そうこうしているうちに帰国してだいぶ経った。
時差一時間のフィリピンでは時差ぼけはない。 気温ボケをするかと思ったけれど案外そんなでもない。 最終日、ショッピングモールの中にあるスーパーマーケットでシシグやフライドオイルサーディンや豚の耳を揚げたスナックなどをお土産に買った。 物価が安い国のスーパーは楽しくてたまらない。 ホテルに帰って、持ってきたいくつかの服を捨てたりパッキングしたりして、名残惜しい気持ちを携えて空港に向かう。 途中、「CITY OF DREAMS」という巨大な建物が見えて、あれは何かとタクシーの運転手さんに聞くと、カジノだという。 ホテルやショッピングモールは併設されているらしいが、それ以外に周りに何もない空港近くのカジノに宿泊するのはどんな人なのだろう。 ちなみに今回宿泊したホテルの目の前がカジノだったので、二度行った。 一度目は10000円をスロットとブラックジャックですっかり負けて、二度目はスロットで2000円が3000円になった。 私はゲーム中に負けてお金をすることに、まあいいや、と思うことを決断してしまう。 どうせ負けるものだ、それでギャンブル業界が成り立っているのだから、などと弱腰なものだから勝てるはずもない。 カイジのようなギャンブルのひりつきは本当には味わえない。 あまりオカルト的なことは信じていないけれど、ギャンブルにおいてゲームの流れや勝機というのは存在するのだと思う。 スロットはただボタンを押すだけなので何とも言えないが、ブラックジャックやポーカーのように人が介在するものは顕著にあった。 ギャンブルは、カイジがそうであるように、人生に投影しやすく、色々と考えさせられる。 帰途の飛行機の中、離陸前から「四月は君の嘘」を見て、その後がくっと眠った。 羽田に着いてバスに乗ってとき、日本の道路はなんて滑らかなんだろうと思った。 つるりとハイウェイを滑っていって、タクシーに乗り換えて、ほどなくして家に着いた。 向こうで知り合った方に、最後に「あなたに会えて良かったわ」と英語で言われたのを、何て言われたのか分からずきょとんとしてしまったことを悔いている。 水が好きな木瓜の木が飢えていないか心配していたけれど、何とかギリギリ間に合ったようだ。 乾いた土に水をやると、じじじ、と染み入っていく音が響いた。 あとひと月ほどで花が咲くのではないだろうか。 借り物の「ジョジョの奇妙な冒険 第七部」を2年かけて読了。 大変に難しい絵と話であった。 絵が緻密過ぎて、何がどうなっているのか分からないところも多々あった。 壮大であることと、その熱量は把握したつもりである。 2年分のお詫びを込めて、ひもの塾の干物を贈って差し上げる。
0 コメント
フィリピンの食べ物は、甘い、酸っぱい、油っぽい、というのが基本である。
暑い国ではあるが、辛いものは少ない。 多くの人が甘いのを好むらしく、ブラックコーヒーが飲みたいときは、マクドナルドかちょっと良い喫茶店に入らねばならない。 国民的ファストフードである「ジョリビー」は、マクドナルドよりもたくさんあって、バンズやパテはマクドナルドのようだけれど、ソースはピンク色をしていて日本のそれよりも甘酸っぱい。 素麺にみかん、酢豚にパイナップル、というような、甘さの組み合わせが私は元々あまり好きではなく、ジョリビーのハンバーガーも肉にまとわりつく甘さが気になって口に合わなかった。 元より、私はお酢と砂糖の組み合わせが苦手なので、酢豚がだめだし、マヨネーズも寿司さえも好きではないのだけれど。 とはいえ、アジア料理全般、私は日本でもよく食べるほど好きだ。 その他のフィリピン料理は美味しくいただいた。 中でも衝撃だったのは、熟れる前のマンゴーの青い実に魚醤をつけて食べることだ。 道端の露店で、皮を剥かれたグリーンマンゴーがたくさん並んでいる。 