夜8時すぎ、夫の帰りが遅いというので息子をひとりで風呂に入れる。
風呂上がりの息子に皮膚科で処方された薬を頭から足の先までぬりぬりとする。 息子の髪の毛はぺったりと張り付き、前身はぴかんとつやを増した。 服を着せ、抱き上げ、風呂前に作っておいた適温のミルクを持って寝室に向かう。 ぼやっとしたライトひとつの中で息子におっぱいを飲ませ、その延長で乳首を入れ替えてミルクを飲ませる。 10分ほどで息子はうつらうつら、もっとミルクを飲んでほしいので哺乳瓶の乳首を抜き差ししながら限界まで飲ませる、それでも余る。 本格的に寝てしまった息子に布団をかけて、飲み残し哺乳瓶を手に寝室を後にする。 夜9時半、散らかっていた洗濯物を洗濯機に入れて、お湯を沸かし茶を淹れてようやく自分の時間となる。 毎日の書を書いたり、自作お年玉袋の開発をしたり、依頼ごとの年賀状の宛名書きをやったり。 10時半頃、夫が帰宅して買ってきてくれたアイスと一緒にお茶を飲む。 0時を回る頃、もう寝ないといけないと焦り始める。 布団に入ると同時に息子が泣き出す。 温存しておいたおっぱいを飲ませると、息子は目を閉じたままごきゅごきゅと飲んでまた寝る。 私たちもそのうちに寝る。 時間を確認しないが、息子は夜中に3,4回ほど泣いて起きる。 夜泣きというほどでもないが泣いて私を呼んで、おっぱいを少し飲んでまた寝る。 おそらく明け方にかけて起きるスパンが短くなっていく。 朝7時半、夫が起床して息子のオムツを変える。 最近は一晩中オムツを変えないので朝は本当にオムツの許容ぎりぎりまで水分をたたえていて、ずっしりであるということを夫は毎日オムツを変えながら驚嘆している。 たいてい息子はこの時点できらきららんらんと目を輝かせてぱっちりと起きてしまう。 夫は自分の身支度を済ますと8時くらいには家を出ていく。 私は眠くて眠くて仕方ないのだが、息子はああううきゃーと声を上げてご機嫌にしている。 私が起きないと怒り始めるか、触れる場所にいれば顔を触ったりして起こしに来る。 そんな息子の姿はやはりべらぼうにかわいいのだけれど、やはり眠いものは眠い。 しかし仕方がないので、意を決して起きることにする。 私は眼鏡をかけて息子を抱えて、リビングに敷いてある布団のスペースで息子を遊ばせておく。 洗濯機のスイッチを入れ、顔を洗い、ごく簡単な化粧をして、水を二杯飲み、コーヒーを沸かし、食パンを焼く。 息子のご機嫌なひとり遊びに時々話しかけたり笑いかけながら、朝ごはんを食べる。 息子と少し遊びながら、洗濯物を干し、簡単な床掃除などをする。 息子の朝ごはんとしておっぱいを飲ませるが、夜中にからからになるほど吸い取られるのであまり出ない。 ミルクをダメ元で少し作ってみるが、やはり日中は哺乳瓶を嫌がって飲んでくれない。 もったいないので哺乳瓶を口の中に突っ込んだまま、ボトルを押して無理やり注入してみたりして少し飲ませてみるものの、頑張っても20mlほどしか飲んでくれないので断念する。 しばし息子と遊ぶ。 私がギターを弾くと興味がありそうな顔をしてこちらを見ている。 午前10時にレッスンが入っていたので、眠くて騒ぎだしている息子を抱っこ紐の中に入れて、ゆすりながら指導する。 最近はいただきもののエルゴという高級な抱っこ紐が重宝しており、その中に入れるとたいてい寝てくれる。 前方に大きな塊となってとても邪魔だが、両手は使えるので何とか字は書ける。 幸いこの日は息子は終わるまで私の胸の中でぐっすりと寝ていた。 午前中のレッスンを終えると、私はやや血糖値が下がり気味で手が震えだしている。 小分けにしてあるご飯を解答し、昨日の夕食の残りのおかずとお味噌汁を温める。 腹ばいにさせている息子の前でもぐもぐと声に出しながら食べている姿を見せながら、早々と昼食を済ませる。 洗米して給水させておいた米を炊飯器にセットしてスイッチを入れる。 息子にもおっぱいをあげ、テレビを見ながらしばし休憩、と言っても息子の相手をしながら。 この時期、1日1万歩を歩くには早めに家を出ないとすぐに日暮れとなってしまう。 14時前に家を出ようと決心し、息子に上着を着せて保湿クリームを顔に塗り、私も上着を着てハンドクリームとリップクリームをつけて手袋をはめ、息子をベビーカーに乗せる。 ベビーカーのカチッとベルトをして、いざ出発。 ペットボトルなどのごみを出し、まずはなくなった食パンを買いに近くのパン屋へ行く。 