さて、旅日記とは鮮度が命である。
理想はその日のうちにパソコンに向かうことである。 学生時代、東南アジアをバックパックを巡っていた頃、日本語が使えるネットカフェを見つけては頻繁にブログの更新をしていた。 旅をしていると、あれもこれも文章に書き留めたくなって、もはや心はどこにあるのやら、となったりするほどだ。 カシャカシャと大きめのキーボードを打つのが心地よく、2,3日分の旅の記録を書くのに、2時間も3時間も、あるいはそれ以上ネットカフェに入り浸っていたような気がする。 今はパソコンに向かわずとも、寝ながらスマートフォンでも書けるのだが、腕も目も辛くなってくる。 あと、小さい画面では推敲がしづらいということもあって、なかなかそのやる気が出ない。 そんなこんなで旅の続きを書いてみようと思うのだが、鮮度落ちの褪せたものになってしまうことは否めない。 2日目、朝7時半ごろ息子は目覚めた。 けいこのマンションは東海道本線沿いにあり、在来線のみならず貨物列車なども非常によく通る。 当然ながら通過音がうるさくて、私はあまり眠れずに朝を迎えた。 かつて住んでいた実家は新幹線にほど近い場所で、新幹線が通過する際にはその振動で揺れるくらいだったので、列車の騒音には慣れていると思っていたのだが、もうそんな身体ではなくなっているようだ。 朝ごはんのときに息子が食卓についていないのはいつものことで、昨日もらったトミカで遊んでいるところにごはんをお運びして、ひと匙ずつお口に入れて差し上げる。 自分で食べてほしいけれど、ならば食べなくても良い、というのが息子のスタンスなので仕方ない。 けいこは「座って食べない子にはごはんないよ」と言うのだが、そんな言葉は彼には通用しないのである。 朝食を終えるとすぐ、「い、い、おー」と言う。 これは「えいえいおー」のことで、外に行く、という合図である。 ごく少ない語彙で自分のやりたいことを何とか伝えようとする姿は愛おしいものだ。 特に何の用もないので近くの公園に行ってみるが、すべり台もブランコもなく、あるのは鉄棒だけ。 息子は公園だとも認識していないので、その足で電車を見に行く。 特に何の用もないけれど、珍しい電車に乗ってみようと、名鉄の赤い電車に乗ることにした。 息子はいつもはSuicaでピッとやるのを楽しみにしているのだが、残念ながらここには自動改札がない。 券売機にお金を入れて切符を買って、駅員さんにハンコを押してもらう。 私はSuicaしか持ってきておらず、けいこに切符を買ってもらった。 今はかろうじて一時間に二本走っている電車は、廃線を迫られている単線路線だ。 コロナで乗車人数が減少したとかそういうことではなく、もうずっとずっと前から走れば走るほど赤字路線なのである。 通勤通学時間帯にはそれなりに人がいるらしいが、その他の時間は1車両に4、5人も乗っていれば良い方だ。 ちなみに車両は2両編成である。 しかし市民の足であることには違いなく、名鉄に市がお金を払って存続させているという現状らしい。 5,6駅先にけいこの実家がある。 つまり私の祖父の家、息子の曽祖父の家、あるいは私の叔父叔母の家。 連絡をしていないけれど、そこに行くことにした。 いつもは車で行くけれど。 その駅は、路線の中でもひときわ寂れている。 ワンマン運転なので運転手さんがいるところの切符回収箱に切符を入れる。 小さな駅のホームには大きな傘のような屋根があり、ホームを降りると掘っ立て小屋のような駅舎がある。 駅舎の中には古いベンチと新しい自動券売機、覗くのも怖いような暗く小さな便所もある。 無論、無人駅である。 この駅舎は古くなり、建て替えはしないということで近日取り壊しになるらしい。 どういうふうになるのか分からないが、自動券売機だけ、ということになるのだろう。 最初は電車に興奮していた息子は、私に抱かれたまま途中から寝てしまっていた。 駅から出て、5分ほどのところにある祖父の家に向かう。 ちなみに祖父は96歳、今は入院中とのことで不在である。 この家はとても広く、庭はジャングルのようである。 目覚めた息子を連れて庭に入ってみるが、私は虫やら何やらが怖くて足がすくむ。 私はもう田舎に住むことはできないと思う。 叔父叔母に連絡をすると、出かけていたがすぐ戻ると言ってくれた。 コロナのせいで会うのは2年ぶりくらいだろうか。 叔父叔母も元気そうだったが、子どもたちは皆自立し、孫もいるが、何だか時間を持て余しているとのことだった。 