福岡土産の「通りもん」というお菓子が好きである。
白餡に生クリームやバター、和洋折衷を売りとしている。 言わずと知れた「ひよこ」に生クリームやバターが入ったかのような、そんな感じ。 調べてみると、「ひよこ」は東京のものと思っていたけれど、こちらも福岡発祥らしい。 沖縄の「塩ちんすこう」や京都の「千寿せんべい」、ハワイの「ホノルルクッキー」も好きである。 これらはどれも最近いただいたものなのだけれど、もし現地に行ったら自分のお土産としても買うくらい好きだ。 「赤福」や「うなぎパイ」や「鳩サブレ」、「ままどおる」や「萩の月」、「信玄餅」や「阿闍梨餅」はたぶん自分用には買わない。 「白い恋人」や「ロイズのチョコレートポテトチップ」は自分で買うかもしれない。 「羽二重餅」と「きびだんご」は迷う。 「東京ばなな」「ごまたまご」は食べたことはあるけれど、買って帰ったことは一度もない。 とか何とか言って、どれもいただけるのであれば、それは単純に嬉しい。 家でまた貧血を起こす。 家ならまあ安心と言えば安心なのだけれど、あの状態というのはもう本当にどうにもこうにも過ぎ去るのを待つしかないので辛い。 最近聞いた話で少し調べてみたけれど、貧血というよりは「迷走神経」という副交感神経の一種の反射なのかと思う。 自分で屈強な自律神経だと思ってきたのだけれど、中学生の頃から年1,2度起こるので、実は私は自律神経のバランスがあまりよろしくないのかもしれない。 「貧血持ち」という人のほとんどはこの「迷走神経反射」というものの説明の方が納得感がある。 最近は「低血糖」時の症状かとも思っていたけれど、食事後に起こることもあるので「迷走神経反射」の方が当てはまるだろう。 が、何となくしか把握していないので今はまだ上手く説明できない。 しかしながら、外で起きたときに、この状況を誰かに伝えるとして、「迷走神経が反射して、気分が・・・」と蒼白な顔で途切れ途切れに必死に言うよりは、「貧血で・・・」と一言言った方が周りの理解を得られるだろう。 時々、このような”貧血持ち”の人に出会うことがあって、ちょっとして身体の不遇を共有することがある。 別にそんな症状、持ちたくはないけれど、なんだか「同士」というのは嬉しい気持ちがしてしまうものだ。 もちろん、そんな「同士」だって、誰かとその症状の辛さを100%で分かることも変わることもできないけれど。 というくだりから、ゲスの極み乙女の「私以外私じゃないの」を書いてみる。 少し前からとても良い詞だなと思って書きたいリストにストックしてあった。 この詞は詩だけで成り立つ部類のものではなく、音楽に乗ったりするから良さを増す気がする。 そろそろ展覧会の作品を書かなければならないけれども、題材さえも決まっていない。
0 コメント
子どもは今の期間夏休みだから、9歳の女の子が毎日のように来ている。
おかっぱヘアでよく日に焼けて、薄ピンクの縁の眼鏡をかけた聡明そうな女の子。 最初に来たとき、お父さんの隣にちょこんと座り、ペンをぎゅうっと握りしめ、ぐがががが、と線を引いて時を書いていた。 ここはこういうふうにすると良いよ、いうと律儀にそれをすぐに再現した。 でもまだ、線はトンと置いてすっと引いてね、と言っても、ぐがががが、と線を引いていた。 2回目からはひとりで歩いて来ている。 私がラフなレッスンをするからだろうか、私に慣れたこともあるだろう、本当は快活で少しではないやんちゃな姿を見せ始めた。 学校の授業で暗唱したことを淀みなく早口でしゃべり始めたり、自分の絵のサインを書いてくれたり、「先生って泣いたことある?」と何故か分からない質問をしてきたり、歌を歌い始めたり。 小中学生の頃、私もまる文字や筆記体に憧れて、自分のサインを作ったりしていた。 可愛かったり、カッコ良かったりするものが、例に漏れず私も好きだった。 私が筆記体をすらすらっと書いたから、ちょっとは認めてくれただろうか。 結構好き放題にさせている時間の中でも、線をトンと置いてすっと引くことができるようになってきて、みるみる上達してきた。 