一杯のかけそばには人を癒す力がある、と思う。
一杯のみそ汁にも人を安心させる力がある、と思う。 寒いときは尚のこと。 温かい出汁のきいた汁物、ということか。 ポトフでもラーメンでも同様のことが起こるのと思うが、やはりここはかけそばやみそ汁と言いたい。 鰹だしだからなのか、日本人であることを気に言っているからなのか。 私は駅前によくある安い蕎麦屋が好きで、時間とお腹の余裕があればぜひ寄りたいところである。 しかしそのタイミングが訪れるのはなんだかんだひと月に一度もないくらいの頻度であるが。 しかも、かけそばを注文するとは限らず、ともすれば寒い時期でももりそばを注文してしまうこともある。 だから時折訪れるかけそばに文字通り身体の芯から温められて、一入に有り難さが滲み溢れてくる。 塩味と旨味が温かさをもって口いっぱいに広がると、あぁ私の感覚機能が壊れていなくて良かった、などと思ったりもする。 途中で七味唐辛子を振りかけるとピリリとつゆが締まって、冷めゆくつゆにもう一度火を灯したようになる。 外で食べるそばも良いが、やはり最も私が落ち着くのは自分で作ったみそ汁である。 ここ最近は毎日飲んでいる。 鰹だしに限らず鶏肉を茹でたときには鶏だしの白みそ汁にもなるが、基本は生まれ育った地域独特の鰹だし赤みそ汁が好きである。 豆腐とえのきだけとわかめ、いろいろ試すけれど、具はこれが長らく一番好き。 これは私の生まれ育った家庭の味とも言えるけれど、けいこの作ったみそ汁ではなく、自分で作ったものの方が好き。 結局、自分の現状に寄り沿って仕立て、それが上手くいったときの味というものはまずは誰が分からなくとも良い満足感を生むものである。 それを他人が良いと賞賛してくれたら嬉しいけれど、まずは自分である。 してはいけないのは、自分に妥協することだろう。 自分が作ったものは何でも愛おしくて何でも最高だなんてそれは違う。 自分が作ったものを、我が子というバイアスをくぐり抜けて全くの他人が作ったかのように判断したいものである。 それができているかと言えば、かなり難しい。 さて二月である。 三日節分の日は結婚披露宴である。 今夜、前泊で泊まりに来るけいこへの手紙を、けいこの前で書くことになるだろう。
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少しずつ料理をすることを再開している。
私の悪阻はさほど酷い方ではなかったと思うけれど、何が嫌って自分で作るものが嫌になってしまったことには驚いた。 白菜と大根とシーチキンのごった煮などをとてもよく作っていて、本当に自分で作るごった煮のことを私は心底愛していた。 ところがそのメインごった煮である白菜と大根のことを考えると最も気分が悪くなってしまうのである。 煮物全般、炊き上がる湯気の匂いが私の肺をもやっと覆うような感じで大層心地悪く、ついでにイライラまで煽られることになる。 しかし吐くというところまではまだ随分と距離があって、その苦しみを味わうことがなかったのは幸いだったのだろう。 袋ラーメンや近所の中華料理店やステーキ屋やココ壱番屋のカレーなどに頻繁にお世話になった。 おかげで体重は4,5キロも増えてしまった。 腹の子は13センチほど、子宮はグレープフルーツ2個半くらいな感じに肥大しているとは言え。 勿論悪阻という経験を私は初めてしたわけだが、その渦中にいるとこれは字面通りの「気のせい」なのではないかとよく思った。 しかし何となくその悪阻トンネルをくぐり抜けたような今、不思議なことにそれまでの過去がやっと現実のものに感じられた。 お腹をこわしたときに起こる痛みを終えた後に、痛み全体で疲弊した身体がじんわりとぼうっとしているあの状態によく似ている。 気分が悪くない幸せを、痛みのない幸せを、「気のせい」ではないトンネルをくぐり抜けたからこその実感なのだろうと思う。 