ガリッとするくらいの歯ごたえのグリーンマンゴーは、そのまま齧ると脳がきゅっとびっくりするほどに酸っぱい。 レモンほどの酸味。 熟れたマンゴーからも微かにするマンゴーの野性味が、鮮烈に際立つ。 それから別の小カップに入っている魚醤をかけて食べる。 初めて食べる味。 生ハムメロンや生ハムピーチなんてマリアージュするものではない。 でも、魚醤のおかげで酸っぱいマンゴーが舌の奥で甘味を感じている。 美味しい、かどうかは判断しかねる。 けれど私はもう一度あれを食べたいと思った。 鮮烈な味の記憶を、もう一度やりたい。 けれどタイミングを逃して食べ損ねてしまった。 その他、皮を剥かれた茄子が横たわって卵焼きの布団をかけられたトルタンタロン、タマリンドという実の酸っぱさの肉や野菜がたっぷり入ったスープシニガン、豚肉の時雨煮の油多い版シシグ、鶏もも肉や豚バラ肉を醤油と酢で煮込んだアドボ、豚の血をベースに作られたディヌグアン、フィリピンの代表的なスイーツハロハロ、などなど、いろいろとフィリピン料理を食べた。 あと、私は東南アジアのお米がとても好き。 細長くてパサパサしていて古米のような粉臭い香りがして口当たりが悪いやつ。 日本でわざわざ高い送料を払って買ったことがあるくらいだ。 現地飯というのは、現地スパイスもかかってより一層美味しい。 現地の食べ物を食べるのは旅の一番の目的とも言えるかもしれない。 もっといろいろとあるだろうから、また来る機会があったらもっといろいろと食べたい。 ちなみに、もちろん現地人は私たち日本人同様、フィリピン料理ばかりを食べているわけではないし、さまざまな国のお店がある。 インド料理も、韓国料理も、トルコ料理も、イタリア料理も、アメリカ料理も。 巨大ショッピングモールの中で訳あってサンマルクのトマトソースパスタを食べたが、日本のものよりもちもちしていて美味しかった。 東南アジアに行くと必ず見かけるバロットというアヒルが孵化する前のゆで卵を、今回挑戦しようと思っていたが、流れてしまったというか、流してしまった。 食べ物ではないが、水タバコがとても美味しかった。 大きい燭台のような器具の一番上にタバコの葉のキューブをおいて、水を通してそれを吸う。 いろいろなフレーバーをつけることができて、私はレモンのフレーバーを選んだ。 タバコの有害物質であるニコチンとタールのうち、タールがないらしい。 長いノズルから息を吸うと、水がぼこぼことして、レモンミントフレーバーのミストのような煙が肺に入る。 病気のときの吸入器のようで、何だかもう、健康に良いことをしている気にさえなる。 永遠に吸い続けられるような気がして調子に乗って吸っていたけど、身体にはニコチン飽和量があるらしく、そのうちに要らなくなった。 さてタバコでもと、今吸っていたのはまるでタバコではないかのように普通のタバコは吸いたくなった。 元々中東地方のものらしいけれど、アラビア料理やインド料理を出すところには良くあるらしい。 新宿あたりにもこれを売る店があるそうだ。 この後、エアコンも外の強風で水タバコ器が倒れ、赤々と萌えているタバコのキューブが転がってカバンが焼けてしまった。 スカートや携帯や地肌が燃えなくてよかったということにしよう。 先ほど羽田に着いて、お腹が空いたので何か食べようとお腹に質問するけれど、シニガンスープが食べたいな、なんて返ってきた。 日本でフィリピン料理を出すところは多くはない。 代わりに、梅おろしうどんを頼んだところだ。 付け合わせの水菜のお浸しを食べた途端、あぁぁ、となる。 この旅のフィリピンについてざざざと。