一般的に上手な字、というのもいいけれど、今はまる文字でも筆記体でも、「字を書く」ということに興味を持ってくれれば十分だとも思う。 「パパに言わないでね」と真面目にやったこと以外は私たちの内緒。 筆ペンと赤ペンが欲しいと言われたので、本当に「しょうがないなあ」と半ば渋々あげた。 でもたぶん、「先生にもらったの」というのは、私だったら嬉しいと思うので、もし喜んでくれていたとしたら私も嬉しい。 9歳、携帯電話は持っていないけれど、テレホンカードは持っているそうだ。 蒲田を散歩する。 写真を撮られる。 喫茶店でコーヒーを飲む。 美味しく煙草を吸う。 いろんな話をする。 元気に仕事をする。 悲しんで電話をする。 お伺いのメールを書く。 よく分からないブログを書く。 トマトを切る。 しめじをほぐす。 明太子を解凍する。 たまごを割る。 素麺を茹でる。 梨を剥く。 夏が終わる。 アイフォンが壊れた。
そして、新しいアイフォンに変えた。 最初の症状が起こったのは2か月前ほどだろうか。 ある雨の朝、画面に濃すぎるスモッグがかかったようになって。 内部の機能は正常だけれど、接触不良で画面の操作がまったくできない状態になった。 初めてSiriに「○○に電話をかける」とお願いもした。 アイフォンを自分でプレスすると治ったりまた駄目になったりしたので、だましだまし使ってきたけれど、ある日プレスしすぎたのだろう、接触過剰のような状態になって、勝手に電話がかかってしまうわ、音楽は無作為に再生されるわ、キーボードを立ち上げると「たおkがじょいtpはおいわ」のようにものすごいスピードで打たれてしまうわで酷い状態になった。 挙げ句、今度はその接触部が完全にイカれてしまったのだろう、画面は真っ暗になったまま映らなくなった。 アップルケアに加入していたのが幸いで、7800円で新しいものと交換になった。 過去に洗濯してしまったのと、ポケットからスルリ抜け落ちて紛失したのとで、3度目のアップルケアの利用である。 こうなった原因はおそらくアイフォンを何度も落下させている衝撃だと思われるので、新しいアイフォンのカバーを変えた。 今までだってブック型のカバーをしていたのだけれど、それでも守られていない少しの側面部にちょうどめがけてカツンと落下して画面にひびが入っていた。 だから今回は、側面部もぐるりと守ってくれる形のカバーを購入。 今まで真っ赤な合皮のものを使っていたけれど、今回はクリアな背面に正面は濃紺のカバー。 濃紺は細かい粒子の砂のように少しざらざらとマットで、星が微かに輝く夜空みたいだ。 前のよりもだいぶ、スリムで、スマートで、ソフィスティケイテッドな感じ。 服よりも、バッグよりも、マグカップよりも、眼鏡よりも、スマートフォンは目にしたり手にしたりすることが多い。 そんなものの新しい変化は、ちょっとではなくうきうきする。 性能はどうだろう。 まだ落としてはいない。 私はブログを書かない間が続くと、ちょっとした不安に陥る。 別に誰に頼まれているわけでも、特別に誰に読んでほしいわけでもないブログを、10年以上もの間習慣として書いてきた。 一旦ブログを止める、と高らかに宣言して、どうしても止められなくてものの二カ月で再開したこともあった。 特別に何かを言いたいから書きたいわけでもどうやらなくて。 作品としての文章を書きたいということでもなくて。 もちろん何かを言いたくて、考え事をまとめたくて書いていることもある。 でも、基本的にはただ何か書きたいから書いているということの上に成り立っている。 文章を綴ることが好きで、それは誰か、どんなに親しい人とのお喋りとも全然違って。 体調を崩していたりアイフォンが壊れたり仕事が立て込んでいたりで、ブログを書く時間がない、というのが最近の現状なのだけれど、それは私としてはなんだか立ったまま食事を済ませるような生活になってしまっているような気がしてならない。 