土日だけで神戸・京都へ弾丸旅行に行ってきた。
先月の沖縄旅行から、やはり苦労してでも遠出することは価値があるなと思ったので勢いで行ったのだが、少々移動が多すぎた。 子連れの疲弊度はそうでない場合の3倍ほどはあるのではないかと思う。 それが原因がどうか分からないが、帰途、私はひとり具合が悪くなってしまい、何とかかんとか家までたどり着いて布団に倒れこんだ。 家は良い。 家は良い。 今朝は大方復活。 夜中に発熱したようで、全身の闘いのダメージが鈍く身体に溜まっていた。 沖縄の風雨と言い、今回の体調不良と言い、印象の強いことがトピックになってしまいがちだが、良いこと楽しいこともたくさんあった。 旅は記すことで記憶に留められる面もあるので、備忘録を書いておこう。 出発の朝は早かった。 いつも保育園の送りに出るのは8時半過ぎ、この日は7時半に出発。 息子は起床時に私が隣にいないと大激怒してとても面倒なことになるので、6時半頃に優しく撫でまわしてぶちゅーとして起こす。 一泊なのでさほど荷物はないが、やはり息子の気紛らわしセットがかさばる。 お菓子とか、シールとか、車とか、ホワイトボードとか。 家を出た息子は旅の高揚感があるらしく、恐竜の合羽を可愛らしく膨らませて駅の構内を走っていた。 つい最近、最寄駅から新横浜駅への路線が開通して、なんと乗り換えなしで行けることになった。 そうは言っても新横浜駅まで1時間弱くらいかかる。 地下鉄を抜けて地上に出て、しばらくは良かったが、彼はもはや飽きているようだった。 新設されたばかりの新横浜駅は新しい匂いがした。 新幹線は息子はただで乗れる代わりに席はない。 3席の連席のうち2席を予約していたわけだが、あわよくば隣がいないことを期待していた。 しかし春休みの土日、そんな悠長なことはまったくなく、ほとんど満席で無論隣席も乗客がいた。 朝で眠くもないので、座席に座っていることは嫌らしく、デッキで抱っこして景色を見る。 「おそとがびゅんびゅんとんでいくよ」 「はやいねーはやっ」 「てっきょう!ふみきり!」 よく喋るようになったなあと思いつつ、ここからどのくらい抱っこしていれば良いのだろう。 新大阪まで、道のりは長かった。 名古屋で降りる、京都で降りる、と彼は大好きな新幹線に飽き飽きしていた。 いくら好きでも、新幹線本体も眺められない閉鎖空間に何時間もいられない、というのはよく理解できる。 新大阪から神戸線に乗り換え、元町を目指す。 東京都心の電車よりも各駅間が長いので、これまた次で降りる次で降りるとなる。 何とかかんとか、元町にたどりついた。 元町に来たのは句会の仲間(芦屋にお住いのご夫婦)に会うため。 最近の句会はもうずっとzoomなので、はじめましての気持ちで行ったら、zoomになるまえのリアル句会でお会いしたことがあったようだ。 そういえば早稲田のカフェゴトーの句会で会っていたことを思い出したが、時すでに遅し、失礼しました。 まあでも仮にはじめましてだとしても、オンラインでは何度も顔を見ながらしゃべっているわけで、マスクの関係よりは顔が分かっているだけ良いと思う。 明日保育園の先生方と卒園記念の会食があるのだが、3年間毎日通っているのに一度も顔を見て話したことがないのでやや緊張する。 夫とご夫婦は初対面だったが、本読みのご夫婦と本読みの夫は共通の話題があった。 息子がいると気もそぞろで、なかなか話に集中できないのだが、比較的おとなしくしていてくれた。 大人同士の訳の分からない話がつまらないのは容易に想像できる。 例えばアラビア語を話す人たちの中に放り込まれるようなものだ。 みんな楽しそうに談笑しているのに、孤独である。 老舗の中華料理をご馳走になって、お礼を言って別れる。 人とのつながりはすべてご縁であるが、この出会いで言えばやはり句会の長に感謝である。 今年はzoomでなく、リアル句会ができるだろうか。 我々はレンタカーを借りて、六甲山に上る。 六甲山は思ったよりも高く、車でうねうね、ヘアピンカーブをたくさん曲がって上っていった。 息子は疲れたようで、山頂付近で眠ってしまう。 身動きがとれないので、駐車場でとりあえず待機するも起きそうにない。 今夜の宿は1時間半以上離れた場所にあるのであまり遅くなれないので、ソフトクリームひとつ買って下山することにした。 とても美味しいソフトクリームだった。 息子は下山途中に起きて、ヘアピンカーブに少し酔ったようで、「おなかいたくなってきちゃった」と言っていたので、窓を開けると嬉しそうに風を浴びていた。 