何年かぶりに新宿御苑に散歩をしに行く。
小石川植物園ももう1年くらいは行ってないだろうか。 梅雨真っ只中の曇天の御苑は、土曜日だけれどそんなに混雑はしていなかった。 気温も湿度も高くて、むわっとした土の匂いがとても心地よい。 街中の高温多湿は好きではないけれど、鬱蒼とした場所の高温多湿は好きである。 ぴーかんの晴れではなくて、分厚い曇り空というのが尚良い。 と、書きかけて既に水曜日になってしまっている。 シャワーのお湯の出口を触ってしまって、手の甲を火傷した。 何時間か、ひりひりひりひり痛みが続いて、皮膚の色が赤灰色に変色して軽い水ぶくれになった。 と、これも既にほとんど痛みは消えて、痣のような丸になった。 うっすらと跡が残ってしまいそうな気配である。 と、もはや日記とかそういう次元ではないというブログがとても面白いということを書いていた記事が保存されずに消えてしまった。 なかなか考えて書いたのに消えてしまった。 スマートフォンの画面がいきなり全然映らなくなってしまったくらいにはショックだった。 半日が過ぎて書き直そうと思ってみるけれど、考えは思い出せても文章が思い出せないし、もう一度考えを文章にする気力が出ない。 自分的にはなかなか良い感じがするものだったはずで、でももう書けない。
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私が所属する書道の団体の展覧会が会期を迎えている。
毎年、乃木坂の国立新美術館で行われていて、出品は言ってみれば同人である以上義務である。 ※同人書作展 【会期】 平成28年6月22日(水)~7月3日(日) 午前10時~午後6時(入場締切午後5時30分) [6月28日(火)休館日] 【会場】 国立新美術館 2階展示室(2CD) 乃木坂駅から直結 今まで、ブルーハーツや向井秀徳や谷川俊太郎や、私が心を打たれた日本語の詩をひたすら書いてきたわけだけれど、今回は初めて漢詩作品を書いた。 単純にひらがなに飽きてしまったという理由と、今回書いた「蘭亭序」に心を打たれたということもある。 「蘭亭序」は、永和9年(353年)に書聖とも呼ばれる王羲之によって書かれたとても有名な書である。 超が付くほど書道界では権威のある書で、おそらく書道をやっている人においてはほとんど臨書をして勉強したことがあるだろう。 そんな恐れ多いようなものであるけれど、その書のみならず、「蘭亭序」の詩文そのものや、これが書かれたエピソードがとても好きなので創作で書くことにした。 詩文の最後、後にこれを手にとって見てくれる人は、きっとこの文章に何かを感じてくれるにちがいないと信ずる次第です。というくだりがあるのだけれど、約1700年もの間、数え切れぬ多くの人たちによって脈々と受け継がれているという事実。 大層に言えば、私もその一端を、地球の中のただひとりとして、ほんの少しでも私がそれに触れた事実を残したいなと、そんな気持ちを込めつつ、とりあえず今ある力を振り絞った。 歴史に刻む、という言い方も大層なものだけれど、しかし実際に皆歴史上のひとりであることに相違はないわけで、「人間が人間たる意志を受け継ぐ」、そんなことをしたかったのだ。 これは何千年の長い時の歴史を持つものに限らず、もちろんブルーハーツでも何でも同じことであるけれど。 いつもは結局最初の頃に書いたものが一番良い、なんてことがあるものだけれど、今回はいろいろ工夫もしたし少しの苦労もした。 漢詩作品に慣れていないこともあったし、筆にも遊ばれまくっていた。 夜な夜な、あるいは朝な朝な結構たくさん書いたと思う。 結果出品したのは一番最後に書いたものであった。 そして、己の技術力や表現力の力不足をうな垂れるほどに感じた今作でもあった。 展覧会場で自分の作品を見るのには少し勇気が要る。 出品は約2か月ほど前だし、そのときのある程度気持ちの高ぶった自分にこんにちはするのは気恥ずかしいのである。 しかしもう出てしまっているなので、つべこべ言うこともないしできないわけだけれど。 以前のブログにも載せたものであるが、全文と書き下し文、意訳を載せておく。 永和九年、歳在癸丑、暮春之初。會干會稽山陰之蘭亭、脩禊事也。 永和九年、歳は癸丑に在り、暮春の初め會稽山陰の蘭亭に會す。禊事を脩するなり。 永和九年癸努丑の年、春(三月)初めに、会稽山のかたわらにある「蘭亭」で禊事(曲水の宴)を開きました。 郡賢畢至、少長威集。此地有崇山峻嶺、茂林脩竹、 郡賢畢(ことごと)く至り、少長威集まる。此地、崇山峻嶺、茂林脩竹有り。 大勢の知識人、年配者から若い人まで集まりました。さて、ここは神秘的な山、峻険な嶺に囲まれているところで、生い茂った林、そして見事に伸びた竹があります。 又有清流激湍、暎帯左右、引以為流觴曲水、列坐其次。 清流激湍ありて、左右に暎帯せり。引きて以って流觴の曲水と為し、其の次(かたはら)に列坐す。 激しい水しぶきをあげている渓川の景観があって、左右に映えています。その水を引いて觴(さかずき)を流すための「曲水」(人口の小川)を作り、一同周りに座りました。 雖無絲竹管絃之盛、一觴一詠、亦足以暢叙幽情。 