軟禁生活のため外出が出来ず、もちろん撮影もできないので、これを機にお字書き道TALKSのnoteを始めることにした。
https://note.com/ojikakido_talks/ 元々YouTubeの動画を観る習慣のない人にはぜひテキストで読んでいただけると嬉しい。 かくいう私も、YouTubeを観るのは息子が保育園に行っているときで、何か仕事がないときだ。 動画コンテンツは耳も目も必要、つまり身体ごと全部持っていかれてしまうので、余程余裕が無いと視聴することが難しいと思う。 まあ目はあまり必要でないコンテンツ、つまりラジオ的なものも増えてきていると思うが、どれもこれもまず小さな子どもがいる場合には結構難しいものだ。 毎週木曜19時更新、ということにした。 週に一回ブログを書くこともままならないのだが、大丈夫だろうか。 初回テーマは「書道ってなあに?」ということで、書道の定義を考えてみた次第である。 と言っても、この手のことはタナカ氏が得意なので、文章はほとんどタナカ氏が書いている。 ジャズギタリストが書道を定義しているという何だか滑稽な状況になっているわけだが、なかなか面白いのではないかと思う。 今回、書道は絵である、と言い切っているのだが、これをまず多くの書家は認めないだろうと思う。 私もそう言われたとき、何だか心がざわついた。 私は書家でなくて画家だったのか??いや、それは言い方として違うが。 しかしタナカ氏に説明をされればされるほど反論どころか、あぁそうかも?となってしまうので結果的に私も納得した形となった。 私は教祖の洗脳を受けているのか。 異論や疑問などはタナカ氏が懇切丁寧に喜んで答えてくれるので、是非気になったことがある場合は本当にお気軽にコメントしていただきたい。 さて息子は、家の中にいることも慣れてきたようではあるが、もちろん暇を持て余している。 保育園のある日常生活においたって暇を持て余すのが子どもなのだから、もう仕方あるまい。 今日は、要らない棚板で軽い傾斜を作ったら、家にある車という車を滑らせていた。 これはYouTubeで坂道ドライブという動画があってそれを見ているからだ。 どんな理由であっても少しでも熱中できることがあると良い。 けいこが送ってくれたクッピーラムネをカリカリやりながら、ぬるぬると夕方まで来た。 体調は良さそうなのだが、夜中に不機嫌そうに起きることがある。 身体を思いっきり動かせないストレスなのではないかと思っている。 明日は夫のおかあさんからまた荷物が届くようだ。 ありがたい。
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前髪を切りすぎた。
やけになっていたからだ。 でもいい、どうせ外に出られないのだから。 ついに我が家にも流行り病がやってきた。 何兆個、もはやその単位で良いかさえもよく分からないほどのウイルスが、都内だけでも蔓延しているだろうから、どこでそれがぴとりと張り付いて体内培養されたかはもう分からない。 最初に発熱したのは息子でその時点では、我々両親はおそらくだが感染していなかったのではないかと思う。 おそらく、前日に遊びに行った東京タワーのキッズスペースのボールプールが原因なのではないかと思っている。 といっても、仮にそうだとしても東京タワーの遊び場には一切の非がないけれど。 あの日、息子は大層楽しげだった。 息子は知らない人がいるところがとても苦手で、公園などのすべり台でも他の子がいるとすごすごと退散してきてしまうような子だ。 しかし、ボールプールの楽しさが勝ったのか、見知らぬ人にも怖気づかずに何度も隣接のすべり台に上ってはすべっていた。 いたずらな大笑顔で。 まあそれはそれで良かったのだが。 2日後の就寝後に何だか機嫌悪そうに起きるなと思ったらいつもよりやや身体が温かかった。 さして気にしていなかったが、翌朝37.5。 念のため保育園を休ませて様子を見ていたが、午後には38.7。 病院に連れて行ったときには熱が何度だったか知らないが、かなり高熱だったと思う。 すぐに検査結果が出るからとコロナの抗原検査と溶連菌の検査を行う。 コロナ陽性、溶連菌陰性。 あぁついにきたか、と思うと同時に、私の絶望感は約1週間後に迫ったワークショップだった。 お花の先生と一緒に丁寧に準備を重ね、リハーサルまで行った。 もちろん本番にどうなるかは分からないけれど、良い内容ができていたので、私は当日がとても楽しみだった。 