そしてまた、プールに行く。
行こう行こうと思って、1か月くらい経って行った。 仕事と仕事の合間に。 平日16時のプールは、それでも空いてる!というほどではなく、でも1レーンに人が4人ほどでとても快適に泳げる。 この時間帯はさすがに年配の女性が多い。 地方のプール事情がどうかわからないけれど、東京のプールの更衣室の方が皆身体的に開けっぴろげな感じがする。 よく言われるように、地域における“人とのつながり”が希薄であるから、他人にどう思われても良く、恥じらいというものも薄れてしまうのかもしれないし、あるいは、身体に対する価値観や考え方が違うのかもしれない。 そのくらい皆堂々と着替えをしたりしている。 私はとりあえず合理的にいきたいので、私も便乗して堂々とする。 今日も700mほどを泳ぐ。 服を着替えると、身体が芯からじんわり温かいのを感じる。 それは結構長持ちして、その後の仕事でも少しふわふわとしていた。 何だか最近、毎晩お酒を飲んでいる。 ひとりで家では飲むことも、月1回くらいから、月3回くらいに増えた。 まあでもひとりで飲んでいるときは全然量は飲まない。 ビールなら350ml缶1本で十分である。 昔、私はお酒に弱いフリをしていた。 それは自覚的にではなく、自分でそのようなキャラクターを設定していた。 おそらく、お酒なんて楽しくない、もしくは酔っ払うのは怖い、そんな感じだったのだろうと思う。 自分が外界からの影響でバグを起こすことが怖かったのだと思う。 飲んでも2、3杯で、その頃はたくさん飲みたいとも思ってはいなかった。 もちろん2、3杯でも酔っ払うので、それはそれで満たされていた。 だから自分のお酒の限界なんて知らなかったし、知りたいとも思ったことがなかった。 今でも酔っ払い始めた感覚というのは2、3杯だけれど、その後結構な量が飲める。 総量として、体調にもよるけれど、ワインでいえばおそらく1本分くらいはいける。 大酒飲みだった父のようではないにせよ、割に強い方なのかもしれない。 あとはほとんど精神力の問題のようにも思う。 ひとりで飲んでいるときに量を飲めないのは、気を張っていなければお酒が軽くまわり始めた時点で眠くなってしまって寝てしまうのもつまりはそういうことだと思う。 精神力は他者に向けて保たれている。 この論理展開だと自分が精神力が強いということになってしまうけれど、単に思考がしつこい傾向がある、とも言える。 あと、これは今の私のスタンスとして、酒の場というのはコミュニケーションの場なので、アルコール許容量の限度はあれ、精神力を以てして臨みたいと思っている節がある。 お酒は、一緒に飲む人と楽しく飲みたい。 私は誰かと話すことが好きなので、とにかく楽しい話や面白い話、別に話題の明暗は問わない、がしたい。 ヘベレケになって訳が分からなくなってしまったら何だかもったいない気すらしてしまう。 それに、本当にヘベレケになる前に気分が悪くなってしまうので、ヘベレケにはなれないのだけれど。 心ゆくまで飲んで、心ゆくまで話す。 お酒の自制ではなくて、ええかっこしいの自分の自制を外したい。 相手がどうかはわからないけれど、私はそんなことが少しでもできた日はとても幸せだ。 いやしかし、二日酔いは辛い。 二日酔いは嫌いだ。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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