しかしながら悪阻は落ち着いたとはいえ、身体の中で日々斬新で革新的な拡張を続ける腹の子のおかげで身体は重くなるばかりである。 あと数か月の間にめきめきと大きくなってくる腹の子を産み落としたそのときには、えもいわれぬすっきり爽快感が待っているだろうか。 ならば今は長いトンネルを憂うことなく、一筋の光に向けて歩を進めるのみである。 土ネギという太い葱を2センチくらいの長さに切ってフライパンに縦に敷き詰める。 にんにくを多めに4片薄くスライスしてその上に散りばめる。 酒をどばどばっと、おそらく100mlくらい注ぐ。 その上に、フライパンのなべ底に触れないように豚バラ肉を乗せていく。 いつかにやった白菜と豚バラの煽り酒蒸しの葱バージョン。 酒の力でにんにくを煽って豚バラを蒸し煮にする。 フライパンごと食卓に持ってきて、ポン酢をかけて食べる。 簡単で旨い。 あとは久しぶりに出汁をとってお味噌汁。 厚削りの最後のちりぢりばらばらこなごなになったところを使ったら、「味!!」という感じが舌に強く残る出汁味濃厚なお味噌汁ができた。 こちらも簡単で旨い。 たくさん寝たのだけれど、とても眠い。 やはり悪阻は継続か。 日々が転がるように過ぎていくと感じるのは、結婚披露宴の準備が進んでいないからである。
私がやりたいと言ったのだが、こういった多方面に関わる催し物の主催になることは本当に本当に骨が折れる。 招待状の文面やら宛名書きやらウェルカムボードやら席次表やら席札やら何やら、自分でやろうと思えば自分でできてしまう。 というより本職なので譲れない部分なのである。 しかし、それが今や恐ろしい重荷となって日々の私の頭を擡げている。 では印刷にすれば良いではないか、と簡単に自問的に囁かれるのだが、すぐにもうひとりの自分にノーと言われてしまう。 まあひとつひとつこなしていくしかないのだが、言い訳のひとつとしてはやはり妊婦であることが挙げられる。 非妊時よりも異様に眠いのと疲れやすいのと。 やることが山積すればするほど、期日までのカウントダウンから目を背けて明日やろう明日やろうと、言い訳ばかりを積み上げるのは、夏休みの宿題を溜めこむ小学生のようである。 ちなみに私は夏休みの宿題は7月には終わっているような小学生だったと記憶しているが。 一方で、妊娠していない通常の時でも私はよく寝るし、これでもかというほどに怠惰である。 お腹も大きくなってきている今、それを簡単に妊娠のせいにできることを良いことに逃げ回っているが、単純な私の怠惰力かもしれないと思うと驚きに値する。 いやまあ、妊娠とは異なる人間生命体を同一の身体の中で育んでいるという異常事態なので、やはり体調は通常時のものではないとしておこう。 ところで先日の妊婦健診では前置胎盤であるとの話をされた。 前置胎盤とは、通常子宮の中に胎盤が作られる際子宮の上側に付くのだが、なぜだか子宮口に胎盤が被ってしまっている、あるいはかかってしまっている状態のことを言うらしい。 原因はいろいろ言われるところもあるが事実上不明。 子宮が拡大するとともに胎盤の位置も上がってくる可能性があり、妊娠7,8か月頃まで最終的な診断はできないとのこと。 子宮口は赤ちゃんの出口であるわけなので、胎盤がそこにある場合は出てこられず帝王切開となるのが常のようだ。 子宮口に近く胎盤に圧力がかかりやすいため、胎盤が剥がれやすく大出血なんてリスクもある、というのは病院を出てインターネットで調べたことである。 胎盤が剥がれてしまうと無論胎児に酸素や栄養が行き届かないため、母子ともに危険な状態になる。 もしこのまま胎盤が動かないとなると、帝王切開の前に安静入院になる可能性さえあるらしい。 けいこにこのことを話すと、治ると良いと思うけど帝王切開なら予定が立っていいね!