初めての試みで緊張もしていたけれど、新しいことの始まりにとてもわくわくしていた。 息子は息子で心配だけれど、ワークショップが中止になりそうなことがまずはとてもとても悲しかった。 すぐにお花の先生に連絡を入れた。 「先生は今動揺していらっしゃると思いますので、一旦今回は中止にして、別日を設けるかどうかはまた落ち着いてから決めて皆さんに報告することにしましょう」と冷静に判断をくださった。 悲しかったけれど、今回ばかりはそうするしかない。 泣く泣く、参加者の皆さんにご連絡を入れる。 夏休みの自由研究にするんだと楽しみにしていてくださった方がたくさんいたのに本当に本当に申し訳ない。 世界中皆、コロナをこんなふうに憎んでいる人がたくさんいるに違いない。 もちろん、もっともっと重大なことがコロナによって起きている人もたくさんいるだろう。 この時点では、もしかすると息子から感染しないのではないか、と思っていた。 しかしながら、間もなくして私も夫も発熱。 コロナって風邪と違うね!と身を持って体感するほどには症状が出た。 人それぞれ、コロナの症状はあると思うが、私が最もつらかったのは倦怠感である。 寝ても覚めても身の置き所がないような重すぎる気怠さが身体に鎮座していた。 全身、特に首から背中一帯が痛く、寝ていても疲れてしまう。 そして、食欲が全然わかない。 幸い、頭痛や胃腸の不具合などはなく、少しの喉の痛みと咳が出るくらいだった。 しかしあの倦怠感たるや、ワクチンの副反応が軽かった私には耐えがたいものだった。 私は普段あまり体調を崩さないので、体調を崩すと「このままどんどん悪くなっていったら、治らなかったらどうしよう・・・」と結構悪い方向に考えてしまいがちである。 体調不良のときはある程度皆そういうきらいがあるとは思うが、その傾向が強い方なのではないかと思っている。 しかも今回、熱が一旦下がってもまた上がったりなどしていたこともあり、余計に不安な気持ちになった。 いずれ治る、ということをどこかで疑っているのだろう。 いや心底はそう思っているのだが、最悪の事態を考えた方がその時の心の緩衝になるのではないかと思っているのだと思う。 そうこうしているうちに、家族の中で最も長引いた私も、5日目くらいからようやく憑き物が取れた感じになってきた。 そうなると今度はつらかった最中のことをもう正確には思い出すことが出来ない。 療養期間はまだまだ残っている。 息子は早々に良くなっているので、とても不憫である。 大人は良い。 仕事をする、動画を観る、本を読む、ギターを弾く、ブログを書く、瞑想する、掃除をする、体操する、何もしない。 そのどれも自由に選び取ることが出来る。 けれど、3歳の子どもが上記のうちで出来るのは「動画を観る」ことだけだ。 何もしない、ということさえ、彼らの意思ですることはままならない。 ここまで数日で、すでに遊びのネタはとうに切れている。 まあこどもとの時間は緩やかな濁流なので、遅々とでも何とか過ぎてはいくだろう。 息子の様子が少し変わったのは、私が食べているものを「食べる」と言って食べに来るようになったことだ。 偏食の息子は、今まではこのようなことはなかった。 今日ははちみつヨーグルトと鯖の味噌煮を私から奪って結構食べていた。 あと数日、彼もがんばってほしい。 夏休み明けの今日、息子はかなり保育園への行き渋りを見せた。
お家が好き、お家が楽しい、それは良いことなのではないかと思う。 私も、お家が好き、お家が楽しい。 この夏休みは特にどこかに行くということはしなかった。 しても良かったし、最後まで近場のホテルに泊まろうかなど考えていたのだが、緩やかな泥水の濁流に飲み込まれるがごとく、日々は過ぎて行った。 それでも、転園を考えている保育園の見学や、東京タワーに新しくできたキッズスペースに行ったり、あと何をしたかさっぱり思い出せないのだが、毎日親はぐったりするほどには活動をした。 17時くらいに2時間ほど昼寝をしてしまう癖がつきそうだったので、寝かすまいと昼寝なしで過ごしても、彼は夜遅くまで寝ないのであった。 最近ますます数字が好きな息子は、日々YouTubeの数字の歌を見ながら、自己研鑽を積んでいる。 他の子がどうかは分からないが、私が驚くべきことに、彼は100まで自分で数えることが出来る。 片手で指折り1~10を繰り返しながら。 そしてさらに昨日驚いたのが、英語でも100まで数えられるということだ。 