7月11日、そういえば今日は父の命日である。
9年が経つ。 翌々日の13日がお葬式だったものだから、不意にどちらが命日なのか分からなくなる。 七回忌を終えて十三回忌までは、家族皆の気持ちが限りなく風化に近く均されていくのに十分な時間だ。 家族の誰も、父の命日に、父について何かを話すことはない。 いや、私がこの日に家族と会うことがないから知らないだけかもしれない。 けいこは仏壇にいつもより良い酒でも供えているだろうか。 私も、命日を思い出してここに書くくらいの思いの馳せ方はしている。 父は私の夢の中で、死んだのか死んでないのか分からないような状態で度々登場していたのだけれど、それもなくなって数年が経つ。 3年前ほど前、熱烈なラブレターのようなものを私は父に向けて書いたこともある。 私にとって必要な放出だったのだと思うし、あの時点において言えばあれに対して嘘偽りはなかった。 私はあのときと同じ内容では泣かなくなった。 今も思い返したからと言って、涙でPCの画面がぼやけてしまって・・・ということもない。 忘れたわけではなくて、今でもいろいろなことをありありと鮮明に思い出せるわけだけれど、おそらく、私自身が心の内で乗り越えなければならなかった事柄は一旦の完結を迎えて、私は少しだけ人間として自由になったのではないかと思う。 優しくなれたのか、はたまたその逆なのか、優しいという言葉の定義なしでは何も言うことはできない。 しかしながら、少なくとも私は人間として少しだけ自由になれた、と思っている。 だから、感謝はしている。 久々にごった煮を作って一度は美味しく食べたのだけれど、その後食べる機会がなくて放っておいたら仰け反るような匂いを発していた。 そういう季節、真っ只中だ。 せんじのカキ氷なんかが食べたい。 はたと「せんじ」ってなんだろうと調べてみると、東海地方だけで使われる言葉らしい。 砂糖を煎じ煮詰めて作ったシロップだから「せんじ」らしい。 全国で最も市民権を得ている呼び名は、砂糖水(さとうすい)を略して「水(すい)」らしい。 他にも「みぞれ」「かんろ」「しぐれ」といった別名もあるらしい。 「せんじ」も「すい」も、「砂糖」そのものの粒を振りかけるのではないということを表したかったのかもしれないけれど、何だか結果よく分からないネーミングである。 カキ氷に「レモン」や「メロン」や「宇治金時」があるなら「砂糖」で良いような気もする。 それにしても、「ブルーハワイ」だけはネーミングにおいて全然別の華々しさがある。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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