いもうとの家の隣の人がルッコラを育てていて、そのルッコラが採れ過ぎたということで私の家までやってきた。
ルッコラ=おしゃれサラダ、のように思っているけれど、ああいったハーブ類はほとんど雑草のようなものであることを、植物好きな私は知っている。 毎日の保育園への道、ローズマリーが生えているところもあればミントが生えているところもある。 ハーブというのはだいたい生命力の強い雑草なのである。 私はいつも、マンションの植木はすべて食べられるハーブにすれば良いのにと思っている。 ハーブは虫もあまりつかないし、香りも良い。 手入れをあまりしなくても良いハーブを植えて、住人が適宜採取して食卓に持ち込む。 良いシステムだと思うのだが、生命力の強すぎるハーブは土地に影響を与えるなど不具合があるのだろうか。 保育園への道、ミントはある道端の区画にわさーーと群生していて、毎日1枚葉っぱをちぎってくんくんと匂いを嗅いでいく。 息子はミントの青臭い香りに毎日顔を少しだけゆがめている。 ミントは水耕栽培が可能なので、昔そうしていたことがある。 土に植えて生育を図ったが、あえなく枯れてしまった。 ミントは生命力が強い一方でどこでも育つということでもなく、強い太陽を欲し、水はけが良いことが必要である。 一定の条件以外では繁茂するどころか、すぐにダメになってしまう。 水耕栽培ではたいてい命は何とか長らえるのだが、茎は細く弱弱しくなってしまう。 ミントやユーカリやオリーブが群生するような日当たりの良いルーフバルコニーのある家に住むことが私の人生のある一つの目標である。 さてそのいただいたルッコラ。 度肝を抜かれた。 葉っぱの弾力はこのようにブリンブリンの食感なのか。 緑の香り、ハーブの香り、植物の香り、びちびちばちばち。 生ハムと食べたが、なんと動物の肉である生ハムと同等の味わいがある。 私が普段食べている野菜は味無しなのか。 ブロッコリーも小松菜もキャベツも、こんなふうに味がまったくしない。 よく買うベビーリーフの葉っぱのセットも、まるで味無しだ。 葉っぱを食んでいる、葉っぱの色がある、そのことだけでなんとなく食べていた。 美味しい野菜が食べたい。 自分で育てれば美味しいのだろうか。 都会の真ん中にいてプランター栽培以外に美味しい野菜を手に入れるにはどうしたら良いのか。 安い物の3,4倍はする有機栽培野菜を買えば良いのだろうか。 いや、ブロッコリーも小松菜もキャベツも今のままでいい。 だから、もう一度あのルッコラが食べたい。
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シンガポールより友来る。
私が中学生だったか、高校生だったかの頃。 父親から、マレーシアから交換留学生の女の子がホームステイしに来ると突然言われた。 確か、父親が所属していたライオンズクラブとかいう集まりの関係だったと記憶している。 こんな家に泊まって大丈夫なのだろうか、と思った。 幼い頃済んでいた実家は広さはあったものの古さが際立ち、風呂もトイレも台所も、何だか薄暗くて汚かった。 私は今でも、実家の台所には立ち入りたくないし、トイレを使うこともなるべく避けているほどである。 はるばる、初めて日本にやってきたところが、薄汚い場所で良いのだろうか。 瞬時にそれを思ったことだけをよく覚えていて、実際に彼女が家でどう過ごしていたかをあまり覚えていない。 下の兄が張り切ってお世話をしていたような気がする。 マレーシアはマレー語、中国語、英語の3か国語を話す人が多いらしい。 彼女もそうで、こちらのカタコト過ぎる英語でお話をしていたと思う。 また、聡明な彼女のカタコト日本語と、漢字も使っていた気がする。 そういえば、一緒に小学校の卒業アルバムを見ていて、「She is cute!!」と指さした子が私であり、私が「It’s me」と言うと二人とも笑い出した、そんなことがあったことをたった今思い出した。 今思い出されるに、場所は日の当たる兄の部屋だった気がするが、新海誠監督のアニメのような、きらきらと輝くオレンジ色の郷愁の光に満ちていた。 記憶の美化だろうか。 数日間の滞在を終えて彼女はマレーシアに帰った。 度々、父や母の元にはEメールが来ていたそうだ。 いつだったか、家族でマレーシアにも行った。 ワニが出るという川に、とても汗臭いライフジャケットを着て、fire Fly(ほたる)を見た。 