細々と積み重ねているお字書き道TALKSであるが、月1で書道家のインタビューを配信(1人を2回に分けて)しており、それが4人目となった。
こんな弱小番組の弱小書道家からの依頼を受けてくださること自体、まずもって私には感無量である。 現在私は書壇と呼ばれる書道の世界には属しておらず、かつて所属していた団体の方で、仲良くしている方はひとりもいない。 SNSを通じて書道家の知り合いが増えたことは、用意されたプールの小石拾いをするわけではなく、大海原に身ひとつで飛び込んで掴んだものだ。 まあ、別段たいして難しいことではないのだけれど、それでも、ここまでやってきた自分のことを時々は褒めてあげたいと思う。 インタビューも私から直々にお願い申し上げて、受諾していただいている。 SNSで作品は拝見していても、実際にはほぼ会ったことも話したこともない人ばかりだ。 こんなことをばらすのもなんだが、無償で受けてもらっている。 ここまで皆さん全員酒飲みなので、収録後にお酒と料理はふるまっているが。 よくもまあ皆さん、受けてくださるものだ、と本当に有難い気持ちである。 と言っても、やはり私のことをどこかしら好いてくれている反応のある方にお声がけしている。 具体的には、いいねやコメントをしてくださる方々。 最新回の板谷栄司さんは、私がInstagramで知ったのも最近のことで、作品を拝見していいなと思ってフォローしたらすぐさまフォローバックしてくださった。 いくつかの作品にばばばーっといいねもくださった。 板谷さんは、Wikipediaにも載っている有名なテレビプロデューサーだった。 私たち世代からすれば、青春時代のフジテレビの音楽番組はすべて板谷さんが作っていたと言っても過言ではない。 「SMAP×SMAP」「HEYHEYHEY」「僕らの音楽」「FNS歌謡祭」「love music」などの番組を、総指揮官として、いや指揮に留まらず、細部にわたる映像制作人として手掛けていた人なのだ。 所謂、スゴイ人、だと思う。 また、アーティストをコラボレーションさせるというスタイルも板谷さんが確立したようなものらしい。 ちなみに、「僕らの音楽」「love music」などの題字は板谷さん自らの揮毫である。 「僕らの音楽」の題字は昔から、なんか変な文字で興味深いなあ、と思っていたのだが、図らずも作者に会えてしまった。 あの題字は10年ほどの番組放送期間中に2,3回書き直して変更しているらしい。 そんな板谷さんがフジテレビを辞めて書道家に転身した話は是非YouTubeで聞いていただきたいのだが、収録後に酒を酌み交わしているときも板谷さんはとても興味深い話を沢山してくれた。 相方である音楽家のタナカはもちろん、私も音楽は好きだし、板谷さんが作っていた番組を後々YouTubeで見ることも何度もあった。 私たちが思いのほか音楽好きなので、板谷さんも熱が入り、映像制作の細かな部分を「僕らの音楽」の動画を見ながら解説してくれた。 背景のシャンデリアや東京タワーの話、花を置くワケ、マイクが複数本ある理由、アーティストの裏話・・・板谷さんにとってみれば30年間のテレビマンの思い出話を番組ファンの視聴者とともにしているわけで、感慨深かっただろう。 板谷さんは時折ハンカチで目を拭いながら、深夜まで私たちは話をした。 行動することでご縁が生まれる、というのは陳腐な言い回しだが、思い切って板谷さんにお声がけして良かったなあと思った。 もちろん誰だってその人なりの歴史や見聞があるものだけれど、普段の生活圏内では知り得ないことを垣間見れるのはやはり嬉々となる。 そんな超敏腕テレビマンの板谷さんがなぜ書道家になったのか、の話。 ぜひ聞いてみてください。 【書道家対談シリーズ④】元フジテレビ音楽番組プロデューサー板谷栄司with鯖大寺鯖次朗〜前編〜 <note> 最も古い漢数字(一二三四五六七八九)はどう書いた?~古代文字の変遷~ 今も残る123456789以外の数字!【東南アジア+リベリア編】(数字Ⅱ) <YouTube> 【書道家対談シリーズ④】元フジテレビ音楽番組プロデューサー板谷栄司with鯖大寺鯖次朗〜前編〜 お字書き道TALKS #041
