係しているが、初めてのことに興味津々で少し楽しんでいた。 しかしやはり長期入院ともなると不自由極まりなく狭苦しいだろうと思う。 大部屋はカーテンで仕切られていて一泊では同室の患者さんの顔を見ることもなかったが、窓際かそれ以外かでかなり気分の差があるだろう。 居所からの通風、眺望、抜け感、というのを私はとても重視しているが、穴倉みたいなところでは鬱々として別の病を発症してしまう気さえする。 ところで、なぜだか私は、その他のリスクは心配してもこの切迫早産で入院ということにはならないだろうと思っていた節がある。 それはけいこが「私は流産しにくい身体だから、そういうのはあんたらにも遺伝する」と豪語していたことが大きい。 私たちの身体は親からの遺伝に大きく関与するだろうが、この世で肺呼吸を初めて34年も経つと言うのに、私はまだそれに全幅の信頼を置いていたのかと思うとげんなりする。 我が身体に遺伝以外のパラメータが存在しないはずないではないか。 今朝外界は曇っていたが、なんとまあ素晴らしい空気であろうか。 無理しない、無理しない、と3分をかけてタクシーで帰ってきた。 禁断の「コウノドリ」をシーズン1もシーズン2も観てしまった。
全部で22話ほど、3日間くらいで観る。 私は、映画などの1本仕立ての物語を観るのは苦手なのだが、興味のある連続テレビドラマを連続して観る力がすこぶる強い。 「コウノドリ」は問題のある出産ばかりを取り上げる話であることは知っていたので、無駄に今自ら不安を煽ることもあるまい、とは思うものの出産にまつわる何か安心材料を見つけたくてつい手を出し、貪ってしまった。 そうでなくともインターネット上の出産情報を漁ってしまう日々である。 事実、私の情報収集はインターネットだけでもそこそこ進んでいるようで、「コウノドリ」の中に出てくる医療用語のほとんどを事前知識として私は入手していた。 トラブルやその原因や対処など、知らないより知っている方が良い。 自分が同じような状況に陥ったとき、比較的落ち着いて対応できるのではないか。 そんなふうに思う反面、そのほとんどが取り越し苦労であろうことを積み上げることは同時にストレスを積み上げることに他ならない。 特にインターネットは、検索ワードに対してそのような情報ばかりを凝縮して集めるシステムなのだから、恐ろしい話ばかりが雪崩のようにこちらを潰しにかかってくる。 知ったって知らなくたって自分の体に起きることは起きるのだ。 しかしながら、その手を止められずに貪り漁ってしまう。 「すべてのお産は奇跡だ」とコウノドリ先生は言う。 一方で、この世にこんなにもたくさんの人間が産まれていて、その全ての出産がいちいち奇跡のような偶然の重なりがないと母子ともに無事であることが叶わないなんて人間は既に絶滅してしまっているのではないかとも思う。 私の周りの友人たちもエピソードは色々あれど、皆無事に出産し子育てを行っている。 しかし、である。 普段は他人と比較して安心を得ることをあまり良しとしていないものだから、都合の良いときだけ「みんな大丈夫なのだから大丈夫」とは思えないのである。 あるトラブルは500人に1人くらい、またあるトラブルは2万人に1人くらい、そんな可能性に自分がヒットしてしまうのではないだろうかと思う心は完全には払拭できないものである。 いつだってそこに厳然と存在するのが、医学が総力を挙げて取ってきた統計の値というものだ。 考えて不安になって、まあどうにでもなるしなるようにしかならない、とそんなループをぐるぐると周るのである。 何かキラリと光る、私の不安を根本から霧消させる言葉などがあれば良いが、そんなものを見つけることは死ぬまでにできるかどうかである。 流れゆく時の中で来る時を受け流すだけだ。 一日いちにち、一時ひととき、過ごしていくしかない。 大丈夫なのか、と問われれば、今は大丈夫と答えるしかない。 ルンバくんがやってきた。