今回メインで泊まっているのは首都マニラのマラテ地区。 フィリピンの中でも治安の悪いところらしい。 フィリピン駐在の方は、何でそんな危険なところに宿を取ったんだ、と言ったようだ。 フィリピンは日本と違って人口は増え続けているようで、日本と違い人口分布も若い層が分厚いらしい。 確かに、活気がある。 私は、東南アジアは学生の頃、タイとカンボジア、ベトナム、ラオスをバックパッカーで巡って、シンガポールもマレーシアもバリも別で行ったことがあるけれど、フィリピンは初めてだ。 どれも10年ほど前のことだけれど、東南アジアならではの交通渋滞やクラクションの音、満員どころか取っ手につかまってはみ出ているほど混んでいるバスやバイクタクシー、巻き上がる排ガスと粉塵、ピーナッツやココナツ菓子を片手に回ってくる物売り、路上に座って物乞いをする赤子を抱いた小さな少年、狭い路上で駄菓子やフルーツを売る露店、煙草の一本売りなどなど、共通するところはたくさんある。 街全体が、排ガスと独特の香辛料か何かの匂いと、時々洗剤の入り交じったような匂いがする。 他の東南アジアでもキャバクラのようなものはあるのだろうけれど、日本人が好きな所謂フィリピンパブはやっぱりたくさんある。 タイトなワンピースを着て派手なメイクをしたフィリピン人女性が店の外で客引きをしている。 日本語の看板が軒を連ね、「SIMEI500ペソ」「ENCHO500ペソ」などとも書かれている。 空気ははっきり言って悪い。 車も人も野良犬猫も壁やパラソルも薄茶けているのも頷ける。 現地の人がマスクをしているのもよく見かけた。 歩道は平坦でなく歩きづらく、アスファルトはそこかしこに割れて、ゴミや水が溜まっている。 6日間で1度だけ雨が降ったが、粉塵が舞わなくなるのは良くても、場所によってはドブの匂いが立ち込める。 路地裏は立ち小便をする人が多いらしく、人間のおしっこの匂いもところどころ立ち込める。 マラテ地区の中心を歩いていると、薄暗いオレンジ色の光の中でじっとカメラを見つめる少年のポートレート写真の中に自分がいるような感覚になる。 側を人力車が通り過ぎ、汚れた犬がウロウロし、老人が道端で寝ている。 しかしながら、これがマカティという新興都市に行くとまるで違う。 道路の舗装状態も格段に良く、道が広い。 巨大なショッピングモールは、真面目に見たら一週間くらいかかりそうな広さがあるけれど、私はさっぱり、ひとつの店も見たいと思わなかった。 ハイブランド各種はもちろん、ユニクロ、H&M、forever21、無印良品、マクドナルド、バーガーキング、ウェンディーズ、さぼてん、ラーメン凪、セブンイレブン、ミニストップ、ファミリーマート、その他日本居酒屋、和食屋、カラオケ、ダイソー、やらなにやらとにかく何でもある。 ダイソーは88ペソ均一、日本円で180円強なのてとても高い。 移動手段は、タクシー、バイクタクシー、人力車、ジープバス、電車。 電車もまあまああるらしいのだけれど、駅はあまり見ないし、タクシーが安いのでそちらに乗ってしまう。 ちなみにフィリピン人は基本的にあまり歩かないのだそうだ。 タクシーの値段は、渋滞含めて一時間ほど乗っていても200〜300ペソ。 だいたい、2倍強で日本円に換算できる。 初乗りはだいたい40ペソほど。 「grab」というタクシー配車アプリがかなり機能していて、所謂タクシーの見た目でない普通車が、場合にもよるが検索時間含めて10分ほどで迎えに来てくれる。 値段も一般タクシーと同じくらいととても良心的。 車はこちらの方がたいてい大きくてきれいなことが多い。 ぼったくりに遭うことをとても危惧する気持ちいっぱいでいるのだけれど、タクシーもほとんどが良心的でメーターを入れてくれるか、ほとんど交渉をしなくても良いような値段でしか金額を提示されない。 食べ物はまた書くとしよう。 データベース的に書くと、漏れが気になる。 さて旅日記の続きだが。