例えば食事を立ったまま済ませることは、限度こそあれ私は大した不安にはつながらないけれど、ブログを書けないのは不安につながる。 ひとりでいる暇な時間、できれば晴れた日の昼下がりが良い、コーヒーを淹れてブログを書く。 晴れた暇の昼下がりに出かけずにPCをカタカタやるなんて、あぁ日が暮れてしまう、という一抹の背徳感のようなものが頭をかすめながら、自分が何かしらの文章を書いていることの方が満足感があることが多い。 いやしかし、それも本当にそうなのだろうかと疑いたくもなる。 ブログよりも楽しいことがあればそれはそれに時間をかけるべきだ、当然ながら。 ブログを書くことが現状の私を保つ、またしてもホメオスタシスの働きの一助をしているようにも思えることもある。 もう知っていること、やらないよりはマシなこと、を何度も何度もなぞるような、そんなことのために機能しているのではないか、などと思える。 ちなみに、書道家のブログとしては当然と思われるかもしれないが、筆を持っていない日が続いても同じような不安がよぎる。 あの人はあんなに書いていてどんどん上手くなる、というのもそうだけれど、あの人と同じような書を書くことが目的なのではなくて、あの人は私よりもずっとずっと己のことをより知っていくだろうという不安。 私だって私のことを知りたいし、私について良くなっていきたい。 日々、何らかの達成感があるといい。 達成感、とは、幸せ、という言葉に置き換えられるのかもしれない。 感動したい、ということなのかもしれない。 それは何だっていい。 美味しいものを食べた、良い酔い方ができた、何か新しい話が聞けた、アイフォンのカバーを変えた、風邪で打った注射が効いた、雨の雫が落ちた音が聞こえて忘れていた何かを思い出した、そんなことでもう本当に嬉しい。 ネタは何でも良いけれど、心から大笑いできた日はそれはもう最上級に素敵な日になる。 書を書く、文章を書く、俳句を創る、料理を作る、リリアンを編む、ぬいぐるみを縫う、といった何かしらの創作活動は、いずれにしても達成感を得られる確率が高い。 リリアンとぬいぐるみは私はやらないけれども。 おそらく、未知の開拓か、過去の埋もれた思いの発見か、それらが欲しいのだと思う。 書も文章も、書きたいときに書けばいい、ただそれだけのことではあるのだけれども。 つまりは全般的に「より良くなりたい」という、友人が総括している言葉で全て言い切れてしまうようなことなのだけれども。 「より良くなる」ということの本質的な意味と、「より良くなる」というその方法が、常々難しいなあと思っている。 ホメオスタシスの機能を疑いながらも、私はこれを書いて、やっぱり、ふう、と一息つくのである。 ポケモンGOが社会現象になっているのは知っているけれど、私はポケモンGOが今でも何なのかがよく分かっていない。
というか、「先生、ポケモン世代ですよね?!」と言われて、「ポケモン世代???」とポカンなのだ。 もちろん、「ポケモン」が「ポケットモンスター」の略であることは知ってはいる。 しかし、それ以上の何の情報も持っていない、何も分からない。 ポケモン世代、つまり同世代の生徒さんに説明されて、ポケモンの中の一キャラクターがピカチュウなのだと初めて知ったし、それまでポケモンはドラえもんみたいなタイトル兼キャラクター名だと思っていたらそれも違うようだ。 ゲームなのか、アニメなのか、何のゲームなのか、私は未だに分かっていない。 「ポケモン世代」という言葉があるほど、ポケモンは私が子どもだった頃、一世を風靡したらしい。 そんなに皆は「ポケモンポケモン」言っていただろうか。 そんな記憶が私に全くないのは、愛知県にポケモンが浸透していなかったからなのか、単に私がポケモンに興味がなさすぎたからなのか、判然としない。 興味を持たせてもらえないほどに勉強させられていた、とかそういうことだけはないけれども。 おそらくだけれど、私は幼い頃、何かにハマる、無我夢中になる、ということをカッコ悪いと思っていたのではないかと思う。 