11月に生まれたほやほやの姪と、2歳半の息子が初対面を果たした。
幼いうちに妹や弟が生まれると、兄や姉は赤ちゃんに嫉妬して赤ちゃん返りをしたり、機嫌を損ねたりするというのはよくある話である。 いとこである赤ちゃんと息子との対面はどんな感じだろうか、と私は楽しみにしていた。 息子は目の前のおもちゃに夢中で、赤ちゃんを見ても大した反応を示さなかった。 次は私が赤ちゃんを抱っこしてみる。 すると、サッと息子の顔色が変わって、「ねんね、ねんね、だっこ」と赤ちゃんをここに下ろして自分を抱っこしろと慌てて私の元にやってきた。 瞬間的に、取られる!と思ったのだろう。 やはりこうなるのか、とある程度予想通りではあったものの、私はなんだか良い気分だった。 次にアスカちゃんという赤ちゃんよりはだいぶ小さい人形を抱っこして、「かわいいねえ、よしよし」とあやすふりをしてみた。 当然ながら、特段反応を示さない。 次に6歳になる姪をおんぶしてみた。 他の子をお母さんに取られているという状況は、赤ちゃんと同じである。 しかし、息子は特にこちらにやってくることも攻撃してくることもなかった。 次に夫が赤ちゃんを抱っこして、あやしてみる。 ここが一番正解が分からなかったところであるが、息子はほぼ無反応であった。 そしてまた私が赤ちゃんを抱っこしてみる。 すると息子は瞬く間に飛んできて、私の顔を引っかいた。 息子は混乱、困惑、憤懣遣る方ない様子で、これ以上その子ども抱いていると酷いことになるからな!と言わんばかりの目をしていた。 仕方がないので赤ちゃんを寝かせて、息子を抱っこするとまだ怒っている様子だった。 きょうだいができると上の子は否応にもこのような状況にさらされることになる。 しかし息子は現状ひとりっ子なので、お母さんを取られるという経験は疑似でも初めてである。 ちなみに私は息子に好かれているということが嬉しいという面が大きいので、周囲からの「この子はお母さんべったりで大丈夫かなあ」なんて声はあまり耳に入ってこない。 息子にとって良い経験だったかどうかは分からないが、大人はなかなか見ごたえのある反応であった。 息子は疲れ果てて寝てしまった帰りの電車の中、夫に、「なぜ6歳の姪をおんぶするのは良くて、赤ちゃんを抱っこするのはだめなんだろうね」と話すと、「赤ちゃんは魅力が溢れているからじゃない?」と返ってきた。 私は至極、なるほど、と思った。 6歳の姪に魅力がないということではないのだが、赤ちゃんには確かに特別な魅力がある。 神々しいと言っても良いような、恐ろしいまでの魅力である。 その燦然煌々と輝く魅力に、息子はかなわないというある種の負けを感じているからこそ、魅力に取りつかれたお母さんが帰ってこない恐怖を感じてしまったのかもしれない。 相手はうにゃうにゃ言っているだけで、自分で数センチも移動することもできず、力も誰よりも弱い存在であるにも関わらず。 確かに、嫉妬というのは、自分が負けていると思う存在に対してするものなのかもしれない。 ただし自分が負けを認めているかどうかは関係なく。 あの光り輝くヤツに自分が受けている寵愛を奪われるかもしれない、あるいは寵愛の量が減るかもしれない、今すぐに取り返さなくては!とする行動が嫉妬なのだろう。 「可愛い」の語源は、古語の「かほはゆし(顔映ゆし)」と言われている。 「相手がまばゆすぎて正視できないけど放っておけない、でも気恥ずかしい」というような意味から、転じて、「見ていられないほどかわいそう、気の毒だ」というようなややマイナスな言葉になり、また転じて、その気の毒な様子を愛しむ意味合いになって、現代の一般的な「可愛い」という意味になったらしい。 この意味の変遷全て含めても、「可愛い」は赤ちゃんのものであり、「可愛い」は圧倒的に周囲の人から視線を集める、まさに魅力的なのである。 生きていれば誰もが赤ちゃんでなくなるし、息子はすでに赤ちゃんと言うには大きすぎるサイズになってきている。 赤ちゃんは可愛い、赤ちゃんは魅力的、それは仕方のないことである。 そしてまた今は生後二か月の姪もそのうちに赤ちゃんではなくなる。 私は今でも息子のことを今が一番可愛いと赤ちゃん扱いしているけれど。 ちょうど昨日たくさん喋るようになった息子に不意にとても驚いた。 いつまでも赤ちゃんでいてほしいとは私は全然思わないのだが、思うよりも成長は進んでいるのかもしれない。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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