息子は昨日も今日も、べらぼうに可愛い。
頭皮の脂漏性湿疹ということでワセリンのような保湿剤を頭にべったりと塗って、ちょうど禿げたおじさんがポマードを塗っているようになってる姿でもべらぼうに可愛い。 息子のことを可愛いと思ったり、嬉しいと感じたり、そんなふうに強く思う気持ちを、どこかで歯止めをかけなくて良いだろうかと心の深部でうっすらと思っている。 しかし、それは自分で歯止めがきくようなことではないことも分かっている。 二十歳過ぎまで、私は嬉しいと思うことを最小化して生きるような癖があった。 そんなものすぐに終わってしまう、消えてしまう、続かない、一転何か悪いことが起きたときに衝撃を和らげるために低空飛行しておこう、そんなふうに思っていた気がする。 一方で日常の身近なことを過剰に有り難がろうとしてみたりもしていたと思う。 そして逆に、悲しいことは最大化する癖もあった。 落ちるところまで落ちているなら、もう落ちられないのだからその方が楽だという思考である。 しかし実際には、体裁上極端に落ちることもできずにやはり低空飛行していたのだろうと思う。 思い返すに、それらは自己防衛のひとつだろうと思うが、浅はかで意気地なしで情けないなあと思う。 色々と変だったなあと思う。 当時の自分はそうは感じていなかったが、傍から見れば、変、であり、大変、そうでもあっただろう。 そんな癖をおそらく、ロックンロールに落ちる前後くらいの20代半ばころに私は取り払うことができた。 それは分厚いコートから一気にTシャツ1枚になったわけではなく、薄手のジャケットにしたりまた分厚いコートに戻ったりを繰り返しながら、徐々に薄着になっていった感じである。 上手く言えないけれど、美味しいものを美味しいと感じて良いのだ、というごく当たり前のことを知ったのである。 それまで美味しいものを美味しいと感じていなかったのかと問われればそんなことも無いのだろうけれど、それは質が違う。 社会的に仕入れた情報や人の意見を乗せた“美味しい”を「美味しい」としていた感じである。 どこか演技的である自分自身について疑いがなかったわけでもないが、社会的情報や他人の意見を乗せた“美味しい”も、「美味しい」に近しいと言うか、「ほぼ美味しい」のだからまあ仕方あるまい。 ただ、少なくともその「美味しい」の一瞬において、社会から手を離し、自分の身体のみで感じられたということはとてつもなく私の生き方に影響を及ぼしたように思う。 目の前に起こる、あるいは自分の身体に起こる様々な変化を、そのすべてが刹那的であることを理解して受け入れることが出来るようになったのではないかと思う。 とりあえずは誇張も偽装もせずに、自分の思うことを認める覚悟が作られたとも言えるかもしれない。 それは仏のようにいつもにこやかにいることができるようになったわけではなくて、自分の中に起こる喜怒哀楽が認識できるようになったということである。 だから今純粋な気持ちで、息子がこんなに可愛いと思える気持ちを味わえてとても幸せだなあと思う。 私がこんなに可愛い子の親だなんて嘘のようだとも思う。 一方で、こんなにも失えない、失いたくない、大変な存在を生み出してしまった、そんなふうにも思う。 近いうちに息子が死んでしまう医学的な確率はとても低いと思うが、人の寿命がいつまでかなんて誰も知る由が無い。 毎日まいにち、息子に限らず、私だって誰だっていつだって死ぬ可能性は秘めている。 今日も明日も明後日も、私は息子に会いたい。 そんなふうに思う令和元年10月30日。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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