私は自分の英語力を呪うほどに英語ができない。 旅の英会話もままならない。 聞く方もまあダメだけれど、特に喋ることができない。 英語が喋れないダメな日本人の典型で、頭であれこれ考えているうちに会話の波がどんどんと過ぎ去って行ってしまう。 聞こえた英単語に対していちいち、それはそんなふうに使うのか!ふむ!そういえば海外ドラマでも使っていた!とか、しっかりthしてるなあ、とか、この表情は日本人はあまりしないけど外国人はよくするなあ、とか、思考が会話から派生して飛んでしまう。 話す気があるのか、なんて失礼な奴なのだろう。 たぶん、私が音楽ができないひとつの要因はここにある。 流れる時間の中で、リズムによって作られるものについていけないのだ。 上手くやろうと思わなければ良い、のだけれど、きっと、上手くやりたい、恥をかきたくない、というふうに思っている。 詰まるところ、そのものに対する敬意と愛情不足なのだ。 がしかし、それらへの憧れはずっと持ち続けている。 きれいに早くさらさら字を書きたい、という要望を生徒さんからたくさん聞くけれど、それはいきなり英語をペラペラと早口で冗談交じりに話すことだし、ギターのメタルのようなフレーズをいきなりぶわーっと弾くことと似ている。 何だって少しずつ練習、しか方法はないのである。 毎日それに向かっていくこと、それだけで体得は進んでいくのは、何だって同じである。 ちなみにフィリピンは公用語が英語とタガログ語であるが、国策としてタガログ語に傾倒しているらしく、だんだんと英語を話す人が減っているらしい。 なんてもったいないことだろう。 幼い頃に体得することは大人になってからするよりも何百倍もしやすいだろうし、しかも忘れたりすることも少ないだろう。 やれるに越したことはないことは、子どものうちに叩き込んだ方が良い。 英語もそうだし、算数ならインドのように2桁掛け算くらい叩き込んで欲しかった。 私も、滞在4日目ともなって、少しずつ、ほんの少しだけ、英語に慣れてきた。 けれども、タクシーにひとりで乗ったとき、途中で運転手さんがドアの方を向いて、「wrap wrap」と聞こえて、私は「ん?」と思いながら「あ、シートベルト!身体をラップするってことなのか」と自分の脳内を今すぐにでも書き換えても良いですという心でそれを聞いた。 私がシートベルトをしようとすると、「rock rock」と指を指されてやっと気が付いた。 あぁ、分からないとは怖い。 私は自分を疑いすぎなのかもしれない。 後で見ると、シートベルトは運転手さんもしていなかった。 それで、旅日記の続きだが。 渋滞をくぐり抜けて、温泉地ロスバニヨスに近づくと、風は9月の終わり頃の匂いがした。 羽織りものがないとやや寒いくらいである。 晩夏の風は物悲しい。 フィリピンは思っていたより暑くないし湿度もない。 今は、常夏の国と言えど赤道直下ではないから、“冬”なのだ。 最も過ごしやすい季節ということのようだ。 熱気を期待していた私としては物足りなくもないのだけれど、まあ過ごしやすいのは悪いことではない。 ちなみに現地の方曰く、場所にもよるが治安は概ね良くなっているらしい。 昔は花火と一緒に拳銃が発砲され、その流れ弾や落ちてきた玉で何かが壊れたり、人が怪我をしたり死んだりもしていたそうだ。 ロスバニヨスは、東京から見た箱根のようなところで、火山により温泉がたくさん出るのだそうだ。 露店には浮き輪やらがたくさん並んでいる。 この地域にはアミューズメントパークのように、スライダーがいくつもある施設があったり、こじんまりした旅館のように部屋で温泉を楽しめる宿泊施設が点在していて、それぞれ日本人経営、韓国人経営、フィリピン人経営などで趣が異なる。 一番明るくて開放感のある、温泉プールが深さそれぞれで5つほどある場所に泊まることにした。 私の期待はうなぎ登り。 私はかねてより、人のいない、コースロープのない深めのプールで泳いでも泳がなくても良い感じで水と戯れたい!と願っていたのだ。 