時系列に備忘録を書くと、都度言いたいことがあって長くなる。 そして後編へと分けると後編は記憶も薄れてぞんざいになる。 ということが過去の備忘録から分かっているのだが、後編へ続く。 <YouTube> 【墨流し=アコギ🎸?】材料6つ!誰でも簡単!幻想的★【マーブリング】 - お字書き道TALKS #018 【焚火とアコギと墨流し】参入障壁を下げ過ぎると本質的な誤解が生まれがち - お字書き道TALKS #019 <note> キラキラネームが消滅!?2023年現在名前に使える文字全部【1/3】 時に裁判騒動!キラキラネームは伝統文化!?明治・大正時代の実名実例集【2/3】
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もう15年以上、自分のこととして、3月が終わることにどきどきし、4月が始まることにそわそわしたことがない。
最後に間隔を味わったのは、大学を卒業して新社会人になるときだった。 巣鴨と大塚の間くらいにいもうとと一緒に住み、お互い新しい春を一緒に迎えた。 4階の部屋からは小学校の桜がよく見えた。 エントランスにステンドグラスのあしらいがあって、素敵なマンションだった。 あの時以来、3月終わり4月始まりという区切りで何かをしたことはない。 それでも3月や4月の皆が浮足立っている感じには、都度踊らされてきた気がする。 そして今年の3月、今年の4月。 私は言いようもなく、自分のこととして、どきどきが止まらずにいる。 息子が今の保育園を卒園して、新しい保育園に移るからだ。 「もうすぐ今の保育園は終わりだよ。4月からは新しいところに行くのよ。」と少しずつ説明しているが分かっているのだろうか。 しかも、3月31日の卒園から4月10日の入園まで、保育園とは無縁の空白の家庭生活となる。 どうにもしようがないので二人で旅に出るのだが、その間に保育園の生活を多少なりともリセットされてしまうであろうことが恐ろしい。 息子は同い年くらいの子がどちらかと言えば苦手だ。 今同じ保育園に通っている子は大丈夫だけれど、見知らぬ子への警戒心が強い。 まあ子どもはどんな行動をするか読めないところがあるので、いきなり触られたり大声出されたりすることもあるわけで、それが怖いというのは致し方ない気もする。 今の保育園は全部で7,8人の超小規模園、新しい保育園は全体で100人規模の大きな園。 3歳児からは一人あたりの先生の数も激減する。 今までの環境とは真逆になる。 いつかのタイミングでそういう経験はすることになるから、それが今年の4月だというだけだ。 しかしながら、たくさんの子の中で遊べるだろうか、不安で泣きはしないだろうか、トイレやご飯の主張ができるだろうか、息子が緊張して強張っている顔ばかりが浮かんで仕方がない。 慣れるしかないし、少しずつ慣れるだろう。 過ぎてしまえば良い思い出、ということは今でさえ想像できるが、渦中にいるときに感じる気持ちはやはり当然支配的だ。 今でこそ私はそう見えることもあるかもしれないが、私も夫も元々あっけらかんとしたタイプの人間ではない。 無論、息子もだ。 自分のことなら何とでもなるような気がするが、自分のことでないから、余計に心配してしまう。 しかし、親が緊張や不安ばかり見せていたらそれを確実に伝染するだろうから、何とかあっけらかんとしていたいものである。 新しい4月。 同じく新しい4月、新高校生になる生徒さんに心ばかりの入学祝いを渡した。 東京ではそうでもないかもしれないが、中学までは自分の意思とは関係なく進学していけるが、高校は少なからず自分の意思が反映される。 高校生になるというのは、ひとつ”おとな”のような気がする。 入園式は園の門の前で、スーツ風の洋服を着た息子と、ノーカラーのジャケットとひざ下丈のスカートをはいた私が写真を撮るのだろうか。 夫は仕事だと思うが、その場合、誰が写真を撮るのだろう。 <YouTube> ⇒【墨流し=アコギ🎸?】材料6つ!誰でも簡単!幻想的★【マーブリング】 - お字書き道TALKS #018 ⇒【Jazz音楽における二度書き的な話】ミスはアイディアの源泉?【ポジティブ二度書きしよう!】 - お字書き道TALKS #017 <note> ⇒キラキラネームが消滅!?2023年現在名前に使える文字全部【前編】 ⇒沖縄が琉球王国だったとき、日本語の平仮名を日本よりも使っていた 曇天悪天の沖縄旅行から日が経ち、でも何だか旅に出たい気持ちが高まっている。
