年末のいけばなとぽち袋制作ワークショップ。
無事に開催されて、皆さまにも楽しかったとおっしゃっていただき、胸をなでおろしている。 ひと月前くらいから、私は本当にワークショップの忘れ物の夢ばかりを見ていた。 一式忘れてしまった、近いから取りに行けば間に合うか、でもあれもこれも準備が整ってない・・・ぐわーーー、、、というような夢である。 夢に不安が顕在化するとはよく言ったものだが、こんなに顕著に現れるとは、私の深層意識というものはかなり不安がっているのだと知る。 何かを企画して主催すること。 たとえ数名の何かであっても本当に大変なことである。 それはこういった経験に乏しいから、というものあるとは思うので、回を重ねるごとに少しずつ楽になっていくだろう。 継続していくこと、これもまた大変なことであるのだが、私がいなければただ消滅してしまうその催し事を担っていくというその極めて独りよがりな重圧は悪くない。 なくなっても誰も困らない、寂しがらない、何なら思い出されない、そんな状況から、少しでも自分の軌跡を、自分主導で残していくのだ。 そして後に、少しでも楽しみにしてもらえたり、日常に組み込まれたりしたら最上級の喜びである。 YouTubeの動画周りそうだけれど、ゼロ地点から、ある程度肉厚なものを作り続ける苦悩を知った一年間であったと思う。 これまで、周りに身を委ね助けられて運にも頼りふわふわのうのうと生きてきたことを思い知ったということでもあった。 遅々とした一年であったが、今年地を這って撒いた種が、来年少しでも結実する年になると良いなと思う。 いけばなのワークショップ次回は、来年は2月18日と19日に開催予定。 何事も一回では分からないのは講師陣もそうだし、お越しいただく方々にとってもそうだ。 もちろんお越しいただく方々に価値を感じていただくことが前提だが、何かを続けることで分かること、何でもないものを作る喜び、そしてそれが個々人にとって結構大きな喜びの種であるかもしれないことを知ってもらえたらと思う。 <note毎週火曜19時更新> 【書道】二度書きなんてしないなんて言わないよぜったい (書道にタブーと言われて久しい二度書きをしても良いと力強く書いた記事です)
0 コメント
土日が過ぎると、部屋が大荒れである。
エントロピーは増大するばかり。 大量のミニカー、大量のプラレール、私が作った山手線の駅札、ひらがなカルタ、その他諸々もろもろ。 息子はそれらを散々とっ散らかして、さらに、最近購入したピアノの内蔵音楽を流し、さらに、Youtubeを同時に見たりする。 物理的な足の踏み場がないどころか、音までが酷く散らかって、もうどうしようもない。 もちろん動きづらいのだが、息子はおもちゃを踏まないように器用にちょこまかと動く。 そんな大荒れの部屋の中で、年賀状の宛名書きをする。 今年は裏面は一枚書いたものをプリント会社に依頼してみた。 一枚63円のはがき代に、一枚50円のカラープリント代、そして基本料1980円。 とっても高かった。 まあでも、家でがこがこ印刷するのも大変だし、それこそプリンターのインク代もばかにならないので良しとしよう。 まだ20日にもならないというのに大方書きあげたなんてとてもとても快挙ではないか。 月曜日、息子を保育園に送り出し、買い出しを済ませ、部屋の掃除に取り掛かる。 とりあえずおもちゃをざっくり種類別に箱やかごの中に放り込んで、しかるべき場所に戻す。 もう遊んでいない何かのおまけのおもちゃなどは、こういうタイミングでこっそり捨てることにしている。 今のところ、あれがないと息子に叱られたことは一度もない。 掃除機をかけて、床を拭く。 静寂、空気が澄んだ。 ところで、先日大学の先生とお茶をした。 私は先生の教え子ではあるのだが、極めて不真面目な学生だった(授業出席はするし単位も全部取るが、学問に興味のない根本的にだめな学生だった)ので、先生のことを先生というよりかは友人のように思っている節がある。 というのも、先生は句会仲間でもあるので、俳号である下のお名前でお呼びしているということもある。 まあ先生は私を友人とは思っていないと思うが。 先生はちょうど私の親世代である、68歳。 私は36,7歳になってようやく自分の中の子ども目線が抜けてきて、親世代になったことをとても感じている。 私たちの祖父母の世代は90を超え、ほとんど皆死んでしまった。 かつての祖父母の位置に親が来て、かつての親の位置に自分たちが来た。 かつての自分たちの位置には新しい子どもが来た。 30~40年を生きて、確実に世代というものが大きく入れ替わった。 