歩数をかせぎたいがためにパン屋に行くのも随分と小道こみちを遠回りして、本来5,6分の道のりを20~30分かけて行く。 パン屋が混んでいたので、先にスーパーに買い出しに行ってしまうことにする、またいろいろと遠回りしながら。 風が強かったのでベビーカーの幌を下げていたら景色が見えないと息子が不服を申し立てていたが、やはり風が強すぎるのでそのまま息子に話しかけながら進む。 ぐずり始めたのは眠いからだろうと、あまり気にせずにずんずん行くと、息子はそのまま寝てしまった。 スーパーで豚肉と牛豚合いびき肉と豆腐とキャベツ半分とパプリカの赤と黄を1個ずつ買った。 ベビーカーにスーパーの袋をかけてまたいろいろと遠回りしながら帰路を進む。 パン屋に寄って、またいろいろと遠回りして15時過ぎに一旦家に戻る、ここまでで6600歩ほど。 購入品を冷蔵庫に収め、すでに起きていた息子をベビーカーから下ろし、上着を脱がせ、おっぱいを飲ませる。 母乳の量が減っているのでどうしても頻回に飲ませることになる。 息子の相手をしながら少しだけ休憩をして、16時過ぎに再び息子を抱っこ紐の中に入れて、また先ほどとは違う近所のスーパーに出かける。 1万歩という目標がなければ出かけていないように思う。 息子は強風に吹かれながら顔を私の胸にうずめ、また抱っこ紐の中で寝た。 スーパーでうろうろと物色し、野菜をいくつかと箱のアイスを買って帰宅する、9300歩。 まだ寝ていた息子を抱っこ紐のまま下ろし、夕飯の準備をする。 米が炊きあがっているのでそれをタッパーに小分けにして、もう一度炊くべく洗米をする。 3合炊きでは米を炊くのが面倒なので、5.5合炊きの炊飯器を新調したいと検討中である。 大根と白菜をシーチキンで煮て、生わかめとパプリカのサラダを盛り、お味噌汁は昨日の残り、豚ステーキは食べる前に焼こう。 朝からここまでて使った食器類をすべて洗って、水を飲んでまた一息入れる。 息子は夕飯支度中に起きていて、一度「ごっ」という鈍い音を立ててその後泣き出したので、布団から寝返りでごろりと落ちて少し頭をぶつけていたけれど、それ以外は何とかひとりで遊んでいた。 そうこうしているうちに17時半、年内最終日で早上がりの夫から帰宅の連絡がある。 夫は帰宅して着替えてクリーニング屋に行きまた帰ってきてから、2日間うんちをため込んでいる息子の肛門刺激をしてみようとベビーオイルを含ませた綿棒で尻の穴をつついてみる。 新聞紙まで敷いて頑張ってみたが出ないので諦めて、夫が息子に白湯を飲ませているとぶばっと脱糞する。 よかったよかったと私は喜び、その後19時ごろに久しぶりに3人で夕食、と言っても息子はおっぱいだけれど。 19時半すぎ、食事の後片付けを夫がして、お茶を淹れる。 お風呂のスイッチを入れ、着替えやタオルなど準備をして私が先にシャワーを浴びてしまい、そのあと夫が息子を風呂に入れる。 風呂から上がる息子をバスタオルでキャッチし、リビングに運んで薬を全身にぬりぬりする。 21時ごろ、夫にミルクを頼んで寝室に向かい、おっぱいをあげる、スライドさせて哺乳瓶でミルクを飲ませる。 140mlのミルクを半分飲んだところで息子は寝てしまった。 まあいいかと一日から解放されて、お茶を飲みながらこれを書いている。 23時、息子が泣き出したのでおっぱいとミルクの残りをあげると全部飲んでくれた。 そして、いま。 これはある年の瀬の一日の記録であるが、まあだいたいこのような日々である。
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心配事や悩み事があるとき、なるべく大きく深呼吸をして、心配事や悩み事によって生成されたストレス物質を吐き出そうとする。
飄々と、あっけらかんと、そんなふうにしていたいのだが、それは天性の資質によるところが大きいのではないだろうか。 それとも、大らかな気分でいられないのは、その心配事や悩み事についての理解が足りないからなのだろうか。 現在の心配事や悩み事というのはもっぱら息子のことである。 最近私の母乳の量が減ってきたようで、息子の体重が伸び悩んでいる。 保健士さんからミルクを足してみると良いかもしれませんねと言われたのでそうしているが、夜寝る前の寝ぼけているとき以外は哺乳瓶を嫌がって飲んでくれない。 何度作って何度そのまま流したことか。 