自分の過去なのに類推でしか物を言えないのは、私があの頃全般の意識を封鎖していたような節があるからで、何を感じていたのかがよく思い出せないからである。 まあでも、無我夢中になる、というのは、意識的無意識的関わらず、することを止められない状態なのだとすれば、そんなに熱くなるものが私には無かったのだとも思う。 達観していたわけでもなく、周りを馬鹿にしていたわけでも全然ない。 皆と違ったことをしたい、なんてこともない、かと言って同じになりたいと望んでいたわけでもない。 周りの人が皆敵だ、と思っていたことも全然ない、そんな発想すら無かった。 賛同も、批判も、無かった。 体としては、ただ無自覚にええかっこしいだったというか、上手くできていたかは別にして私は私から見た周りの人に“クール”に思われたかったように思う。 主体的なカッコ良いとか、カッコ悪いとか、そんな可愛らしさは無くて。 それは自分が持つ主体性が他人にバレるのが嫌だったからなのかもしれない。 何事にも基本形で冷めていて、意見がないようにしていれば、どんな振る舞いも後から言い訳ができる。 ああ、そうか、これは今の私にも傾向として残っているのかもしれない。 ひとりになると安心するのも、仕事以外の即興が苦手なのも、そういうことなのかもしれない。 基本は他人に悟られたくないけれど、正しくなら是非とも悟って欲しい、そんな失礼な強欲さが私にはあるのだろう。 予測がつかない影響範囲を恐れていて、だから主体を曖昧に覆い隠す。 「お前は檻の中から吠えているだけだ」とある人に言われたことを、私は何となく克服したように思っていたけれど、そんなことはないのかもしれない。 実家に帰って、仏壇の鈴を鳴らし、おばあちゃんと大声で話をして、桃とぶどうを食べて。 ふたりの姪はめいめいに喧しくて。 けいこの用意する晩ごはんは、一段と斬新さを増していた。 22時にはみんな寝静まってしまった。 ポケモンはどこに行ったのか。 遠出をする前は、できる限り掃除と洗濯をする。
トイレとお風呂を磨いて、雑巾で床を二度拭いて、シーツやクッションカバーなどを剥がして洗う。 ゴミをまとめて全部出す。 出かけて何かしら疲れて帰ってきた自分を、安堵の気持ちで迎えてあげたい。 お盆とは何をする日のことを言うのだろうか。 実家に帰らなくたって、お墓参りに行かなくたって、私には特段文句を言ってくる人はいない。 昔のしきたりに、私は本当に何も思わないし、今や家族の誰もがそれを押しつけてくるなんてこともない。 東京は明らかに空いていて、真夏の温度が少し下がったように清々しい気さえする。 けれど私は今日の午後、一泊だけ、いや半泊ほど、実家に帰る。 親孝行や祖父母孝行なんてことでもない。 私にだってほんのちょっとは、たまには、家族に会いたいなんて気持ちがあるのだ、と思う。 「あんたが帰ってくる時間はいないから、あっちの家の方に行っててね」と、私の都合は一切加味してくれないのはいつものことで。 私はそのことにいつものように少しだけ冷たく胸がきゅっとなる。 今の今まで仕事をして、明日の昼には友人に会って、そのまま東京に戻り、夜は仕事だ。 実家では、おばさんは仕事が忙しい、ということになっている。 いや本当に忙しいのである。 クーラーの効いていないところでかき氷が食べたい。 気分は、いちご。 立派なやつでなくていい、ふわふわのやつでなくていい。 いちごの果肉なんて要らない、今は。 食紅、という感じの、ザクザクした氷の、昔「あきさ」で食べたような。 今、新幹線ひかりを、たくさんのスーツケースがごろごろしていくのを横目に、スマートフォンで文字を打ちながら待っている。 「そんなに列車に近寄ったら列車が発車できません」と、いつになく怒りモードのアナウンスが連発されている。 体調が優れなかったのは8割5分くらい平常に戻ってきた。
