私は実は、実はというほどのことでもないけれど、一期一会、という言葉が好きではない。
現代的な意味ではおそらく、どんな出会いも一度きりと思うくらいに丁寧に接しましょう、ということだと思うけれど、一期、は仏教用語でいうところの生まれてから死ぬまで、一会、はひとつの集まりや会合ということだとすると本当に「一生に一度しか会えない出会い」ということになる。 良い出会いは続いてほしいと願うし、やっぱりもう一度、もう二度、三度・・・と会いたいものだと思う。 それに、一度きりでその人のどれほどが分かるのだろうと思ったりする。 だから私は人との一期一会の出会いを重んじるというようなことがテーマだという一人旅を何となく毛嫌いしてきたのかもしれない。 もちろん、会わないよりも会った方が、見ないよりも見た方が、聞かないより聞いた方が、人生は豊かになるだろう、それはそうだと思う。 しかし、その続きを知りたいと願っても距離や時間や相手の都合の問題で不具合が生じてしまうことが多いだろう。 まあ一方で、後日何を犠牲にしても続きたいと願えるような出会いというのは、奇跡的なこととしてあってもいいとは思うけれど。 流れゆく時の中で同じ一瞬は二度とない、ということはもうどの瞬間もどの瞬間もそうなわけであって、止めるも止めないもそんなことを言っているうちに、こうしてタイプしているうちに、寝ているうちに、ぼーっとしているうちに、過ぎ去っているわけだ。 みんな明日死ぬかもしれないのだから、確かに、どんな出会いも一度きりと思うくらいに丁寧に接しましょう、ということなのだと思うけれど、刹那的に生きることに大きな憧れを抱いたり、刹那そのものに対して重きを置くというのはなんだかしっくりこない。 そもそも全てが刹那的であり、どうせどうにも刹那的にしか生きられないのだから、そこで作用するのが個人の意志であって、双方の意に叶えば流れゆく時間を共にしましょう、というのは素晴らしいことだと思う。 その関係が何度も会っていくうちにどうなっていくかは全然分からないけれど、一度きりよりは襞は多くなるだろうし、何かは紡がれていくだろう。 良い回もそうでもない回も良くない回もあるだろう。 ただそれでもお互いに対する敬意と互いが共有し得る何かへの探究さえ尽きなければ、おそらくたいていは良くなっていくものなのではないだろうか。 だから、一期一会を楽しみましょう、よりも、もし機会があればまたお会いしましょう、よりも、またお会いしましょう、がいい。 またお会いしましょう、ということの実現には高くも低くも様々なハードルがある。 そのための提案や連絡や、互いの都合や気分や体調やお金や距離や、そんな色々なハードルを合意で越えて時間を共にするわけである。 会社に行って顔を合わせるとか、結婚してあるいはルームシェアで同居する、ということはちょっとここでは置いておく。 いや、それも置いておく必要は無いか。 とまあ、刹那に生きる、とか、孤独を愛す、とかということが我が指針であるというような言い方を耳に入れて、本当にそう思っているのだろうかと屁理屈を言いたくなった。 書いていて思ったけれど、これは総じてしまうと、私が寂しいのだ!というふうになってしまったような気がする。 部屋が荒れていたのでいつもの掃除を久しぶりにする。 埃は布団や衣類から来るのだろうけれど、どうしてこんなにさんさんと積もるのだろう。 オアシスをシャッフルして、度々リアムにもノエルにも引っ張られながら磨いたり片づけたりする。 ビートルズのI Am The Walrusのオアシス版が回ってきて、やっぱり良いなあと思う。 いつかにYou Tubeで見たオアシスのI Am The Walrusは色んな意味で絶品だった。 ついでにお手本などをコピーしたり、書類をまとめたり書いたり、花の枯れた部分を切ったり、やらねばならないというかやった方が良いことを書き出したり、メールを送ったり、HPを更新したり、あれやこれや。 個人事業主というのは、社長業も広報も営業も経理も総務も制作も編集も清掃も、言ってみれば全てを自分ひとりでやらねばならない。 まあ身の丈で仕事をしているわけなのでそんなに大したことでもないのだけれど、そして今もある部分においては外注というかシステムを借りているけれど、稀に雇われとしての雑用はものすごく好きな私が自分の雑用となると面倒で仕方がないことになったりもする。 ミントの精油で二度目の水拭きをして、ミントティーを淹れて、ミントの煙草を吸って、ミントの精油を焚く。 さて書の練習でもしよう。 私が去年揮毫したCDと、貸してもらったミスチルでも聴こう。 明日はお味噌汁を作ろう。 鍋に水を入れて、鰹の厚削りを浸してから眠るとしよう。
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世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 在原業平
いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな 伊勢大輔 春眠暁を覚えず処処啼鳥を聞く夜来風雨の声花落つること知る多少 孟浩然 昔学校で習ったものばかりで、あの頃私がどう鑑賞していたのかはさっぱり記憶にない。 圧倒的に数学よりも国語の方ができたタイプだけれど、勉強はただの勉強で、同じ人間である誰か個人が身体で心で感じた何かを表現したことへの敬意や、それ自体を自分のこととして味わってみることはほぼなくて、「古くて関係ないやつ」という括りをしていたのだと思う。 世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし、の歌は、簡略的な解説を読んでポジティブ方向に取るかネガティブ方向に取るかは、その人の心の状態や春の好き嫌いによるなと思う。 ちなみに私はネガティブ方向に読んだ。 春なので春らしい題材をと有名な短歌や漢詩を検索して、筆ペンのお手本として書く。 私がとても丁寧に一般的な感じで、九成宮などの古典的なことも少し隣りに置いて、自分のバランスで書く楷書体は、時折「印刷物みたいにきれいですね」と言われることがある。 肉筆の味わいがない、という意味ではなくて、印刷された字のようにブレがなくて突っ込みどころがない、ということで、私も時々、そう思う。 もちろんいつもそう書けるわけではないし、それ以上に“良い”ものは当然、当然に存在するけれど、あるひとつの領域において”良い”なあと自賛するのである。 これはほとんど日々の積み上げが成すものだと思っているので、もう謙遜を置いておいて、「そうですよね」と言ってしまう。 今でこそあれやこれやと色んなことを勉強したりそれを総動員して字を書いたりもするし、ダメさ加減も重々認識しているし、書道を改めてやろうと思ったきっかけの先生というのはいるけれども、私の「書」ではなく「字」に対する原体験としての憧れや興味というのは確固たるものが存在するわけではない。 それ以来、思えば字の練習というのは興味に任せて事あるごとにやっていた気がするけれど、ただ自分の中にあったイメージの再現であり、お手本にしていたものがなかった。 中学生だったある日、漢字の宿題のノートを圧倒的にきれいに書いてやろうとなぜか、本当になぜだか思い立って、記号として覚えれば良いだけの漢字の書き取りに真剣に字を書いたことがあった。 いつもは提出の印が押されるだけの漢字ノートに「とても良く書けています」と花丸がついて戻ってきた。 