10までの英数字を知っているのは知っていたが、いつのまに100まで覚えたのだろう。 もちろん発音はかなりたどたどしくあやしいものであるが、「シックスティシックス、シックスティセブン、シックスティエイ、シックスティナイン・・・・・・・・・ななじゅう!」と言っていたので、理解をしているらしい。 セブンティ、が思い出せなかったようだ。 このような事象を含め、彼の成長具合が凸凹しているということは、私は特段問題視していなかったが、3歳児検診を皮切りに、息子に関わる様々なところからやや指摘が入っている。 幼き子どもたちは、保育園や幼稚園、小学校、中学校、高校、大学・・・これから様々な集団生活やコミュニティが待ち構えている。 彼の場合は目下の転園に向けて、私が他の誰より一番楽観視しているらしく、早め早めに対策をした方が良いよと方々からアドバイスを受ける。 保育園の先生はご自分のお子さんの話をしながら業務外に懇切丁寧なアドバイスをくれたし、いもうとは同様のお子さんを持つ同級生につないでくれたし、友人は私に最大限気を使って話を聞いてくれた。 私としては、本当に今の息子に過度な心配も期待もしていない。 しかしながら、人に預けたりしておきながら、人の意見を聞かないというのもおかしいので、心を落ち着けて皆の話を聞いた。 子育ての話は、心が荒れやすいのは皆よくあることではないだろうか。 私も然りで、自分でも意外なほどに感情的になってしまうし、他人の意見というものが受け入れがたいものだ。 私の場合は、子どもに対してものすごく感情的になってしまうことはさほどないのだが、他人からの意見には酷くバリアを張ってしまうきらいがある。 おそらくそれは、日々この子に対して捧げているのは他でもない私である、という過大な自負からくるものだろうと思われる。 しかし、こういったことをきっかけにでもしないと、かなり閉鎖的な子育てになってしまうだろう。 一時的に私の心は荒れたけれど、人の意見も踏まえながら、じっくりやっていけば良いだろう。 彼は彼なりに成長していることは皆分かっている、その上で、だ。 猛暑酷暑が続いたが、もっと前から秋は夏の中に潜んでいる。 太宰治の「ア、秋」というエッセイがあるが、私の夏の印象というのはそれを読んでからというものの一部を太宰に持っていかれたという感がある。 8月の末頃にさせて華道の先生と一緒にお子さん向けのワークショップをやることになった。
息子は三歳になったので日本脳炎の予防接種をうった。 その夜、就寝後には普段はめったに目を覚まさない息子が機嫌が悪そうに暴れながらすり寄ってきた。 なんと熱々チンチン。 チンチン、というのは愛知県三河地方の方言で、「やかんがチンチンだで気をつけりんよ」などといった用法で使用する。 熱々と同義である。 そんなことを言っている場合ではなく、息子の身体は熱々チンチンだった。 特に風邪症状もなく、急な発熱はおそらくワクチンのせいだろう、とすぐさま思うようになったのはコロナのワクチンの影響が大きいだろう。 もちろんワクチンを打った小児科の先生からは発熱する可能性などの説明を受けているのだが、注射後にギャンギャン泣いている息子を抱いたままではほとんど話など聴こえない。 まあもとより、どんなワクチンだってそれなりの副反応はあるものだと思う。 たまには発熱する人がいたり、かなり低い確率とは思うがアナフィラキシーショックのようなことで命を落としてしまうこともあるだろう。 熱々チンチンの身体で泣きじゃくり、ようやく言葉を発したかと思ったら「ちっちう」と言うので、トイレに連れて行く。 「ちっちう」は「おしっこ」のことだ。 その後「たんさん」と言うので炭酸水をあげる。 息子は家ではなぜか炭酸水を常飲している。 息子はコップの炭酸水を飲もうとするのだが、身の置き所がないのか、頭が痛いなどあるのか、なかなか飲むことが出来ない。 お気に入りのミッフィーの水筒にも水を入れて、どっちでも良いから飲んでね、と言う。 まだまだ落ち着かないので、落ち着いたら飲んでね、と身体をさする。 ようやく少し炭酸水を飲めた。 そのあとミッフィーの水筒のストローからチュウッと水も飲んだ。 発熱時、水分だけは、と思っている。 「ねる」と言うのでまた寝室に戻ると、熱々チンチンのまま息子はまた眠りに落ちていった。 朝には37.1、もう大丈夫だろう。 保育園に一連の話をすると、解熱後72時間後の登園となります、とのこと。 