こんなに長い間お酒を飲んでいないのは随分と久しい。 こんなに真面目に処方された薬を飲んでいるのも珍しい。 煙草は吸っているけれど。 変な言い方だけれど、煙草は健康のバロメーターになる。 前にぶっ倒れたときには煙草なんて到底吸いたくなかったし、吸っても「不味い」と思った。 治りかけに恐々一本吸ってみると、元の感じで美味しくて「はあ良かった、煙草が美味しい」などと思ったものだ。 「アホスープ」.というスペイン料理のにんにくのスープを飲んだら、とても汗をかいた。 猛暑のアスファルトを歩いていて汗が流れる、辛い食べ物を食べて汗が流れる、ということがほとんど私が、ひと滴かふた滴の汗を流してスープを飲んだ。 なんでもスペインやフィリピンでは、薬膳として食べられているスープらしい。 にんにくと芽キャベツと玉ねぎとベーコン。 芽キャベツは身にキャベツなわけだけれど、ぎゅうっと葉っぱが詰まっていて、本当に小さな小さなキャベツそのままの様相でかわいい。 それらをカットして炒めて、塩胡椒と鶏がらスープで味付けしたシンプルだけれどパンチ力のあるスープ。 そこにフライドに近い目玉焼きを乗せて、こんがりと焼いたフランスパンを千切って入れて浸して食べる。 目玉焼きを潰して混ぜると、パンチ力は乳化されて角を丸くした。 カリカリのフランスパンはさながら大きなクルトンで、スープをいっぱいに吸ってたらんたらんになった。 麩とかワンタンとか、こういうたらんたらんになった食べ物が結構好きである。 スープは吸っていないけれど、食感だけで言えば湯葉も好きだ、たらんたらんで。 「アホ」というのはスペイン語の「にんにく」。 日本では「アホスープ」という言い方がされるところではされるようだけれど、「ガーリックスープ」か、「スパ・デ・アホ」のどちらかの方が納得がいく。 外は、酷暑だ。 今日は時間があるから「セッション」でも観ようか、「ぼくらの17-ON!」でも読もうか。 その前に、ずるずると桃の皮を剥いて、むしゃりとかぶりつく。 せっかく夏たる夏がやってきたというのに、私は夏風邪に倒れてしまった。
私の身体はエアコンの中にいて日向にいるかのように火照り続けている。 朝からごめんなさいごめんなさいと仕事のキャンセルの連絡を入れた。 喉が痛くなって、寒気がして、熱が出る。 いつものパターンに加えて今回はリンパがとても腫れている。 右の首と右足の付け根。 貧血は年に一度、高熱は5年に一度、と言ってきたけれど、貧血は年に二度、高熱は2年に一度ほどのスパンになってきただろうか。 高熱が出るのは、何かしらの環境の変化から少し経つと起きることが多い。 今回も心当たりがあって、そういった環境の変化に滅法弱いのは一体どういうことなんだろうと考えてしまう。 キャンセルを入れた生徒さん皆に「病院行ってくださいね」と言われたので、おそらく私はよっぽどのことがないと病院に行かなそうなのだろう、まあ当たっているけれど、とりあえず自分の身体がまずい感じがしたので仕事場の近くの病院に行ってみる。 「熱が38.5℃もあって、顔色は悪くないのはなんでなんだろうね。いやでもリンパ腺と扁桃腺がとても腫れてるからね、よくこんな状態で仕事していたね、ふらついてるでしょう。どうする注射打ってく?」と言われて打ってみることにした。 今まで風邪で点滴も注射もしたことがないから、というより点滴はしたことがないし予防接種や血液採取以外の注射をしたことがない、気休め程度にしか考えていなかったけれど、これが本当によく効いた。 注射をして薬を飲んで30分ほどが経った頃、身体のだるさや節々の痛み、喉の痛みまでがすうっと波が引いていくような感じがして薄れていった。 代わりに、筋肉注射は一時的に腕をとてもだるくして、普段汗をかかない私が汗をかいて、若干高揚しているような気分になった。 これまで、ロキソニン以外の薬物治療の威力をあまり信じていなかったというか、使わなくて済むのなら使いたくないというか、己の自然治癒力を信じてきたというか、そんなこんなで体調不良の時の対応が未だによく分からない。 