そうでしょうそうでしょう、とその時に思った覚えがある。 私は書道は幼い頃に習っていたけれど別に特別な興味もなければ、高校のときの選択の授業はミーハー精神で音楽を選択したくらいだ。 毎年競書会なるものが催されて、小中学校のクラス30人の中でもトップを取れないくらいのものだった。 事実、毛筆の部では金賞を獲ったことがない。 ただ、中学校3年生は一度だけ硬筆の競書会があって、私はそこで金賞と獲った。 そのときには「これは勝てる」と思った覚えがある。 こういう類のことにおいて私が自信を持って発言するのは、本当にこれくらいしかない。 やはり詩を味わうことは全然なくて、字だけをただ書いていたわけだけれど、今必死で検索を駆使してその内容を思い出す。 吉野弘さんの「自分自身に」だった。 自分自身に 吉野弘 他人を励ますことはできても 自分を励ますことは難しい だから―――というべきか しかし―――というべきか 自分がまだひらく花だと 思える間はそう思うがいい すこしの気恥ずかしさに耐え すこしの無理をしてでも 淡い賑やかさのなかに 自分を遊ばせておくがいい おそらく、このときの作品は実家の廃墟と化している私の部屋の引き出しに眠っているだろう。 今度帰ったら廃墟から掘り起こしてきたい。 この話は、だから何というようなちっぽけな内容だけれど、「理由なき字への興味」や「理由なき線への愛情」がたぶんあったのだろうと思う。 そしてそれは、所謂書ではなくて、自分の手元で書く小さなとてもきちんとした字体のものだった。 絵が描けない対抗心だけではなかったような気がする。 また貧血なのか低血圧なのか低血糖なのかを起こす。 確かに献血はぎりぎりできないくらいに血液は薄いらしいし、血圧は上が100いかないくらいに低いけれど、ここ最近で言えばお酒を飲んでいるとき以外に起きることはほとんどないので、おそらく一時的な低血糖なのだろうと思う。 傾向として、その日の炭水化物摂取量が少ないまま飲むと起こりやすい。 身体全体の輪郭が冷気に覆われたようにサーッとなって冷や汗をかき、目の前がチカチカしてくる。 今回はリボン型の真ん中がくりぬかれた形の、カーッとした光がど真ん前に見えた。 力が入らないので立ち上がれないし、途中で立ち上がろうものなら目の前が暗くなる。 立っていたら間違いなく卒倒するだろう。 今までにも何度も経験はあるし、あれはただただ、あぁやばいやばい、と思いながら過ぎ去るのを頭を低くして待つしかない。 誰かの助けを借りることができるのだとすれば、水を持ってきてもらって体内のアルコール濃度を下げることくらいだ。 今回は何の前触れもなく、私がトイレに消えて長時間戻ってこないので一緒に飲んでいた方は不思議に思われただろう。 例えばトイレで寝てしまったのかと思われたのかもしれない。 あるいは、自分も酔っているので特に気にされていなかったのかもしれない。 しかしながら、あのような状態になってしまったらもうそこでギブアップなわけで、本当に申し訳ない。 どうにもならないけれど、もう本当に面目ない。 お酒を飲む日のお昼はきちんと食べようと思う。 そう言えばレアチーズケーキしか食べていなかった。 飲茶さんの新刊が出た、とお知らせいただいて「14歳からの哲学入門 「今」を生きるためのテキスト」さっそく購入。 私は哲学的なことは好きだけれど、哲学的な知識はほぼ飲茶さんの本くらいしかない。 「史上最強の哲学入門 東洋の哲人」という飲茶さんの本は私のロックンロール体験の解釈を深めてくれた。 14歳と言えば、池田晶子さんの「14歳の君へ―どう考えどう生きるか」もそうだし、ハイロウズの「十四才」もそうだし、所謂「中二病」の年である。 「今を生きる」とか「どう生きる」とか言葉にするのはあまりにも陳腐なわけだけれど、誰もがより良くなりたいと願うことを否定できないだろうし、なんならめくるめく感動が欲しいわけである。 「毎日楽しければいいじゃん」というのももちろん分かるし、ウユニ塩湖を見てめくるめく感動が得られるのは素晴らしいだろうけど。 「今を生きる」ことも「どう生きる」ことも諦めたくない考え事として、少しの面倒を買いながら考えたいと思うわけである。 何の欺瞞もなく、何の言い聞かせもなく、めくるめく感動があったら良いではないか。 先日の話で言えば、「ホルモン様」よりも「心様」の支配下であるわけで。 なんて面倒な話、よくもまあするよね、というのは私自身も思うところであるけれど、食べたり飲んだり話したり聴いたり書いたり、そこに分け隔てがあるわけではない。 夜、予めコンタクトレンズを外して自転車をこいで出かける。
先日クリーニングに出してしまった冬のコートがないので、革のジャケットとマフラーを巻きつけて。 春の匂いはするのに空気はきんきんに冷えていて、マスクが防寒にも感じられる。 花冷え、なんて悠長な言い回しにほんの少し怒りのような感情が混じった。 それもこれも花粉のせいで体調がすぐれないことがとても影響している。 しかしながら、花粉症でないのなら私は春のことが好きだろうか。 どうだろう、そんなこともない気がする。 酔っぱらった大勢が地下鉄の入り口に吸い込まれていく時刻、時々私は自転車で都会を走る。 マスクをして眼鏡をしていると、眼鏡が自分の息で曇る。 曇った視界は、街灯の白い光の周りを虹色のぼわんとした輪っかが覆って幻想的な世界になる。 幻想というのは、ぼやけていて、滲んでいて、私にしか見えていない。 2か月前ほどに差し上げたプレクトランサスアロマティカスに、根が伸びてきて子どもの葉っぱも増えてきました!ととても嬉しそうに生徒さんが言う。 スマートフォンで撮った写真も見せてくれた。 サボテンも枯らしてしまう、と言っていた彼女は植物の成長を喜んでくれているようだった。 家にも切れてしまったプレクトランサスアロマティカスの端くれが水差しになっているけれど、ほとんど成長しないので、おそらく差し上げた部位は生長点を含んでいたのだろう。 人が喜んでくれると私も嬉しい、というのは確かにそうだ。 人を喜ばせたい、ということが自分が生きたり何かを行う理由の最上位に掲げられることはなんだかおかしいと思うし、そもそもそんなこともないのだけれど、人が喜んでいる姿というのはやっぱり自分にとっても喜ばしいことだ。 もっと喜んでほしい、それはそんなふうにも願うだろう。 その喜びがその人にとってどれほどのものなのか、あるいは演技的なものなのかはずっと図り得ないものだけれど、それでも。 ちなみに、生徒さんに「この前区役所で書いた住所と名前が前より全然良くなっていました」などとご報告いただくこともある。 もちろんそれは確かに喜ばしい一方で、少しでもそうなるように多面的に働きかけるのが講師業というものだと思っているので、私自身にとって手放しで喜ばしいということではなかったりもする。 字はコツさえつかめれば誰でも即効で上手くなれる、というわけではない。 理解も必要だし、実際には運動を伴うことなので当然ながら練習が物を言う。 何にせよ本人にやってもらうことが重要である。 今日そう言っていた生徒さんはペン字から筆ペンをやり、今は書道をやっている。 空間バランスの取り方、スピードの緩急、力のかけ具合、それらはほとんどペン字も筆ペンも、筆も変わりはない。 しかしペン字ではやっていることが小さすぎて分かりづらいこともあるので、長い目で見たら書道をやることはペン字においても上達への急がば回れの方法なのだろう、ということはいろんな生徒さんを見てきてとても実感するところである。 