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海浜幕張に行った話はもう書けないだろう。
もはやあまり覚えていないからだ。 息子の好きなトミカ「連接バス」を持って「連接バス」に乗りに行った。 連接バスには息子と同じように連接バスファンの連接バストミカを持った男の子が乗っていた。 その子のお母さんと目を合わせて、目だけで、「そうなんですよ、もう仕方ないですね(苦笑)」という会話をした。 そして私はホテルのプールとサウナに入った。 サウナ室はなんと贅沢に私ひとりになる時間が長く、十分に動きを開放して十分にととのうことができた。 書き始めると書けるかもしれないけれど、記憶の鮮度が落ちているのでこれくらいにしておこう。 さて、最近の私は何がきっかけだったか、ヤフーオークション、ヤフオクに執心している。 確か、先月銀座のとある画廊のとなりにヨーロッパ家具のアンティークショップができていて、そこで模様替え熱に着火してしまったものと思われる。 私は洋服にはもう何年もまったくと言っていいほどに興味がない。 いもうとからは「フィリピン帰り」みたいなファッションだと言われるし、靴下が裏返しで気づいても履き替えないし、化粧も眉毛を書くだけ。 しかしインテリアに対する熱はずっとあって、もちろん息子がいるためあまり自由にはできないのだが、たまにはインテリアサイトやお店をのぞくこともあった。 絵や書を見たり買ったりするのも、そういう意味合いも大きい。 今回、書道教室の方を変えてみようと、ふとヤフオクを覗いたらとてもとても面白い。 私が普段見ているような物ではない物たちがわんさかあふれてくる。 先日のお字書き道TALKSの書道家インタビューで「くろのぺんさん」が骨董や古道具を扱っていたというのも心にじんわりと響いていて、アンティーク、骨董、古道具、所謂中古品に目が向くようになった。 これまではつるりと明るい、無駄のない北欧調のデザインが好きだったのだが、本当に目の向け方によって見えてくるものが全く違うものである。 ヤフオクはこれまでに古典の法帖などを買うこともあったが、それほどには利用したことはない。 誰かと金額を競り合ったこともない。 画像判断における商品の価値、表示されている金額、入札件数、入札の意味、出品者の信頼性、送料がいかほどか、オークションは新品の買い物と違うことも多々あり、まずはその仕組みやその場における礼儀作法を知らねばならない。 失敗をわけではないが、失敗も込みのダイブだ。 数日間数十時間しこたまヤフオクを見て、いくつか入札して、買えたり買えなかったり。 ちょうど息子にコーヒーカップを割られてしまったので、目に留まった素敵なコーヒーカップを落札して、毎日むふふとそのコーヒーカップを見ながらコーヒーを飲んでいる。 他の入札したカップやイスは、どんどん値がつり上がったり、直前に高値を付けられて奪われたりと、オークションの醍醐味も少し味わっている。 書道の半紙を置く紙の棚も落札した。 古びたものだけれど、紙とは相性が良い。 これまで紙はクローゼットの中の引き出しにしまっていたのだが、紙の全量を把握しておらず、使っていないものや重複しているものが沢山出てきた。 これで余分に買うこともなくなるだろうか。 如何せん、とにかくヤフオクを覗いているのが楽しい。 こんなに何かにうっひょーとなったのは久しぶりだ。 サウナ以来かもしれない。 こういう状態になるとき私はいつもムッシュかまやつの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を思い出す。 ゴロワーズを吸ったことがあるかい (中略) 短くなる迄奴は吸うのさ そうさ短くなる迄すわなけりゃダメだ 短くなる迄すえばすうほど 君はサンジェルマン通りの近くを 歩いているだろう <YouTube> ⇒続【明治・大正時代のたのしい名前集】今は名づけに使えない記号「々」「〃〇ー」はなんと読む?奇姓珍名集「姓名の研究」より- お字書き道TALKS #039 ⇒JAPANESE SUSHI - KANJI 【国字の話】- お字書き道TALKS #040 <note> 数字いろいろ!現在も使われている、世界各国の数字Ⅰ【ローマ・ギリシャ・アラビア・インド編】 お盆休み、では私はない。