と返ってきた。 私自身このことで特別気落ちしているということもないのだが、けいこのこれは空元気の励ましなのだろうか。 おばあちゃんとして手伝いに行かねばならぬ身として出産をやきもきして待つよりもきっちり予定が組めた方がありがたい、と単純に言っているような気もする。 ふと自分が妊娠しているという事態に改めて驚愕し不思議に眩暈することがある。 なぜ古くなった私の身体から、新しいものが産まれ得るのだろうか。 父親と母親の精子と卵子がある程度老化していても、その受精卵そして赤ちゃんの細胞は新鮮さを極めている。 親の役目は受精させるところまでで、あとは父親とも母親とも違う個別の新しい細胞群に子宮という成長のための部屋を貸し出しているというようなことなのだろう。 母体の酸素や栄養が直接提供されるわけだからその新しい細胞群に影響がないわけではもちろんないが、その存在が個別であることは細胞の新しさからして明らかであるだろう。 そろそろお腹の子どもに向かって話しかけてみたりした方が良いだろうか。 誕生日のお祝いに瑞穂の豆大福をいただいた。 誰が決めたのか、群林堂、瑞穂、松島屋、というのが東京三大豆大福なのだそうだ。 群林堂の豆大福よりも、瑞穂の方が初心者向けの豆大福という感じがした。 群林堂はグーパンチを喰らわされるような豆大福で、瑞穂は拳を振りかぶって額に寸止めの冗談パンチのような豆大福。 非常にわかりづらいと思うが、どちらもパンチ力のあるずっしりしっかり重たい豆大福である。 時と気分によってどちらもとても良いが、私は瑞穂の方に現状の総合値として軍配を上げるかもしれない。 松島屋はまだなのでぜひ近いうちに食したいものだ。 そうこうしているうちに年が明けた。
喪中なのでおめでとうございますを控えています、と言いながらすでにこの時点で言ってしまっている。 本年もどうぞどうぞよろしくお願いいたします。 そうこうしているうちに、というのは、久しぶりに、2年か3年ぶりにインフルエンザを罹患した。 漸く地に戻ってきたところだ。 仕事のキャンセルを相次いでしなければならなかったことが心苦しい。 これまで人の風邪がうつった経験が自覚する上ではなかったのだが、今回は明らかに正月に5歳の姪からインフルエンザウイルスをもらったのだと思う。 姪は今の今まで元気に飛び回って遊んでいたかと思っていたら、いとこにババ抜きをやろうと誘われても「苦手だからやらない」と断り始めたところからそれは始まっていた。 間もなくして太ももが痛いとぐずり始め、お母さんとおばあちゃんの間に入ってさらに喚き始めた。 ばたばたと喚きながら、おばあちゃんは「あら、熱くなってきた」と孫を触って言う。 いもうとは娘を触って、「8度ちょうど!」という診断を下していた。 触るだけでだいたい正しい体温が分かるらしく、体温計など要らないと母親のスキルを見せつけていた。 私も、サウナ室と水風呂の温度ならだいたいの体感で当てられる自信があるけれど、まあそれと似たようなスキルだろう。 要はデータベースを溜めて練習を重ねることである。 姪がぐずり始めて発熱した日の夕方ころから、私も何かよからぬものをキャッチしたなという実感が喉にあった。 後に咳が出るようになり、帰省の新幹線で東京に帰りつくころにはずどんと身体が重たくだるくなっていた。 帰宅して検温すると37.8度。 妊婦の私の現在の平熱が37.0ほどなので大したことはない、早く寝ようと一筆だけしたためてベッドに入った。 が、寒くて足が温まらなくて、身の置き所が無くて、眠れない。 ようやく眠りについたかと思えば今度は身体がホッカイロが絶好調になったような感じで暑くて眠れない。 再び検温すると38.7度。 インフルエンザだな、と悟る。 正月の夜なので普通の病院はどこもやっていない。 