まあもちろん、ご本人の興味や嗜好性ということもあるし、そのアプローチ方法の向き不向きは色々とあるけれども。 あと、生徒さんにとっても、あるいは私にとっても、字についてが最重要事項でなくたってそれはそれで全くもって構わない。 もちろん私も知らないことだらけだし、私の方が何かしらのことを生徒さんから教わることだって当然ある。 いずれにしても、私が字を体得することにおいて伝えたいことが全体としてふんわりでもまるっと伝わる瞬間というのは喜ばしいし、生徒さんが日常生活において私をきっかけとしたことで字に対してや何かしらの認識が少しでも変わったり、自分でできるようになったりすること、そしてそれを話題として持ってきてくれること、というのはやっぱり喜ばしい。 松山で手に入れた切り干し大根で、また夜な夜な煮物をする。 切り干し大根とにんじんと油揚げと鶏挽き肉と。 白菜の時期が終わってしまった最近のごった煮は、もっぱらこれである。 同じく松山で手に入れた乾燥ゆずを入れてみようかと思ったけれど、途中味見をしたらとても美味しくできていたので、勇気がなくなってしまった。 まだ余力があったので、近くのスーパーで日本酒を買って帰った。
別に何でも良かったのだけれど、せっかくなら、と私が選んだ基準は、一輪挿しが映えそうな瓶、の日本酒。 ワインでもレコードでも何でも、私はジャケ買いをしがちであって、それはジャケット的には満足だけれども中身が満足したことはもしかするとあまりないかもしれない。 でも、ジャケットが満足であることは私にとって結構価値がある。 ムスカリという球根の花を買った。 家にある瓶やらグラスやらカップやらに着せ替え着せ替え、ようやく太めの透明なグラスに落ち着いた。 3本買ったのだけれど、グラスに余裕があるのであと2本くらい買い足したい。 友人が伊香保で開催される俳句大会のことを話していて、私も出してみることにした。 題詠は「中」、消印有効の締め切りは今日、22日である。 最近俳句的日常を送っていないので発想のストックも乏しいけれど、季語辞典と、インターネットで6月頃の俳句を見たり類語検索したりして3句を作る。 一応明日ぎりぎりまで寝かせてみよう。 参加だけなら入選しなくても投句者全員ができるようだから、6月には伊香保に行くのか。 まるやんが来た。 まるやん、とは高校時代の友人で、結婚して苗字が変わって、まるやんなのかまるやんでないのか。 知り合いがお亡くなりになってその散骨のために上京したらしいが、ドラマなどではたまに見るけれども、本当に散骨したというケースを初めて聞いた。 まるやんは家の広いトイレを気に入ってくれたらしく、ここで寝れるわね、と私は冗談半分でも言わないことを言っていた。 4月から中学生になるという男の子がお父さんと一緒に習いに来た。 小学生中学生という年齢の子どもにさっぱり関わりがないので、少し戸惑ったし探りながらではあったけれど、なんだかとても新鮮でこそばゆいような感じがして楽しかった。 私は3歳の姪に「おばさん」と呼ばせていて、自分のことも「おばさん」と言ってしまうので、つい男の子にも「おばさんはね・・」などと話しかけそうになった。 私が自分のことを早々に「おばさん」と呼称することは、たぶん「おばさん」という言葉をいくらか固有名詞化して一般的な意味においての「おばさん」という意味をいくらか無力化したいからのような気もする。 「宮本から君へ」を読んでいる。 何だかもはや“男子力”とかではない暑苦しさがもうもうとしているわけだけれど、あまりにももうもうとし過ぎていて潔くてそして面白い。 体裁とか演技とか迷惑とかもちろん色々とあって、体力や気力の問題もあって、実際の行動としてどのように現れるかはさまざまだと思うけれど、どうにもこうにも形振り構わずに行動する姿、というのはいつの時代もひとつの憧れと言えるのではないだろうか。 「十牛図」のことをもう少し知りたくて、「十牛図 自己の現象学」という本を読んでいる。 内容はとても興味深いのだけれど、論文口調の言葉と文章が難解である。 元々読書が苦手なので読み切れる気がしないけれど、それなりに読み進んでいるのは内容に興味があるからである。 あれよあれよと3月が過ぎていく。 日々をやり過ごすことだけに走りがちな私は、もっと単純な要求と意に叶う行動を重ねたい。 普段より寄せ木的文章である。 今は3月22日午前3時13分で、部屋は少し寒い。 92回か93回目の、おばあちゃんの誕生日だ。 寝過ぎた。
一体何時間寝たのだろう、13時間くらいか。 寝すぎると疲れるとはよく言ったもので、体中の血液の流れが酷く遅い感じがする。 本当に何がどうというわけではないけれど、実家に帰ると本当に疲れる。 私は呼吸をしていたか、と思ったりするほど喋り過ぎていた後のように酸欠になる。 特別に喋り過ぎていたわけではない。 ただの一泊、24時間はおろか夜も含めて15時間ほどしか滞在していないのだけれど。 そして、最近は、別に楽しくないこともないのだけれど。 また友人がクロマニヨンズのライブに誘ってくれたので名古屋まで出向いた。 日本特殊陶業市民会館という金山にある会場は、席のある安全なライブ会場だった。 私たちは、ごった返したライブ会場のステージを見るための密集した人のすき間を「窓」と呼んでいて、今日は窓が大きかったから見やすかったね、なんて話をした。 スタンディングの会場の前の方に行ってしまうと、そんなに大きくない私たちは圧死しないまでもアバラ骨折の危機くらいは何度も感じているし、小さな窓は一瞬のうちに開いたり閉まったりで大変だ。 それに、私にとってロックミュージックは必ずしも頭をガンガンに振るものでは全然ないので、席というパーソナルスペースを確保できた今回はほとんど微動だにせず彼らを見つめることができて幸いだった。 ライブの後、中華料理屋で自律神経と“ホルモン様”の話をしながら、小龍包の温度の話を挟んで、”先生”にまつわる話をして、死ぬ前に食べたいものの話をして、最後は電車の中”山じいさんと山ばあさん”の話をした。 友人との会話の内容で、私は後日思い出し笑いしていることが度々ある。 誰との会話の中でも私は思い出し笑いというのは本当によくする。 今の時期はマスクをしているので外でひとり笑っているのがバレなくて良い。 けいこと山の中のカフェでお昼を食べて、ミスドのポップ&キュートなショーケースに昔よりはしゃいで、私が昔住んでいた、今はおじいちゃんとおばあちゃんしか住んでいない家にも顔を出す。 「あんたぁえみちゃんか。ゆみちゃんかと思っとったわ」と言われた。 おばあちゃんは程なくして92歳か93歳になるし、おじいちゃんは確かその一つ下である。 おじいちゃんとおばあちゃんだけでは、腹に力が入らなくてあまり声が張れないことと、耳が遠いことで全然会話になっていないので、私は持ち前の大声で少しだけ橋渡しをしてみる。 父のいとこであるおじさんも来ていて、おじさんの人間性に感銘を受けながら、最近市内で殺人事件があったという話を聞いて驚く。 「わしゃ最近手が冷たいだ」とおばあちゃんが言うので、「血が通わんくなっとるだかねぇ」と私は言う。 「ころっとそのまま知らんどるうちにいけるといいだがねぇ」と言うので、「そうだねえ、寝とるうちにねぇ」と言う。 「黒枠の写真を探しとるだけどなかなかいいのがないだ」と言うので、「今撮らぁか?それか30代くらいの白黒写真とか使やいいじゃん。