このことは、父が早くに亡くなったとか、自分に子どもが産まれたという個人的な事情ではない、皆に平等なとてつもなく大きくて揺るぎない変化なのである。 私たちは自分の経験を生きているようで、やっぱりもっと大きな波に飲み込まれたまま受動的に生かされているようにも思う。 先生の言葉の中で、「70歳で退職したら読書三昧と思っていたが、最近は目が疲れてどうもそれも上手くいかないかもしれない、それは思いもよらないことだった」というのが印象的だった。 退職したら時間ができて思う存分好きなことができる、というのが叶わない事情が出てくる場合がある。 人間は確実に老いていくのであるが、60歳の体感と70歳の体感は大きく違うのだろう。 それに、40歳くらいの私が感じる「人生進んできたなあ」というのと、70歳くらいの先生が感じる「人生進んできたなあ」は、全く別物と言って良いだろう。 私たちの親世代は、60歳70歳の現時点で、「自分の親のように90過ぎまで生きられる気がしない」としばしば言う。 祖父母世代は戦争を生き抜いてきた強靭な人たちであるとは言えると思うが、平和が飽和したような時代を生きた親世代は、なぜこのような意識を持つのだろうか。 電子レンジのタイマーに思い知らされる時間だけでなく、今だっていつだってそうこうしているうちに、時間は流れ過ぎていく。 だからなんだ、というわけではないのだが、壮年期の私はそんな風に物思いをするのである。 Tictokというショート動画がアップロードできるSNSは知ってはいたが、まるで興味もなく、ここまで過ごしてきた。
Facebook、Instagram、TwitterにTictokも加えて四大SNSの時代だろうか。 お字書き道TALKSでもやってみようということになり、先日から、書作のアップロードを始めてみた。 Tictokは基本的にはレコメンド式で1分ほどの動画が次々と上がってくる。 濁流のようにどんどんと押し寄せてくる短い動画。 最初にダンスで流行ったように記憶しているが、やはり「音楽と動き」が重要なメディアなのだろう。 何気に自分が作品を書いている様を撮ったことがなかったので、なかなか面白い。 ただ、iPhoneを紙の上に設置にして撮影しており、その高さが筆の長さよりも低いために直筆が使えないのが痛い。 直筆、というのは筆をまっすぐ垂直に立てて、穂先で書く書き方である。 ぜひご覧ください。→お字書き道TALKS Tictok 先日からチラチラとTictokを覗いているが、小中高生の若者が多いというだけあって、本当に全然共感できないというか、よく分からない。 自分の子どもでもおかしくないくらいの年齢の子たちの間で流行っているのだから、親世代の私が理解できないのは当然と言えば当然か。 子どもを持っても、持たずとも、”親世代”になった、”親世代”ど真ん中、なのである。 世代の価値観、当たり前、というのは本当に人間性に影響を与えるように思う。 「あの人が生きている時代に生きられて嬉しい」というのも、やっぱり生きているその生身の人間への欲求、落合陽一さん風に言えば「質量への憧れ」があるのだろうと思う。 現に私も甲本ヒロトが生きている時代に生まれてすごく幸いに思っているけれど、やはり、甲本ヒロトがザ・ブルーハーツとして生きている同じ時代を生きたかった。 今の子たちはそういう感覚とも少し違ったりするのだろうか、どうなのだろう。 推しと握手するのにCDを何十枚も買ったり、何時間も並んだりとか、そういうことはあるのだろうか。 30代よりも上の世代は、何かしら「質量への憧れ」というのは体感として分かるのではないかと思うが、10代20代の彼らはどのように思っているのだろう。 話は全く飛ぶが、眼鏡を寝返りで踏んづけてしまって、ぽきっと折れて壊れてしまった。 1,2年くらいにコンタクトレンズを付けた。 最近では眼鏡を付けている顔が通常になっていたので、眼鏡をかけていないと何だか裸な感じがする。 あと、不思議なことに背が高くなった心持ちがする。 眼鏡を変えたいとは思っていたのだがあまりに急な出来事で、予備眼鏡を探してみても見当たらないし、眼鏡屋に行く時間もない。 困っているけれど、コンタクトレンズも顔が軽くて良いもんだ。 <note> まるで謎解き【戯書①】万葉仮名・和歌編 まるで謎解き【戯書②】エモい苗字編 幻想的!かんたん☆墨流しのやり方 【濁点の歴史】天皇は「人間宣言」から濁点を使うようになった 夫が何かの試験を受けるというので、ひさしぶりに丸一日息子と過ごす。