療育はお盆休みなので、月曜午前が使える。 どこかへ行きたい、というのは時折訪れる多くの人が持つ欲望ではないかと思う。 物理的移動なしに精神的にどこかへ行くことも可能であるが、やはり物理的・地理的移動はどこかへ行きたい欲を手っ取り早く満たすことができる。 しかしながら私は、学生時代に海外旅行命!のように頻繁に動いていたら、地理的移動や素晴らしい景色で満足していない自分に気付いてしまったことがあった。 学生時代が過ぎても、フィリピンへ行ったり、オーロラを見に行ったりなど、どこに向けてか海外正義を振りかざして出かけていた。 あれは、オーストラリアのパースだった。 日本にはない変わった低木の生える砂漠地帯、広大に吹き渡る乾燥した風を浴びながら、なんだか、「これは違うぞ」と思った。 まるでロックンロールに出会ったときのように。 おそらく私は、私が思う社会通念において「海外旅行(あるいは地理的に希少な経験)」に”高い価値”を設定していたのだと思う。 特に、当時「学生時代にしかできないこと」として声高々に言われていたことの一つが海外旅行であったように思う。 私はそれを最上級に誇れるものとして、自分の行動指針に掲げていたのだろう。 わたし=バックパッカー、アイデンティティの一部としてそれを持ちたかったのだろう。 時代の変わった今、そもそも「学生時代にしかできないこと」という言葉さえ死語なのかもしれない。 オーストラリアのパースが悪いわけではない。 あの場所は、素晴らしい場所だ。 しかし外的に設定したその価値観と、内的な価値観にズレが生じていることにはたと気が付いたのだ。 ちなみに、”ロックンロール”の出会いについて説明することは時にとても困難なのだが、私の言う”ロックンロール”とは、紐解いて言えばまさにその価値観のズレとの対面である。 その意味において、パースは有難い場所とも言える。 私が”高価値なもの”と位置付けて、無理やりにアイデンティティを構成しようとしていた海外旅行は、月並みな言葉で表すのが相応しいほどに、ガラガラと音を立てて崩れてしまった。 ついでに、そもそもアイデンティティなど、自らの意思で構築するような性質のものではない。 あんなにたくさん海外旅行に行っておいてなんだが、私は「(地理的な)旅を愛する者」とは言えない。 わたし=バックパッカー、なんて到底言えない。 好きなことはひとりでもする、というのが好きなこと対するひとつの定義であろうと思う。 私はひとりで旅に出かけたことが実はほとんどないのである。 すべての海外旅行は、人は違えど連れがいた。 行き先のほとんどは連れが決めていたと言っても良い。 私は衝撃的な方向音痴なので、そもそも見知らぬ土地をひとりで歩くことにはかなりの抵抗感がある。 ましてや海外をや。 まだ未見のウユニ塩湖もマチュピチュも行ってみたいし見てみたいけれど、ひとりで時間と金をやるから行ってこいと言われても、私は確実に断る。 それくらい、ひとりで海外になんて行きたくない。 まあでも。 そうなってからの私も、どこかへ行くことは好きだし、誘われれば海外だって是非とも行きたい。 子育てやコロナなど、身動きがとりづらくなってからはよりどこかへ行きたい欲は定期的にむくむくと湧いてくる。 もはやどこでも良いから、環境を変えたい。 そういうわけで、懐古していたら長くなったが、海浜幕張に一泊してきた話を書こうと思ったのだった。 しかし長くなったので、それはまた別の機会に書くとしよう。 <YouTube> →【明治・大正時代のたのしい名前集】附・難訓姓氏辞典 奇姓珍名集「姓名の研究」荒木良造 1929年(昭和4)発行 →続【明治・大正時代のたのしい名前集】今は名づけに使えない記号「々」「〃〇ー」はなんと読む?奇姓珍名集「姓名の研究」より- <note> →【日本の数字の歴史】明治初期、アラビア数字とともに日本の数学は変わった(その3) →100も承知!?横書きのときの数字。漢数字?アラビア数字(算用数字)? 息子を連れてプールへ行く。
