名古屋でどうしても見たい個展があって、日帰り、保育園のお迎えまでの超弾丸で行こうかと思いついて息巻いていたところ、ギャラリーが火曜水曜と休みであった。
けいこにまで声をかけていたのだが、名古屋まで行って休み!!とならなくて本当に良かった。 滞在時間2時間ほど、交通費往復2万円以上、空回りしなくて本当に良かった。 最近、展示会友達のような方ができて、情報を交換しながら書に限らずいろいろな展示会をご一緒している。 その方もフリーランスで書を教えたり作品を作ったりしていて、ある程度時間に融通が利く。 コロナ渦では私たちのような仕事にも少なからず影響はあり、なんだかんだと空いている時間もあるので、ここぞとばかりに勉強したり目の保養したりをしているわけである。 無論私の周りには書道をやっている人たちがわんさかいるのだが、無論書道をやっていない人たちもわんさかいる。 当然ながら書道をやっている人としかできない話があって、そういう話ができる友というのはやはりかけがえのないものである。 ギターや音楽をやる人たちは、ギターの弦の種類だとか、海外アーティストのシークレットライブだとか、ギターや音楽にどっぷり浸かっていないと出てこないような単語にまみれて会話をすることを心地よく思うのと同じで、書道には書道の話が当然ある。 さすがに名古屋に弾丸で行きましょうとは誘っていないけれど。 あと、書道の話ばかりしているわけでもないけれど。 友人、というのはなかなか難しいものである。 かつて、7,8年前から、昔からの友人が次々に妊娠して子どもを産んで、それまでのようには遊べなくなった。 私は当時そのことを残念に思ったものだし、寂しい気持ちを抱いたものだ。 基本的には誰しも、自分の今現状と自分の興味関心について話がしたい。 そうなると、子どもがいるのといないのとでは全然まったく世界が違ってしまう。 そうこうしているうちに私はありがたいことに新しい友人ができて、たくさんの話をした。 そうして今度は、私が妊娠出産をした。 子育て界隈の単語がどかんと入ってきて私を覆いつくした。 その友人からしてみれば、私が妊娠出産したことで、それまでのように話すらできなくなって、連絡すらもとらなくなって、寂しく思ったりしたのだろうか。 私は離れても関係が変わらない、とは思っていなくて、一緒に過ごす時間、連絡をとる頻度や会話の量が関係を密にするだろうと思う。 だから毎日一緒にいる家族は、良きにつけ悪しきにつけ関係は深まらざるを得ない。 逆に言うと、離れたい人がいる場合には、連絡を絶つ、距離的に離れる、ということが最も効果的であるだろう。 コロナ渦もさることながら、子育て渦にいる私としては、友人と過ごす時間を心ゆくまでとることはできない。 子育て渦において子育ての話をしたいのもあるのだが、子育て以外の話もしたい。 その良き相手は夫であるのだが、わちゃわちゃとして家の中では夫とすら話に没頭するのは難しい。 閉鎖的になりがちな子育て渦を、少しでも開放的に。 何かの標語みたいだが、大事なことである。 息子は「ギたー」という単語を覚えて、私にギターを弾かせようとする。 車は全部「でんしゃ」だったのだが、バスを見ると「ばパ」と言うようになった。 屈託のない笑顔と、癇癪の海老反りを繰り返す、そういう毎日。 そういえば、比較的旧い友人が妊娠をして、なんと双子だということを昨日知った。 なんとまあ。 お腹の中で無事に育ち、無事に産まれてきますように。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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