彼女はその時の彼氏を連れてマレーシアを案内してくれた。 そして私たちは社会人になり、彼女は自分のお金で度々日本に来るようになった。 たぶん1年に1度とか、そういう頻度で来ていた。 シンガポールで働くようになったそうだ。 そのうちの2回ほど東京で会って、お酒を飲んだりした。 お父さんはがんで死んでしまったよ、と伝えると、おかあさんはだいじょうぶ?と聞いてくれた。 私は「She is cute!!」「It’s me」の頃から英語力が変わっていないどころが、格段に落ちているので、全然離せないのだが、彼女はいつも快活に会話をしてくれた。 そしてまた時は進んで、私に息子が生まれ、ちょうど日本に来ていた彼女は息子を見に家まで来てくれた。 私も結婚したけれど子どもが出来づらい体質なの、と言っていた。 その翌年、彼女に子どもが産まれたことをFacebookで知った。 そしてその2年後、彼女にまた子どもが産まれたことをFacebookで知った。 そして一昨日。 シンガポールから、旦那さんと娘さんを連れて家まで来てくれた。 高校生だった私たちは母となって、子どもたちを遊ばせている、そんな風になった。 今度はシンガポールに行くね、ぜひぜひ来てね家に泊まって!という会話をした。 そろそろ海外旅行したいと思っていたので、本当に行こうかと予定を考えてみたり想像してみたりした。 いもうとにこのことを話すと、うちも行く!ということで、そうなると総勢何人の大所帯になるだろうか。 息子の初飛行機は海外になるのだろうか。 熱いうちに計画が練られれば、2月に行くことになるかもしれない。 最近少し筋力がついた気がする。
日常的に積極的徒歩を行うようになって数年が経つ。 一時は一日15000歩を目標に、山手圏内どこでも歩いて行っていた。 今はそれほどではないが、時間があるときは一日10000歩を目指して積極的徒歩をしている。 ここ3年は積極的抱っこも加わった。 しかしながら、この場合の積極的の主語は自分ではなく息子である。 自分を後にするなら消極的筋トレであろうか。 ちなみに、ジムのような場所で積極的筋トレはしたことがない。 息子がベビーカーに乗らなくなって2年ほど経つと思うが、積極的徒歩に加わった積極的抱っこの成果が2年越しに出てきている感じがある。 地面を水平に移動する筋肉と、地面を蹴り上げて重力に逆らう筋肉は全然別物であると思う。 私は長時間歩くことには慣れても、走ったり飛んだり上ったりすることが酷く苦手であることは以前と変わりがないように感じていた。 いくら息子を抱っこしていると言っても、筋力が上がるわけではないのか、と少し落胆もしていた。 だって日々こんなに頻繁に消極的筋トレを頑張っているというのに。 そして、そのまま筋トレの負荷は上がり続け、しかし筋トレの時間は一向に下がる気配もなく。 続けていたら、いつの間にか走れる自分に気が付いた。 階段を上るのも身体が軽い気がする。 おそらく、ようやく身体の実感が得られるまでの筋力、体力がついていたのだろう。 積極的抱っこ、消極的筋トレがようやく実を結んだのだ。 生き物としてのレベルが少し上がったような気持ち。 夫の実家の近くで行われた季節外れの花火を見に行った。 息子は生まれて初めての花火。 乗り継ぐ電車やバスを紙に書いて、最後に花火と書くと、彼はきょとんとした。 まあいい、行けば分かる。 ひらがなやカタカナが読めるようになった彼は、駅名を読むことに精を出していて、電車の中で比較的おとなしくしていてくれた。 あと、電車やバスのアナウンスが好きなので、そちらを復唱することにも熱心である。 熱中できることがあるというのは素晴らしいことだ。 1時間半の道中も難なくクリアし、花火大会の会場も、なぜか暗闇人ごみをひとりでずんずん進んでいった。 おそらく早歩きをして人ごみを抜けたかったのだろう。 どっかーーんっておそらにひろがるよ、どっかーん とあと3分で始まるというときに、私は体いっぱいに彼に説明をした。 彼も、「どっかーん」と嬉しそうに手を広げてやってくれた。 いざ。 ばんばんばんばんばばん。 私も何年かぶりに花火を見て、嬉しかった。 言い方は変だが、自分とは関係のない、郷愁や青春やノスタルジアに襲われて何だか涙が出そうだった。 息子はと言えば、お父さんに抱っこされたままべそをかいていた。 こわい、かえる、あっち。 必死にその場から離れる指図をしていた。 まあ確かに、火薬が爆発して何なら自分の方に向かって降ってきそうなのだから、恐怖を感じるのは普通の反応のような気もする。 でも終わってからは「はなび、こわかった、はなび、たのしかった」と半々には言っていた。 おばあちゃんの家ではプレミアムチョコパイにご執心。 「しろいチョコパイ」と、1泊2日の滞在で3,4個食べたのではないだろうか。 好きなものがあることは素晴らしいことである。 秋の句会。
