息子は昨日も今日も、べらぼうに可愛い。
頭皮の脂漏性湿疹ということでワセリンのような保湿剤を頭にべったりと塗って、ちょうど禿げたおじさんがポマードを塗っているようになってる姿でもべらぼうに可愛い。 息子のことを可愛いと思ったり、嬉しいと感じたり、そんなふうに強く思う気持ちを、どこかで歯止めをかけなくて良いだろうかと心の深部でうっすらと思っている。 しかし、それは自分で歯止めがきくようなことではないことも分かっている。 二十歳過ぎまで、私は嬉しいと思うことを最小化して生きるような癖があった。 そんなものすぐに終わってしまう、消えてしまう、続かない、一転何か悪いことが起きたときに衝撃を和らげるために低空飛行しておこう、そんなふうに思っていた気がする。 一方で日常の身近なことを過剰に有り難がろうとしてみたりもしていたと思う。 そして逆に、悲しいことは最大化する癖もあった。 落ちるところまで落ちているなら、もう落ちられないのだからその方が楽だという思考である。 しかし実際には、体裁上極端に落ちることもできずにやはり低空飛行していたのだろうと思う。 思い返すに、それらは自己防衛のひとつだろうと思うが、浅はかで意気地なしで情けないなあと思う。 色々と変だったなあと思う。 当時の自分はそうは感じていなかったが、傍から見れば、変、であり、大変、そうでもあっただろう。 そんな癖をおそらく、ロックンロールに落ちる前後くらいの20代半ばころに私は取り払うことができた。 それは分厚いコートから一気にTシャツ1枚になったわけではなく、薄手のジャケットにしたりまた分厚いコートに戻ったりを繰り返しながら、徐々に薄着になっていった感じである。 上手く言えないけれど、美味しいものを美味しいと感じて良いのだ、というごく当たり前のことを知ったのである。 それまで美味しいものを美味しいと感じていなかったのかと問われればそんなことも無いのだろうけれど、それは質が違う。 社会的に仕入れた情報や人の意見を乗せた“美味しい”を「美味しい」としていた感じである。 どこか演技的である自分自身について疑いがなかったわけでもないが、社会的情報や他人の意見を乗せた“美味しい”も、「美味しい」に近しいと言うか、「ほぼ美味しい」のだからまあ仕方あるまい。 ただ、少なくともその「美味しい」の一瞬において、社会から手を離し、自分の身体のみで感じられたということはとてつもなく私の生き方に影響を及ぼしたように思う。 目の前に起こる、あるいは自分の身体に起こる様々な変化を、そのすべてが刹那的であることを理解して受け入れることが出来るようになったのではないかと思う。 とりあえずは誇張も偽装もせずに、自分の思うことを認める覚悟が作られたとも言えるかもしれない。 それは仏のようにいつもにこやかにいることができるようになったわけではなくて、自分の中に起こる喜怒哀楽が認識できるようになったということである。 だから今純粋な気持ちで、息子がこんなに可愛いと思える気持ちを味わえてとても幸せだなあと思う。 私がこんなに可愛い子の親だなんて嘘のようだとも思う。 一方で、こんなにも失えない、失いたくない、大変な存在を生み出してしまった、そんなふうにも思う。 近いうちに息子が死んでしまう医学的な確率はとても低いと思うが、人の寿命がいつまでかなんて誰も知る由が無い。 毎日まいにち、息子に限らず、私だって誰だっていつだって死ぬ可能性は秘めている。 今日も明日も明後日も、私は息子に会いたい。 そんなふうに思う令和元年10月30日。
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12,777歩。