絲竹管絃の盛無しと雖(いえど)も、一觴一詠。亦、以って幽情を暢叙するに足る是の日なり。 琴や笛などの音楽が奏でるような華やかさこそありませんが、觴が流れてくる間に詩を詠ずるというこの催しです。心の奥を述べあうには十分です。 是日也、天朗気清、恵風和暢、仰観宇宙之大、俯察品類之盛、 天朗に気清(すみ)、恵風和暢せり。仰いでは、宇宙の大を観、俯しては品類の盛なるを察(み)る。 この日、空は晴れわたり空気は澄み、春風がのびやかに流れていました。我々は、宇宙の大きさを仰ぎみるとともに、地上すべてのものの生命のすばらしさを思いやりました。 所以遊目騁懐、足以極視聴之娯、信可楽也。 目を遊ばしめ、懐いを騁する所以にして、以って視聴の娯しみを極むるに足る。信に楽しむ可きなり。 目を楽しませ、思いを十分に馳せる、そして(それを述べ合うのは)見聞の楽しみの究極といえます。本当に楽しいことです。 夫人之相興、俯仰一世、或取諸懐抱、悟言一室之内 夫れ人の相興(あいとも)に一世に俯仰するや、或は諸を懐抱に取りて一室の内に悟言し、 そもそも人間が、同じこの世で生きる上において、ある人は一室にこもり胸に抱く思いを人と語り合おうとし、 或因寄所託、放浪形骸之外。 或いは寄するに、託する所に因りて、形骸之外に放浪せり。 ある人は、言外の意こそすべての因だとして、肉体の外面を重んじ、自由に生きようとします。 雖趣舎萬殊、静躁不同、當其欣於所遇、暫得於己、 趣舎萬殊にして静躁同じからずと雖も、其の遇う所を欣び、暫く己れに得るに當りては、 どれを取りどれを捨てるかもみな違い、静と動の違いもありますが、そのそれぞれが合致すればよろこび合いますし、わずかの間でも、自分自身に納得するところがあると、 怏然自足、不知老之將至。及其所之既倦、情随事遷、 怏然として自ら足り、老いの至らんと將(す)るを知らず。其の之く所、既に倦むに及びては、情事に随ひて遷り、 こころよく満ち足りてしまい、年をとるのも忘れてしまうものです。自分の進んでいた道が、もはや飽きてしまったようなときには、感情は何か対象に従って移ろい、 感慨係之矣。向之所欣、俛仰之、以為陳迹、 感慨之に係れり。向(さき)の欣びし所は、俛仰の間に、以に陳迹と為る。 感慨もそれにつれて左右されてしまいます。以前あれほど喜んでいたことでも、しばらくたつともはや過去の事跡となることもあります。 猶不能不以之興懐。况脩短随化、終期於盡。 猶、之を以って、懐いを興(おこ)さざる能はず。况や、脩短、化に随(したが)い、終に盡くるに期するをや。 だからこそおもしろいと、思わないわけにはいかないのです。まして、ものごとの長所・短所は変化するものであって、ついには人の命も終わりが定められていることを思えばなおさらです。 古人云、死生亦大矣。豈不痛哉。毎攬昔人興感之由、 古人も、死生亦大なりと云う。豈、痛ましからずや。毎に昔人感を興ずるの由を攬るに、 昔の人も死生こそ大きな問題だと言っています。これほど痛ましいことはありません。昔の人は、いつも何に感激していたか、そのさまをみていると、 若合一契未嘗不臨文嗟悼、不能喩之於懐。固知一死生為虚誕、 一契を合はすが若し。嘗て、文に臨みて嗟悼せんずばあらず。之を懐(こころ)に喩す能はず。固(まこと)に死生を一にするは、虚誕たり。 割り符を合わせるように私の思いと同じでした。いまだ嘗て、文を作るとき、なげき悲しまないでできたためしはなく、それを心に言いきかせる術はありませんでした。実際に死と生は同一視するなどということはでたらめです。 齊彭殤為妄作、後之視今、亦由今之視昔。 彭殤を齊(ひと)しくするは妄作たるを知る。後の今を視ること、亦由(なお)、今の昔を視るがごとし。 長命も短命も同じなどというのは無知そのものです。後世の人が今日をどうみるか、きっと今の人が昔をみるようなものでしょう。 悲夫故。列叙時人、録其所述。雖世殊事異、所以興懐、其致一也。 悲しいかな。故に時の人を列叙し、其の述ぶる所を録す。世、殊に事、異なると雖も、懐(おも)い興す所以は、其の致(むね)一なり。 悲しいではありませんか。こんなわけで今日参会した方々の名を並記し、それぞれ述べたところを記録することにしました。世の中が変わり、事物が異なったとしても、人々が心に深く感ずる理由は、結局は一つです。 後之攬者、亦將有感於斯文。 後の攬る者も、亦、將に斯の文に感ずる有るらむ。 後にこれを手にとって見てくれる人は、きっとこの文章に何かを感じてくれるにちがいないと信ずる次第です。 久しぶりにものすごくヘビーローテーションで聴く曲ができた。