スプーンであげてみたけれど、拒否はしないものの気乗りしない感じだし、10mlを飲ませるのに5分も10分もかかるので断念した。 しかし明らかに母乳の量は足りていないように思う。 この時期の赤ちゃんは1回の哺乳量は200mlが目安のようだが、50-60mlしか飲んでないのではないだろうか。 水分は母乳からしか摂っていないのだから脱水の心配をしてしまう。 と言っても、お腹が空いて機嫌が悪いということも、授乳中ももっとくれと怒ることもないのでまあ良いのかしらと思いながらも、散歩をしていても料理をしていてもそのことが頭をもたげてしまう。 試すこと試してだめなら、それがこの子のペースである、飲みたくないものを無理に飲ませなくても良い、そんなふうにどんと構えていたいのだけれど、息子に何かあってからでは遅い、と思うとなんだか変に緊張感が高まってドキドキとさえしてしまう。 それに、私の母乳が出ていればこの問題は発生していなかったわけで、母乳生産者としては自分の不出来を責められているような気分にもなってしまう。 不随意なものであるけれども、それでも。 ちなみに今のところ、出だし3か月は大きめだったので、月齢に対する大きさとしてはふつうであるが。 それに、飲む量が少ないと便秘にもなる。 以前は2日出ないだけで慄いていたが、最近は2日も3日も出ないことがざらにあるようになった。 便秘の相談ついでに気になっていた近くの小児科に行ってみたら、とりあえず出しましょうかと浣腸されてトータルで200gほどの大量のうんちが出てさらに体重が減ってしまったではないか。 本人は泣きわめいていたが出すものを出したら至極すっきりきらきらの様子であったので、それはまあよかったけれど。 小児科の先生には、哺乳瓶を変えるなどいろいろ試してみてダメなら早めに離乳食始めるのも良いですよ、とのこと。 児童館にも出向き、ほかのお母さん方にも話を聞いて情報を集めたりもしてみる。 ごくごくとミルクをがぶ飲みしている赤ちゃんを見ると、羨望のまなざしを向けてしまう。 子どもは泣くのが仕事、とよく言うが、それならば食べるのもうんちをするのも仕事である。 仕事をきちんとしてもらいたい。 自分の顔を引っ掻いて流血したり、湿疹が出たり、肌ががさがさしたり、埃を口に入れたり、寝返りでフローリングに頭をぶつけたり。 そんなことも心配だけれど、やはり飲まない食べないというのはこれらの心配事のレベルが違う。 しかし、無論危機的な状況ではないし、いろいろあるよねとは思いながら、このレベルの心配事を心配事と思わないような心が欲しいなどと思う。 健康に、元気に、すくすくと。 標語のように大きくなっていってもらいたい。 息子を連れてスーパーなどの買い出しに出るとき、いつ騒ぎ出すかわからないので少しの緊張感がある。
そのおかげで、もち米を買うことができ、思いのほかもち米ブームがやってきている。 息子の機嫌が傾き始めたときに、選択の嵐である買い物という作業をするのは私にとってやや難しいことなのである。 息子の機嫌を低空飛行で納めるべく、かごに入っている粒胡椒の袋をシャカシャカ振ってみたり、話しかけて笑ってみたり。 それらと同時に、冷蔵庫に切れているものを思い出しながら食べたいものなどを考え、その材料を売り場ごとにピックアップしていく、値段や品質を見ながら。 買い物リストのようなものは頭の中にぼんやりあるだけで、買い物時点では本日のメニューもほとんど決まっていないことが多い。 事前に冷蔵庫の中身と相談しメニューを決めて買い物リストを作れば良いではないかとも思うが、スーパーの商品の値段や仕入れは日々変化するので、それはあまり良い方法とは思えない。 鈍った思考で買い物をすると、普段買わないものが不意に手に入ることがある。 今回はそれがもち米だった。 ちなみに、以前そのような状態で買った乾燥大豆は未だに使い方が分からず2,3か月ほど未開封のまま放置されている。 先日お食い初めをやったお店のご飯が大豆ご飯だったが、もしかすると乾燥大豆と一緒に炊き上げれば良いのかもしれない。 もち米は、10割それだと餅つきになってしまうので、玄米と一緒に炊く。 玄米:もち米が1:2だと、もち米の中につぶつぶが存在するといった具合。 箸でご飯を取るとき、その粘りで少々力が要る。 そういえば、コンビニでおにぎりを買うとき、赤飯やおこわのおにぎりを選びがちであるほど自分がもち米が好きであったことを如実に思い出すもち米感である。 