今日の歩数である。 と、この記事を8割がた書いて数日経過してしまった。 できる限り毎日散歩に出ることにしているのは、息子のための外気トレーニングという面もあるが、主には私が歩きたいからである。 健康増進のため、と言われればまあそうなのだが、歩くことには、ちょっとした身体的快楽、街歩きの面白味、電車などを使わず自分の足で遠くまで行ける優越感、一日の目標歩数の達成感、といった様々な良きことがあって、私は1年半ほど前、サウナにはまる少しあとに急に歩くことに目覚めたのだった。 仕事場でよく行っていた有楽町までは渋谷から何十回も歩いたし、山手線圏内で新宿から最も距離のあるのが品川だと知ればそこまで歩いてみたり。 歩くことによって身体に血流が巡り、身体はポカポカと温まり、ふと信号などで立ち止まった時にちょっとした恍惚状態が訪れることがあって、それは生きている実感とも言える何とも良い感じなのである。 また、一日の目標歩数の達成感というのも、歩くことへの大きな動機になっている。 目標数値を掲げることは自縄自縛的な作用が強く働くので、場合によっては取扱注意でもあるが、歩くことは歩かないより確かに健康にも良いだろうし、身体的楽しさというご褒美もあるので、多少強いられ縛られているように感じても納得感があるので良い。 そして。ゲーム感覚でとにかく歩数稼ぎが楽しくなってくる。 妊娠前の目標が一日15,000歩で日々8割がた達成していたのだが、妊娠末期には3,000歩ほど歩ければ御の字だった。 最近では10,000歩を超えることを目標としていて、ここひと月の達成率は8割ほどあると思われる。 妊娠前と違うのは、息子を乗せたベビーカーを押しながら歩いていることである。 メリットは食材など重たい荷物ができてもベビーカーに引っかけられること、息子と一緒にいろいろと街歩きできること、デメリットはベビーカーを押すのがそれなりに面倒であること、手が振れないこと、スピードが上げられないこと、階段が使えないこと、授乳室があるところが目的地となること、寄り道の自由が利かないこと、音楽を聞きながら歩けないこと。 どうしてもデメリットの方が多くなってしまうけれど、まだ寝たきりの息子と一緒にできる数少ないことだし、ベビーカーに乗せるとしばしば眠ってくれるので暇の持て余しにも良い。 私の足だと、1時間で約1,000歩ほどなので、10,000歩だと正味1時間半強歩くことになる。 実際には授乳室に寄って授乳とおむつ替えと休憩も挟むので2時間~3時間ほどの散歩時間。 計測はiphoneを使っていて、つまりiphoneを持ち歩いているときのみの計測歩数となる。 また、iphoneのウォーキング・ランニングのカウントは少し厳しめだと聞いたことがある。 歩いている、あるいは走っているとみなされないと計測が始まらないらしいので、例えばiphoneを持ったままソファに腰を下ろしただけで「1」とはカウントされないらしい。 そのためアナログの万歩計よりも数値が少なくなる。 近所のスーパーやパン屋に行くだけでは案外歩数が稼げないので、なるべく遠いところに目標地点を設定したいのだが、息子の機嫌が悪くなりそうなときや、天気が下り坂のときや、後に仕事があるときなどは、自宅周辺をうろうろと歩くことになる。 通った道を地図で黒で塗りつぶしたら、自宅から半径500メートルの範囲内は、都心に多い行き止まりの道も含めて真っ黒になると思う。 どうせなら新しい道を歩きたいので、日夜舐めまわすように近所を散歩している。 あと少しで1日の目標歩数達成ならば、家の中をうろうろうろうろiphone片手に歩くのだが、家の隅々を歩いても無論大した歩数にはならないので物凄い往復回数になる。 因みに夫も歩くのが好きで歩数計測しているので、時に息子を夫が抱えて、3人で家の中を行進する光景は奇妙なものである。 ところで、歩数稼ぎには、生活全体にも大きな効用があった。 それは動くことへの気持ち、フットワークが軽くなったことである。 今までなら郵便局に行って病院に行って薬局に行って役所に行って・・・などと点在する場所の用事がたくさんあると本当にうんざりしていたものだが、全く面倒だと感じなくなるのである。 用事もこなせて歩数も稼げるなんてラッキーとさえ思える。 頼まれごとなら、「もうしょうがないなあ」なんてにやけてしまいさえする。 また、歩数稼ぎが大事なことなので、坂道に出くわしても嬉しくはならない。 雨降りの日も、小雨ならカッパをベビーカーと私に着せて散歩に出かける。 カッパを着ながらベビーカーを押していると「大変なお母さんなんだな」と同情の視線を感じることがあるのは気のせいだろうか。 季節はどんどんと冬に向かい、気温が下がってくる。 夏生まれの息子には試練の時期なのかもしれない。 生まれて初めての冬。 私は造語を作ったり、略語を話したりすることは苦手だ、という自覚がある。