誰の葬式か分からんけど」と言う。 「わしが死んだら顎を縛っとくれんよ」と言うので、「縛る縛る」と言う。 私はおばあちゃんのことがとても好きだ。 いつかみんな死ぬ。 仏壇に何一つかける言葉なく鈴(今調べるに、りん、というらしい)をチーンと鳴らし手を合わせ、父の黒枠の写真を一瞥し、「また来るで」と、ものの1時間弱で実家を後にした。 そう言えば、けいこの方の小さな父の仏壇にはまだ食パンの欠片が供えてあった。 少しのお酒を入れて沸かした湯で豚肉を茹でて食べる。 いつもなら、野菜も、と欲張って茹でるからごった煮になってしまうのだけれど、生憎野菜かごに入っているのは玉ねぎだけで、玉ねぎを剥いて付く匂いをその時に請け負えそうになかったので豚肉だけにした。 冷蔵庫にろくなものが入っていない、という状況は心許ない一方で、その場限りな感じがして胸がすく。 これがまあとても美味しくて、言ってみればただの豚しゃぶ、豚だけしゃぶ、だ。 火を通しすぎないタイミングで湯から引き上げ、しょうゆをたらり。 二度目は生姜をすりおろして、しょうゆをたらり。 ひとり金麦と、ほの温かい豚肉の味を噛みしめた。 シーチキンを缶のままマヨネーズをかけて混ぜ、それと一緒にストロングのレモンチューハイ、というような所謂男子的な愉悦は、私には分からなかった。 マヨネーズが好きではないということもあるけれど。 基本的に「手感」のする料理が好きだけれど、「素材感」も好きだし、あとは「当たり」はいつどうやってやってくるか分からない。 自宅でのレッスンが2件のみだったのでとても時間があって、いろいろなことをすることが考え得たけれど、外は風が強くて花粉も大量に待っているだろうから一日一歩も出ないと決め込んだ。
少し元気のないクワズイモに陽を当てようとベランダに出していて、煙草を吸いに時折外に出るともれなく倒れていた。 今日だけで7,8回クワズイモを起こした。 書作に精を出す。 展覧会の作品の構想はだいたいできた。 90×240を2枚にしようかと思う。 これ以上大きいのは今の部屋の広さの関係で無理だ。 普段あまり使わない筆を使うことにしたけれど、まだ筆に遊ばれてしまう。 飼い馴らさねばと毎月の課題やら頼まれごとのお手本やらをすべてその筆を用いる。 漢詩にも慣れねばと、季節柄、孟浩然の「春暁」を創作で書いてみる。 山盛りの反故で、自分の至らなさの山盛りを認識する。 さてはて、字を崩すことになぜこんなに苦労をしているのだろうか。 記号として「読める」で終わりのはずの字を線がどうだ空間がどうだと、一般的に読めない方向へ読めない方向へと筆を走らせて苦心する。 字典で異体字を調べたり崩し方を調べたりもする。 誰にも頼まれないし、誰も必要とはしていない。 「読める」のが記号的字の役割であるのに、読めないのでは合理的な役目など一切ない。 この世になくたって厳密な意味で誰も困らないことを、体力と労力と、時に知力と、金銭と資源を費やして行う。 別にそれがギターでも絵でも彫刻でも何でも同じことだけれど。 そんなに変わった人間なのだろうか、私は。 “普通”の定義もしないまま、“変態”への憧れは潰えることはことはない。 しかし、こういう場合の“変態”とは他人からの評価以外にはありえないものだ。 本人的に”普通”という“変態”、に私はなりたい。 創作途中に2人の生徒さんがいらして、先日は宛名書きのチューニングに合っていてピシッとした楷書体がとても書きやすかったわけだけれど、今日は創作のチューニングに合ってしまっていて、レッスン時に若干戸惑う。 おそらく話し口調とかにも多分に影響しているだろうと思う。 理屈と同じくらい「気合い」みたいな話をいつももするけれど、いつもに増して「気合い」みたいな話をたくさんしてしまった気がする。 何か、よく分からない感じで変だったろうな、と終了後に反省している。 モードの切り替えは案外大変である。 最近iTunesを全シャッフルで流すことを気に入っていて、レッスン中は音楽を微音でかけているときもあれば切っているときもある。 切り忘れて途中で尾崎豊の「I LOVE YOU」が流れて、なぜ今こんな曲が・・・と割に寡黙な生徒さんと二人、話題に窮したりもした。 フェイスブックに書道を嗜む人たちが集まるコミュニティがある。 そこに私も時々参加していて、いろんな方の作品を拝見したり、自分の作品を投稿したりしている。 その関係で、実際には面識のない方から友達申請をいただくことが結構数多くある。 少しのメッセージをやりとりすることもあるし、時に作品についてのお褒めの言葉をいただくこともある。 とある書家の方に「あなたの書く線が好きなんです」と言われて、なんだか泣きそうになってしまった。 ついでに、「あなたの書く線はなかなか考えて出せるものではないです」ともお言葉をいただいて、比較的あざとく考えて書いている場合もあるにはあるので、それはどういうことなのだろう、とはてなが沸いた。 私は書も俳句も、あるいはブログも、自分の気が乗れば創作をしたいし、何か創作をしているときはどうであれ総合的に見て状態は悪くないわけだれど、創作寄りの人間であることに未だ乖離感がある。 創作寄りも何も、別にただそれをやればいいだけのことだけれども、自分がやっていることと人から思われているだろうイメージと自分のキャラクターやアイデンティティといささかずれているのではないかと思うことがある。 覚悟の問題なのか、資質の問題なのか、今のところ定かではない。 私はおそらく所謂ところの「不思議ちゃん」ではないと思うし、加えてただ何か特別なものを持たざる者であるだけなのだと思う。 時間に追われているわけではないけれど、文章が急いている。 そういうことなんです、字は線でできてるわけですよ、と熱弁して体としても何かが伝わった感じがしたレッスンの後、確定申告の書類を出しに行く。
二日前くらいから、ほとんど同じような形態でやっている個人事業主の友人にあれやこれやと深夜も深夜にLINEを送り、的確な回答をいただき、一生懸命計算して、一生懸命書いたのに、チェックもほとんどしない感じで受領された。 指摘がもしあるならばその場でしてほしかったけれど、ぺりぺりと提出用と控用の紙を分けられただけだった。 さて雨の中、どこの駅も距離がありそうなので、歩いて帰ることにする。 自転車でならこの辺りは通ったことがある。 自宅へ近づいていることを信じて疑わずにてくてくと進んでいくのはいいけれど、いまいち現在地がつかめないので、グーグルマップを開いてみるとまた見事に逆方向に進んでいる。 こんなことはとてもよくあるのだけれど、毎回、うう、となる。 こんなときは、まず深呼吸をして音楽を止める。 余計なメモリを使わないように何ならマスクも外したいけれど、そうもいかない。 傘もささないといけないくらいに雨は降っている。 15分ほど戻ってさっきいた税務署の町名が見えてくる。 どこをどう回ったのか分からないけれど、一周してしまったのか。 グーグルマップの進行方向の示す先が行き止まりだったり、鉄橋や歩道橋で立体だったり、困惑を重ねて紆余曲折をしていると、いきなり、本当にいきなり家の近所の知っている道に出た。 おおー、と思ったけれど、別に何か脳内の地図的にもシナプス的にもつながったわけではないので、安堵はあれど特には嬉しくはない。 一応、この道の映像記憶はしておこう。 本来20分くらいの道のりを45分ほどかけて帰宅。 