ねっとり甘くて美味しい、ついごま塩を振りたくなる。 玄米:もち米が2:1だと、玄米のつぶ感が薄れて食べやすくなる。 全体は玄米感が支配しているが、もち米の存在も十分に分かり、独特の香りも楽しめる。 玄米:もち米が1:1だと、結局この割合がもち米ご飯として楽しく丁度良い塩梅かもしれない。 もち米は玄米よりも値が張るので、1:1くらいが贅沢感もあって良さそうである。 と、ここまで書いてまた1週間ほど経過してしまった。 このときに思い付いた、乾燥大豆とご飯を一緒に炊くという案をさっそく採用して、大豆ご飯を拵えたのももう3日も前のことである。 天気が良いのでシーツを洗って、寝室のマットレス等を上げて掃除をする。 際限のない雪崩のように日々が過ぎていく中で、息子は寝返りがスムーズにできるようになり、私は息子をぎゅうぎゅうと抱きしめ愛で、時折不満が顔を出したりする。 私には日記を書きたいという欲求が少なからずある。
なぜだか分からないけれど、昔から文章を書くのが好きだった。 コミュニケーションにおいては、対面で話すことよりも、電話で話すことよりも、メールや手紙が好きなのは、自分の言うことを一旦自分に戻して確認推敲できるからである。 けれど、読むことはさほどというか全然と言ってもよいほどできず、書く方も空想を必要とする小説は点でダメで、もっぱら日々の出来事や考え事を綴りたいのである。 なんだかんだと10年、いや初めてブログを書き始めてからもう14年ほどもブログのある生活を送っていることになる。 今、子どもを見ながらの生活では文章を書くまとまった時間を取ることが難しい。 だからその部分においては埃が積もるほどの欲求不満が、少しずつながら着実に山積している。 日々時々に湧く書きたいという欲求は、少し経つと薄れ、また立ち上りまた消えてゆく。 何か書きたいテーマがあった場合には、その新鮮さは徐々に風化し劣化し、おそらくそのうちに忘れてしまう。 忘れてしまうくらいのことはその程度のことだ、と言えなくはないけれど、そのことを私は少しもったいない気持ちに思うことが、欲求不満の一片であるだろうと思う。 流れ流れゆく、とどまらない一刻一刻、消えてしまうかもしれないけれど足跡を残したいのである。 また、文章を書くということはそれなりに頭を使っているように思っているので、日々衰えゆく脳みそを何とか鍛えているという気になる。 逆を言うと、文章を書かないと言葉を扱うことが下手になる、そして馬鹿になる、というような焦燥感が私にはある。 書くことは、書き始めにテーマがなくても構わない。 無論、文章の全貌が見えているということはない。 何でも良いから何か文章を書きたい、とまっさらに書き始めることさえままある。 ブログの編集ページを開いて、目の前に見えた「観葉植物」という言葉からそういえば日々思う「観葉植物」に対する何かを書き始めることもある。 そのため、文章は書きながら方向性を見定めていくというか、行ける方向にのらりくらりと向かうことになる。 要は考えをまとめながら紡いでいるので、それなりに集中することが必要である。 それには、ひとりで息子を見ている場合には、息子が寝ている間を狙う他ない。 寝ていてもなお、変な声を上げて起きそうになるとひやひやする、実際に今もそうであるが。 ちなみに、この欲求不満と息子が相変わらずべらぼうにかわいいは別の話である。 夫の計らいで、久しぶりに近所の銭湯に行った。 何か月ぶりだろうか、サウナはない銭湯だったけれどとてもわくわくした。 産後まだまだ戻らない体型と、帝王切開の傷跡を、銭湯の大きな鏡で一瞥する。 まあこれは仕方がない。 熱い風呂は苦手だけれど、熱くて大きな風呂に足を伸ばす。 熱さと大きさによる刺激は、大いに私の体の血流を促したようで、最近息子の体重に影響するほど出が悪くなっていた母乳がはちきれんばかりに回復した。 銭湯から戻ると、息子ははちきれんばかりに怒っていたが、久しぶりのだくだくのおっぱいに吸い付き、むせていた。 そして今、30分も経たない朝寝からユニクロの商品配達のチャイムで息子は目を覚ましてしまった。 ここまで書いたので、もったいないので、推敲はしていないがアップしておく。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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