くるりの「THE PIER]のアルバム中の「しゃぼんがぼんぼん」からの「loveless」と、oasisの「Half the World Away」と「I Am the Walrus」。 あるの曲が熱を持つと、自ずとそのアルバムの前後の曲までその熱に染められて好きになったりする。 曲から曲に移るときのその場面転換が何とも言えず、そこの虜になったりもする。 そうなるともう、繰り返し機能をオンにして一日に何度も聴くことになる。 こういうことは今まで50曲くらいはあるだろうか。 やがて私的ブームは過ぎ去るわけだけれど、その後もずっと継続して大好きな曲たちとなる。 これは昔から、私があまり音楽に興味がなかった頃からそうで、そのきっかけは詞であることもあるけれどほとんどがメロディーやテクスチャーの方に引っ掛かっているような気がする。 「loveless」は完全に詞の一部に、ううう、と来てしまったのだけれども。 そういうわけで、結構久しぶりに歌詞を書いてみる。 半切の半分のサイズの紙にこまごま、こまごまと。 たとえ用のない愛 と思っていた詞が 例えようのない愛 であることを知った。 散らばった灰をまとめる時間を と思っていたところは 散らばった愛をまとめる時間を だった。 以前、ブルーハーツの「情熱の薔薇」の 花瓶に水をあげましょう を 他人に水をあげましょう だと思っていて、ヒロトはこの部分だけ変なことを言うなと思っていた。 友人は「青空」の 青い空の真下で を 青い空の真島で と思っていたと言っていたことがあるけれど、いくらマーシーの曲とは言え、あれは果たして本当の話だったのだろうか。 先日友人が「若冲の絵には若冲本人が消えてしまうような凄味がある」というようなことを言っていた。 また、「ゴッホを好きな人は往々にしてその人生ストーリーまでを含めて好きなのだと思う」とも言っていた。 とても、なるほど、と思う。 若冲は、その本人があまりにもそのコンテンツ寄りというか、「俺によるオレ」みたいな感じの表出よりも、とにかく最上のことはいつだって絵そのものを良くすること、ただそれだけに向かっている、感じがする。 いやもちろんゴッホだって絵を良くすることに向かっているのだけれど、そこには情感肉感がたっぷりな風合いがあり、「オレがいます」ということが最上になっている、感じがする。 まあすべて、そんな感じがする、という以外に言うことはないけれども。 とりあえず、誰がどう思ってそれを作ったか、ということの感情移入をすることも楽しいけれど、そのバックグラウンドなどもう全くどうでも良くて、それそのものが良い、という見方もとても美しいなあと思うわけである。 そしておそらく、若冲のような、言ってみれば描き手の存在が消え失せてしまうような作家というのは極めて稀有であろうと思う。 というか、無論原理的に消えてしまうわけではない、というところが何だかもうこの文章の滅裂感が漂ってきてしまったけれど、最近とても思うところなのだ。 いちご大福や若あゆや、せんべいや栗まんじゅうや白い恋人や野菜ジュースや。 いただきものがたくさんある。 いちご大福が最優先だ。 いもうとが新居に飾りたいという書を書く。
ひとつは二人の姪の名前に入っている「珠」という字。 もうひとつはフランス語が好きないもうとが好きな「Tout va bien」というアルファベット。 アルファベットの練習は中学生の頃筆記体を練習した以外にはなく、どうしたもんかといろいろ試して書いてみる。 漢字よりもひらがなよりもアルファベットは線が少なく風情に欠けるので一体どうすれば様になるのだろうと、それこそ筆に任せて書いてみる。 もちろん、アルファベットが風情に欠けるとしても、字としての記号「Tout va bien」を書くというルールはあっても、いくつか過去に見たことがあるアルファベットの書作品もあまり印象には残っていないので自分の頭の中のネタが乏しいのである。 やっているうちになんだか笑えてきた。 私はこういうことができなかったはずだ。 もっぱら絵は描けないけれど、絵でいえば、今でさえ、例えば旅のイメージを何でも自由に描いてみて、というのが一番困る。 今はほんの少し、イメージを体現する、という言葉の意味が私の中でイメージが付くけれども、かつては、イメージを何でも自由に描いていい、ということのイメージが全くもって湧かなかった。 イメージを具現化するには、誰かに見せても笑われない何か信頼のおける「旅」のイメージと、それを体現する技術が必要だ。 まあ今でも強くそう思っている反面、たとえ自分の抱く「旅」のイメージが世間的には信頼のないもので笑われるだろうと予測できても、また自分の「旅」のイメージを具現化する技術がなかったとしても、その「旅」のイメージを形にする勇気や、たとえ理解されなくて笑われることも辞さない勇気さえあれば、描けないなんてこともないのだろうけれど。 そして一方で、技術が成す良さも、様式における美も確実に存在するものだとも思うけれども。 私は書において、漢字やひらがなを書くときだって、紙面において、字そのものにおいて、明確ではないものの”作品のつくり方”のような様々なルールの範疇で試行錯誤しながら書いている。 採用しているのは、記号としての字であれば良い、という最低限のルールのみでは全然ない。 しかしアルファベットは漢字やひらがなで私がよくやるやり口のいくつかは使えない。 まず横書きということも、私は普段は滅多にやらない。 とりあえずそれっぽくなるように書いてみる。 筆で書いているのだから線にこだわることと、微妙に墨の質や濃さをを調合、調整しながら。 