携帯電話の通信利用限度を超えて、通信制限がかかっている、月末まであと6日もある。
何にそんなに使ったのだろうか。 iPhoneを13に変えたので、そのタイミングのデータ移行等で知らぬ間に通信しまくってしまったのだろうか。 通信制限を食らうと、ほぼ普通のアクセスができなくなる。 インターネット検索はもちろん、LINEを一言送るにも届くときと届かないときとあるくらいだ。 PayPayの支払いさえ、バーコードの表示に通信を要すためほぼ使えない。 なんとまあ不便なことだろうか。 今日は一日外出しているのだが、乗り換え検索も地図を見るのも待ち合わせの連絡も危うい。 待ち合わせていた方には事前に繋がりにくいですとWiFi下で送っておいた。 そこかしこにWiFiが飛んでいるとはいえ、かなり暮らしづらいものである。 友人と待ち合わせ、練馬区立美術館で行われている香月泰男さんの生誕110周年の展示の2回目に行き、続いて上野のVOCA展へ。 美術の展示をとにかく観る、と足繁くいろんな美術館やギャラリーに出向いている。 それは私の中で確実に結実してきていて、「良い作品」が何であるのかを肌感覚的に感じられるようになってきたように思う。 ちなみに、「良い作品」は、「好きな作品」とも違う。 コレクターと呼ばれる美術品を買い集めている人の気持ちも分かるようになってきた。 コレクターの多くは、現在のアートバブルに乗って将来売って儲けようというわけでは全然なく、きっと自分の手元に置きたい作品をただ買っているのだと思う。 オレの眼で選んだ唯一無二の作品が手元に沢山あるとしたら、それはきっともうオレの世界だ。 もしその中のひとつを訳あって売るときには、自分のワンピースが欠けたように思うのではないだろうか。 ある絵画作品を買おうかどうか迷っている。 2歳児のいる家に、買ってどこに飾ろうというのか。 こんなものが、この値段。 美術品とはそういうものだ。 ギターみたいに弾いたり抱きしめたりすることもできない。 ただ孤高の存在として壁に飾って眺めるだけだ。 その無機能な存在を欲するのはなぜか。 新しい動画が今夜0時に公開されます。 最近は台本をがっちり組んで制作を行っています。 書道の世界は本当に混沌としていて、それをやらない人への架け橋が実に難しいように感じています。 伝えたいことはいつも概念の雲に紛れてしまいます。 それでもたぶん、こういうやり方は伝えたいことの一助にはなるのではと考えています。 何を言っているのやら、ですが、単純に日本の書道の歴史を知るのに面白い動画になっているのではと思います。 どうぞご覧ください。 【最強の書道】書道レイアウト入門 ♯2 2022/03/26公開 https://youtu.be/QRV6rvJsQDI
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休日、時間がある場合は、極力息子の思うままの散歩に付き合う。
と言っても、道に飛び出すのも、エスカレーターを逆行するのも危険なので、そういうのは逐一制止していると、息子にとってみたら全然自由に歩かせてもらえないと不満たっぷりに思っているかもしれない。 しかし、息子の思うままに行かせていたら、かなり高い確率で死んでいるのではないかと思う。 まあそれでもできるだけ本人の行きたい方向、やりたいことをやらせたい。 昨日は水たまりにスニーカーでばっしゃばっしゃと突っ込み、持っていたトミカの郵便車を水たまりで走らせた。 もちろん下半身はぐっしょりだ。 着替えを持ってきていなかったので、息子を担いで帰ったせいで、わき腹が筋肉痛である。 今日はトミカのパトカーを手に握りしめ、坂を見つけてはパトカーを滑らせ、時折「トトロ」の主題歌の「さんぽ」を歌いながら揚々と進む。 「あるこーあるこー」と歌いつつ、「だっこ」となることも多々あるけれども。 前に見つけて気に入ったらしいスケルトンのエレベーターに向かう。 息子はおそらく私のように方向音痴ではない。 自分が電車に乗りたいときは駅の方向に向かっていくし、スケルトンのエレベーターの場所だってよく覚えている。 スケルトンのエレベーターで上って、階段を下りて、またエレベーターに乗って。 10周くらいはしただろうか。 このエレベーターは使用する人があまりいないのが幸いである。 いつまで続けるのか、「あと一回にしよう」と言ったけれど、まだやりたかったらしく息子は大声で泣いて怒ってしまった。 