ウイルスと戦っている身体の熱を無理に下げるのは良くない、というのも信じているので、水とビタミンCをたくさん摂ることで乗り越えてきた。 しかし今回こんなにも注射の威力を知ったので、次回からは早めに病院にかかってみようかと思う。 しかしながら、一日二食が基本の私に、1日3回食後に服用、というのはどうしたら良いのだろう。 今回私は比較的食欲があるけれど、食欲がないときに無理に胃に負担をかけると逆に風邪を治すための免疫機能が損なわれるとも聞いたことがあるけれども、そういうのは実際のところどうなのだろうか。 寝飽きたので、溜まっていた「フリースタイルダンジョン」や「ミュージックポートレイト」や「NHK俳句」を観て、ぬうっと1日が過ぎていく。 何かを忘れているような気がするのだけれど、それは忘れ物ややるべきことの類ではなくて、一体何なのだろう。 まあいずれにせよ、こんなことをつらつらと書けるくらいの元気はあるわけだから大丈夫ではある。 体調が悪くなりたいわけでは決してないけれども、風邪をひくのも言ってみれば割と大きな非日常で、ちょっとした自分観察の対象にもなる。 いただいた大好きなアップルマンゴーやみかんゼリーを食べながら。 水のような丸ごと桃のケーキ。
水のような湧き水割り焼酎。 水のようなしっかり食パンのトースト。 水のような、というよりはお湯のような水茄子の天ぷら。 水のようで美味しい、と私は数々の食べ物に対して言ってきた。 とってもとっても褒め言葉、である。 桃ケーキも焼酎も水茄子天ぷらも「水のような」という表現は、「水分がたっぷりで瑞々しい」ということと結びついて分かりやすいかもしれないが、私の言う「水のような」は、水分が少なめのトーストにだってどんぴしゃりで充てることができる。 私のイメージだと、「水のような水餃子」「水のような水饅頭」はもちろん、「水のような焼き餃子」「水のような芋羊羹」も容易に存在しうる。 しかし、容易に、といってもそういった「水のような」食べ物は出会うこと自体はそんなに多くはない。 アクエリアスはここで言う水のようではないし、約90%が水分だという胡瓜も水のようではないものの方が多いだろう。 これらに共通することは、透明感、なのだ、水分量ではなくて。 透明、なのではなくて、透明感。 クリア、ではいささか違って、クリアー、の方がしっくりくる。 味がしない、ということではないけれど、水のような透明感がファーストインプレッションとして上に立ち、その裏側に透けて感じられるそれぞれの味がある。 透明感がないと美味しくないわけでもない。 それに、もっと言うと、水のようなそれらは「とってもとっても美味しい」といういうわけではない気もする。 何かを食べている心地というのは、その透明さに持っていかれて実感に乏しい。 食べ終わった実感にも乏しい。 私は何を言っているのだ。 いやしかし、私は「水のような」食べ物がとても好きみたいだし、透明感は言わば私の“憧れ”のイメージのようなものにも近いかもしれない。 描いてきた理想や憧れが、本当は自分にフィットしていないのかもしれない。 と、最近そんなことを思うことがある。 そもそもここで言う理想や憧れというのは、ほとんど輪郭もないような漠然としたものだけれども。 大それたことではなくて、とっても身近で、些細なこと。 その理想や憧れが間違っている、と自分が受け入れることは、分からないうちは勇気が要る。 今まで大切にしてきた何かが価値を持たなくなるわけだから、無意識に拒否感が働くのも当然のように思うし、分かりたくないわけだ。 しかし分かってしまったと同時に、おそらくそれは受け入れられていることになるだろう。 そして分かった後も、現実的にはさして何も変わらない。 そんなことの繰り返しで、何だかよく分からない自分自身について、捻れを一つひとつ解いて行けたら良い。 それもそうだし、覆い隠された内在的謎解きだけに人生を費やすのは勿体ない気もする。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|