何十枚か書いてみて、だんだんとまとまっていく一方で、だんだんと派手さを増してきた。 いつもは意図的に飛ばすことは意図的に避けている飛沫を飛ばす行為もしてみる。 書道というよりは、墨を使ったペインティングのようになってきた。 乾いてみないとなんとも言えないけれど、こんな感じで良いかなと出来たものは、よくありそうなアルファベットの筆文字の様相を呈しながら、それでも私が書いているのだなといういつもの感じが滲んでいた。 いつもはやらないイメージの具現化へのほんの小さな勇気を持てた自分自身に少しの微笑ましさと、いつもの小さな私が混在していた。 なんだか笑ってしまう。 久しぶりにご飯を炊いて、お味噌汁を作る。 IHヒーターの電源を消し忘れて、お味噌汁が長い間沸騰していた。 味噌は入れたら沸騰させてはいけない、風味が飛ぶし煮詰まってしまうから、といういつかに観た「きょうの料理」の教えを頑なに守ってきていたのに。 行こう行こう行こう行こうと思ってずっと行っていなかった鶯谷にある書道博物館に行く。
16時半で締まってしまうとなると、たとえ平日に暇をしていたとしても、その時間はもう本当に簡単に過ぎてしまう。 数年に一度のナイスタイミングが訪れたので、足を伸ばしてみることにした。 右も左も、向かいもお隣も、古そうなラブホテルばかりが立ち並ぶ一画。 工事現場の鳶職人たちが道に座って煙草をふかして談笑している。 けれど異質な感じは全然せずに、ごく普通に書道博物館は佇んでいた。 中村不折さんという書家の展示の会期。 「新宿中村屋」の字を揮毫した人であり、画家としても名高い、らしい。 書は、その世界をよく知らない人からしてみれば、おそらく「上手い」とか「下手」とかよく分からないものも多いだろうと思う。 一方で、字は皆使うものであるから、一般的にほとんど誰もが「上手い」と言わざるを得ない書もおそらく存在はする。 しかし、一般的にほとんど誰もが「上手い」と言わざるを得ない書だけが「上手い」わけでも「良い」わけでもやっぱり全然ない。 あらゆるジャンルの芸事にそれは言えると思うけれど、書の場合は食べることと同じでみんながやることだからある程度の見る目は養われてしまっている一方、一般的にほとんど誰もが「上手い」と言わざるを得ない書以外の書は受け付けられないということも多いように思う。 例えばジャズなんかは、みんなが聴いたりやったりするものではないから、面白味を知るまでに「さっぱり分からないけれどなんか良い」というふうに入る以外には、それそのものに少しでも能動的に足を突っ込まないと面白くならないものなのではないかという気がする。 私でさえ本格的に書を始めた頃と今では見る目が全然違う。 私の所属する書道団体の創始者の作品でさえ、私は入ったときには全然と言っていいほど理解ができなかったものだ。 今は本当に彼の書を尊敬しているし、抜群に上手いと思うし、好きである。 そして今だって、何かの書の良さが全然見えていないということもあるだろうし、今後知れば知るほど、やればやるほど、そういった感覚は変わっていくだろう。 もちろん、書に造詣が深くなくても、「好き」とか「好きではない」とか「なんか良い」とかそんなことで良いわけで、というかむしろ素人の虚心坦懐な目で、「何て書いてあるのかさっぱりわからないけれど、なんか良い」という領域は、言葉の意味も権威的な意味も取り除かれた書のみの何かが伝わっているということであり、それこそ「書そのものが良い」と言えるのかもしれない。 まあそのために例えば、敢えて可読性を無視したりすることもないけれども、誰か書を嗜まない人が「なんか良い」というような書を目指すべきなのだろうと思う。 以前であればきっと、中村不折の書も私はよく分からなかったと思う。 いやしかし、上手いな、と思った。 書は、「紙面を美しくする」ことであって、言ってみれば白に黒を配置していく作業だ。 中村不折の書は、その白と黒のバランス力にとても長けていて、独特でかなり強固なテクスチャーの表現力の持ち主であるように思う。 先日「プロフェッショナル 仕事の流儀」では書体、フォントを作る人の回がやっていて、とても興味深く観たけれど、肉筆の書もPCのフォントも、最低限守らねばらないないのは「文字である」というルールだ。 「あ」という文字は、例えば「い」であってはならないし「Й」であってもならないし、絶対的に「あ」である必要がある。 しかしくずし字含め、「あ」であることの範囲というのは難しいもので、「あ」は無限に存在し得る。 そんな無限の世界の中で、「紙面を美しくする」ということはやはりそれなりに難儀なことである。 しかしそれに成功し尚且つその人らしさみたいなものが滲んでいる作品というものは、「なんか良い」のであって感動するのだろう。 書道博物館の差し向かいに正岡子規庵もあって、一通り書道博物館を観終わったら行ってみようと思ったのだけれど、16時閉庵で入ることができなかった。 開庵は朝も10時半、お昼休みもあるようで、一日4.5時間しか開いていないという悠長さ。 木の扉にかけてあったパンフレットを一枚取り、コンクリートの塀に掛けられた俳句の写真を撮って鶯谷をあとにした。 