息子の稚い言葉を書に残すことをやってきたが、最近はあまり面白い言い間違いもなくなってきた。
それどころか、間違って言っていた言葉が教えてもいないのに正されてゆき、どんどん失われていく。 昨日は、「にほん」が失われた。 これには私はとてもショックを受けた。 「にほん」と彼が呼んでいたものはトーマスの「ヒロ」。 トーマスの動画の中で、「わたしはヒロ、にほんから来た」というくだりがあるのだが、彼は名前を「ヒロ」と思わず「にほん」と認識して覚えていたのだ。 ドクターイエロー、を「がったっとー」 かがやき(新幹線)、を「はやいき」 N700系(新幹線)、を「えみー」 ブロッコリー、を「びごろり」 おまたせ、を「おとまたせ」 おくすり、を「おすくり」 じどうはんばいき、を「じごーばんがんき」 ミキサー車、を「みっかーさーしゃ」 〇〇する、を「〇〇すする」 などなど、とても愛おしい言葉の数々。 これらは失わつつある。 しかし、これらは口が回らなくて正しい発音ができないだけで、本人は正しく言っているつもりなのだから、そのうち失われてしまうのは覚悟していた。 しかし、「にほん」は別の間違いの仕方で生まれたものだから、もっと長く言ってくれると思い込んでいたのだ。 「これなに?」と聞くと、彼は目をきらきらさせて「にほんっ」と答えてくれるのが大好きだったのに。 それがどうして、「にほん」という名前ではなく「ヒロ」だと気付いてしまったのか。 お母さんは悲しい。 君の「にほん」がお母さんは大好きだった。 彼は、今は私にべったりとめり込んでくるほどだが、そのうちに私の知らない世界をたくさん見て離れていくのだろう。 もちろん当然ながら、自立してほしいし、自立すべきである。 それは心の底から本当だけれど、小さな成長がこんなにも切ないなんて。 せめて、お母さんの中に「にほん」を取っておくことにするよ。 月曜の朝でめそめそしていた息子を保育園に送り届け、部屋の掃除をする。 ついでに要らない服なども少し整理をした。 使わない小さなバッグを捨てようと思ったら、中から3台のミニカーが出てきた。 どうやら彼が詰め込んだようだ。 持っているトミカのミニカーの全貌を私は把握していないが、部屋のいたるところにきっと点在しているのだろう。 大事な餌を各所に隠すハムスターのようだ。
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朝4時ごろ目が覚めてしまい、気になっていたドラマの続きを音を最小にして寝床で観た。
最終話の1時間ほど、真剣に観てしまったのでやや寝不足である。 私はここ数年、映画やドラマは基本的にスマホで観ている。 というのも、息子を寝かしつけているときや、息子にもタブレットを持たせているときなどに映画やドラマを観るからである。 だから、子どもができる前よりも、今の方が映画やドラマを多く観ていると思う。 息子の側にいなければならない、言わば身体は拘束状態にある時間が多く、その時間はすることがない。 未だ読書が下手な私にとっては、動画コンテンツを観ることが最も有益な気がしている。 一方で私は身体が自由になっている状態で、こんなに動画視聴をすることはないだろう。 「キャラクター」 「キース・へリング」 「祈りの幕が祈りの幕が下りる時」 「ジョーカー」 「ひとよ」 「きっとうまくいく」 「アキラとあきら」 「トップガン」 「前科者」 「大豆田とわ子と三人の元夫」 「いわさきちひろー27歳の旅立ちー」 「翳りゆく夏」 ここ1か月半くらいで最近観たのはこんなところである。 好きな映画監督とかディレクターとか、それほど詳しくないので、たいていは視聴者の評価が高いものを観る。 あとは、アート系のものは勉強として拾い上げて観るようにしている。 ちなみに今朝観終わったのは渡部篤郎の「翳りゆく夏」。 所謂推理ものであるが、私はストーリー展開を推理する癖がほぼないので、最後の謎解き時には何を観ても本当に驚くことが多い。 数奇な運命と言わざるを得ない登場人物の人生に思いを馳せられる、良きドラマであった。 私はやはり日本のドラマが一番好きなのだが、日本のドラマはほとんど字幕が付いていないのが難である。 音を最小にするとさすがに聞き取れないことがあり、しかし、寝ている夫や息子を起こさないためには音量を上げるわけにもいかない。 そうなると、字幕があるととても便利である。 ぜひすべてのAmazonビデオに字幕を付けていただきたい。 まあ字幕があっても「のだめカンタービレ」とか「蜂蜜と遠雷」などといった音楽系のものは観れないのが残念であるのだが、それはAmazonに要望することではない。 暑さが戻ってきた。 6月後半の灼熱も焼け焦げる思いで辛かったのだが、それが一時収まったとき、もう夏が行ってしまったのかと思って少し悲しくなった。 7月、空は、本格的な夏空の色だ。 暑さに身体が少し慣れたようである。 息子が三歳になった。