ちょっと前言撤回、やりたいことはやらせたいけれど、本当にやりたいことをやりたいならその方法を自分で考えてほしい。 今は泣くしか方法がなく、それでは親を説得できないので、ある程度の地点で折れてもらうしかない。 ここまでで随分と動いているので、コンビニに寄ってジュースを買う。 食べ物に本当に興味がない子で、こちらが聞かないと食べたいや飲みたいをほとんど言うことがない。 疲れたからカフェでみんなで甘いもの食べよう!というのもできない。 そういえば休日には特におやつを求められることもないので、ついそのまま夕食まで間食なしになってしまう。 胃の小さな幼児にとっては血糖値が下がってしまう心配もあり、あまり良くないのでなるべくジュースだけでも飲ませるようにしている。 今日はドールのオレンジジュールを自分で選び、200MLをほとんどひとりで飲んでくれた。 このことも、息子にしてみれば実に珍しい。 その後、一目散に駅に向かって行ったので電車に乗る。 各鉄道の車掌さんや駅員さんは、時々小鉄くんたちに電車のカードをくれる。 今日も線路から離れようとしない息子を見て、乗務員室からカードを何枚か持ってきてくださった。 次はお外の黄緑の電車に乗るよ、黄色の電車に乗るよ、と言うと「やまててせん!」「そうぶせん!」と言って、話が通じるようになってきた。 以前は目の前の電車から離れるのに必死だったのだが、今は他の電車が別の場所で走っているということが想像できるようになったらしい。 最寄りではない駅で降りて、また公園に寄る。 私は三回目のワクチン接種翌日だったことや、花粉症がピークを迎えていることなどが重なり、身体をぎしぎしと言っていた。 たくさん歩いてさすがに息子も疲れたようでもう歩けないと言う。 仕方がないので、休み休み息子をおんぶして、途中で夫に代わってもらい、やっとのことで家に帰った。 トイレに行かせて着替えをし、手を洗ってすっきりしたら、珍しく「おにくごはんたべる」と言う。 お腹が空いたらしい。 5時だったけれど急いで息子のおにくごはん(ひき肉と玉ねぎ人参を炒めたものを白ごはんに混ぜたもの)を用意し、まだ食べそうなのでついでに納豆もあげておいた。 息子は疲れて寝るかと思いきや全然その気配を見せず、結局21時前に就寝。 普段保育園で2時間昼寝をしてくると22時過ぎまで寝ないので、現状の息子は昼寝は必要ないのかもしれない。 21時前に寝てくれたらひと仕事できる。 そういう一日だった。 まだまだ注射の左腕が痛い。 息子の体調不良の一か月から一か月ほど経過しただろうか。
たらり、と息子の鼻から汁が顔を出している。 恐ろしい話だ。 大事に至りませんように、早く良くなりますように。 祈る、祈る。 同じタイミングで、保育園からLINEの通知があり、給食を作る調理師さんが濃厚接触者となってしまったとのこと。 しかし園を閉めるわけではなく、調理師さんは2名の交代勤務なので、濃厚接触者となった調理師さん勤務の2日間だけ給食が提供できないのでお弁当持参でお願いしますとのことだった。 園を開けていて下さるだけで有難いので、お弁当なんて何でもない。 ちなみにいもうとの二番目の子の通う保育園は100名を超える大規模園なので、感染者や濃厚接触者が出やすく度々たびたび休園となっているらしい。 姪はもうすぐ卒園だというのに大好きな保育園が休みになってしまって悲しんでいるらしい。 雰囲気的には落ち着きを見せているコロナだが、まだまだその波及力は衰えておらず、様々な形で私たちを痛めつけているようである。 息子を保育園へと送り届けて買い物に行って。 ごりごりごりごり、すり鉢で胡麻を擂る。 すり胡麻とお酢と砂糖と醤油とオリーブオイルの、お手製ドレッシングを作るためである。 以前なら、1年ほどある胡麻の賞味期限が切れていないことがないほどだったが、最近では大容量で購入しようか悩むほどに頻繁に買うようになった。 この胡麻ドレッシングは、野菜全般はもちろん、豆腐や肉にも魚にも合う。 食材にドレスを着せたら料理になる。 料理について絶妙な手間しか割けない私は、この絶妙に万能なドレッシングを毎日のように多用して夕食を拵えている。 先日、句会があった。 温し温し仔猫抱くごとパン二斤 こんにちは卵歯で拓く世界は春 愛すべき己が背ほどの蝋梅かな しあはせの数だけか花弁ラナンキュラス 平らかな日々盆梅の蕾あり 濃艶の唇動く闇の梅 残雪梅錆びた門扉と傾ぐなり 菜の花が黄色オムレツの朝食 このうち上の三つを投句した。 