最近はめっきりプールには行っていないけれども、水は好きだ。 日本のプールは、コースロープがあるか、混んでいるか、とても高いか、どれかだから日本ではこの願いは叶いづらい。 海はいろいろ生物がいるし、岩や海藻などもあるし、波の動きも読めないし、とても怖い。 それに、日焼けをしなくて済む夜に泳げる海があったとしても、もっと怖い。 塩水も辛い。 温泉なのかプールなのか、現地の人々はTシャツのままで浸かっていた。 私はビキニを持っていないし、Tシャツを着ていたわけでもなかったので、フィットネス用の水着を着てゴーグルもした。 お湯はぬるめ、外気は寒め。 水深150cmだから顔しか出せないけれど、手を上げてみたり、腕をお湯から少しでも出すと、ぞわぞわっと寒気が身体を走る。 夜空の星が見える屋外プールで、私は存分に潜ったり、水に体を預けきって浮いたりした。 お湯の方が水のプールよりも進みづらい気がしたのは気のせいだろうか。 午前1時、人はまばらだけれどもいた。 バケーションのフィリピン人や、親子連れもいた。 観光客はあまりいなかった。 監視員はみなうつらうつらアルミの椅子で居眠りをしている。 誰かが何か、危険な行動をすることもなく、穏やかな温泉プール。 心地よい疲労を感じたところで、バスタオルで身体を包んで急いで部屋まで戻る。 ぴゅーと風に吹かれて寒い。 部屋は簡素だし、特にプール以外には何も無いけれど機会があれば私はもう1度ぜひここに来たい。 またこのあたりは、フィリピン大学、東京でいうところの東京大学、も近くに広大な敷地を持っている。 森林学や獣医学が進んでいるそうだ。 夜、車で敷地内を走ってもらうと、森の匂いが満ち満ちと充満していて、学生がちらほら、青春もきゅっと香っている。 地元の人々や学生たちで賑わうお店で、フィリピン料理を食べる。 ホテルのWi-Fiでスマートフォンにて更新。 フィリピン料理やフィリピンの概況はまた続きに。 旅日記は温めていたら書けなくなる。
私にとって、旅日記を書くために旅をするのは、目的として成立しうる。 写真好きな人が、半ば写真のために旅行をするようなものだ。 いわゆる日常ではないから、書きたいことがいっぱいになる。 ただそれを書けるのは、私の中の割に大きな喜びであることを、出かける前に書いた記事で思い出した。 忘れてしまうから残しておきたいというのもあるし、ただただ喋るように何か綴りたいのだ。 とりあえず時系列に書き始めるとしよう。 18日早朝、荷造りを終える。 荷物は元々とても少ない方なので6日間の旅行でもバックパックで行くことにした。 そのためにわざわざユニクロのウルトラライトダウンも買った。 今回は、いつも持っていかないお字書きセット、細筆と墨と硯と筆ペンと紙、も入れて。 セラミックの小さな硯も買った。 1時間半ほど睡眠を取って新宿バスタから羽田にバスで向かう。 いきなり余談だが、「バスタ」という名前を、ある人がものすごく自然に使っているのを聞いたとき、私はそれが固有名詞としての名であることを知らなくて、なんだかこそばゆい呼び方だと思った。 巷では「バスターミナル」という普通の言葉を「バスタ」なんて呼ぶことが今や普通なのか、はたまた「バスタ」を教えてくれた人が「オイルサーディン」を例えば「オイサ」というくらい自己流の略語つくりに長けた人なのか、それはなくとも「エゴサーチ」は当然「エゴサ」なのだろうか。 略語全般、私はあまり自覚的に使わない。 何だか略語は、それに対する距離感を無理矢理に縮めるような感じがして、無理矢理な分だけそのものに対する敬意が失われてしまうように思うからだ。 まあ「ミスチル」「エレカシ」「ファミマ」「スタバ」「割り勘」などは私も当然のように言うのだし、このことは以前にもどこかに書いた気がする。 比較的最近知った言葉が略せないのだ。 