隔月でzoom開催。 最初はzoomでの句会に慣れず冗長さを感じていたが、さすがに2年も3年もこのスタイルでやっていると慣れてくるものである。 来年で創立10周年らしい。 私が参加し始めたのはいつだったか、卒業した大学の先生に誘われ、興味本位で行きます行きますと言って大学近くのカフェでの句会から、6,7年ほど経つのではなかろうか。 メンバーは入れ替わりがあるが、私は古参な方には違いない。 そして、結構高めの出席率であると思う。 物事を続ける、ということ。 内容が何であっても、なかなか大変なことである。 主宰も、参加者も。 そのペースが隔月であったとしても。 まあでも例えば書道みたいに仕事にしているわけでもなければ、俳句を日常に組み込んでいたりはしないので、あまり上達はしない。 点をもらえるときもあれば、全然点が付かないこともある。 最近は特に、投句締め切り当日か、何なら締め切りを過ぎてからひねっている始末で、やるならもう少し骨折って考えたものを出さないとなあと思っている。 「プレバト」は私は見てはいないが、プレバトに出演している芸人たちが、この番組がお笑いのネタを考えるよりもプレッシャーになっていると聞いたことがある。 話を盛っているかもしれないけれど、いやしかし、たかが17文字程度の俳句を考えるのに血眼になって日常を送らねばならないのは想像に難くない。 もちろん手を抜くことは 簡単だけれど、彼らは仕事の一環であるし、多くの関係者や視聴者の期待を背負い、毎度佳作を出さんとするのはとても骨が折れるだろう。 彼らとは全くもって規模も違えば、メンバー以外の観客はいない句会でも、私は緊張したりするのだから。 10周年をこれまでのお気に入りの句で句集を作ろうという話がちらりと出た。 活動のまとめやお披露目は大切なことだと思っているので、私は賛成である。 餃子焼く力士わんさと土俵入り 巨人なら照葉の山を食したし 新入りの風穴開けし秋句会 珈琲の冷めるが早し冬隣 不定期ワークショップの詳細が決まったので、更新しました。 大人ひとりでもご参加いただけます。 お気軽にお問い合わせください。 日曜日、夫が出社だったので、息子とふたりで私の生徒さんの家にお邪魔することにした。
猫3匹とトカゲがいるお宅である。 息子とふたりでお出かけするのはデートぽくて良いのだが、デートなんて浮かれた雰囲気は、例えば6時間くらい共に外出したら、ほんの数分間ほどである。 ほんの数分は仲良く手を繋いで歩き、にこにこ見つめ合って街の景色を見たりする。 優しいお母さんと可愛い息子の、まるで聖母と天使の散歩である。 たまにはそんな瞬間を経験する親子も少なくないだろう、瞬間的には。 しかしあとのほとんど6時間は、そんな生易しいものではない。 走り出していく彼を追いかけ、人や自転車や車が来ないかを確認しつつ行き先に誘導し、彼が疲れたら抱っこして歩く。 電車の中では、車窓が見たいだの、あっちの車両に行きたいだの、吊革につかまりたいだの、炭酸水飲むだの、とにかく彼に従ってご要望にお応えする。 彼は要望が叶わないと立腹し、喚いたり仰け反ったりする。 経験上、ちょっと面倒でも、彼の言い分を通していた方がトータル的に得をすることが多い。 今回は、片道約1時間ほどの近くはないところへ向かうので、前日から道のりを書いて説明しておいた。 都営大江戸線に乗って、山手線に乗って、京急線に乗って・・・乗り換える駅名なども全て教えておいた。 しかしながら、とにかく言われたことと違うことが言いたいらしく、「山手線乗るよ」と言うと「中央線!」と対抗してきたりするのが曲者である。 しかしながら、この道のりの事前説明は役に立ったように思う。 道中にもその手書きの説明書を取り出して、今ここだよと見せながら進んだ。 