先日の作品の整理の延長で、少しずつ部屋の片づけをしていく。
子どもが動くようになったらきっとあれもこれも危険なものになってしまうだろう。 今の私のお腹は部屋の片づけだけでもぱんぱんと張ってしまうので休み休み。 妊婦は雑巾がけをすると良いなどとよく言われるが、雑巾がけなどしたら5秒ほどで息が切れてその場に横たわってしまうと思う。 しかしながら、出産を経験した友人たちの中には妊娠後期になっても、お腹が張る、という現象があまり理解できなかった、という人もいる。 私はと言えば、床に座ったり立ち上がったり、それだけでも難儀である。 仰向けに寝ることさえも許されない。 仰向けに寝ると太い血管が圧迫されて低血圧になり、貧血のように気分が悪くなってしまったりする。 妊娠とは、身体の一大革命であり、非常事態である。 何せ、自分とは別の生命体が自分の腹の形を変えるほどに、私の意志とは関係なく動いているのだから。 十月十日、十人十色。 今この地球上に70億人ほどの人間がいるとして、その70億人分の十月十日があったのだと思うと気も遠のく気分である。 十月十日、私たちは誰もが母体の子宮の中で母体を拡大ときに圧迫しながら過ごした過去があるのである。 だから母子の絆がとか、大切な命を育むとはとか、そういった展開をするつもりは毛頭ない。 人間とは、妊娠とは、そういう十月十日を経るものなのである。 生命の神秘、というくらいは言いたい気もするが。 しかし、それほど妊娠が大変だったというふうな声は多くは聞こえてこない。 自分が胎児であったときの記憶はない場合が多いと思うが、出産を経験した女性であれば妊娠期間中の記憶は当然ながらあるだろう。 にも関わらず、出産の苦労話はいくらでも溢れているのだが、妊娠の大変さがあまり取り沙汰されないのはなぜなのだろうか。 個人差はあれど、あまり大変だと感じる人が少ないからだろうか。 それとも妊娠が大変だと口に出して言うことはある種のタブーのような面があるのだろうか。 出産の痛みを鮮明に思い出すことが出来ないように、妊娠期間中の苦労も産み落としたと同時に忘れてしまうものなのだろうか。 子どもを腹に宿しているという幸福感が肉体的苦労を大きく上回っているのだろうか。 不思議とかえるくんに怒りが沸いてくるということは全然ないのだが、やはり妊娠そのものが辛い。 だから何だということもない、ただ私の身体の現状を言いたいのである。 夜様々な事情であまり寝られなくなっているが、ふと朝に目が覚めると一瞬だけ妊娠していることを忘れていて、自分だけの身体がここに存在する気がすることがあって、我が身ひとつで幸せな気持ちで布団に抱きついていることがある。 しかしもう次の瞬間にはぱんぱんのお腹に気が付いてしまう。 そのうちにかえるくんが動いていることを自覚する。 起きたの?おはよう、と心の中で声をかける。 この瞬間はとても愛おしく思う。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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