展示が入れ替わるのは9月のようだから、またナイスタイミングが訪れたら行ってみようと思う。 そういえば先日、河東碧梧桐の作品集も買ったのだけれどまだ届かない。 amazonであれば当日配達もあるほどの最近の宅配サービスの充実っぷりは、5日くらい前に買ったものが届かないだけで不安にさせる。 購入サイトで状況を調べると、7~21日の入荷待ち、となっていた。 そんなにかかるのか。 ここ数日比較的いろんなことがあって、猛烈に眠たかった。 けれど低血糖になりそうなほどお腹が空いていて、思考が回らないので今までに1,2回しか食べたたことがないカロリーメイトを夕方ごろに食べて、仕事終わりにとんかつ定食を食べて帰った。 好きな食べ物を聞かれると私はいつも本当に困ってしまうのだけれど、とんかつは好きかもしれない。 でも、とんかつは誰かと共有している余裕がなく、とんかつと向き合わなければいけない類の食べ物のような気がするのでひとりで食べたい。 早春に花が咲いてから動きがなかった木瓜の木が新芽を芽吹いてきた。 梅雨の時期は植物にとってとても喜ばしいようだ。 艶めきを増しながら成長している様は、植物の勝手な自然現象なのだけれど、ありがとうと言いたくなったりもする。 ある企業様から依頼された創立10周年の告知葉書の文面を書き終える。 何かをひとつ完成品とするのに、一発でもう全然終われないのは、私の力不足もあるだろうけれど、常にそんなものだよなあとも思う。 最近「フリースタイルダンジョン」というヒップホップの番組を録画して見ている。
ヒップホップは、相手のことをディスる、という文化が私には怖いように思えてなんだか食わず嫌いをしてきたような節があった。 しかしいつかにフリースタイルラップのバトルを観てから興味を持つようになった。 その時に「8 mile」もこれまた遅ればせながら観た。 フリースタイルはDJが流した音楽に乗って、即興で膨大な言葉を音楽に乗せながら紡いでいく。 対戦相手が言うことに対して、相応の論理性のあるリアクションをしなければならないし、時にその中で韻を踏んだりもする。 とにかく、何がどうなってそんなことができるのだろうと度肝を抜かれたことがきっかけで見るようになったのだけれど、ただそれだけではなくてとても感動させられたりもするのである。 例えば落語家が一人で何十分も物語を暗記して喋り続けられるのも恐ろしく凄いことだと思うし、ジャズ演奏者がコード進行とメロディだけの譜面を見て音楽を奏でていくのも同様に、何がどうなってそんな芸当ができるのだ、と単純に理解不能でとても凄いと思う。 落語もジャズもフリースタイルのヒップホップも、無論、話を覚えただけ、言い回しを覚えただけ、ジャズのフレーズを覚えただけ、で良いものができるわけではない。 演技や発声の仕方、楽器の演奏、リズムの取り方、音楽への乗せ方などとてもたくさんのことが必要とされる。 しかも、観客や他の演奏者や対戦相手のリアクションを込みにして展開されていく「即興性」と「コミュニケーション」がそこに存在する。 この3つの中で言えば、落語が一番「即興性」や「コミュニケーション」が少ないのだろう。 即興と思われている大喜利は放送作家の脚本があると聞いたことがある一方で、落語は十分に即興性が必要だという話をどこかで耳にしたことがあるので挙げてみただけだけれど、それらの有無が良いとか悪いとかではなく、面白い面白くないとかでもなく、好きとか嫌いでもなく、本物の「即興性」とそこにおける「コミュニケーション」に私は興味がある。 ある人に言わせれば、麻雀なども「即興性」と「コミュニケーション」に富んだものと言うだろう。 特にジャズやフリースタイルのヒップホップといった中で特に存在する「即興性」やそこの間で行われる「コミュニケーション」のあり方を私は本当に尊敬している。 まず場慣れということも大いに必要だろうけれど、とりあえず引き出しの量は多ければ多いほど良いだろうし、無論その引き出しを的確に引き出す能力も必要とされる。 そんな日頃の訓練を経て、”今、ここで、すぐに”自由自在に溢れる音や言葉を扱うことができるのはなんて凄いことなんだろうと思う。 もちろんどの分野でやる即興も、即興と言えども枠組みやルールはある。 日常にする人との会話も、例えば日本語という言語ルールにおいて行われていて、「即興性」や「コミュニケーション」があり、ちょうどまさにそれらに似たようなものである。 けれど、それを表現物にする、作品にする、ということが私にとってとても憧れなのである。 まあ麻雀に作品性は乏しいけれど。 ジャズ語やヒップホップ語、麻雀語、という言わば言語ルールは、ジャズについて、ヒップホップについて、麻雀について、それらの話題を日本語で誰かと会話するということではなくて、それそのものでコミュニケーションが可能なのだと思う。 しかも、そのコミュニケーション手段というのは、日本語や英語などの通常言語と時と場合によっては同等もしくはそれ以上くらいといっても過言ではないのだろう、とそれらをやらない私は何となく想像している。 そしてそのことが羨ましい。 