「ブルハ」も「ストーンズ」も「ピストルズ」も「クリチ」も「リピ」も。 「バスタ」のように、略語がそれでしかない固有名詞としてもはや略語ではなくなっているのだから恥ずかしがっている場合ではないし、こんな序盤で旅日記に足止めを食らわせている場合ではない。 バスタは混んでいた。 予定の便が満席なので次の便でチケットを買う。 もう眠たくて眠たくて、旅行の高揚感は眠気に食われてバスの中はがくんがくんとしていた。 羽田に着いて、免税煙草を買ったり、コーヒーと軽食を摂ったり。 飛行機に乗り込むとマニラ行きは見たところ満席。 離陸前に寝てしまって、離陸の轟音にも気付かず目を覚ますと空の上、ということは過去何度もあってまた然り。 飛行機は、座席の画面がタッチパネルになっていて進化を感じたけれど、あの狭さや乾燥具合はこの後もあまり変わることはないのだろう。 人輸送機としての飛行機は、私はいつも檻の中の家畜をイメージしてしまう。 暴れないように定期的に食事を与えられ、時間が来れば電気を消されたり起こされたりする。 人間の場合は、一時的であることが決定的な違いではあるけれど。 「四月は君の嘘」を観るもののいつものように案の定寝てしまう。 5時間のフライトで半分しか見られなかった。 帰りのフライトで後半を見よう。 着陸直後、外気が暑いのが分かった。 東南アジアの熱気は今回楽しみにしていたことのひとつだ。 私は自らが溶けだしてしまいそうな高温多湿が嫌いではない。 送迎バスに乗ってホテルへ。 ちょうど友人から誕生日のお祝いメッセージと、私の似顔絵が描けなかったという短歌が届いた。 似顔絵を描きやすそうな顔をしてあなた静止画にはならぬ人 ホテルまでの道中、私も今の短歌を適当に吟じてみる。 フィリピンに今立つ私冬生まれ暑さしっくり生誕の嘘 羽田にて私にだけは中国語きっとフィリピンでも現地人 フィリピーナとかつて呼ばれし彼女とは私は双子故郷(ふるさと)へ帰る カラフルなパラソルが咲く青空市ああフジロックや精神疎開 ホテルに着くと、思っていたよりは良いホテルだった。 窓がないところがラブホテルのようだった。 間髪入れず、一泊分の荷造りをして、ロスバニヨスという、マニラから車で2時間ほどの温泉地へ出かける。 2時間といっても、交通渋滞込みの時間。 タクシーの運転手さんは「トラフィックはフィリピンの風物詩だ」的なことを言っていた。 日本人はよく、混雑している駅やスクランブル交差点で人同士が避け合うのが上手いと言われるが、フィリピン人は運転のそれがものすごい技術だ。 クラクションによって秩序なき秩序が保たれているので、とても賑やかだ。 運転は総じて荒い。 ほとんど旅が進んでいないけれど、ここらでアップするとしよう。 旅日記は進むだろうか。 句会があったり、誕生日だったりして、明日からフィリピンに行く。
歌留多して少年の笑み怯えたる カップ麺熱き自由の五日かな 寒風やキンとおでこにカキ氷 とりあえずどきどきはして年は明く 乳飲み子も九十路でも初笑ひ 艶出され漆麗し雑煮椀 去年今年またいで日付変更線 こじんまりした新年句会にあたって考えた句たち。 上三つを出して、うち上二つが入選となった。 これまで10回ほどは句会に参加したことがあるが、まだ“ぼうず”だったことはない。 何かしら引っ掛かるのだけれど、特選も2度だけだ。 ほっとしていたり、悔しかったり、いや自分にとっての最高の句に集中しようと思ったり。 いつかに、「君に”はぐれ優等生”という名を与えよう」と言われたことがある。 うぐ、となったことを覚えている。 優等生であることは別に悪いことではないだろう。 というか、所謂優等生であっても劣等生であっても個々本人たちが何か内的な屍を越えていくという点においてはあまり関わりは無いと思う。 日常的にブログを書くこともややままならない感じの日々であるが、また日常的に俳句を作りたい。 