自分が使う言葉について、どうしてこの言葉をチョイスしたのだろうかとか、どこからの影響でこの言葉を使っているのだろうかとか、そんなことが気になってしまうのである。 だから安易に作ったり、略したりできない。 無論ちょべりばとは言わないし、マジ卍とも言わないし、エゴサもしない。 セックスピストルズをピストルズとも言わないし、ブルーハーツのことをブルハとも言わない。 しかし、エレファントカシマシはエレカシだし、ミスターチルドレンもミスチルなので、そのあたりの仕切りは甘いものであるが。 かつ丼とも言うし、サラスパとも言う、後者は商品名か。 また、人の名前をあだ名で呼ぶことも得意ではない。 しかし、全員正式名で呼んでいるというわけでも全然ないが。 ところが息子が産まれてからというものの、私は息子のことを自分で驚くほどの呼び名を作り、それらを連呼している。 それどころか、育児にまつわるいろいろな言葉をぼんぼんと造語し、息子の可愛さに乗じて半ば狂ったように息子をあやしている。 それらはほとんど自ずと出てくるので、自分の中にそんな一面があったのかと今さらながら自身を新鮮に感じているのである。 例えば、おっぱいのことは「ぱい」。 例えば、息子が手をしゃぶっているのは、「手のおっぱい」で「手ぱい」。 例えば、おしりふきのことをいつかに言い間違えて以来「おむつふき」。 例えば、首やわきの下に溜まる垢を「ねりけし」。 例えば、寝ぐずりのことを「眠たみパニック」。 例えば、息子を片手で肩のあたりで担ぐときには「○○○(息子の名前)俵」。 例えば、私が物凄く積極的に息子をあやすことを「○○○狂い」。 例えば、息子がとても可愛い仕草を見せるとき、「すごく可愛い」で「すごかわ」、「劇的に可愛い」で「げきかわ」、「大きく可愛い」で「おおかわ」。 例えば、うんちをさせるために傾斜のあるところに寝かせるのを「うんちんぐスタイル」。 例えば、はなくそを取るときの私は「はなくそハンター」。 例えば、げっぷのときはリズミカルに「げっぷっぷ」。 例えば、袖と胴体と下半身の色が異なるロンパースを着ているときは「レゴブロック君」。 例えば、私が息子を過剰にあやそうとするのを「うざいおかあさん」から、「うざお」。 これは便利で、「うざいおとうさん」「うざいおじいちゃん」「うざいおばあちゃん」「うざいおじさん」「うざいおとうと」でも同様に用いることができる。 いもうとだけ使うことができないのが残念である。 そしてもっぱら「うざいおかあさん」に用いる。 他にも、おしっこやうんちが出て「すっきり」というのを「すっきし」、おむつがおしっこやうんちで重たいときに「ずっしり」というのを「ずっしし」と言ったりする。 これは「ばっちり」や「ぴったり」という言葉を方言的に「ばっちし」「ぴったし」という言い方を遊んで派生させている。 薬や保湿剤を顔に塗るときは「べたあ~べたあ~」と言うし、息子にキスしたいときには「ぶちゅう~」と言いながら果敢に近づいていくし、授乳時など体勢を回して変えるときは「ぐるりんちょ」と言ったりもする。 私も喃語を喋って息子と会話したりもする。 基本的に息子を取り扱っているときの私のテンションは高めであり、「うざお」である。 これらは外で使ったらやや恥ずかしいというか、聞いている相手がこそばゆい感じがしたりするのだろうなと思うのだが、毎日毎日使っているものだから、誰かといてもほとんどこのまま出てしまう。 決して、育児の辛さゆえ少しでも楽しめるようにと積極的に編み出した言葉たちではない。 かつて私はお母さんになった友人たちを見て、子ども一色になってしまったなあと少し悲しい思いをしたことがあるが、今の私の方がかつての彼女らよりももっとそうなっているのかもしれない。 子どもにはさほど興味のなかった私だが、今の自分の溺愛ぶりに色々と思うところがあり、どこかしら羨む気持ちがあったのかもしれない。 