方向音痴は、感覚頼りでは進歩はおろか治癒も寛解もせず、できるのはグーグルマップの進行方向を確認することや、映像記憶と合わせて「ここは右」というふうに決めて覚える対症療法しかない。 時間とお日様の方向、という方法もあるようだが、まず今日は雨降りだし、現在地からして自宅方向の方角が何であるかは難しい気がする。 方向音痴と、ごった煮と、お喋りと、お酒と、部屋の掃除と、ロックンロールと。 私の日常にはトピックがいくつかあって、書きたい内容をブログに綴る。 変わり映えのしない日常を確認しながら、変わり映えのすることをほんの少しでも文章中に見つけられたらいい。 別に特別な意味はほとんどないけれども、カタカタと文章を打つのは、友人が「私にとっての演技は呼吸の延長にあるようなことだ」と言っていたように、それに近しい感覚がある。 ブログは個人の誰にも見せない日記帳ではないのだから、閉鎖的な演技という側面もあるだろう。 録画してずっと見ていなかった「すべてがFになる」のアニメを全部観た。 ミステリーはあまり得意ではないのだけれど、森博嗣の描く世界観は好きである。 まあこれはアニメだけれど。 斜め上から物事を見ている淡々とした感じと、答えも意味もないというような突き放し方と、緻密なトリックが最重要視されてはいないだろうことと、ただ何かが余韻として揺らぎの中に残る感じと。 最終回に、言葉尻には何にも意味のないジョークや会話が人を救うこともあるのですよ、というようなくだりがある。 私はこれまでも誰かとくだらないやりとりを山ほどしてきただろうけれど、ただただくだらないやりとりが何とも愛おしいと思えるようになったのは、ごく最近のことかもしれない。 考えあぐねていた俳句のいくつかをたぶん俳句とか嫌いではなさそうな人に不躾に送りつけて、どれがいいと思いますか、と聞きつつ、再び推敲する。
一応水曜日の24時までが締め切りで、少し遅れても大丈夫と信じて、当たった金麦でも飲みながらあれこれ考えていたら、猛烈に眠くなってしまって季寄せをお腹に抱いたまま寝てしまう。 何度も、起きねば、送らねば、と目を覚ますものの、メールを書くまで至れず、結局4時半過ぎに遅れてごめんなさいと結局手直ししなかった俳句を3つ送る。 明日が句会である。 その前に確定申告を何としてもゼロからほとんど完成まで仕上げたい、と思いながらこんなブログを書いている。 締め切り前に税務署に提出するのだ、という気概は、ある。 確定申告をプロに任せられないようではその事業は上手くいっていない、というような堀江さんの記事がネット上で話題になっていたけれど、税の仕組みをほぼ理解していない私としてはそういう意味でも自分でやりたい。 それに、私の申告などあまり複雑なものはないので、そのくらいの手間は自分で取れる。 それに、その費用で買いたいものは挙げ出せばキリがない。 朝起きると目が真っ赤っ赤で、心なしか瞼がぷっくりしていて、いよいよコンタクトレンズがしていられなくなる。 昨夜泣きはらして・・・、なんて冗談を言った側から間髪入れず、嘘ですけどね、なんて冗談なら言わない方がいい。 友人からすぅっとするよともらった化粧水のようなスプレーを顔に吹きかけると、いい香りはしたものの、弱った目の周りと、しかも目に入ってしまって、あ゛あ゛あ゛・・・となる。 友人は顔にふきかけても大丈夫なものなだけど、そうじゃなくて、マスクとか枕にかけるといいよ、と確かに言っていたのだけれど。 コンタクトレンズを変えてもだめなので、眼球が瞼の裏側が腫れているのだろう。 焦点の合わない目でレッスンをしながら、まばたきをする度に目からペロンと出てしまいそうなコンタクトレンズに我慢してがまんして、その日、中華料理屋のトイレで2weeksの1weekしか経っていないコンタクトレンズを捨てた。 毎年春にはこんなことが3,4回あるので、1dayのコンタクトレンズは好きではないものの、しばらく1dayにした方が良さそうだ。 この日は眼鏡を持っていたから良かったものの、持っていなかったら電車に乗るのもとても差支えただろう。 眼鏡を持っていないのにコンタクトレンズを出さざるを得なくなったいつか、0.1の視力もない裸眼で自転車で帰ったことがある。 街灯も信号もぼやぼやに滲んで、幻想的な世界が広がっていて、少し楽しかった記憶がある。 危険である。 いやはや、それにしてもやはり眼鏡をしていると世界も思考も焦点が合わなくて、思考回路が鈍る。 眼鏡をして近所に買い物に出かけると考えるのが面倒になって余分なものを買ってしまう、ということをとても共感してくれたのは今までにいもうとだけである。 花粉用の眼鏡でも買おうか。 私がするのにとても躊躇う伊達眼鏡は、視力補正や遮光といった機能がなく、あくまでファッションのためのものだ。 花粉防御用なら、れっきとした機能があるわけだからいいではないか。 下北沢のライブにヒロトが来るよと友人が誘ってくれたので行く。 出会うや否やお互いにプレゼントを渡し合って、しばし私の買い物に付き合ってもらう。 私はそんなの選ばないから楽しい、と言われて、そうなのかと複雑な気分になりながら。 私たちはいつも、観客のいない漫才をするかのように会話を二人で紡ぎながら言葉の掛け合いをする。 探ってみたい話の領域が結構似ているのだろうと思う。 友人は、オレンジケーキを頼んだ私に、本日のケーキがりんごのタルトと言われた途端にかぶせるように「じゃありんごのタルト!」と言ったことを、後で「あの瞬間、えみちゃん絶対そう来ると思ったんだよね」と言った。 前にも、「BEAT CHILD」の映画を観終わった後、「氷室さんがカッコ良かった」と私が言ったら「見ている最中、えみちゃんが絶対カッコイイと思っているだろうなと思った」などと言っていた。 そんなことが今まで幾度かあったと思う。 何なんだよ、と思いながら、一抹の嬉し恥ずかしい気持ちで私は照れ笑いをする。 基本的には私は話し口調も態度も人にいじられるような体を取らない。 けれど知り合いの少ない何人かは、きっと私のことをいじりやすいと思っているような気がする。 それは私のちょっとした甘えであり、内心、ありがとう、と思っていたりする。 お喋りは楽しい。 ほとんどすべての人間関係が1対1で構成されている私は、どうしてもその相手の個人的なことが知りたくなる。 どうせなら、過去から脈々と続いているものを踏まえても踏まえなくても、今現状の。 相手を喜ばせるとか、あるいは悩ませるに限らず、自分がされたら嬉しい、あるいは目が覚めるような質問や話題を挙げる。 それはとっても傲慢なことで、しかしながらお互いに何かを知るきっかけになるかもしれないし、関係性を築くかもしれないし壊すかもしれない。 また、どちらかからのその要求は、断るという選択肢だって常にお互いが持ち得る。 「もし私が私と他人だったら、私と友達になりたいと思いますか?」というようなことを言っていた酒井若菜さんの言葉をふと思い出す。 夜な夜な、展覧会用の作品を書く。