やらなくても良くて特にやりたくないのに何となく能動的にやっていることはおそらく生活の中にたくさんある。 それにはまずそれに気づかなかなければならないし、気づいて必要であればそれを止めたり改善したりする勇気を持つことも必要である。 一方で、やりたいと言ってやってやれないことをやらないのは、別にそんなにやりたいことではないとも言えるのだけれど、自分にとってハイレベルの喜びを得るには、日々の鍛練が必要であることが多い。 鍛錬は喜ばしいことばかりではないし、かと言ってその苦労が素晴らしいとは言わないけれど、、それでもその先のそれが欲しいとなれば、日々根性はとりあえず出すしかない。 花の定期便の菜の花が、切り花であるにも関わらず、太陽の方向に向かってにょきっと伸びている。 植物の生命活動というのは本当に不思議である。 水と光のみで目に見えるほどの体積を増やしてしまうのだ。 伸びて伸びて、花瓶を自ら倒してしまうというのが、菜の花の自傷行為あるいは自殺行為か。 果たしてどこまで伸びるのだろう。 切り花である自分の体重を鑑みて成長が止まるのだとしたら、今後菜の花への視線が変わってしまいそうである。 けいこにこのホームページの存在がばれたらしい。 けいこはガラケーなのだけれど叔父がこれを見つけてスマートフォンで見せたのだという。 誕生日おめでとう、のメールにそのことが書いてあった。 感心しました、と書かれていたのでブログまでは隅々まで読んでいないのだとは思う。 けいこはおそらくそれ以上の探りを入れたりはしないとは思うけれど、叔父は今現在もこれを見ているのかもしれない。 家族、親戚にはバレないつもりで書いていたのだけれど、それでも一応、いつ誰が読むか分からないのがインターネットの世界だ。 わらわらと文章を書いているが、明日からのフィリピン旅行、久しぶりに旅日記でもつけたいところである。 10年ほど前、モロッコに行ったときに私は旅日記を現地からブログで更新していた。 ネットカフェを見つけては、何時間も居座って私は日記を書いていた。 できればもっともっと書いていたかったけれど、連れがいたので私としては早々に切り上げたりもしていた。 あの時にあの時間も、今のこの時間も、私にとってレベルの高い喜びのひとつであることはあまり変わっていない。 今思い返しても、あの時間は私は幸せだったと思う。 誰かに見てほしい、ということはもちろんなくはないけれど、それ以前にとにかく何か文章を紡ぎたいのである。 「夢中になって周りが見えなくなる」とか「夢中になり過ぎて知らない間にものすごい時間が経っていた」などということが私はおそらくあまりないのだけれど、文章を書いているときはそうなりやすい。 今のように久しぶりに書いたりすると、文章を吟味することもなく気持ちと手が急いてしまって、訳もなくドキドキしてしまうほどだ。 ネット環境と、ブログを書く暇が許せば、スマートフォンからでも旅日記を書こうかと思う。 テレビが壊れた。
画面の下半分異常がびりびりとなって、テロップなどが反転している。 電源を切ってみたり、全ての線を一度抜き差ししてみたり、ちょっと叩いてみたり。 それでも直らない。 地上波もBSも録画も設定画面もすべてが同じ症状なので、液晶がイカレてしまったということのようだ、おそらく。 テレビの寿命は7~10年ほどだということがインターネットには書いてあった。 大抵の場合、それよりも長持ちするものだと思うけれど、このテレビは8年目なのでまあ壊れても仕方がないのかもしれない。 まあまだ見られるので良いか、と思うけれど、やはり鑑賞に不都合がある。 大きさも32型でちょうど良いし、録画機能は別途外付けで付けているし、画面のきれいさなどもほとんどこだわりはない。 となると、同じようなものが3万円程度で買えるようだ。 