胎児、0歳、1歳、2歳、3年と10か月くらい生きている。 たくさん生きてくれてありがとう、おめでとう。 これからもたくさん生きてね。 「お名前は?」「何歳ですか?」と聞くと正しく答えてくれる。 脳のシナプスは少しずつ各所端々につながって、一般的な人間世界を理解していっているようだ。 生徒さんのパティシエさんにバースデーケーキをお願いしておいた。 比較的近所に住んでいるので、ケーキが崩れないように歩いて持ってきてくれた。 雨は私のせいではないけれど、こんな雨の日になってしまって、申し訳ない。 息子の好きなものを色々と伝えて、あとはデザインは全てお任せしておいた。 パティシエさんが箱から出すのを、私も息子もわくわく見ていた。 大きな大きなミッフィーの顔のケーキ。 真っ白のホイップクリームがたっぷり塗られたうさぎのケーキ。 耳にはいちごのリボン。 まだ夕飯だったのだが、息子はそっちのけで食べる食べると言った。 まあいいか、と、ケーキの写真を撮ってから、ミッフィーの耳の部分をカットして食べさせるとものすごい勢いでばくばくと食べた。 いちごは吐き出していたけれど。 多くの子どもは、ケーキを喜んで食べるだろうが、息子においては食べてくれるかは心配していた。 スポンジケーキと生クリームという組み合わせは好きなはずだが、見た目で警戒されるともう一切食べてくれない。 お菓子であろうとなんであろうと、一度食べないとなったら食べてくれない。 だからパティシエの彼女にも事前にそういうわけでくれなかったら、両親が美味しくいただきます、と言っておいた。 そんな心配をよそに、彼女の前でもっともっととケーキを食べた。 何なら、彼女の膝に座って、彼女にも食べさせてもらった。 生粋の人見知り君なので、彼女と息子は何度かあったことがあるとは言え、これにも驚いた。 三歳を迎えて、対人関係も少し変わってきているように思う。 保育園でも馬の合うお友達がいて、親密なコミュニケーションをとっているそうだ。 いつまでの極度の人見知り君というレッテルを貼りつけたままでは良くないだろう。 夜、お父さんと寝室に行ったがお父さんは先に寝てしまい、息子は私が寝室に来るのを待っていた。 息子を抱きしめて頬ずりする。 こんなに気持ちの良いほっぺがあるだろうか。 いや、こどものほっぺはみんなこんなもの何だろうけれど、他人のお子さんに頬ずりはなかなかできない。 この至極気持ち良いほっぺに、こんなにも頬ずりさせてくれるのはやはり息子しかいない。 と思っているうちに私も寝てしまい、朝起きると、スマホに寝ている私の顔の写真が残っていた。 スマホの扱いも手慣れた三歳のはじまり。 さてさて。
あっという間に梅雨が明けて、身体が危険を感じるほどの猛暑の日々がやってきた。 久しぶりの曇り空の日、KDDIの電波障害は、未曽有の大混乱をところどころでは招いたのではなかろうか。 幸いなことに、私はauユーザーだがさほどの不都合には遭わずに済んだ。 つい数十年前にはネット回線なしに仕事だって進めていたわけなのに、今は最もなくてはならないもののひとつとなっているだろう。 誰かへの連絡も、情報の収集も、買い物の支払いも、暇つぶしも、子どもの相手も、それなしには上手くいかないことだらけだ。 さてさて。 お字書き道TALKの再生回数は相変わらず伸び悩んでいるのだが、相変わらず一生懸命制作している。 我々、タナカ氏と私、は一見無駄と思えることに精を出すことが好きだ。 好き、というよりかはあまり厭わない。 でもたぶん、私ひとりではもう続けていないというか、そもそも始めていないだろう。 「面倒だけれど価値がありそうなことは、誰かと一緒にやると良い」というのは名言だと思う。 例えば動画制作とかコロッケ作りとか餃子作りとか。 無名の我々がインターネットの大海原に放り投げるコンテンツは、元より見向きもされない大前提がある。 孤独の大海原で手を変え品を変え、それを止めると決断するまで、狼煙を上げ続けるまでだ。 再生回数は伸び悩んでいるのだが、最近、ちらほらとコメントしてくださる方が現れている。 しかも、どうやら直接の知り合いでもなく。 しかも、動画をとてもちゃんと見てくださっているコメントぶりである。 有難い限りである。 変体少女文字の研究2022 #1 2022/07/02公開 https://youtu.be/FuWGDVNV9fo また、HPに新しい項目を増やしてみた。 「不定期ワークショップ」というものだ。 華道の家元の方が私の生徒さんとなり、その方とお話をしているうちに、お花と書道のコラボをしましょうという話になった。 今上がっているのは第一弾のお子さん向けのワークショップである。 詳しくは、PDFをご覧ください。 大変ありがたいことに、現在半分くらい枠が埋まっておりますが、まだまだお席があるので、ご興味がある方がいらしたら是非ご連絡をください。 ブログ内の告知は文体に違和が生じてやりづらい。 今回の企画は、夏休みの自由研究の課題に毎年困っているというお母さんの話から立ち上がったものだ。 自分が子どもだったとき、自由研究は確かにあって、しかしながら何をしたか、それに困っていたか、さっぱり何一つ思い出せない。 しかし現代でも自由研究というものはあって、毎年それに悩まされている子や親御さんもいるということだ。 なぜだろうか、何か新しいこと、というか、色々と動いていきたい熱が高まっている。 先日のブログに書いたように、死んでしまうことが身に染みてきたからだろうか。 まあでも、自らの見える景色を、自らで作れていくのは楽しいことである。 今後も色々と企画していきたい所存である。 ご興味ありましたら是非お問い合わせくださいませ。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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