不思議なことに、こんなに溺愛しているのに、私は息子に対してあまり血のつながりというか親子としての宿命や使命のようなものを感じない。 この子の一番近くにいて良いのが私だなんて何だか嬉しいなあ、とそんな感じである。 最近私よりも二カ月後に出産したブロガーのはあちゅうさんのブログをよく読んでいるのだが、同じ境遇の人というのは勝手に親近感が沸くものである。 育児は、メロメロとヘロヘロが交互に来ると言っていたが、まさに今日の私はメロメロが来ている。 子育ての大変さというのは、特別にはすることがなくて暇と言えば暇なのに生産的なことは何もできない、それが毎日毎日休みなく続く、というところだなあとつくづく思う。
忙しい忙しいというイメージのあった新生児乳児期の子育てだが、息子の性格もあってか今のところ劇的に忙しいというふうには感じていない。 しかしやっぱり、それでも何にもできない。 こんこんと寝ている間以外は。 おむつ替えも授乳も沐浴も寝かしつけも、その他食事の準備や掃除洗濯などの日常家事など色々やっているのに、やはり、何にもできない、していない、と感じるのである。 ちょこまかと子どもの相手や世話をしていたり、細切れの家事をしていたりするだけで夜は更けてしまい、輪郭のぼんやりした意志なきことばかりをしているために何をやっていたのかさえ記憶がおぼろげになる。 逆に仕事などで物凄くタイトに細々と様々なタスクをこなしていても似たようなおぼろ状態になるのかもしれないと思うが。 0歳児の相手というのは基本的に緩慢で手持無沙汰で暇の多いものである。 授乳中は特別にすることと言えば息子を少し支えているくらいなものだし、あやすのもずっといないいないばあとか歌を歌ったりとかをしているわけではないので、気持ち的には何か他のことをしたいと思ってしまう。 しかし息子の体勢や要求はころころと刻々と変わっていくので、例えば筆を持った瞬間に筆を離さねばならない状態を余儀なくされる。 筆を持てる瞬間は案外たくさんあるのに、一枚たりともそれなりの完成地点を見ることが出来ないのである。 また寝ていてさえも、いつ起きるか分からないという時限爆弾のようなものを抱え、集中たる集中は滅多にできない。 ごはんを準備すること食べること、掃除洗濯をすること、ライトなテレビドラマを観ること、ブログを書くこと、これらは流れ作業の中で何となくできるのだが、生産性や達成感を感じられるようにはできない。 これらの日常的なことを生産性のあるように、もっと達成感を持てるような事柄に引き上げると口に出して言うことは簡単である。 料理に凝ってみても良い、念入りに床拭き窓拭きをしても良い、テレビドラマの感想をSNSで議論してみても良い。 しかし、日常ごとの質を高めるべくチャレンジしたところで、それらを達成することが極めて難しいので、現実的には不可能なのである。 というか、それならそもそものやりたいことも出来ている。 つまり、当然ながら、また思いの外、自分が生産的だと思えるようなことをするのはある程度まとまった時間と落ち着いた精神が必要なのである。 ブログは息子が寝ている時間を狙って数日に渡って書いている。 毎日の書は夫が帰宅してから少しだけ時間をとって書いている。 まあ、それだけでも有り難いといえばそうなのだが。 子育ては最大級に生産的でクリエイティブだ!などと叫んでみても、日常の持て余し感は変わらないのである。 一緒にできて私もやりたいことといえば散歩である。 これもまたベビーカーを押しながら授乳室巡りをするという制約たっぷりなものだが、歩数も一日一万歩ほどに戻ってきた。 9300歩で夜を迎えた日には残り700歩を家の中を歩き回ってみたりもする。 比較的おとなしめの息子も主張ははっきりしてきたし、また保育園について逡巡する。 可愛い!一緒にいたい!うるさい!自分のことしたい!可愛い!一緒にいたい!うるさい!自分のことしたい!、そんなせめぎ合いをする毎日。 哺乳ストライキ、という言葉があるらしい。