京都に住む友人に2年ほど前に双子ちゃんが生まれ、ずっと会いに行きたいと思っていたので連絡をとり伺うことになった。 ちなみに友人は男児2人に翻弄され、無我夢中満身創痍疲労困憊精疲力尽、という感じのようだ。 私は自分自身が双子であるけれど、双子の育児経験はない。 可愛さ二倍♡という問題ではないだろう。 育児の根幹である危機管理というだけにおいても、その絶え間なさは二倍にとどまらず五倍くらいなのかもしれないと思う。 友人の場合、近くに援助してくれる人がいる、相談できる相手がいる、という状況であるにも関わらず、LINEの返信ももう切れ切れである。 結婚前は全くそんなこともなかった友人が。 たとえ相談できる相手がいたとしても、そんな隙も与えられないというのが双子育児なのかもしれない。 主にその子たちの性格など、色んなケースがあれど。 さて、地元に帰るのに東海道新幹線はよく乗るけれど、豊橋を通り過ぎて西に行くのは久しぶりである。 神戸まで出向いて句会の仲間に会いに行こうかとも検討している。 しかし、旅行は色々と面倒が多い。 最も面倒に感じるのは、行き先の宿を検討したりなどすることである。 行きたい場所、見たいものなどピンポイント明確な場合は良いが、そうでないことも多い。 インターネットに情報が溢れる昨今では、たとえ泊まりたい宿が決まったとしてもどちらが「お得」ということを調べるだけでも相当気疲れする。 「お得」に費やす時間によって「お得」でなくなる気がする。 「お得」の検討が辛い。 しかしながら今回で言えばそれ以前に、とにかく宿が全然全くどうしようもなく取れない。 コロナ禍もひと段落、そして暖かくなり、さらに春休み、と皆の外出に便乗するような日取りで出かけることになってしまったからだ。 神戸も大阪も京都も、そのあたりの名前も知らない市のホテルなども含めて検索したのだが、本当に無い。 もちろんべらぼうに高い金額を出したり、劇的に狭いビジネスホテルは無くもない。 しかし我々は3歳の子連れで、さらに夫は巨体の部類なので狭小な場所に泊まることも無理がある。 やっと見つけたところは滋賀県。 それにしても、最近の物価上昇はホテルにも及んでいるようで、一般的なホテルの素泊まりでも1人15000円が安いくらいだった。 3年前に早稲田にあるリーガロイヤルホテル東京に泊まった時もそんなにかからなかった気がする。 3年間旅行という旅行に行かないうちに、浦島太郎になってしまったようだ。 まあでも、予約を入れた大津のホテルは、神戸からでも1時間半程度なようなので良しとしよう。 果たして、新幹線は取れるのだろうか。 さらにさらに、4月の一週目の平日は、今の保育園と新しい保育園の狭間で息子が空白の時間となってしまうので、母子2人で旅に出ることにしている。 ほとんど実家周りにいるので、こちらはお得プランで悩まない分本当に気が軽い。 旅熱も冷めればまた、家が良い、家が良い、と言うのだろう。 頑張れ、春。 <note> ⇒インテリアとして書道作品を購入した話。アートを買うことは一攫千金⁈ ⇒沖縄が琉球王国だったとき、日本語の平仮名を日本よりも使っていた <YouTube> ⇒【書道・二度書きの呪い】複製術を極めて『作品(偽造パスポート)』を作ろうの巻?!【書道系ラジオ】 - お字書き道TALKS #016 ⇒【Jazz音楽における二度書き的な話】ミスはアイディアの源泉?【ポジティブ二度書きしよう!】 - お字書き道TALKS #017 ここ数年で、もしかして10年ほどの期間をとっても、最大の花粉量のように思う。
鼻の粘膜が腫れて呼吸が満足にいかず、目がジュクジュクガビガビになってうまく寝られていない。 息子も少し目が痒そうにしていたり鼻詰まりを起こしている感じがあるが、花粉症だろうか。 朝起きる時には私の眼はウサギのように真っ赤である。 と描写したところで、ウサギって目が赤かっただろうかとふと疑問に思う。 思えば一度も、私は目の赤いウサギを見たことがないかもしれない。 もしかすると小学校の飼育小屋などにいたかもしれないけれど。 簡単にネット検索しただけだが、明治初期に目が赤いウサギが日本でたくさん飼育されていたらしい。 日本で品種改良も行われ、身体の毛が白くて目の赤いウサギが流行、ペットとしての飼育が増えすぎてなんとウサギ税なるものまであったとか。 うさぎ1羽につき毎月1円ほどだったらしいが、その価値は現在で1万円くらい。 大した額である。 