自分のやりたいこと、エレベーターのボタン押すとか、すべり台に向かう、とか以外に全然歩かない息子を抱っこし続けて、何とか目的地に到着。 抱っこも重いので考えものなのだが、うろちょろと走り回られるよりも抱っこしていた方が目的地に早く近づける気がしてしまって、つい抱っこしてしまう。 あと、抱っこしているときはお互いの顔が近くにあって可愛さもある。 しかし、14キロ、当たり前に重たいのだけれど。 お邪魔したお宅では、気品のあるモフモフとした大きな猫ちゃんが待っていた。 3匹の猫のうち、1匹は来客者が手を出しても構うことなく、1匹は来客者の様子を窺いながらも近づいては来ず、1匹はその気配も感じさせないほどにどこかに隠れて出てこなかった。 猫も性格さまざま、である。 私もあまり動物に対して接し方がよく分からないのだけれど、息子はモフモフの猫ちゃんに興味を持っていたので、一緒になでなでした。 息子は恐る恐るやりすぎて、温和な猫ちゃんも警戒モードであった。 こちらが「怖い」という気持ちは、大概相手にも伝わるものである。 トカゲの餌(冷凍コオロギ)やりにも立ち会わせてもらう。 私は爬虫類両生類などは苦手なので、かなり遠くから見守っていた。 息子はそのトカゲが生きていると認識していたのがどうなのか、よく分からないが興味はあったようだ。 しかし、息子を連れて人のお宅にお邪魔するのは大変である。 色んな人に合わせたいので、なるべくそんな機会があればお邪魔したいと思っているのだが、物を触ったりして壊さないか汚さないか、椅子からジャンプしないか、猫を叩かないか、熱いお茶に手を出さないか、監督する項目が多すぎてお喋りどころではない。 美味しいパエリアも作ってくださって、もちろん美味しかったのだが、気もそぞろというか味覚もそぞろだった。 まあでも、それでも、子どもが一緒でも良いと仰ってくださる場合には、できるだけ連れて行きたい。 とにかく家族以外の人にたくさん会ってほしい。 行きは良い良い帰りは恐い。 京急線の駅に京急のおみやげものの販売店があって、危うく3500円のプラレールを買わされるところであった。 ガチャガチャをやって気を紛らわそうとしたが、全然紛れなかったらしく、息子は床に転がっていたがひっぺがして電車に乗せた。 その後は息子の言うままに電車を降りたり、乗り換えたりして、下車したところでサーティワンのアイスクリームを食べたりして、1時間の道のりを2時間強かけて帰宅。 息子は疲れたらしく、私がダイニングテーブルでPCを触っているとその近くの床で寝てしまった。 猫みたいである。 大変だけれど、良い外出だったのではないか。 〇お字書き道TALKS 動画 #003【キメラ書体】公団文字、漫画書体。手書きキメラ!の話。③ 〇お字書き道TALKS note 【書道】動用字。ひっくり返っても秋。 「かんたん書道」6つの要素💡 機械音が好きな息子は、電車のアナウンスとか、喋るエアコンのアナウンスとか、喋る炊飯器のアナウンスをよく復唱している。
英語のアナウンスまで真似して長々とひとりで喋っている。 これも発達障害に見られる行動のひとつ、といつかどこかなにかで読んだ気がする。 「もう一度、行き先ボタンを押してください。地上階にエレベーターが到着します。開くドアにお気を付けください。」 「まもなく新宿三丁目です。お出口は右側です。足元にご注意ください。This train is bound for Ogikubo」 「クックがおいしいもちもち白米を完成しました。ご飯をよくかき混ぜてください。」 「除湿、18.5度に設定しました。」 などと本当によく覚えて喋る。 まあもちろん、意味を分かっているわけではないので、発音はとても適当であるが。 他にも、ヨドバシカメラの歌が好きで、「まあるい緑の山手線、真ん中通るは中央線、新宿西口駅まのえ(必ずこう言う)、カメラはヨドバシカメラ」と歌った後に、「みてください、この人気、ヨドバシカメラのこの在庫、この広さ。~~~新宿西口ヨドバシカメラ!!」というCMが気に入っていてよく披露してくれる。 息子は3歳にしてひらがなを全部読むことができ、カタカナも最近少し分かるようだ。 「エレベーター」「ホーム」など自分の好きな範囲にあるカタカナを読んでいる。 特に最近は「防犯カメラ」のシールを見つけるとすぐさま「防犯カメラ!!!」と反応して読んでいる。 