その意は、赤ちゃんの何らかの主張でおっぱいを突然飲まなくなること。 昨日、またまたよく寝る日の息子だったのだが、18時におっぱいを飲んでから、19時半にあげようとしても20時にあげようとしても21時にあげようとしても泣いて飲まない、という事態に陥った。 最初はまだいらないのかな、と思っていたが、これまで起きている間は1時間~1時間半ごとくらいにおっぱいをあげていたので次第に不安になる。 22時でも乳首を口に突っ込もうとすると嫌がって泣き、首を振っているかのように見えた。 息子の身体的には水分もおっぱいからしか摂っていないわけだから脱水にならないだろうか、というのがもっぱらの懸念である。 それもそうなのだが、私からすれば、おっぱいを飲んでくれないということは思いの外とてもショックな出来事であった。 初めての事態に立ち会ったとき、自分がどう感じるか、何を思うか、というのはそれに立ち会う前の時点において楽しみでもある。 自分を必要以上に規定することなく、なるべく手放しの生々しい感情を知りたいと私は思っている。 初めての事態に対して予測や期待をしてしまうものだけれど、本当はそれらも全くせずにただその場の自分の反応や感情だけを見ていたい。 自分観察に余念がない、大げさでなく、生き方としてそうあるべきだと思っている。 自然発生的に思ってしまうこと、は変えられないので、それがどんなに社会的世間的におかしなことであったとしてもまず自分自身を受け入れる覚悟はできているつもりだ。 それを外に向かって言ったり行動したりするかは別の話だけれど。 私は妊娠中、自分の子どものことを可愛いと思えるだろうか、とうっすらと心配していた。 まあでも、もし子育てにうんざりしてしまっても、誰かや制度に頼りながら私は私のできる範囲でやろうと楽観的に考えていた。 そして、息子は息子の人生なのだから、必要な世話だけしたら早くに心身自立してほしい、そんなふうに願っていた。 これは今でも継続的にそう思っている、というか、私の思考上の理想ではそう思いたい。 しかしながら産まれてみて現在の私は本当に息子にぞっこんである。 こんなに可愛くて仕方がないなんて状態に自分がなるなんて、私が一番想像していなかった。 少なくとも今は離れたくないし、息子に私のことを好きでいてもらいたい。 だから哺乳ストライキで私がショックを受け、悲しくなってしまうのは予測範囲内とも言える。 しかし、当たり前なのだが、実際にそれに立ち会い実際に悲しい、という思いをすることはただ悲しいほかない。 ネット上に書かれている哺乳ストライキの理由などをいろいろとあてはめて考えてみるが、よく分からない。 気温が急に下がって寒くて身体が冷えてしまった違和感や不快感で食欲が無かったのだろうか、というのが私と夫の何となくの着地点であったわけだが、絶賛大成長中の息子の身体は恐ろしいスピードで細胞分裂などしているのだろうから、突然の違和感や不快が生じても何ら不思議なことではない。 このままおっぱいを飲んでくれなくなったら、お酒は飲めるようになるし身体の自由は広がるのかもしれないけれど、それは嫌なのである。 最も嫌なのは、息子に私のおっぱいを拒否されるそのこと自体である。 おっぱいに対してそっぽ向かれても、私のことを嫌いになったというわけではないだろうけれど、おっぱいは本当に文字通り私の血を分け与えているえもいわれぬ不思議な連帯感があるので、おっぱいを拒否されると私自身が拒否をされたような気分になってしまうのだ。 友人の子どもたちの話を聞いても、男の子も女の子も皆おっぱいが大好きというし、おっぱいという存在はどうにもすごいのである。 やばいとかすごいとか、それしか言いようのないときしか使いたくないのだが、おっぱいについてはすごいと言って良いものだろう。 おっぱいってすごいのだ。 鳥類やら両生類やらと違って、哺乳類、と生物のカテゴライズの名称になってしまうほどすごいのだ。 そのおっぱいを自分の息子が嫌がるなんて、信じたくない。 哺乳ストライキの説明には、生後2,3か月の時点ではこのまま飲まなくなることは稀で、長い場合でも1週間程度でまたおっぱいを飲んでくれるようになると書かれていた。 息子はまだ言葉を話さないので、表情や仕草などでコミュニケーションを取るしかない。 