以前同じような状態になったとき、大久保病院の救急外来に行ったことを思い出して、またいもうとが妊娠中にインフルエンザになってタミフルを服用したら瞬く間に治った話を思い出して、頭痛と悪寒と激しい気怠さの身体を携えてタクシーで大久保病院に向かった。 こういうとき、救急外来という手だてがあるという過去実績はとてもありがたいものである。 夜の歌舞伎町の外れの大久保病院の裏口、救急のインターホンを鳴らす。 事情を説明して最後に妊娠していることを伝えて、暫くして看護師さんが出てきた。 「うちでは産科も婦人科もなくて、妊婦さんにお薬を出すのは不安なのでできれば産科か婦人科のある病院に行った方が良いかと思います。#7119で病院を案内してもらってください。寒い中ごめんなさいね」と断られてしまった。 まあ確かに、妊婦の取り扱いはあまりしたくないのは分かるし、30代女性×胎児×インフルエンザとなると30代女性×インフルエンザよりも俄然パラメータが増えて判断しづらいことも分かるが、妊婦がインフルエンザにかかることなど頻繁にあるだろうからそのあたりのガイドラインくらいはあっても良さそうである。 仕方なしに#7119に電話し、近くの総合病院の救急外来へまたタクシーで移動する。 ふらふらと受付にたどり着くと、なんと3時間待ちと書かれている。 しかしながら、救急車で運ばれるような危篤状態でもないので順番を早めてくださいとも言えない。 悪寒高まる中、救急外来のベンチでじっとしているより他ない。 マスクをしていても土色の顔色をのぞかせる人がたくさん順番を待っていた。 点滴をつないでいる人もいれば車いすに乗っている人もいた。 脱臼したらしき小さな子どももいた。 代わる代わるお医者さんや看護師さんが出てきて病状や今後の流れを説明していく。 このまま入院をする人もいるらしい。 程なくして感じの良い看護師さんが私のもとにやってきて、インフルエンザの検査だけ先にしますね、と鼻に検査の綿棒を突っ込んでいった。 30、40分して陽性の結果が出たのだが、やはり初診の妊婦に薬を処方するのは色々な手続きがあるらしく、また30、40分待たされた。 そしていもうとに聞いていた通り、タミフルが無事に処方された。 ちなみに現在のインフルエンザ薬は吸引薬のイナビルが主流らしい。 タミフルは少し古いお薬ですが、妊婦さんにも安心して使っていただけますと薬剤師さんから説明があった。 であれば、もう少し早く出してほしい。 帰りに震えながらスーパーに寄って、またタクシーで帰宅する。 少し食べて、期待と祈りを寄せてタミフルを飲む。 半日では聞かなかったが丸一日経過して、やっと病み上がりな感じがした。 病み上がり、というよりは、闇上がり、という感じである。 霧が晴れて、一皮むけた心持ち。 ちなみに、これはほとんど同じ症状を発症した夫と行動を共にしている。 なぜか夫のインフルエンザ検査は陰性だったのだが。 「夫」という言葉を使用することも、病院でたくさん新姓を名乗ったのも、とても新鮮であった。 また病院探しもタクシー拾いも自分でやったように書いてしまったが全部夫がやってくれていた。 ひとりでもできることだが、ふたりいると心強い。 人に結婚した人のことを、何と言うかまだ決めかねている。 「夫」「旦那」「主人」「彼」「○○(名前)さん」「うちの人」「家長」。 子どもが生まれても「お父さん」や「パパ」とは呼びたくない。 暫くの間、家計を支えてもらう立場として「家長」と呼びたいところだが、人には伝わりにくいだろう。 それにしても、私は滅多に風邪をひかないけれど、あぁ健康でありたい、と思った新春のはじまり。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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