明治初期~昭和初期頃に赤目の白うさぎが日本にたくさんいたため、「うさぎは目が赤い」というイメージが定着して残ったのではないか、ということ。 ちなみに普段目が茶色や黒のウサギの白目の部分が赤くなったら、何らかの理由で充血しているということなので病院に行った方が良いらしい。 と涙目の私はひとつ雑学を手に入れた。 すでに日常に飲まれて冷めかかっている沖縄旅行の続きを急いで書いておこう。 2日目、我々一行は雨の中石垣港を出発し、小浜島へと向かった。 石垣島を拠点として、竹富島、西表島、黒島、波照間島、小浜島など数多くの離島への船が出ている。 どの船の1日3,4往復程で、波が高く欠航になることもしばしばあるようだ。 程なくして小浜港に到着。 13キロの息子は飛ばされてしまうのではないかと思うほど、小さな港は風が吹き荒れていた。 私は荷物を背負って息子をがっしり抱いて島の地に足を踏み入れた。 今回泊まったのは「はいむるぶし」というリゾートホテルである。 港にははいむるぶしの送迎バスが待ち構えていてくれた。 「はいむるぶし」とはあのあたり八重山の言葉で「南十字星」という意味であることなどを聞きながら港から5分ほどでホテルに到着。 ホテルのエントランスには大きなシーサーがハイビスカスを咥えていた。 そんな南国のリゾートも、強風と寒さと曇天が暗くしていた。 また、送迎バスもアルコール消毒もホテルの外装も内装もホテルフロントに置いてあるフリーの合羽も、何だかすごく都会的に思った。 ホテルは敷地がとても広いので、敷地内は専用のカートで移動することになっている。 普通免許があれば運転できるということで、免許を取ってから20年ほぼ運転歴のない私もやってみることにした。 私が普段運転しないのは、自分に何か欠陥があるのではないかと思うほどの機械音痴だからである。 あまり大きな声で言えないが、数回の運転の運転経験のうち、アクセルとブレーキを踏み間違えたことさえある。 どれがワイパー作動スイッチなのか分からず、でも雨が降っているからと、たまたま出たウォッシャー液を出し続けてワイパーを動かしていたこともある。 もちろんバック時にハンドルをどちらに切ればどちらに曲がるということも分からない。 運転において最も恐れるべきことは人を轢いてしまうことだ。 ゲームなら人にぶつかってもどこかに転落しても戻ってこられるけれど、実際はそうもいかない。 一度も失敗が許されないなんて私には無理である。 家族からも運転禁止令が出されている。 しかし、リゾートホテルの敷地内は広々とした信号もない道で、人もほとんどいない。 カートは軽自動車よりも二回りも三周りも小さい。 操作はハンドルと、アクセルブレーキバックのみ。 よし、やってみよう。 息子は私の運転の怖さを知らないので「お母さん、ハンドルをおねがいしまーす!」と元気よく言ってくれた。 夫は怖かったのではと思うが、こういったことに超慎重派の夫が許可したのだから、まああらゆる意味において大丈夫なのだろう。 何回やってもバックは試してみないと進む方向が分からなかったけれど、何とか運転はできた。 今後も公道を走ることはないだろうと思うが、あそこでならまた晴れの日にかっ飛ばしてみたい。 かっ飛ばす、と言ってもエンジンは1足しかなく、最大時速20キロメートルほどなのだが。 夕食はホテルのビュッフェダイニング。 本当は街の居酒屋に行く予定だったのだが、事前に電話をすると、すでに満席や、当日前日のみの予約受付や、子どもは入れないなどと断られていた。 ド偏食の息子に、ウインナーとポテトとネギトロ巻と卵焼きなどを乗せて席に戻ったが、ひたすらにポテトしか食べなかった。 持参したドクターイエローの付いたエジソンの補助箸はとても役に立つが、いつもその場に忘れてきてしまう。 息子とは真逆の、ド級の食いしん坊の1歳3か月の姪がいる。 食べ物を前にすると顔つきが豹変し、ポテトやら玉子焼きやらごはんやらバナナやらが次々と吸い込まれていく。 その姿は圧巻で、暫し見とれる。 食べ過ぎないように、でも怒らせないように、いもうとはいつもポン菓子を持ち歩いている。 ざざっとお皿に出してついばんでもらう。 しかしそれもすぐになくなってしまって、少しでも目を離していると大人が残してエビフライのしっぽを齧っていたりする。 子どもの性質、人間の性質、様々である。 食事を終えて、ロビーで三味線の演奏を聴きに行く。 息子はよほど疲れたのだろう、休日のお昼寝は普段はしないが、こてんと寝てしまった。 