英語だってフランス語だって、言語を習得するということは当たり前だけれど容易ではない。 到底自分ではできそうにない作品としてのそれらを見たり聞いたりして、驚いたり感動したりする。 書では「即興性」はなくもないけれど、それそのものを媒介しての「コミュニケーション」は存在し難い。 例えば、一枚の紙に代わり番こに線を書いていくとか、差向いになって相手の書に返事をするような書を書くとか、そんなことが成立すれば「コミュニケーション」も存在できるのかもしれないけれど。 a.k.aとかライムとかフロウとかイルなスキルとかレペゼン、そういう超初心者ラップ用語を覚えて、I represent me!! と言われたときに、訳し方が合っているか知らないけれど、私はいつものようになんだか泣きそうになってしまうのである。 最近、仕事でなく自転車の範囲内で出かけるときに、大抵ビニール袋で出かける。
小さな雑貨屋のつるんとして薄いまち無しのやつではなくて、コンビニのやつ。 スプリングコートの季節も過ぎてしまったので、ポケットに財布とスマートフォンというわけにも行かず、ごく小さめのショルダーバッグも持っているけれど、それも重たいので。 かと言って、自転車に生身の財布のスマートフォンを入れるのは不安がある。 ビニール袋がちょうど良い!とひらめいたのである。 なんでこんな勝手の良いことを今まで思いつかなかったのだろう。 小さなバッグのチャックを締められない私としては、中身が全部覆われているので安心感さえある。 腕にもかけられるし、ペットボトルだって入る。 土の上に置いたっていい。 見た目だって、ただコンビニで買い物をした人、である。 財布の黒とスマートフォンのカバーの赤がうっすら透けてはいるけれど。 もちろんそれがなんだか変であることは分かってはいるけれども、そんな感じを分かってくれそうな人に、少しばかりの期待を込めて私がビニール袋を持っていたら、案の定触れてくれはしたものの「ならば紙袋か巾着袋みたいなもの方が良くないか」と言われた。 ついでに、その人の友人が常にコーヒーショップの紙袋をバッグにしていたよと話してくれた。 もう一人、そんな感じを分かってくれそうな人に、今度はその話だけをしてみたら、「僕にもそういうブームが起きたときがありました。一過性だと思いますよ」と言われた。 紙袋では自転車のかごの中で倒れて、財布とスマートフォンが生身にさらされてしまう可能性が高い。 巾着袋は確かに良いかもしれないけれど、お気に入りの巾着袋などを探してしまうだろうからダメだ。 エコバッグなんて、全然さらさらエコではないのでダメだ。 私はエコでも非エコでもないけれど。 ブームというのは、確かにそうなのかもしれない。 本当にビニール袋をバッグとして有能極まりないと思っているのならばビニール袋で電車にも乗るのかもしれないし。 いつまで続くのだろうか。 友人のおめでたい報告があって、ちょっとしたお祝いに、自分では絶対に買わない値段の、白くて重ためのスプーン三つを買った。 本当は自分では絶対買わない値段の、立派なザルをあげようと思っていたのだけれど、立ち寄った店には見つからなかった。 大きめの箒でも良いなと思って迷ったけれど、お互いに邪魔にならない方にした。 自分では買わない、半分無駄で、良質なものをあげたかった。 数が三つだったのは、三種類の大きさのスプーンがそこにあったから。 あとはおまけで、私がどうしても人に食べてもらいたい食パンを一斤。 二人でごはんを食べたりケーキを食べたり蕪を買ったり、歩き回りながら、ぺらぺらぺらぺら喋った。 ビニール袋の話をしたら、ヤバイよそれは、と言われると思っていたけれど、案の定、ヤバイよそれは、と言われた。 本質的にヤバくはないと、私が思っているところが”ヤバイ”だろうか。 訪れた街には所謂おしゃれな雑貨がたくさんあった。 私は所謂おしゃれな街を全然好まないのだけれど、所謂おしゃれな雑貨がなぜだかとっても好きである。 ファブリックやらグリーンやら珈琲グッズやらお皿やら。 私は、日本酒も飲めそうな、ビーカーみたいな、小さなグラスを一つ買った。 いただいた鹿児島の新茶を淹れる。 早速今日買ったビーカーみたいなグラスで飲む。 新茶の、黄色に近いような透き通った黄緑色がよく透けた。 甜茶みたいないやらしい甘さでない緑茶の甘味は説明しづらいけれど、ほんのり甘かった。 10歳になる男の子の双子のお母さんと話をする機会があった。