その夜、ストライキ中の息子はなんだかいつもより不機嫌でいつもと違う様子だった。 子どもにだっていろいろ事情がある、どんと構えていれば良い、という自分自身への言い聞かせと慰めをしながら、私は平静を装っていた。 とりあえず今はおっぱいは諦めてお風呂に入れ、さて就寝前の授乳を0時くらいに再度試みるとする。 22時にストライキ最中の息子に飲んでもらえなかった岩のようなおっぱいから搾乳をして、以前からの冷凍母乳がたくさん溜まっているので流しに捨てていた。 私の白い血は、シンクに白い筋を作りながら流れていった。 そんな切なさを抱えて数時間のストライキ、いつまで続くのか。 お腹空いた、よね?と私は恐る恐る、まだ悲しい気持ちを引きずりながら息子をおっぱいのところに持っていった。 6時間ぶりのおっぱいである。 息子は、吸い付き激しくおっぱいをごきゅごきゅと飲んだ。 片方ではもちろん足りず、もう片方もごきゅごきゅと飲んだ。 大きなげっぷをして、息子はすぐに寝た。 翌朝、また少し飲んでもらえないのではないかと思いながら息子をおっぱいに運ぶ。 ごきゅごきゅと勢いよく飲んだ。 初の哺乳ストライキは終焉を迎えたようだ。 いろいろ起こる。 いろいろ変わっていく。 いろいろいろいろ、ある。 いくら生々しい感情を味わいたいと言っても、良くない方向にドキドキしたりするのが好きなわけではない。 もっと懐深く構えていたいものだけれど、一つひとつ経験値を積んでいくしかないだろう。 あぁ良かった良かったと息子に頬ずりする。 息子は私のことを嫌いになったとか好きになったとかそういうことでは全然なさそうに、今は出すものを出したいのだとうんうんとうなっている。 粛々と毎日書は書いているが、さながら妊娠出産育児ブログになっている。 まあでも、大学生の頃に始めたブログ「勿忘草」の延長のこのブログだ、好きに書いていくほかない。 息子が可愛い、可愛くてたまらない。 久しぶりに出産した病院に行く。
先日病院から着信があり、瞬間的に心臓が高鳴った。 何か緊急の良からぬことがあったのか。 それは私なのか、息子なのか。 それとも、そうなら良いが、事務的な高額療養費などについてのことか。 走馬灯のように、最悪の事態から何でもない事態までを一気に想像していた。 恐る恐る折り返ししてみると、私の帝王切開をした若い先生からの電話だった。 帝王切開で子宮を開いたとき、私にはこれまで何の自覚症状も無かったのだが、子宮筋腫が見つかったようでそれをついでに取ってくれていた。 2センチほどの赤黒い塊を私も手術後に見て、ラッキーだったなあと下半身麻酔がまだびんびんに効いた違和感の塊のような身体でぼんやりと聞いていた覚えがある。 その際、取った子宮筋腫を、特に問題ないと思うが念のため病理に出します、とも先生は言っていた。 退院時に病理検査結果を伝え忘れてしまったので病院に来てもらえますか、という内容の電話だった。 また私の心臓はびくりと音を立てた。 子宮がんで手術なのか、その場合はまた腹を切るのか、あの術後感をまたやるのか、腹腔鏡手術でいけるのか、子宮を摘出するのか、命に影響はあるのか、今後の生活に支障が出るのか、抗ガン剤治療をするのか、息子の面倒はどうするのか、夫の人生を奪ってしまわないだろうか・・・だめだそんなの嫌だ・・・などと会話の間の数秒の間に全て考えることができたのは何だかすごいことである。 「何か問題があったのですか?それだけ先に教えてください。」と電話口で先生に請うと「そういうわけではないです。」と言った。 私は心配で同じ質問の2回目をして、先生は同じように2回目の回答をしてくれた。 検査結果は電話ではなく直接対面で伝えなければならないルールがあるようだった。 先生から提示された来院予約は3週間後、もし問題があるようであれば急ぐはずだから本当に何でもないのだろう。 私はほっとして電話を切った。 そして来院、いつもはとても待たされる大病院なのにすぐに呼ばれた。 ベビーカーを急いで回して診察室に入ると、「わざわざ来ていただいてすみません。帝王切開時に取った子宮筋腫の検査結果をお伝えし忘れていまして。特に何も問題ありませんでしたので。」