私は結構プールが好きで、彼を妊娠するまでは50mのプールを求めてわざわざ東京体育館まで泳ぎに行っていた。 と言っても、早く泳げるわけでも、バタフライができるわけでもなく、もっぱら平泳ぎをするだけだけれど。 ついでに、海や川のような自然の水場は怖いので苦手である。 ただ水の中に潜って、非日常の音や水圧を味わって、流れのない安心できるしょっぱくない水に浮いていたい。 そして、時々泳いで、泳ぎ疲れて血液循環が良くなった体でぼーっとしたい。 子育て仕事もそうだが、女性特有の理由も含めて、なかなか機会がないもので、随分プールにご無沙汰である。 まあ息子を連れていては、先ほど述べたような感じのプールの味わい方ができないことは承知の上だが、数年ぶりにプールに入りたいとここ最近熱が高まっていた。 スライダーがあったり、流れるプールがある遊園地的プールも考えたが、何せ初めての場所で息子が怖がって全く動かないという可能性もある。 そうなっては入場料も辛いので、近場の区民プールへ。 25mと、幼児用の推進50cmほどのシンプルな2つのプール。 貸し出しはビート板のみ、他にぬるすぎるサウナのような採暖室もある。 息子はお風呂のシャワーも平気だし、保育園のプールも楽しんでいるとのことで、入り口の温水シャワーで少し怖気づいたが、幼児用のプールにすんなりと入ってくれた。 若干震えていたのはおそらく彼の身体にとっては少し寒かったからだろう。 幼児用のプールでぱちゃぱちゃしつつも、息子は顔を水に浸けることがまだできないので、本当にぱちゃぱちゃとしながら歩くだけである。 私は少し頭を水の中に沈めて潜ってみるものの、息子が心配なので数秒も経たずに顔を上げる。 プールには大きな時計があるものだが、ふうっとひと息ついても10分しか経っていない。 これでは全然時間が潰れないじゃないか。 25mプールはこの子と一緒に入れないか、と監視員さんに尋ねると、隅の2レーンでしたら問題ないですとのこと。 息子に行ってみるかと聞くと、いいよと言った。 息子を抱っこして水深120cmほどのプールに入る。 当然息子を離すわけにはいかないので、抱っこしたままやはりウォーキング。 それでもやっぱり深い方がプールに入っている感じがあって楽しい。 採暖室などにも寄りながら、何とか40~50分を過ごす。 プールから上がって、フライドポテト食べようか、とマクドナルドに行く。 泳ぐという行為はしていないけれど、プールのあの疲労感が感じられて心地よかった。 今度は遊園地的プールに行きたい。 私がすべりたいようなスライダーは身長制限でおそらく息子はすできないだろうから、私がすべるには夫も必要だ。 しかし夫はプールは嫌らしい。 そんなぁ。 <夏のいけばなコラボワークショップ> 単発の筆ペンお名前レッスン&夏の終わりのいけばな <YouTube> 名付け(命名)の裁判騒動!年間約4000人が改名!名づけの法改正案とは? - お字書き道TALKS #035 <note> 【日本の数字の歴史】明治初期、アラビア数字とともに日本の数学は変わった(その3) |
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無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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