今回は初めて、漢詩作品にしようかと思っている。 漢詩のことはよく知らないけれど、これまでは、言葉が分かるもの、感動した詩文、という観点が最重要で、「コレが書きたい!」という意志の下書いてきた。 今の私には、書きたい詩はあるにせよ、書作的に漢字かな混じりが作品の限界が来ているというか、飽きてしまっている。 当然ながら漢字の方がたくさんの線があるので作品としての幅は広い。 書の世界で臨書する古典として非常に重んじられている王羲之の「蘭亭序」を書きたいと思っているのだけれど、もしかしたらそういうことを創作でやるのはタブーだったりするのだろうか、という一抹の不安もあるけれど、この詩にはとても感動したので是非書きたい。 今度先生に聞いてみるとしよう。 いや、聞いてタブーだと言われてやめたくはないけれど。 布団みたいなサイズの紙の束を広げ、いや縦は布団より長い、とりあえず書いてみる。 一反50枚、1枚いくらであることは考えない思考回路が、冷えて固まったそぼろくらいには出来上がっている。 少し久しぶりに大きな紙に書くのでなかなか空間に収まりがつかない。 それに、変わり映えもしない、動きが足りない。 派手がいいわけではないにせよ、やっぱり自分に一旦行き過ぎてみる勇気のようなものが足りない。 ちょっと根性出さねばならない。 ついでに明日が締め切りの俳句もまとまっていない。 前回特選をいただいて、なんだか私は結構満足だったこともあり、それまで割と日常的に俳句を作っていたのだけれどこの2か月はほとんどしていない。 10個くらいだだっとできるのだけれど、ぴしゃりと来るものがないのである。 一昨日、ひどく酔っぱらった帰り道、コンビニでピノを買った。 ベッド際に置いたまま食べずに寝てしまったらしく、起きたら常温のピノがそこにあった。 箱から漏れだしていなかったので、もしかすると円錐台の形を保ったまま中身だけ溶けたのだろうかとちょっとした期待を込めて冷凍庫に戻す。 出かけて帰って開けてみると、片隅に泥水が堆積したように、円錐台など跡形もない塊が現われた。 それでも味はちょうど半減くらいのピノだった。 時々、自分自身において、パラダイムシフト、と言ってもいいような変化が起こることがある。
その巨大な変化を私は用語的に“ロックンロール”と呼んでいると思う。 それは「変化」ではあるものの、AからBに移行する変化ではない。 Aの中にBがあったことを認識する、思い知らされる、ということだ。 Aというのは、”わたし”という何か。 確か過去に、私は“ロックンロール”を「自分の中の真実をまざまざと見せつけられること」というふうに私の中で翻訳した。 今でもこの訳は案外正しいように思っている。 それはまさにその瞬間まで、もう全然認めたくなかった何か、であり、しかしそのことを認める認めないとかではなくて、あまりに、あまりに、自分の中で納得感のあることなのである。 それは一般的に有益で有用な考え方でないことが多いし、自分自身とて有益で有用であると思えないばかりか、自分自身にとってさえも”きれい”であるとも限らない。 しかし無自覚に何らかの矛盾を抱えているよりはよほど心の風通しが良くなるし、おそらく、私のイメージとしてはこういうことで少しだけ他人へのやさしさのようなものを芽生えるのではないかと思う。 どんなに論理を積み上げたって、理屈をこねくり回したって、分からないときにはどうにも分からないし、分かるときには「分かった」という感覚しかない。 それに、趣味的に論理も好きだし、科学も好きだし、理屈もこねたい。 おそらく小さな変化は毎日起きているのだけれど、私がそんな”ロックンロール”を自覚して認識したのは4年前くらいに「リンダリンダ」を聞いたときであることは多方面に話しているし、前のブログにも何度も書いた。 あの経験は巨大で、最大で、私の考えや生活をまるごと飲み込んだ。 平たく分析的に言えば、最初のそれは「”社会”と”わたし”は当然ながら別のもので、”わたし”は何物でもない個人である」ということを認識した瞬間だったとも言える。 裏を返して言えば、”わたし”は「”社会”と”わたし”が癒着していた」わけだ。 そしてこの癒着において言えば、完全に解かれることは誰にとっても極めて難しいように思う。 世界がひっくり返った、とか、自分がひっくり返った、ように感じたりするのだけれど、実際には世界も自分もひっくり返ってはいなくて、案外脈々と時が流れているだけだったりもする。 しかし、こういうのは不意打ちで突然やってくるものだから、渦中にいると分析などはできたものではないし、自分自身について客観的にいることもできない。 最初のアレから、巨大なものとしてはもう一度アレが起きて、また2年ぶりくらいにアレが起きたように感じている。 私が強く強く敷いてきた根底の何か、そうでなければ”わたし”の辻褄が合わなくなってしまうと恐怖していた何か、そうでなければ”わたし”の原動力が根こそぎ奪われてしまうと見て見ぬふりをしていた何か、そんなものはなかったのだ。 私は”本質のわたし”と思っていた”わたし”と明らかに違っていることがあったのだと思う。 本当に何にもなかったのだ。 あのとき私が泣いたのは、悲しいでもなくて切ないでもない。 酔いしれるだけなら切ないけれど、切ないようで全然切なくなんかない。 私がともすれば忌み嫌っていたようなどうにも受け入れたくなかったことをようやく受け入れて、心が軽くなんてなってしまって。 これらの訳の分からない一連のことは、結局のところ、私にとっても「で?」という話でしかない。 さてはて、まあお茶でも一杯、と確か「十牛図」で飲茶さんが言っていたようなそんなことだ。 しかしながら、私としては今の方がよほどふつうに歩けるような気がしている。 けいこが来て、けいこが帰っていった。 一緒にお好み焼きを食べて、一杯だけビールを飲んで。 ディズニーランドのお土産とカマストラのパンを置いていった。 たくさん階段を上ったり下ったり、ちょっとした山を上ったり下ったり、そして今日、太ももあたりがとても筋肉痛である。
階段を降りるとき、へんてこな動きになってしまう。 プールには割に頻繁に行っているのにこんなことになるわけだから、プールでは足の筋力は養われないらしい。 また、やっぱり運動が目的ならば、浮力でも借りないと我が体重を支えるのが辛い。 道後温泉に行った。 基本的移動は車で、運転がまるでできない私はちゃっかり座っていただけだけれど、旅はやっぱりよく歩く。 飛行機に乗るのは去年の9月終わりに長崎に飛んだ以来だろうか。 飛行機に乗るのはいつだって仰々しく大それたことのように感じるし、新しい気分になる。 二次元バーコードでSuicaのように乗れることに、たぶん去年も驚いて、また再び驚いてしまう。 自分の都合である程度したいがままに予定を調整して平日に旅行に行けるのは、なんだか本当にしみじみ良いなあ、と思う。 土日休みの概念はすっかりないけれども、平日の昼間にレッスンが結構入ることを考えても、そんなスタイルで働いている人は決して少なくないようだ。 それでも、朝寝て昼に起きる人は案外少ないけれど。 いつも通り、特別に道後温泉に行きたかったわけでも、何か特別に目的があったわけでもない。 どこか行きたい、というところから始まって、そんな話を生徒さんにしていたら愛媛の出身の方がいらして力のこもった説明をされたので行ってみることにした。 尤も、その方が最も力説していた場所には行かなかったけど。 日本の地方に行くといつも思うけれど、地方の空港周りや市街地や市街周辺の風景というのはどこも似たような雰囲気がある。 おばあちゃん家の近くみたいだとか、この前行ったあそこに似ているとか、あの海岸沿いもこんな感じだよねとか。 もちろん似てはいても全然別物なので、その地ならではの風景や情緒がそこには存在しているし、旅を共にする人が違っていたり、過去の私でない私もいるわけだ。 今度旅行に行くときは、とりあえず行ったことのない別の場所をプランニングするだろうけれど、例えば一緒に行く人が私の行ったことがある場所を切望したなら、私は迷いなく既視の場所にも行くと思う。 