私も双子です、と言って、しばし子どもとしての双子と親から見た双子談義をする。 私が驚いたのは、その方が双子の息子二人に、どちらが兄か弟か、という話を生まれて小学校くらいまでしていなかったということだ。 兄と弟という戸籍上の登録はあるものの、双子は同じ腹の時を過ごして産まれてきたのだからたった20分で差を付けたくない、という思いからとのことだった。 小学校では長男だの次男だのというところの話が出てきてしまうので、「一応君が先にお母さんのお腹から出てきたからお兄ちゃんということになって、後に出てきた君が弟ということになるんだよ。まあでも関係ないけどね」と説明したそうだ。 もっと興味深かったのは、その方も自然分娩で産んだらしいのだけれど、まだどちらが兄や弟と説明する前、喋らぬ赤ちゃんのときでさえ、二人には顕著な違いがあって「お兄ちゃんらしい」「弟らしい」ということが行動に表れていた、というくだりだった。 その方曰く、出産時に産道を通り抜けてくるときにやはり最初に出る兄の方が産道を切り開かねばならない苦労が伴うので、何事にも真摯で一生懸命なのだと言う。 片や、弟は兄が緩めてくれた産道を悠々通り抜けてきたので要領が良いらしい。 寝返りなんて、兄が頑張ってがんばって泣いていたのを、弟はぼんやり指をしゃぶって隣で見ていて、ある日突然練習なしにコロンと寝返りを打って見せたのだと言う。 では双子でなくても自然分娩で一人で産まれてくるときは皆産道を切り開いてくるのだから、双子でない場合は全員努力家なのかとか、双子の弟妹が全員要領が良いのかとか、帝王切開で生まれる場合はどうなのかとか、色々あるけれど、双子自然分娩においての傾向の差というのはなかなか興味深いものである。 私たちの場合は、物心つく前から「お姉ちゃんなんだから」と浴びせられ、「どっちが妹?」などという質問攻めに遭ってきたので、所謂ところの姉妹の性格形成は当たり前のようにされた。 もっとも私の場合は、上に兄が二人もいるので私は完全なお姉ちゃん体質でも全然ないけれど。 他にもそんな事例があるのかと細かく聞きたかったけれど、大勢の酒の場であり、その話を聴いているのは私だけではなかったので遠慮した。 他にも色々とそういう傾向はありましたよ、とは言っていた。 あと、東大付属中学には「双子枠」が存在していて、双子調査のため優先的に双子を入学させているらしい。 同じ環境で同じテストに晒されはするものの、逆に周りに双子が多いことで奇異の目を向けられることも少なく、双子に対する理解が深いという面もあるのだと言う。 ちなみに奇異の目というのは、私で言えば、嫌だったし一方で嫌ではなかったような節もあった。 皆とは違う特別感のようなものがあったのかもしれないし、注目されるのが嬉しかったのかもしれない。 双子の母親であるその方は、やはり「褒める」ということに悩ましさを感じているようで、全く同じ日に同じテストで点差が付くと片方がとてつもなく落ち込むんです、と言っていた。 兄であれ、弟であれ、これは年子の兄弟とは比べ物にならないほどの屈辱が生じうると言って良いだろう。 もちろん私にもそんな経験があって、私の幼少期があまり良いものでなかった原因の一つは自分が双子だったことも一因であると思う。 けいこも私たちを比べこそしなかったけれど、どんなに成績が良くても何かの賞を獲っても、褒めたことはただの一度もないのだ。 うまく褒めてあげてくださいね、本人たちが望むなら、いや強く望んでいなかったとしても、なるべく全然違う道や場所に行かせた方が後々のためだと思います、当たり前ですけれど個別の人間なので、と私も簡単に経験を話した。 東大付属中学の話で言えば、まだ人格も曖昧で揺らぎの多い時期に双子研究のための実験台にされるなんて、という思いもあるけれど、今でこそそういった実験には自分がその実験結果に興味があるので身を差し出しても良いとも思う。 まあ大人になってからでは特に意味もないのだろうけれど。 これは双子あるあるだと思うけれど、私も双子に産まれたかったとか、将来双子の子どもが欲しいなどとしばしば言われることがある。 当人も親も、双子でない場合よりも大変なことは多い。 もちろん双子ならではの楽しさなどもあるし、しかしそれが双子でない場合の2倍かと言えば、そんなことは絶対にないので、安易にそれを口にされると私はつい反抗してしまいそうになる。 8枚だけ残っていた全ての宛名を書いて、最後にどうしても気に食わないものを、書き損じ用の余剰分内で書き直す。
宛名書きをするときは10~15%ほどの余分をいただいて、本当に書き損じる場合と、私が気に食わない場合に備える。 人が見たら別にいいじゃんというくらいの気に食わなさだとは思うけれど、やっぱり変なものは変で、ただ私の自己満足的な小さな美意識は、無駄なプライドというものだろうか。 よく晴れている。 五月晴れだ、と心の中で呟いたのにもう6月に入ってしまっている。 日傘の季節だけれど、自転車では日傘がさせない。 昔からよく行っている五反田の刀削麺のお店に行く。 元々かなり塩辛い料理が多いお店だけれどいつもに増して塩辛かった気がした。 でもやっぱり、いや~おいしいね、という麻辣刀削麺だった。 麻と辣は、ちょうど良く食べると爽快である。 銀座の画廊を巡ったり、私は全然知らなかったけれど有名なスタアバーにも行った。 ロックグラスの氷は、下のコースターの紙質のけばけばまでが分かるほど恐ろしいくらいに透き通っていた。 からっぽに見えるけれどきれいに澄んだ水がある というマーシーの「月光陽光」に不意にリンクする。 そんなにバーにはいかないけれどバーに行くといつも思うのは、バーテンという職業は本当に必要な能力が多すぎて大変だと思う。 雰囲気のあるカフェやバーや飲み屋に、それを文章で描写するためだけに行ってみたい。 