温し温しの句が同点特選であったが、もう一つの同点句の方が点を入れた人数が多かったのでそちらが特選となった。 こんにちはの句も得点が良かった。 まあでも、ぱっと判断する句会で点が入る句が本当の名句でないこともある、と主催者が仰っていたが、それは分かる。 書の場合も、ぱっと見で良い作品と、何か良いなとうっすら思い続けられる作品では、後者の方が優れた作品であることが多いものだ。 もちろんぱっと見も良く、後日になってもずっと良い、というものも存在するし、そっちの方が最良かもしれないけれど。 創作はいつだってちょっと苦しいし、創作物を見られるのはいつだって緊張する。 泥の濁流のように日々が過ぎていく思いである。
なぜかという問いには即答できる。 自分ではない誰かに割く時間がとても多いからだ。 子育て期の今はこのようなものだと諦めるのか、歯を食いしばって負荷を重くして奮闘するのか。 どちらも良いだろう、あるいはどちらも良くないかもしれない。 年始から始めた動画もなかなか時間を食っている。 とはいえ、編集作業のほとんどを担っていてくれるタナカ氏の前でこんなことは言えないが。 何でもそうだと思うが、やればやるほど奥の深さが分かってきて、だんだんと難しく感じてくるものである。 もう少し行けば慣れの平野に立てるのだろうけれど、今は険しき岩山を擦り傷作りながら登っているようなものだ。 動画に際し、曖昧だった知識を整理しなおしたり、ただの会話でなくオチのある話に持っていく筋書きを考えたり。 普段やっているはずのことが上手くできなくて頭を抱えたりする。 子育てを言い訳にはするまいとやっているが、台本書きや打ち合わせや制作は、時間の足りなさや思考力の散漫さを感ぜずにはいられない。 つべこべ言わずに、動画という創作物に真摯に向き合うまでだが。 さて世界は、コロナ以外の共通の話題を持ち得て、より閉塞感を募らせているだろうか。 政治的な話に冗談抜きで滅法弱い私は、ロシアやウクライナの現況について詳しく分からないのだが、夫が日々このことに執心していて色々と教えてくれる。 夫が読んでいた、ウクライナ在住の日本人男性(奥様がウクライナ人、お子様が2歳半)のブログを私も読んでみる。 「何丘ブログ」と言う。 大統領やその周りの偉い人や、偉い人の集まりの国際機関や、偏向傾向にあるかもしれないメディアではなく、ウクライナの一住人であるこの男性の文章は、現状においてこういう言い方では良くないのかもしれないが、とても面白い。 個人のブログの文章に影響を受けたことが今までに3,4つあるが、久しぶりに心を奪われる文章のブログに出会った気がする。 写真ばかりのブログでもなく、何かを売るための紹介ブログでもなく、注目集めに終始する映えブログでもなく。 個人の感想や意見や日常のあれこれを、個人の責任において発信してくれるブログが私は昔から好きである。 人の書き物は面白い、それを本当に久しぶりに思い出させてもらった気がする。 昨今SNSばかりでブログは特別流行らないと思うが、SNSに比べて双方向性が低く、言わば筆者の王国であるところが良い。 ブログは文章の長さが制限されないので、筆者の思う存分肉付けできるのも良いところだ。 今回彼のブログを読んでいて、非常に不謹慎だが、私もまた旅に出て日記(ブログ)を書きたいなあと切に思った。 国内の旅でも良いけれど、外国の方があれもこれも新鮮なので日記は書きやすい。 外国旅行に行ける日は本当に戻ってくるのだろうか。 もちろん、それもそうと、何丘さんの緊迫した状況は今も刻々と動いている。 ブログによるとおそらく今頃、出国へ向けて移動を始めているのではないか。 小さな子どもと移動するのはたった1時間でも大変なのに、何時間かかるかも知れず、泊まるところがあるのかも知れず、どんな危険が待ち受けているかも知れず、国境を越えてさらに遥か遠くの日本に飛ぶなんて、気が遠くなるどころの話ではない。 緊迫した状況で移動するのに子どもは大変すぎる存在ではあるが、逆にその存在に救われることもあるだろうと思う。 ブログから投げ銭ができ、夫が投げ銭をしたというので、私もしておいた。 ほんのささやかだけれど、ご無事を祈る印として。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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