息子は朝、ガスコンロの点火や食器を出し入れするなどの支度の音がすると起きてしまうので、夫はおそらく何も食べずにこっそりと出て行った。 少しのんびり、8時前に起きた息子はにこにこして私にめり込んできた。 毎日いちゃいちゃして起きる、というのも、私もそうしたくてしている節もあるが、何より彼は寝起きで機嫌を損ねると恐ろしく厄介なことになるからという理由が大きい。 朝一でトイレに行って、そのままパジャマのズボンを外着に履き替える。 家ではパジャマは上下セットで着ない。 夜に着た長袖Tシャツはそのままで、次の日を過ごす。 息子はここ最近の冬の気温で、外着のズボンが履くときに冷たいと嘆く。 そういえば昔、おばあちゃんは翌日の着替えを布団の中に入れて一緒に寝ていた。 私たちの着替えは炬燵で温めてくれていた。 そんなことを思い出しつつ、家には炬燵もストーブもないので、ドライヤーで息子のズボンを温める。 「あったかい」「よかった」 息子の朝ごはんは、カップのいちごヨーグルト、納豆、チョコパイ、そして私が食べているはちみつヨーグルト。 いつもほとんど同じだ。 私は食パンと、はちみつヨーグルト、コーヒー。 さあて、本日の予定は17時からの息子の美容院のみ。 何をして過ごすのか。 どんなに楽しそうなところに行こうと企画したとしても、彼が行く気にならなければどうしようもない。 特に予定は決めずに、とりあえずは何となく過ごすことにした。 私は家にいると何かしらの生産性を求めてしまうので、こまごまとした家事を始めた。 息子はテレビを見たり、Youtubeを見たり、ピアノ内臓の音楽を聴いたり、比較的ご機嫌に楽しんでいる。 「お外行く?」と聞いても「おそといかない」と返ってくる。 常に閑散としている冷蔵庫だが軽く整理して、調味料入れから期限切れのそれを捨て、シンクと排水溝を念入りに掃除し、ところどころ漂白剤に浸し、洗面台の方もスポンジでこすり、要らない服を切り刻んで雑巾にし、電子レンジで濡らした雑巾を温めてそのまま庫内を拭き、リンスを詰め替え・・・。 捨てたり、掃除したりすることは昔から好きである。 ほうれん草を茹で、梅干しを刻んでオリーブオイルなどでドレッシングを拵え、沸騰したお湯に8分の半熟ゆで卵を作る。 普段ほとんど一日ずつ食べきりなので、常備しているおかずなどはほぼない。 しかし、ドレッシングだけでも作ってあれば、様々に重宝するのでドレッシングはいつも作っておきたいのだがなかなかそれができない。 息子の相手も少々しながら、色々と家事を進めることができた。 11時過ぎになると息子は箸を取り出して「カシャカシャ(ふりかけごはん)食べる」と言うので、ふりかけをかけた小さなおにぎりを作って食べてもらう。 「たまごやきは?ウインナーは?納豆は?唐揚げは?」たんぱく質を摂らせたく聞くが、どれも「いらない」と返ってくる。 私もお腹が空いたので、整理途中で出てきたアルファ米を食べることにした。 今年マンションの避難訓練でいただいた、炊かずに食べられるお米である。 アルファ米を茹でてキムチ雑炊を作る。 午後になって息子はお外行くと言い出したが、タイミングを同じくして頼んでいた端材が届いた。 家具屋さんの木材の端材である。 披露宴のときに席札として、この端材を使ってから、注文するのは三度目である。 今回は文字が好きな息子に駅名などを書くために買った。 とりあえず山手線の駅名を全部、表は漢字で、裏はひらがなで。 息子はお母さんがこの類のことに没頭すると自分がつまらないと分かっているので、お外行くと邪魔をしてくる。 墨がまだ乾ききらないうちに触ってくるので、ふたりで攻防を繰り返す。 作っているものは息子のためだけれど、作っていることは私のためである。 こういうのもひとりで没頭して作りたいものだ。 まあでもそれなりに喜んでくれて、山手線の動画と一緒に見比べながら遊んでくれた。 まだまだ端材はたくさんあるが、やや大きいものも多いので電動のこぎりでも買おうか。 夫に止められそうだけれど。 さて、私は少し満足したところで、お出かけすることにした。 この時点で15時だったのだが、17時の美容院までかなり時間がある。 大人なら、どこかカフェにでも入って本読んだりネットサーフィンしたりすればすぐに過ぎる時間であるが、子どもにとってはそうはいかない。 ちなみに美容院までは30分ほどで着いてしまう。 さて、どうするか、かと言って美容院に遅れるわけにもいかない。 とりあえずは美容院に近づいておこう。 美容院の最寄り駅に着き、ポテト食べる?と聞くと食べる!