それには絶対的にPCが欲しいけれど、カフェやバーや飲み屋でPCをカタカタカタカタやっているのははた迷惑だろう。 でもスマートフォンでは考えるスピードと書くスピードとそれを咀嚼推敲するスピードが追い付かない。 私はキーボードのタイピングそれ自体が大好きであるし。 それにしても、そんな暇つぶしはなんだかとっても楽しそうである。 草月展のチケットをいただいて、このあと行こうかなと考えている。 私は自分が花や木を捻じ曲げたり切ったりすることは好まないけれど、植物がたくさんある場所に行くのは大好きだ。 本当はとても久しぶりにプールに行こうと思っていたのだけれど、それだけの時間はなさそうだ。 フジロックに友人が出るらしい。 フジロックにクロマニヨンズが出るらしい。 友人から、「今日短歌締め切りだよ」という連絡が来る。 1か月前くらいに友人と締め切りを確認して、出そうね、そして短歌大会行こう、などと話していた。 ハッ!!と思って、郵便局の閉店時間を調べて、素麺を茹でながら、これを書いている。 果たして出せるのか。 草月展に行っている場合ではない。 細切れの浅薄な文章になるときはたいてい、ものすごくよく寝ていて、ここ数日何か特別なことや考え事をしていないことが多い。 また宛名書きの仕事をいただいて、マイケルジャクソンとかミスチルとかゲスの極み乙女とか「Songs for Japan」のアルバムを聴きながら黙々もくもくと書く。
宛名書きの仕事を始める前は、まず手を洗う、そしてよく乾かす。 とにかく濡らしてはダメなので、飲んでいたコーヒーを片づけて、風呂上がりで髪が濡れている場合には乾かす。 私の手は常に乾燥しがちなので良いけれど、手が湿りやすいタイプの人は宛名書きなどをするときは少し厄介だろうと思う。 あとは、寝起きや運動後や飲酒後もやってはいけない。 筋肉に信号が滑らかに伝わらなかったり、微妙に震えたり揺れたりは、宛名書きのような緻密な作業に持ち込んではいけない。 この前のものは封筒だったけれど、今回はハガキなので、フォントのサイズが小さくなければいけない。 少しだけ小筆の感触と墨の具合を確かめて書き始める。 筆ペンで書いても仕事上特に問題は起こらないだろうけれど、やはり墨で書いた方が文字に厚みや立体感や漆黒の艶が出たりして仕上がりが良い。 レッスン時に私がとても良く言うことだけれど、字を上手く書く、ということは、字一字が上手くなったところであまり意味がない。 真っ直ぐ書くこと、文字の配置・レイアウト、それぞれの文字の大きさのバランス、上下左右・行間・字間の余白、一字における太細や線の長短のメリハリ、要は全体のバランス力が問われる。 白と黒でできている世界をどう作っていくのか。 最近私のお気に入りの言い方としては、全ては「紙面を美しくする」ということの中にある。 紙面上良い、それはかっちりとした楷書体であっても流れるような草書体であっても、よく分からない創作文字であっても求められることだ。 またこれは、書道を嗜む人に限った話ではなくて、例えば会社で付箋に書く電話メモであっても全く同じことである。 無論、「読める字」のメモで良いのであれば、メモの受け取り側が正しく情報が伝達できて折り返しの電話などさえできれば、記号としての字の機能は果たされているわけなのでそれはそれで良い。 字が上手い必要など本当は全然ない。 それでは納得がいかない、という場合に、そんな「読める字が書ける自分」以上の自分を求めていこうではないか、ということが私は言いたい。 あと、字を書くことがただただ面白味がありますよ、ということも言いたい。 まあ同じようなことを前にも書いたけれども、これは一応書道家の私としてのHP内のブログであるから寧ろこのような内容は増やしていった方が良いくらいなのかもしれない。 68枚程度書いたところで早くも首筋と二の腕がぎしぎしである。 依頼者と一緒に記念切手を貼って68枚を机に並べると、切手の美しさもあって私は密かに一抹の感動を抱いた。 苦労したからとかそういうことではなくて、印刷やシールで筆文字フォントを使っても良いものを肉筆で書いて、ずらり並べられたその様がなんだかきれいだったのだ。 しかしまだ依頼枚数の半分にも届いていない。 昨日食べた鱧の湯引きがとても美味しかった。 切れ目が入って丸まった鱧に、味にも色にも棘のない美しい梅のソースをつけて食べると、茹で具合や締め具合が絶妙な温さで、すべてが調和した。 熱くて美味しい、とは一線を画す、温くて美味しい。 温い、というのはあまり良いイメージで使われない言葉だけれど、食べ物において絶妙に温いことが美味しさを完成させることがある。 茹でて氷水で締めていない豚しゃぶとか、夏の常温のトマトとか、冷めかけ焼売とか、そんなに数多く思い浮かばないけれど。 鱧は店の看板メニューのようで、店主はしばしば、刃渡りの長い包丁で鱧にざっざっと小気味よい音を立てていた。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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