絵的に覚えているのだろうけれど、縦書きでも横書きでも、手書きでも、PC上の小さなフォントでも「防犯カメラ!!!」と言うのでやはり読んでいるのだと思う。 数字を100まで数えることができ、さらには英語でそうすることもできる。 「29は?」と聞くと、しばしの検索時間を経て、「とぅうぇにーないん」と返ってくるので、その対応関係を分かっているらしい。 私はこのことを、単純な気持ちで「すごいじゃーん」と思っている。 いつだって人間にとって、何か出来るようになることは「すごいじゃーーん」と喜ばしいこと以外に何もないと思う。 ちなみにひらがなも英語も、親が懇切に教えたということは全くない。 私も夫もざっくり言えば放任主義的な方向ではあり、さらに言えば、英語よりも日本語をきちんと身につけてほしいと思っているので英語を幼いうちから覚えてほしいなどとは全く思っていない。 だが、本人の興味関心を止めることもしないので、YouTube動画で勝手に覚えたというわけだ。 がしかし、通常の会話は確かにあまり進まない。 自分のしたいことは、「こっちこっち、これこれ」と便利な指示語一辺倒に訴え続ける。 質問文には質問文のオウム返しをし、キャッチボールは行ったっきりである。 とにかく語彙力がない。 語彙力というよりは、人と会話をするコミュニケーションの部分において不足が顕著なように思う。 所謂「おしゃべり」はほとんどできないと言って良い。 (まあとはいえ「なんさいですか?」などの教え込まれた質問には答えることができる。) とはいえ、こちらが言っていることはほぼ分かっている様子で、「やめて」と言ったことは多くのケースで止めてくれる。 私が叱ったり怒ったりすると、これが人間か、というような複雑な表情を見せたりする。 ここまで、3歳と数か月、保育園からの指摘や検診での指摘をちらほら、いやたくさん受けてきた。 その度に、確かにそういう節がある、ということは納得をしてきた。 そうなのかもしれない。 だがしかし、私と息子の間では、本当に何かコミュニケーションにおいて困っているということがない。 私には、特別に手を焼いているという印象がないのである。 もちろん、言い方次第では、特別に手を焼いていることしかないけれども。 全て万事順風満帆、ということはもちろんないが、それはどの家でも同じだろう。 息子の一つひとつの行動について、私は結構納得がいくし、その気持ちが想像できなくもない。 そういうことやりたいよねえ、と共感することばかりだ。 変だ変だ、と周りから言われることが多いのだが(もちろんそういう言い方では言われないが)、私は認めたくない何かとかではなく、おそらく本心ままに、全然息子のことを変だと思っていない。 それは私が変だから、ということはあるのかもしれないけれど。 これは私のただの肌感覚だが、「発達障害」という言葉が現代は膨れ上がっているように思う。 もちろん、ケースバイケースで支援が必要な場合は支援をすれば良いと思うのだが、そもそも人間は誰しもが多かれ少なかれ発達障害気味であることを忘れてはならない。 皆が発達障害であるから、人間はそもそも根本的に支え合わなければならないのだ。 脳的な偏り、ムラがすなわち個性を生む。 その個性が社会にとって役に立ったり立たなかったり、その個人において役に立ったり立たなかったりするだろう。 それは変数が多すぎて分からないし、可能性もただ未知である。 集団を、社会を、全く気にせず生きろ!とは毛頭思わない。 集団、社会的であることが人間たらしめているのだろうし、人ひとりで生きられないのは火を見るよりも明らかである。 私は別に上流階級でもなければ、個人的願望の下に全面的に息子を甘やかしたいわけでもなければ、時代の潮流に乗って全開なる花を開け、と願っているわけでもない。 息子には息子の人生を、息子の考えるように生きていって欲しい。 大きくも小さくもなく、母の願いはそれだけだ。 だけれども、幼い彼の頭脳では生存にさえ危ういので、最高責任者の両親が口出しをしなければならない。 果たして、”生存”を守る口出しは、どこまですれば良いのだろうか。 息子が変わらず可愛いことは、今日も変わりはないけれど。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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