あぁ。 現状、息子の通う保育園では、コロナの検査をして陰性であれば解熱後24時間後の登園許可、コロナ検査なしの場合は解熱後72時間後の登園許可となる。 誰も悪くない、しかし規則は好まない。 風邪症状もないのに鼻に綿棒を突っ込まれる検査をさせるのはあまりにかわいそうなので、であれば72時間登園禁止を選ぶ。 元気な息子と、仕事の調整をして3日間。 無駄に遊園地に行くなど。 遊園地の目的はサーティワンのアイスクリームを食べることなのだが、混雑していたのでマツキヨで三ツ矢サイダーを飲んで帰ってきた。 昼寝を2時間とか3時間とかたっぷりして、夜が遅くなるという、夏休みらしい3日間だった。 元気がいいね、と思う。 8月。
息子は週明けから保育園に行くのを嫌がった。 彼にとって保育園は仕事場みたいなもので、集団生活の中である程度気を使い、社会的に過ごすやや窮屈な場所なのだろう。 少人数制の今の保育園は、本当に手厚く手厚く接してくださっているが、無論家の開放感とは異なるだろう。 楽しいことも沢山あるだろうが、給食ひとつ取っても、彼は精神を自ら整えて臨んでいるに違いない。 何せ給食で食べるものを家ではほとんど食べないのだから。 来年度までの転園について、数箇所の保育園を回ってすっかり飽きてしまっていた、私が。 近くの、比較的小規模の、かなり都会的な保育園が良いかなと目星がついたこともある。 いもうとに言わせれば、4月入園ではなく、その前に転園しておくべきだ、とのこと。 4月は先生も園児も親も余裕が無いから、可能な限り入園のごたごたを避けるべき、らしい。 もちろん正論だと思っているが、今の園に御恩がある気がして、最後まで見てもらえると良いなとも思っている。 しかしながら、やはり最も考えるべきは息子の負担であるから、ここは早めの手続きが必要だろう。 9月になったら役所に出向こう。 先日、とあるきっかけがあって人生で初めて裁判傍聴に行った。 神奈川県で起きたある殺人事件の裁判。 奇しくも、私の身近には法律、法学をやっている人が多く、私もその周りのことについて平均よりはだいぶ詳しいのではないかと思う。 法律の中身を知っているということではなく。 初めての裁判傍聴は、人気の?事件だったようで満席だった。 このコロナ禍において、こんなに密集して座り、施錠もされて無換気状態の部屋は珍しいと思う。 映画館のような椅子だったが、映画館と違った後ろの席が高くなっていたりしないので法廷は見えづらかった。 腰縄と手錠を付けて、刑務官に連れられた犯人は、スーツを着て黒縁眼鏡をかけて、髪を綺麗にまとめた非常に線の細い女性だった。 この人が……瞬時に様々な思いが過った。 意見陳述といって、検察側の被害者の父母が滔々と語るところから始まった。 続いて検察官の求刑、15分間の休憩を挟みつつ、弁護側の反論、そして被告人の意見(謝罪)。 現実は小説より奇なり、というが、まさにそうなのだろうと思う。 しかし私は目の前の裁判の内容が、実感を持った現実のものとはなかなか思えず、終始殺人小説のドラマを見ているような気持ちだった。 裁判の話を聞いていても何だか不可解な点が沢山あるように思えた。 沢山の情報の中からほんの一部分をこの場で話しているに過ぎないのだろうけれど。 しかしながら、裁判官や裁判員に来る情報というのは、ほとんどこの法廷という俎上以外のものは無いのではないか。 同じ内容が書面であったとしても。 となるとおよそ私が聞いた情報だけで、判決を下すということになるのだろうか。 この裁判は裁判員裁判だから、私のような素朴な疑問には公判以外の別の場所で答えてもらえるものなのだろうか。 殺されてしまった被害者は返ってくることはないし、被害者家族は被害者のいない人生を延々と送ることになる。 被告人は十数年の懲役刑となり、出所した後はどう生きていくのだろう。 そしてこのような仕事に携わる人は大勢いて、当然ながら私とは異なる世界線を生きている。 横浜地裁を後にすると、やけに空が青かった。 横浜の建物は荘厳で、石造りだからか建物の中はひんやりとして気持ちが良かった。 近くにあったレストランで昼食をとる。 私は枝豆の冷製スープを美味しくいただいた。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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