詰まるところ、言ってみれば、私は旅でなくてもどこにだって行きたいし、場所が重要なのではないのだと思う。 ついでに、これは今回また自分について思い知らされたけれど、旅においてのみではなく日常的にも、食べるものも最重要にはならない。 美味しい方がいい、美味しいものが食べたい、というのは常に当然ではあるものの、会話だったり成り行きのハプニングだったりの方がよほど鮮明に記憶に残る。 私にとって食べることを含めて食べ物にまつわる話はかなり面白いし、好きだ。 食べるということは、味覚や視覚や嗅覚だけではなくて、シチュエーションまるごと、ストーリーまるごと、覆い込むような壮大な幅を持ち得ると大げさに言えば思っている。 だが、食べ物のみを自ら最重要に掲げることは滅多にない。 凛と自立した薄味の鯛めしや、出汁醤油卵かけごはんは美味しいから美味しい宇和島鯛めしや、最近いちごづいた私に甘いいちご、思い出の金柑、恐竜の手みたいな亀の手という貝、浮き輪みたいな食感のふかというサメの湯引き、飲まずに持ち帰った木の皮茶、薄味ではなく味のしないお吸い物や、帰りの羽田空港で食べた塩辛い硬めの生ハムも記憶に濃い。 中でも今回の旅で、私が一番、わ、と思った食べ物は、四国カルストへの道中偶然に見つけて汲んで帰った清流の水で割った焼酎が、あまりにも透明で柔らかな美味しい水の味がしたことだった。 焼酎が焼酎でなく水になってしまうような、それが良いのかどうかさえもよく分からないけれど、とにかく水が!という感じがしたのだった。 梅園というか、梅山と言ってもいいような、山の斜面一帯に植えられたさまざまな種類の梅も見た。 硬いまっすぐの枝に蕾が間隔よくついて、ひとつずつ、それぞれが膨らんで咲いていく。 赤やピンクや白や黄色や、それらにも色々あって、さらに花弁の色もそれぞれにさまざま。 最近めっきり撮らなくなったけれど、花の写真を撮るのはやっぱりとても楽しい。 花の首筋というか、がくの部分が好きで、バックから呼吸を止めてピントを合わせ、iPhoneのシャッターを切る。 食べ物の写真を撮って見返したりしないけれど、花の写真は相当に見返したり人に送ったりする。 アレを食べに行きたい!とはほとんど言わなくても、あのお花畑に行きたい!とは言う。 いや、食べることは大好きだ。 梅一輪一輪ほどの暖かさ 服部嵐雪 これはあまりにも有名な俳句だけれど、「去年今年貫く棒の如きもの」のような凄みではないにしても、巧さと潔さが結託しているのをこの句にも感じる。 正岡子規や松尾芭蕉、夏目漱石も訪れたという道後温泉は至るところで俳句を見かけた。 花粉を浴びたせいで喉がやられている。 薬の副作用か、声がガラガラである。 喋る仕事をしているわけなので、とても差し支える。 全体を通して、居心地の良い旅だった。 「天」を最初から最後まで読んだ。
タイトルは「天」だけれど、明らかに「アカギ」が主人公の話。 麻雀はほとんど分からないから、その部分は雰囲気だけを読む。 麻雀が分かっている人なら分からないで読むより3倍くらい面白いだろうと思う。 以前、最後の3巻だけを読んでいてひどく心を打たれていたのだけれど、今回も今回で、本当に泣いてしまうくらいだったというか、軽く泣いてしまった。 高島屋のベンチで。 麻雀のルールが何にも分からなくても、勝負事、博打、であることさえ分かっていれば、この漫画は問題なく読める。 天が自殺間際のアカギに言い放つ言葉と、それを真っ当に受け止めてアカギが答える言葉。 アカギは天に救われたありがとうと言い、しかしそれでも意志の通りに自殺する。 今思い出すだけでもぎゅうっとなる。 「カイジ」も「銀と金」も「アカギ」もそうだけれど、福本さんがギャンブル以外に描こうとしている内容に、私はどうにもこうにも心を引っ掴まれてしまう。 「天」の最後の3巻はどの頁を開いても食い入ってしまうほどだ。 もちろん独特な言い回しや簡略的な絵の感じなども含めて好きだし、とても好意的に笑わせてもらったりもするけれど、私が解釈するところの“ロックンロールのあり方”のようなことが福本さんの漫画には存在していて、もう全然笑えないどころか泣かされてしまう。 このことは、多くを語りたいような、全然語りたくないような、誰かと積極的に共有したいような、積極的にはしたくないような、そんな気持ちになる。 ついでに、「真・異種格闘大戦」という漫画もアプリで読んでいるけれど、こちらもとても面白い。 作者のマニアックな知識がストーリーの中で輝いている。 どれもこれもある一人の人から勧められたものばかりで、その人の引き出しは圧倒的に膨大なのだろうけれど、よくもまあその巨大な引き出しから私の好みを当ててくるなと思う。 しかし未だ「ジョジョの奇妙な冒険」は止まったままである。 いもうとの引っ越しが決まったらしい。 新居のリビングに飾る書が欲しいと言われ、もちろんいいのだけれど、私としては驚きの感を隠せない。 私が自分の部屋のインテリアとして書を飾るのはちょっと・・・と思っているということもそうだけれど、最も驚きなのは、いもうとがリビングの一番目立つところに私の書いたものを飾りたいと思う、という点である。 ふたりの姪の命名書は良くても、リビングのど真ん中に割に大きなサイズで、名もなき書家の、双子の姉の作品を飾りたい、とはどういうことだ。 私の筆致をある程度知っているとしても飾りたいほど好きなのか。 日々の鑑賞に私の作品は長期的に耐えられるのか、気分を圧迫しないだろうか。 いもうと側としてもそんなところに飾ってしまったら、それを外すことは引けるのではないだろうか。 その書が気に入らなくなってしまったとかではなかったとしても、気分を変えたくなってしまったらどうするのか。 いや、それは外せばいいのか。 いや、そもそもそんなに深い意味はないのか。 いもうとは私の仕事を、言わないけれど、応援してくれている感じはする。 私たちふたりにおいて、違う人生を、互いにないものを羨望するでもなく、真っ当に認めている気がしている。 それにしても、結婚祝いやら出産祝いやら、そして引っ越し祝いやら、なんだかいもうとにあげてばかりな気がする。 この後はまた出産祝いとか入学祝いとか成人祝いとかあるのだろう。 社会的お祝いの贈答は、企業を介しての人付き合い以外、多くの場合、家庭を築くこと、あるいは家庭を発展させることを主として発生する。 ひとり暮らしの人が何かしら本人的に良い意味で引っ越したり、たとえ新居を購入しても、そうそう引っ越し祝いなどもらえるものではない。 しかし例えば、会社を辞めて独立して店舗を構えました!ということは、新たな人生の始まりとして、ともすれば結婚くらいめでたいことなのではないだろうか。 しかしこういう場合、同業者や取引先からのお祝いはあっても、家族からはあまり一般的ではないように思う。 どちらにおいても、成功するかもしれないし失敗するかもしれない危うさを孕んではいて、大きな何かを背負いつつ前進的に生きていく大きな決断には変わりはないと思うのだけども。 例えば、私が今結婚して子どもを産んだら、きっと家族は盲目的に安心もするだろうしお祝いをくれるだろうけれど、私はそれについて嬉しいだろうか。 結婚自体は良いものであろうということや、良くあって欲しいと願いつつ、別に自らがんばってすることの類ではないと思うので、言わば「こういう時にはお祝いをあげるものだ」という杓子定規なお祝いならば最上級の喜びは得ないだろうと思う。 