思いの外息子の慣らし保育は順調に進んで、息子は家族という名の初コミュニティを除けば初めての社会進出である。
何も分からない息子からしてみてみたら、いつも一緒にいるお母さんと離れ離れになって、言葉は悪いが置き捨てをされたように最初は感じただろうと思う。 寂しいどころか、今後どうなってしまうかも知れず、さぞや怖かったことだろう。 もちろん、保育士さんたちはみな優しくて頼りがいがあって、少人数の園なので息子がほったらかしにされていることもない。 涙が減って笑顔が増えて、いつものように世界を探索し始めているようで、お迎えのときの顔つきも気のせいではないほどに確かにしっかりしてきた。- 預ける時間も徐々に伸びて、約10日ほどの慣らし期間を終えて来週からは9時から17時まで日中の時間を丸々預かってもらうことになる。 私の方の気持ちもだんだんと慣れてきて、手放しで動けるこの身の自由を取り戻しつつある。 がしかし、それは確かにそうなはずなのだが、妊娠期間も含めて約1年半ほど、身体の不自由がスタンダードになっていたのでこの自由さに今はまだ少々戸惑っている感じもある。 散歩をしても気が急いて小走りになってしまったり、買い物も気持ちが散漫で買い忘れも多く、撮りためたドラマも流し見になってしまい、キーボードをタイプする手は覚束なくて。 しかも、時間がたっぷりできたはずなのに、ものすごい勢いでお迎えの時間がやってきてしまうのである。 散歩も買い物も料理も掃除も一部の仕事も、これまではすべて息子と一緒にやってきた。 これらのことはひとりでやると多少効率よく短縮できるが、それほどまでに所要時間が変わらないのである。 加えて、息子がいない分これらのことをほんの少しずつ細かくグレードアップしてやると、いつもよりも時間がかかってしまうくらいだ。 したがって、あれよあれよあれよと夕方になってしまう。 息子を保育園に送って、食料品の買い出しをする、夕飯を拵える、通信指導の返信を作る、床掃除をする、通販の段ボールを解いて物をしまい段ボールを片付ける、ここまでで9-12時、そしてもうお昼ごはんである。 ブログなんて書いてないでささっとお昼を済ませれば良いのだが、そこは書きたいご愛嬌としておこう。 お迎えまでに郵便局に行かねばならないし、食パンも買いに行きたい。 しかし、お昼ごはんを食べると激烈な眠気に襲われるし、少し休みたい。 そういえば加えて今日は保育園後に予防接種まである。 私は会社員ではないので、かなり時間に融通が利いているが、これで9-17時までのフルタイム会社勤務であったとしたら、どこに自分の時間があるというのだろうか。 家事、特に食事に関するところは何日分かをまとめて用意するなど、大幅な効率アップは図れるだろうけど、その変更のために考えなければいけないことが面倒であまりそうする気が起きない。 買い物は毎日ちょこちょこと行って、その日の分を献立を詳細に考えずに適当に作って食べる、この習慣から抜け出たくないのかもしれない。 世の中に育児日記や育児漫画はあふれている。 以前はなぜそんなよくあることを書いたり描いたりしたいのだろうと疑問に思っていたものだが、やはりそのことが正に自分の日常となると、何か表現欲求がある身としてはそのコンテンツを逃すわけにはいかない、と思ってしまう勿体ない精神が働くことがよく分かる。 ありふれたに日常はありふれたもののでしかないように思うが、本人たちにとっては当然ながらかけがえのない煌めく一つひとつなのである。 しかしその煌めきが他人にとっても煌めいているかはまた全然別の話である。 こんなに可愛くて、こんなに忙しくて、こんなに大変で、こんなに面白くて、という子育てのあれこれというのは、他者との温度感をそれなりには知っておいた方が良い気もする。 もちろん、子育ての内容を昇華させて何か作品的なものに転じさせることができれば、それは他者にとっても温度の高いものである可能性を高めることができるだろう。 しかしながら、子育てというものはそこに踏みとどまって考え作ることを許さないほどに急流濁流であることもまた難しいところである。 あと1,2か月ほど、通常保育の日常に私が慣れてくれば、このわたわたとした感情は落ち着いてくるかもしれない。 一喜一憂、していこうと思う。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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