と、先生はやや気まずそうな雰囲気で私にそれを伝えた。 診察室に入って10数秒、電話でほとんどを聞いていたことが再度聞かされて、もう事が済んでしまったのだ。 内診をするでも何でもないらしい。 きっと、結果を伝えていないことで病院のチェック機能に引っ掛かり、対面口伝ルールを守ったらこうなってしまったのだろう。 先生と私の間には所在なき空気が流れた。 私は自宅から病院まで歩いて行ける距離なので良いが、もし片道2時間かけて来る人なら怒っていたのではないかと思う。 「赤ちゃんも元気そうですね。」と取ってつけたように先生が言うので、私も少し気を使って、「とても元気です。先生が文字通りこの子を取り上げてくださったのですか。」「そうです。」「ありがとうございました。」と会話をした。 「また会えるといいね。」と先生は息子に言ったので、「病院でですか?!」と半笑いで返したが、意地悪だっただろうか。 その後授乳室で授乳を済ませ、会計を30分待ち、出てきた会計はなんと5,110円。 これは退院時の合算であれば高額療養費の適用になるはずなのではなかったのか。 悶々とベビーカーを押して病院を後にした。 何でもなかった安心代、と思えば良いかとも思ったが、それとこれとは話が全然別である。 しかしまた問い合わせるには骨が折れるので多分しないだろう。 ふとしたところで、先生は後期研修医の29歳であることを知った。 病院の先生というのは自分より当然年上という観念が私の中にあることに気が付いた。 29歳の医師が帝王切開の手術をする、という単体の独立した文章は何の違和感もないのだが、29歳の5歳年下の医師に帝王切開の手術をしてもらった、となると「!?」という感じがしてしまったのだ。 仮に自分が産科医の道に進んでいたとしたら、29歳のときに人の腹にメスを入れて血まみれの赤子を取り上げていたことになる。 産科医の道はあり得なかったが、5年前の29歳の自分を思うと驚きである。 医者だけではなく、学者とか政治家とか、それになるには学問的また人間的成熟が必要であるように勝手に思っている職業においても、「29歳」や「34歳」はもうすでに前線で活躍する年齢であるということだ。 それだけ世の中的に相対的に年を取ったということと、「34歳」という世の中的な年のイメージやかつて想像していた未来の自分像とに乖離があるということだろう。 もちろん色んな「29歳」や「34歳」がいるのだが、やはりいつになっても自分の実年齢は世の中的なイメージ年齢やかつての未来の自分像に追いつかないのかもしれない。 それはかつて小学1年生だった頃に6年生のお兄さんお姉さんがとてつもなく大人びて見えたのに、自分が6年生になったときには全くそうは思えなかったことや、現在34歳から小学6年の子どもを見たときに子どもでしかないと思うことの延長だろうと思う。 病院に行って、出産入院していたときのことをまた思い返していた。 人に出産エピソードを話すときはかいつまんでハイライトを話している。 それは全く平気である。 48時間。
いや、52時間ほど溜め込まれたうんちはなんと訪問した大学の先生の研究室で爆発した。 最近はこちらもうんちのさせ方というか体勢を整えるのが上手くなっていたので漏らすことが格段に減っていた。 具体的な体勢とは、背中を少し起こした体勢にして重力を利用する方法である。 クッションにもたれ掛けさせて、しばらくするとうんちの前兆として交互規則的に足をばったばったとさせて時々うーうーと言い、ぶぷぷぷぷ、と音がしたら完了である。 しかしひと息に出るわけではなく、だいたい2,3回、ぶぷぷぷぷ、と音が鳴る。 もうひとつ、うんちを漏らさなくなった原因があって、それはおならの減少である。 これまで、ぶばっっッ!!!!、というおならとともに脱糞していたので、それはそれは力強い爆発力でおむつから漏れてしまったのだろう。 だいたい渾身の一発で出るので、本人的にはその方が気持ちが良いのかもしれない。 おならは飲み込んだ空気で出来ているものが多いらしく、授乳中には空気を飲み込みやすい。 母乳の場合は哺乳瓶よりも空気を飲み込みにくいと言うが、息子の場合は、ぐりりっと音を立てて母乳と一緒に空気も飲んでいるのがよく見て取れる。 