なかなかに愉快なやつだ。 ごつんごつんと自らの体当たりで進んでいく。 玄関の段差は察知して落ちないようにできるし、倒されては困るものがある場所にはルンバに付属のルンバくん避けを置くとそれ以上は近寄れない。 しかしながら、ルンバくんに後を頼んでお出かけから戻ってくると、ルンバくんの定位置にルンバくんがいない。 少し探してみると、隣の部屋で憔悴したルンバくんが意識を失って横たわっている。 僕ははてどうしたもんかと沈思黙考した後、そのまま寝てしまったようにも見える。 ルンバくんはひとりで部屋と部屋を行き来できるのだが、行った先で自ら扉を閉めてしまってそのまま事切れたのだった。 しかも、意図的に取らずにおいた大きな埃はそのままになっているのは、ルンバくん、職務不履行で追い出されても文句は言えまい。 ルンバくんを抱き上げて異常がないか確認し、扉を開けて、もう一度出発の背中を押す。 お腹が空きすぎているわけではなかったらしく、ルンバくんは再びブラシを回転させながら埃を吸い込み始めた。 ルンバくんは埃をもりもり食べながら躍進していくように見えるので、埃はルンバくんのエネルギーのように見えるが、ルンバくんにとってお腹を満たすものは電気である。 お掃除が終わったとルンバくんが判断すると、あるいはエネルギー切れを自分で認識すると、ルンバくんはご飯のあるお家に自ら帰ってゆく。 車の車庫入れのように周りをうろうろと見渡しながら、向きを変えてバックで自らの頭なのかお尻なのかをガチャンとはめ込む。 この家の住人としてはかえるくんよりも先人となるわけだが、かえるくんと仲良くなれるだろうか。 普段書いてSNSにアップしている書のひとつを欲しいと言ってくださった方がいて、はがきサイズの小さなものだったので早速郵便で送る。 「売り物であればお金を支払いますので」と仰って下さったが、裏打ちも表装の必要もないし、同士の方なのでお譲りすることにする。 普段書いているものはしばらく保管しておいて、数か月を経て見直し、それでも残しておきたいと思うものだけ残すようにしている。 ご所望いただいた作品を2か月ぶりくらいに見たが、確かに取っておいても良いものかなと思えるものだった。 我が身から出た錆なのか何かの原石なのかただの軌跡なのか、ひと欠片ほどの愛おしさを含有したものを手放すのはやや惜しいものなのだが、他人様が切に欲しいと言ってくれるものを我が手元に残しておく意味もあるまい。 ほったらかしにしてあった作品に、また少しの物語を含ませてポストに投函する。 それにしてもゴールデンウィークというのにさっぱりとゴールデン感のない天気が続いている。 からりと濃い青空で、暑い夏を思わせるのが、毎年のゴールデンウィークのように思うのだが。 雨奇晴好という言葉があって、蘇軾「飲湖上初晴後雨」の「水光瀲灔(れんえん)として晴れて方(まさ)に好し、山色空濛(くうもう)として雨も亦(また)奇なり」から来ているらしいのだが、晴れの日も雨の日もどちらも趣があって良い、という意味だ。 このような四字熟語を用いなくとも、日常的に「曇りや雨の日も晴れの日と同じくらい良いものである」といった発言を聞くことがしばしばある。 勿論一理あるのだが、私としてはやはり晴れの日の方がもう俄然好きである。 と、最近は言うようになった。 何というか、雨奇晴好を前面に押し出した発言というのは、多くの場合、「本当は晴れの日の方が好きだが、雨の日に沈んでしまう心を何とか持ち堪えさせよう」といったある種の盲目さを感じるし、少なくとも「晴れの日と同じくらい好き」というのに嘘が含まれているように思ってしまうのは私だけだろうか。 「私は落ち込んでいない、私はいつだって私のありようで良い気分を保てる、ひいては私は今良い気分である」と暗示をかけているように見えるのだ。 言わば自分自身の思考に対するライフハックの発動のような。 無論、雨の日の方が俄然好きだと言い切れる人もいるだろうけれども。 かくいう私も、ついこの間までどちらかと言えば雨奇晴好の考えを採用していたように思う。 確かに考え方ひとつで己の気分が好転するのであれば、それはそれでとても価値のあることだろう。 しかしながら、心の奥底、身体の髄で、本当はそれを疎ましく思う気持ちに蓋をしていることは微量の毒素を知らず知らずのうちに溜めこんでしまうようなものではないだろうか。 いつだって自分の“本心”さえ知り難く、何が最適解なのかを判断することは至難であるが、出来るだけ“本心”と整合性の取れた理解を自分自身に向けたいものである。 己の身体の反応を俯瞰して観察する、その繰り返しで私の時間は進んでいるのだろう。 3ヶ月ほど前、1年ほど前に買ったアルテシマの葉が全部落ちてしまって気落ちしていた。