寝てしまった息子を小4の姪と小1の姪が代わる代わる抱っこしてくれた。 翌日、締め切ったカーテンを一抹の願いを込めて明けた。 どうか、曇りでも良いから風がやんでいますように・・・。 願い空しく前日よりも木が大きく揺れていた。 どんぐもり、強風、低温、時折雨が降っている。 することがないので、島のバス観光に申し込む。 1時間ほどバスでゆっくりと街を巡ってくれるツアー。 車窓も雨で見づらいけれど、シュガーロードと呼ばれるサトウキビ畑の一本道をバスは走った。 草原のような景色が広がる丘陵地帯は北海道の富良野を思わせた。 小浜島は人口700人ほど、7~8割が高齢者。 街はとても小さく、道路も狭い。 雨だからということもあると思うが、人気がない。 沖縄らしい石垣づくりの家々はとても年季が入っている。 毎年数多くやってくる台風にかろうじて耐えている感じだ。 リゾート地としての小浜島の顔と、元来の小浜島の顔。 そのギャップはとても大きく、今回の旅で接した人のうちほとんどは都会からやってきた観光業の人で、島の住民をあまり見なかったのではないだろうか。 バスの運転手さん、船の運転手さん、小浜港のお土産屋さん、くらい。 小浜島にははいむるぶしの他に星野リゾートが手掛けるリゾナーレというホテルがある。 その2つがこの島の二大宿泊施設で、あとは小さなちいさな民泊がいくつかあるだけだ。 2つの巨大リゾートは現在のところとても成功しているだろう。 2月のオフシーズンでもホテルはほぼ満室だそうだ。 これらのホテルは安心安全便利清潔高品質均質、であって、かなり都会的である。 都会の人が手掛ける都会の人向けの宿泊施設だ。 都会の休日、都会のコミュニケーション。 もちろん子連れの身としてとても過ごしやすかったし、良いホテルと思う。 しかし、上手く言えないのだが、極上の何か、と言うのはそういうことではないと思う。 極上の何か、が何なのか、私にもよくは分からないのだが。 このホテルには何かが足りない、と思った。 これはホテルへの批判や要望ではなく、私自身が旅に求めているもの、だと思う。 そういえば小浜島には、「コーラルアイランドリゾート」という潰れてしまったリゾートホテルがあるらしい。 バスツアーはその跡地も通ってくれた。 ギリシャのような白い建物は品があっておしゃれだった。 しかし、無論人気はなく、建物には大きなクラックが入り、廃墟の雰囲気である。 今はいくつかの建物は貸別荘として利用されているだけだということだが、リゾート業も建設費用や維持費用など相当に難しいのだろう。 バスの運転手兼ガイドのおじさんが、「晴れていれば絶景です」「晴れていれば西表島が望めます」「晴れていれば、晴れていれば・・・」と連発していた。 バスに乗っている全員が同様のことを切に思っていただろう。 バスツアーから戻り、姪たちはけいことアクセサリー作りへ。 1歳の姪と3歳の息子は一緒に遊ぶでもなく穏やかにわちゃわちゃとやっていた。 夕食もまたお店にいくつか電話をかけるものの、すべて断られてしまった。 仕方がないのでホテルの別のレストランへ。 沖縄最後の夜、ピザやハンバーグやカレーやチキンなど、都会的なパーティーをした。 平屋のレストランの上は海と星空を眺められるようになっている。 スマホなど飛ばされそうな暴風が吹いていたが、ちくしょーと、写真を撮った。 息子はまた食べている途中で寝てしまった。 彼は家族以外の人と過ごすととても疲れるらしく、よく寝るようである。 前日は部屋の風呂だったが、大浴場にも行った。 姪と息子と3人で。 男の子は未就学児は女湯でもOKとのこと。 露天風呂でも、やはり曇天を見上げながら、これが青空だったらなあと何度も思った。 翌朝は早く、急いで朝食を食べてチェックアウト。 船に乗って、二度飛行機に乗って、電車に乗りついで、夕方前に帰宅。 息子は数日経った今も、飛行機を見ると「おきなわ!」と言っている。 <YouTube> 【書道・二度書きの呪い】複製術を極めて『作品(偽造パスポート)』を作ろうの巻?!【書道系ラジオ】 - お字書き道TALKS #016 <note> 【書道】二度書きなんてしないなんて言わないよぜったい 現役書道家プロファイルVol.1【池田勝一】 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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