と言うので、美容院近くのファストフードのお店に入る。 以前も来ているので息子も何となく勝手がわかっているようだった。 15時半くらいから20分ほど滞在しただろうか。 まだ16時前、ここからどうするのか、長い、長いぞ。 近くの公園行ってみようかと、公園に向かい、すべり台を何度もすべった。 もう日暮れで小さい子はみんな帰り始めていて、小学生らしき野球少年たちがすべり台を使って鬼ごっこをしていた。 息子はテレポーテーションのように俊敏に動く小学生が苦手なのだが、あろうことかその小学生にぶつかってしまった。 ケガなどは全く大丈夫だったが、かなりびっくりしたようで大泣き。 小学生はバツの悪そうなひきつった顔をして、次々にスイマセンと謝りに来た。 「大丈夫、なんともないから」と息子をなだめながらその場を離れた。 16時20分。 さあ本格的にやることがない。 電車を見に行ってみよう!と、近くを走っている小田急線を何本が見た。 突っ立って見るには寒い。 そして息子は全然歩かなく、ずっと抱っこしているのも辛い。 ゆっくりゆっくり、美容院の方に近づいて行く。 息子が文字を読んでくれるのがほんの少しの暇つぶしになって有難い。 「おせち承り中です」というような文章を、「おせちりてす」と、堂々と得意顔で漢字を飛び越して読むのが面白い。 ついでに濁音もまだ微妙である。 美容院の前に着くと彼は「着いた!!」と言うが、16:38。 さすがにちょっと早い。 もう少し歩いてみる、歩いてみる、することがない、疲れた、重い。 息子なしなら15分くらい歩いて回ってくることなど訳ないのだが。 16:43、息子は待ちきれずもう行くというので、お店に入る。 「早くてすみません、すこし待たせてください」と言うと「全然大丈夫ですよ~~」と言われる。 手洗いをして、荷物をロッカーにしまうなどして、17時10分前にはカットが始まった。 なんと息子は初めてひとりで美容院の椅子に座ることが出来た。 今までは二人羽織のケープで一緒にやっていたのだけれど。 自分の映っている動画などを見つつ、何ともスムーズにカット完了。 彼の外界へのアレルギー的反応は、ほとんど寛解と言って差し支えないのではないだろうか。 コボちゃんみたいな髪型になって、また抱っこで家路につく。 家に着いて「はぁ~きょうもつかれた」と息子が言う。 私は普段そんなにそのセリフを連発しているだろうか。 ちなみに、抱っこして階段を上るときにも抱かれている彼が「よいしょよいしょ」と言ってくれるけれど。 そして休日のお母さんをたくさん吸収した月曜朝の彼は、保育園の入り口で甘えた顔を見せて、それでもグッと登園していった。 どんどこどんどこ、月日が流れていく。
どんどこどんどこ。 最近は電子レンジの数十秒の時間も、もう戻らないものなのだなあなどと思ったりする。 息子が3歳児検診で引っかかって、区のテストを受け、そして療育に行こうかという手筈をしていて私は日々忙しく過ごしている。 午前中息子を療育の体験に連れて行く、というミッションは、文字通りのことだけではなく、思いの外広域に影響を及ぼす。 前日から「明日は違うところで遊んでから保育園に行くからね」と何度も言い聞かせ、電車の道筋を書き、朝もそれを言い続け、電車に乗れるから嬉しいものの、療育体験後に保育園を嫌がる彼を何とかかんとか連れて行く。 よく育児系の漫画や記事を読んでいると、HPがない、という言葉を見かけるが、本当にHPがなくなる。 (ヒューレットパッカードでもなく、ホームページでもなく、ヒットポイント、らしい。) 時間にしたら3時間程度、歩数にしたら3000歩とか、そんなものなのにも関わらず。 例えば、自分だけが午前中に療育の面談に行く、という予定であれば、そんなに疲れることはない。 駅まで20分歩いて、すでに本日6000歩を超えているとしても。 と言っても、息子は特別に駄々をこねまくっているわけでもないのだが、HPは歴然と減る。 実際に本格的に療育に通うとなると週1が最低ペースなのであるが、仕事もしたい中で、そんな生活可能なのであろうか。 とは言え、療育、というものの素晴らしさを実感している。 一般的に、子どもの悩みというのは真皮よりも深いもので、デリケートで、ナイーブで、神経質なものだ。 思わぬ地雷もたくさんたくさん埋まっていることだろう。 子どもの対応もさることながら、療育の先生たちは、親の精神に寄り添うこと能力に皆長けている。 優しい顔で、ゆっくりとしたペースで、頷きながら、話を聞いてくれる。 また、子どもに対しても、その子にカスタマイズしたプランを丁寧にやってくれる。 