私は自宅の植物を枯らした経験が少ないのだけれど。 原因は何だろうと、ネット情報を漁ってみたが、陽当たりも風通しも良い場所であるから、もしかすると水やりが足りなかったのかもしれないという点だけ思い当たった。 あるいはその個体特有の理由で生きられなかったというのはもうどうしようもない。 木の幹と枝だけになってしまったアルテシマ。 常緑樹なのに冬に裸になってしまった。 寒々しく、白く、らせん状になったアルテシマを、しかしながら私はどうしてもすぐには捨てる気になれなかった。 らせん状に巻いた幹は自然の形ではなく人間の手によるもので、そういった纏足のようなことをされると植物は多少弱くなってしまう、と買った当初植物屋さんに言われていた。 例えばパキラは編み込みになっているものをよく見かけるが、生命力の強いパキラを枯らしてしまう大きな原因のひとつらしい。 確かに、それは容易に想像がつく。 アルテシマの土にしっとりとするくらいに水やりをして、春まで放っておくことにした。 ちなみに水やりを控えていたのは意図的である。 基本的に観葉植物として売られているものはアフリカか東南アジアか、熱くて乾燥している地域のものが多い。 それらに水をやり過ぎると根腐れして枯れやすくなってしまう。 水やりは原則土が乾ききってから、その後受け皿からにじみ出るくらいに、というのが鉄則である。 そのまま裸のアルテシマを放置して2か月、4月初旬、かえるくんの誕生もあるし、私は意を決してアルテシマを捨てるべく大きな植木専用のハサミで解体を試みようとした。 細めの枝を一本、ざくりといくと、枝の芯はまだ十分に湿っていて白い樹液が出てきた。 まだ、生きている。 春だ。 この状態で捨てられるはずもなく、また水やりを追加して1ヶ月。 なんと可愛らしく、柔らかく、瑞々しく、艶々の、緑の赤ちゃんが芽吹いてきたではないか。 固く茶色くなった枝の先を食い広げて生れ出てきたのである。 ちょこんとした緑の赤ちゃんは、徐々に葉脈の見える葉っぱの形になってきた。 新緑の季節、葉緑素で光を吸い込み、もっともっとその葉を大きくさせていくだろう。 木々草花の芽吹き、それがとても好きである。 何とも静かで力強く、デリケートでダイナミックな生命の動き。 かえるくんも生命爆発その真っ只中で、出産時は言うなれば芽吹きのようなものなのかもしれないが、動物のそれと植物のそれは何だか美しさの質が異なる気がする。 まず、かえるくんは植物でもなければもとよりかえるでもないので、あんなに可愛らしい緑色はしていないのである。 奇しくもかえるは緑色のものもいるけれども。 植物たちの溜め込んだ力を一気に見せつけられる季節である。 季節季節と言うことを避けがちな私の一面があるが、いやはや最も好きな季節の到来である。 アルテシマの復活を令和とともに祝おうではないか。 そう、令和になった。 元号発表のときほど全くどきどきしておらず、普通の、ただの夜として改元の0時を迎えた。 テレビでは新天皇の即位にまつわるあれこれをやっているだろうが、それらの昼食時の定食屋でちらりと一瞥しただけである。 これは、人と一緒に過ごしているからでもある。 ひとりでいたら多分テレビの前でそれらを滔々と眺めていただろう。 ふたりでいるからと言って何か特別なことをしているわけでもないが。 象徴としてのお役目はさぞかし、私など想像も及ばない大変なことだろう。 地球上のただひとつの“わたし”の人生ということを考え始めてしまったら、”わたし”が大変なことになる。 かえるくんは早産の危機があったわけではないが、無事に平成の子ではなく、令和の子になれることになった。 胎盤は低置からあまり動いておらず、まだまだ微妙なところである。 かえるくんと私が無事なら何でも良いとか口では言いながら、6月下旬ごろに安産の経膣分娩がしたい、というのが私の願いである。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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