個人が個人としてがんばったことに、個人が個人として自発的にお祝いをあげるのだとすれば、お祝いされた側は、少なくとも私は、とっても嬉しいよなあと思うわけである。 またがんばったとかそういうことではなくても、「あなたが好きそうだと思ったから。喜んでくれるといいな」という気持ちで何かをあげたりもらったりするのはただただ嬉しいではないか。 そういう私はそういうことをすることがひどく苦手であるという、何とも現金な面のでかい奴だけど。 いささか脱線したが、ちなみに、結婚を悪いとも、結婚祝いを悪いとも全然言ってはいない。 今回の件については、いもうとに大した深い意図がなくとも、「インテリアに特段こだわりはないのでお金をかけずに何か飾るものが欲しい」という理由であったとしても、ほんのり嬉しいのである。 あの日、桜新町の蚤の市で買ったとてもとてもお気に入りの平皿が手から滑り落ちて割れてしまった。 とっても大好きで、とってもよく使っていて、とっても馴染んでいた。 フランスかベルギーかその辺りの、確か割と古いものだった。 もうない。 あれはもうない。 このことで、涙も出ないし、眠れないこともないだろうけれど、1週間くらいはあのお皿を思い出して嘆きそうな気がする。 マスクをして出かけると皮膚が擦れて肌が荒れる。 ジレンマ。 変な時間に寝てしまって、変な時間に目が覚めてしまった。
寝た変な時間、とは23時で、目が覚めた変な時間、とは5時である。 テレビも電気も点けっぱなしで、座椅子を倒して電気ひざ掛けをかぶったまま6時間も寝てしまったのか。 最近朝方生活をしていることが多い。 こんなとき、私はどこに向けたら良いかわからない、罪のような罪でないような罪滅ぼしで片づけに精を出すことが多い。 化粧を落として歯を磨いてコンタクトを外して、シンクの山盛りの食器を洗い、いくつもの花瓶の水を換え、いくつもの鉢植えに水をやり、冷蔵庫の期限の危うい食材をとりあえず鍋に放り込んで煮て、きのこ類を切って冷凍し、コーヒーを瓶に詰め替え、レシートを然るべき場所に保管し。 ギターの弦を張り替える人なら、ここでギターの弦でも張り替えるのかもしれない。 マニキュアを塗り直したかったけれど、その後の作業が憚られるのでやめた。 やさしいものが飲みたいと、久しぶりにコーン茶を淹れる。 コーン茶は、コーヒーや紅茶や緑茶やミントティーのように刺激が少なくて、甜茶のように甘くはなくて、やさしく香ばしくてやさしく甘い、そして美味しい。 麦茶やそば茶やあずき茶にも少し似ている。 我慢かと思うような苦いコーヒーとか痺れるほどに辛い料理とか喉が焼けるように甘いチョコレートとか、以前はすごく好きで、自らそれらに頻繁に向かっていた。 今も好きだし、たまには食べたいと思うけれど、頻度はものすごく少なくなった。 コーヒーはアメリカンを選ぶことも多いし、かつては絶対にストレートで飲んでいた紅茶は最近はもっぱらミルクティーにすることが多い。 痺れる辛さの料理を食べると、私としたことが何ならお腹の調子が悪くなるくらいである。 食べ物における刺激はあまり必要ではないらしい。 結局のところ、素材の味が活きたものが好きだし、おそらく元々が割に薄味志向なのだ。 我慢かと思うような苦いコーヒーとか痺れるほどに辛い料理とか喉が焼けるように甘いチョコレートを頻繁に好んでいた頃、私がコーン茶と出会っていたらどう思っただろう。 薄くて味気ない、間延びしている、などと思ったのかもしれない。 薄いということと味が間延びしているということはほとんど近しいこともあって、薄めで間延びしていないところを射抜いているものが好きだけれど、それはなかなか難しい。 そもそも刺激の少ないコーン茶において言えば、薄めのコーン茶は全然ダメで、濃いめのコーン茶が美味しい。 料理も、砂糖や油分やニンニクや唐辛子に頼り過ぎずに、ぴたり、としてほしい。 しかし、薄味すぎるのは本当にとても残念な気持ちになるし、ならば濃い方が良いとも思う。 まあこれは、単なるわがままを追求したい、ということになる。 仕事中、突然iPhoneの画面が映らなくなってしまった。 着信もできるし、ホームボタンも機能しているようだから、単純に画面だけが映らないという症状。 電源を落として再起動しようにも、電源オフの画面操作ができないので電源が落とせない。 電子機器の不具合がよく起こる私はまたかと思いながら、この後に起きるかもしれない多大な面倒のことを想像して気が滅入った。 こんなとき、auショップに持って行ってもアップルに行ってくださいと言われることは学習済みで、偶然にも銀座のアップルショップの近くにいたので持っていくことにする。 一緒にいた生徒さんが私の方向音痴を心配して、ご自分のスマートフォンで道順を分かりやすく紙に書いてくださった。 それにしても、対処法を調べるにも、誰かに聞くにも、地図を見るにも、全てスマートフォンでやっているわけで、本当にこれがないとやることが何もない。 道すがら、音楽を聴くこともできない。 幸い、後の予定はまあ行かなくても問題は起こらない予定だったので良かったものの、直後にレッスンが入っていたとしたらかなり焦ったであろう。 地図を書いてもらったのに、なぜか易々とアップルショップを通り越してしまって、どこだろうどこだろうと思いながら銀座の中央通りを1丁目から8丁目まで歩いてしまう。 そんな自分にうんざりしながら引き返し、なぜ見過ごすかわからない大きなアップルショップをようやく見つけて、店内で1時間待ちと言われる。 暇つぶしのiPhoneもないわけだから、うつらうつらしながら待って、順番が来て見てもらうと強制再起動であっけなく元通りに画面が映った。 強制再起動、とは、電源ボタンとホームボタンを長押しすること。 このことは知っていたような、知らなかったような、でももしかすると初期化されるかもと思ってそれは試さなかった。 今回は事なきを得たにしても、バックアップもきちんとしていないので、また落としたり洗ったりするかもしれないから、本当にきちんとしておいた方が良さそうだ。 予定が狂って時間が空いたので、その足で日本橋まで歩き、高島屋でやっているピカソ展に行く。 字心がそれなりにあっても、絵心はさっぱりな私だけれど、ピカソは好きだ。 画集もいくつか持っている。 絵画だけでなく、絵皿や水差しなどもたくさんあって、この絵皿が欲しい!と思ったけれど、売店にあったレプリカは全然良くなかった。 ポストカードやポスターなども、実物を見た印象と近いものと遠いものがあって、今回の展示で良かった「読書する女の頭部」はポストカードがいまいちで、「接吻」は物自体がなかった。 高島屋で買い物をすることなどほとんどないけれど、せっかくなので見て回る。 なんだかんだ食器やらリネンやらインテリア雑貨が好きなので、デパートはとても楽しめる。 そういえばと友人への誕生日プレゼントを買う。 今までと全然趣の違うプレゼントを選んだけれど、きっと喜んでくれるし、結構楽しんでくれるだろうと思う。 帰宅後、部屋の壁に貼ってあった若冲さんのトラのポスターを取って、ピカソとマティスのポストカードに変える。 彫刻の森美術館のピカソ館にとても行きたくなった。 |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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