息子にしてみれば自分を認めてくれながら最大に遊んでくれる大人、の存在の登場である。 それは有難いことこの上なし。 実際のところ、前も書いたが、いくら私なりに客観的に見ても、私は息子のことを変だと思わないので、そのことを正直に話すと先生方は「お母さん素晴らしいですね」とおっしゃる。 これに関してはそう言われたいわけでも決してないけれども。 息子と同じくらいの月例の子が、目や鼻や口のある顔を描けるとか、トミカの道路を立体的に組み立てられるとか、比べると確かに息子はそんなこと全然できないけれども。 確かに、どんなこともできないよりもできた方が良いけれども。 まあでも、いつかはきっとできるようになるのではと思う。 息子はもう漢字を10個以上読むけれど、それをいつかはその子たちもできるようになるだろうということと同じように。 できることを伸ばしてあげる、私はそれで良いと思っていたけれど、検査からの療育体験で一つ思い直したことがある。 それは、3歳の時点で苦手分野を苦手としなくても良い、ということである。 三つ子の魂百まで、ではないが、きっと本質は変わらないにしても、あまり好きではない分野も「悪いものではない」くらいに思えることはきっと今後の人生にプラスなのではないか。 心理士の先生がおっしゃっていたが、食わず嫌いの興味の開発、は少しずつ促していっても良いのかなと思う。 息子の場合で言えば、創造的想像的なことをすること、手先を使うこと。 気が付けば喋る家電の機械音を覚えているし、Youtubeの動画を見て電車のアナウンスを復唱していたりして、確かにあまり手を動かすことを好まない。 たぶん、おそらく、そんなに手を動かすことに衝動はないのだろうけれど、まあでもここらで手を動かして何かを作れる、などの体験を促しておいても良いだろうと思う。 ところで、ここ1、2か月ほど、療育関連で私は結構動いていたのだが、その間に息子は大きく変わってきた。 お母さん以外誰もダメ、という劇的人見知りの彼だったが、ここに来て大人への人見知りはほぼ全解除となった。 散歩中に知らないおじさんにもこんにちはと言うし、私の兄にも抱かれるし、中三の甥っ子の膝にも入った。 大快挙であるのだが、いとも自然に彼は大人への警戒心を解いていた。 子どもはまだ逃げてしまうところもあるが、それでもだいぶ解消している。 質問へのオウム返しも確実に減ってきている。 3か所療育の体験に行ったが、保育園以外初めての母子分離も彼は少しだけひきつっただけで難なくこなした。 体験中も楽しそうに課題に取り組んでいたそうだ。 私がこの類のことに関してやったことは、私の余裕があるときは全面的に甘えさせる、ということだったわけだが、とりあえずはここまでに関してはそんなに間違いはなかったのでは にないかと思っている。 彼は私のいない世界を一人で切り開いている、きっとその背景にお母さんはそこにいるから大丈夫、そんな気持ちがあるのではないかと思う。 私の思い上がりかもしれないけれど、私はそんな安心感を持ってもらいたいとは思ってやってきた。 時々、この方針に関しては、間接的に批判を食らったりもしたけれど。 療育先も全体的に私のフィーリングで決めることになりそうだが、決めようと思っている療育の施設長から言われたことが耳に残っている。 私は、「今の息子を見ていると療育を受けなくても良いのではとも思っていて。待機も多い療育なのでもっと困っている人に受けてもらった方が良いのではないかとも思っている。」と率直に話をした。 「もちろんそのご家庭次第の考え次第だけれど、困ってからでは本人の心が閉ざされてしまっていることもあるので困っていないときにもこういったところがあるのも良いですよ」とおっしゃった。 私が受けた印象では、息子は絶対的に療育を受けた方が良いと思うから、ということでもなく、そうおっしゃった気がする。 心底、なるほど、と思った。 有難く、利用させていただこう、そう思った。 何だか、書けば書くほど、私は息子のことを甘々に見ているような気もするが、実際にそうなのかもしれないが、それはそれでおめでたいことなのではないか。 これを書いている間、僕はお母さんと寝る!とYoutubeの動画を見ながら私がカシャカシャ何かやっているのを終わるのを待っている。 健気でまっすぐな彼が私は大好きで、たぶん彼も私のことが大好きなのではないかと思うところが、どうしようもなく、どうしようもない。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|