授乳の後はげっぷをさせましょうというのは、そのまま寝かせると空気とともに戻しやすく、仰向け状態でそれが起きると逆流物で窒息してしまう可能性があるからだそうだ。 まあでも、出なければ横を向かせて寝かせましょう、ということのようなのでそうさせていた。 病院で習ったげっぷのさせ方でげっぷが全然出ないので、授乳後もまあいいかと放っていたのだが、あまりにおならが頻発して、時には苦しそうな感じもあったのでげっぷをさせる方法をしばらく模索していた。 縦抱き用の抱っこひもに括りつけられると高い確率でげっぷをしていることを発見し、授乳後はしばらくお腹を少し圧迫気味に縦に抱いていることにした。 そうすると、十中八九げっぷに成功するようになった。 そうすると、てき面におならの量が減った。 そうすると、てき面にうんちを漏らすことが減った。 観察による戦略が段階的に成功して何だか良い気味だった。 不意にうんちを漏らすことがなくて少しつまらない、そんなふうに思っていたわけではないわけではない、のかもしれない。 そして最近、夜に寝る時間も5,6時間と継続して寝ることが出来るようになってきたのと同時に、次第にうんちを溜め込む時間も長くなってきて、うんちの回数自体が減ってきた。 つい先日も、記録48時間溜め込んで大量のうんちを第4楽章に分けて排泄した。 そしてまた昨日、記録52時間のうんちのそのときがやってきた。 大学の先生とお喋りをしていたので、その音には気が付かなかったが、匂いでそれはばれた。 その時点で来ていた服の背中に黄色い染みがついていた。 トイレに連れて行っておむつを開封しようと脚を持ち上げると大量のブツがどどどと背中に向かって流れてしまった。 どうやら立ち姿勢をさせていたときにうんちをしたらしく、そのほとんどが下に行かずお尻の後ろの方に留まっていたようだ。 この時は「雪崩うんち」と私は言ったが、「遡上うんち」に変更したいと思う。 遡上したうんちは着ていた服に大きくべったりとついてしまった。 汚れた服を家に帰ってきれいに洗うことができないわけではないが、もうこれは捨ててしまうことにして、服も一緒に持ち帰り用のゴミ袋に収納した。 こんなときのために着替えは1着常に持ち歩いている。 あぁ、久しぶりのうんち騒動であった。 研究室でいろいろな話をしたのに、お尻と背中一面の黄色い惨状が頭に焼き付いて離れない。 息子の放心の顔と、身体が軽くなってすっきりした顔も。 翌日の今日、24時間ぶりに足をばたばたとさせはじめて程なくして、ぶぷぷぷぷ、と音が鳴った。 第3楽章まで待って、昨日の失敗を活かして、様子を確認しながら足を上げる角度を調整しておむつを開封した。 昨日と同じくらい大量だったが、私は漏らすことなくおむつ替えを成功させた。 決してうんちを漏らしてほしいわけではない。 こちらも漏れないように随時改善策を考え、最善策を実行している。 しかしそれをも上回るのであれば、予想だにしない方法においてのみ、未曾有の景色で、漏らしてほしい。 のかもしれない。 先回りして言っておくが、未見だが、風呂の中は嫌である。 少し話はずれるのだが、赤ちゃんのおむつや衣服やタオルやスタイなどには、かなり多くの場合において部分的に黄色が使われている。 これをうんちの色だと瞬間的に勘違いして、何度冷や汗をかいたことか。 せめておむつには黄色を使うのをやめてほしい。 今使っているパンパースは、ちょうど漏れが発生する太もも周りのひだの部分にちょこんと黄色があるものだから毎度毎度焦ってしまう。 キャラクターのしまじろうが黄色だから使わざるを得ないというのあると思うが、ひだの部分の黄色の柄は要らないと思う。 うんちでこんなにも盛り上がっている私は、「うんこ漢字ドリル」に興じる小学生と同じであろう。 うんちは皆を少し幸せにする。 のかもしれない。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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