叔父も叔母も、ちらほらいるその辺の畑作業をする人たちも、下校中の小学生も、皆マスクをしていた。 当然のことなのだと思うけれど、こんなに田舎でも、皆が皆マスクをしている生活をしていることに、何だか少し胸が疼いた。 世界はまるごと、変わったのだなあと思う。 皆でお昼を食べに行こうと、叔父の車に乗せてもらっておすすめの和食屋に連れて行ってもらう。 こういうとき、息子は特に食べたいものがないので、大人が食べたいものを選択できる。 息子はあらゆる引き戸が大好きなので、しばらく料理屋の個室の襖で遊んでいた。 肉や魚などを一人分煮る小鍋のふたに、革紐のような取っ手が2本出ていて、息子はそれを見て「かたあちーー」と言って喜んでいた。 かたあち、はかたつむりのことである。 物の名前を大枠の形や概念で覚えていくことに、何だかいつも感心してしまう。 息子の脳みそは、絶賛稼働成長中である。 息子は私の頼んだ鰻の釜めしを少し食べたが、これではカロリーが足りない。 まああとで蒸しパンかクリームパンを買えばよいか。 外出時に困ったときの外カロリー補給は、たいてい蒸しパンかクリームパンである。 あれは口どけの軽さとは裏腹に驚くほどカロリーが高いのである。 その後、叔父は海沿いを走ってくれた。 海と船を見せたかったらしい。 「ふね」は写真で知っているけれど、「うみ」は理解するようになって初めて見たかもしれない。 息子はとても喜んでいて、後日東京に戻って市ヶ谷あたりで中央線からお濠を見たときに「うみーー」と言っていた。 あれはね、おほり、しかし何と説明すれば良いのか分からなかった。 叔父は家まで車で送ってくれると言ったが、息子が電車に乗りたいだろうと思ったので、帰りも赤い電車に乗って戻ることにした。 けいこのマンションに戻り、蒸しパンでおやつを食べ、その後夕食を食べ、珍しくものすごく眠そうにしていた息子は21時半には寝てしまった。 翌日は午前中に水族館に行く。 なんと大人500円、安い。 息子は「かなな、かなな(魚)」と言ってはいたものの、あまりご機嫌が良くなく、途中からは誰でもトイレの引き戸に夢中になっていた。 この水族館は所謂インスタ映えするような生き物はあまりいないのだが、結構珍しい生き物がたくさんいて面白い。 大きなウツボや大きなタカアシガニが見どころである。 広告宣伝にも力を入れ始めてからは結構有名になって、入場制限をしているほどに混雑していた。 今の状態なら息子と一緒でない方が大人が楽しめる。 お昼にはマクドナルドに行ってみる。 なんとハッピーセットのおもちゃがプラレールだったからである。 息子はご機嫌にプラレールで遊びながら、ポテトを少し頬張っていた。 私も何年かぶりにチーズバーガーを食べた。 14時半ごろの新幹線で東京に戻るべく、駅に向かう。 けいこはそのまま一緒に東京に来てくれた。 大人がふたりいる安心感たるや。 しかもこちらの重たいリュックまで背負ってくれた。 息子は新幹線に乗る前に寝てしまい、新横浜あたりで目を覚ました。 再び新幹線に乗っていることに興奮した息子は東京駅で降りてもホームから離れようとしなかった。 行こう、というとホームにまた転がってストライキを起こす。 少し待って、無理やり引っ張って連れて行くかどうか、根競べをしていたら、息子は自動販売機に向かったので「りんごジュース買って行こうか」と提案したら意外とすんなり納得してくれた。 無事に帰宅。 疲れた。 けれど、良い冒険だった。 新しい経験にはたくさんの労力が必要だけれど、やはりたくさんの経験をしてほしいなと切に思った。 その経験が何に活きるかは知らないけれど、心の襞にたくさんの見聞きを刻むことは悪いことではないだろう。 冒険から数日、息子は明らかなイヤイヤ期に入った。 電気を点けるな、ごはんじゃなくてパン、パンツじゃなくておむつ、水じゃなくて炭酸、といちいち突っかかって大暴れしている。 保育園に送るときには「がっち、でんしゃ、キンコン、のる、こっち」と大変である。 ここ数ヶ月、息子のことであまり悩ましいことがなかったのだが、また悩ましいフェーズに入ったのかもしれない。 仕方ない、人間だもの。 人間だもの、って恐ろしいパワーワードである。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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