しばらくびりびりと付き合いながら考えるとしよう。 第一回新年酔書を執り行った。 私は飲み会みたいなものの幹事を、思えば一度たりともやったことがないかもしれない。 会社などの打ち上げでもなく、私が主催して、皆さまに集まっていただくなんてことは、なんてことなんだと思わざるを得ない。 とりあえず、退かせる物を全て退かし、部屋を最大限広くして、お酒と軽いおつまみを用意して、紙を真ん中において。 あ、あれはどうしよう、ん、これは大丈夫だろうか、と直前になって頭を悩ませたけれどまあどうにかなるだろうと謎の強気と皆さまへの甘えを出した。 陽当たり抜群のこの部屋で昼間っからお酒を飲むわけだから、晴れるといいなと思っていたらぴーかんに晴れた。 ただ、お喋りしながら酔って書く。 酔うと気が大きくなるのは多くの人に起こることだとは思うけれど、そのおかげでいつもよりも筆すべりが良くなる。 書いたものが良いか良くないか、はわからない。 私はあまり、あっという間に過ぎた、という言葉を使うのを大事に思っているのでそうそう使わないのだけれど、3時間はあっという間に過ぎた。 書いたものをところどころ写真に収めていたけれど、見返すとこんなこと書いたっけというものがあるほど酔っ払っていた。 何にって、ホストであることに緊張していた。 部屋を貸し出すくらいしかホストらしいことはしていないけれど。 皆さまを送り出して、私は枕だけ抱えて床で意識を失った。 皆さま楽しんでいたような気がするけど、どうだったのだろう。 私は、楽しかった。 「実は妊娠6ヶ月で」と、友人はさらりと言って、「出産がんばってね」と駅で別れる。
おそらく、次に会うときはきっと、彼女は出産を済ませていることだろう。 妊娠、出産は、私は果てしなく大ごとに捉えていて、誰にとってもおそらくそうなのであろうけれど、周りには小さな子たちがどんどんどんどんと増えていく。 友人の子たちを含めて、私は三が日で5人の子どもたちを抱いた。 3日夕方、新幹線の乗車率は130%くらいだったのではなかろうか。 東京行きの新幹線の指定席が取れず、やむなく、少しの覚悟と期待を持って自由席車両のホームの列に並ぶ。 少しの期待は、ホームで待っている間に破られた。 「次に参ります列車は、前駅の時点で大変混雑しているため、グリーン車のデッキを除く指定席のデッキもご利用ください」と繰り返し繰り返しアナウンスが流れた。 1万円ほども払って、なぜ新幹線で立っていなくてはならないのか。 映画館で立ち見をするくらい嫌である。 普段満員電車にあまり縁のない私は、満員ぎゅうぎゅうの新幹線で、万一にも気分が悪くならないように気持ちを鎮めていた。 無論降りられない、トイレも遠いこの場所でそんなことになっては大変だ。 たとえばもしも、2000円引きなどにしてくれるのであれば、時給に換算して東京まで立っていても良いと思える気がする、だろうか。 西洋系の顔をした外国人と思える人はデッキに座り込んでいた。 私も外国の列車であの状態であればそうしたかもしれない。 新横浜あたりに来たとき、デッキに立つ人たちは皆、安堵の表情を浮かべた。 互いに目線が合わぬよう、身体や荷物が相手を圧迫せぬよう、スマートフォンを見たり、バッグをお腹にぎゅっと抱えたり。 横の他人を警戒して浸食しないように頑張って耐えていたのに、終わりごろには共に試練を乗り越えた戦友感がうっすらと滲んだのだった。 さて、正月気分はもういい。 この三が日、出がけに食べたお雑煮は美味しかったけれど、なんだか美味しいものを食べていないような気がする。 お節や取り寄せのオードブルは冷たいものが多いので、それが大きな原因を占めていると思う。 帰宅した部屋がきれいで良かった。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|