前にも何度か書いたことがあるような気がするが、私は道をよく聞かれる方である。
あくまで自覚としては、だが。 「この電車はどこどこへ行きますか」などの質問をされることも多い。 イヤホンをして音楽に没頭しているのに止められて聞かれたり、速足で歩いているときとか、初めての場所を歩いているときとか、自転車にストールが巻き付いて泣きそうになりながら取っているときとか、子どもが横断歩道を走って行って追いかけているときとか、とにかく全然道を聞かれても良い状況ではなくても聞かれるのである。 何でなのだろう、と思うのだが、未だ本当によく分からない。 ちなみにこの傾向はコロナでマスクをするようになる前からなので、顔とか表情とかはあまり関係ないのだろうと思う。 そして、少なくとも、私が酷い方向音痴であることは、傍からは微塵も感じられないのだろう。 想像するに、私は害の無さそうな雰囲気が出ているのかなと思う。 日本人女性の平均身長よりはやや小さく威圧感はない。 そして、見た目によって提示したい何かを醸していないということも大きいのではないか。 こだわりの無さそうな髪型、こだわりの無さそうな眼鏡、こだわりの無さそうなTシャツとズボンとスニーカー。 例えば、入れ墨やハイヒールや金髪などは見た目によって表現される何かがある場合、見た側がその何かを感じ取って意識的にも無意識的にも気圧されてしまうことがあるだろう。 つまり、私の背丈とファッション性の無さ、かと言ってみすぼらしかったり汚かったりすることもないということだろう、が見知らぬ人からの話しかけやすさにつながっているのかもしれない。 道を聞いてくる人は困っているのだから、聞かれたら誠意をもって答えるようにしているのだが、中途半端に知っている場所で道を聞かれるとこっちも困ってしまう。 Googleマップを開いて、地図を見るとバグを起こしやすい脳を宥めながら出来る限り丁寧に説明し、「ありがとう」と500円玉を無理やりねじ込まれて別れた後、一息ついて考えてみると通り抜けできない道を教えてしまっていたことに気が付いて絶望したこともあった。 一方逆に、私は道を聞きたいとき、道行く人に話しかけることがほとんどない。 流れ行く街の中で、足を止めてもらうタイミングを図れないからだ。 交番かデパートか、その他お店の人に聞く。 ところかまわず道を聞いてくる人は、突然電話をかけてきたりするのだろうなあと思う。 聞く側からすれば迅速な問題解決ができるのだから良いのだと思うが、聞かれる側は構えていないのでドキッとしてしまう。 まあでも、道を聞かれることも、突然の電話も、こうした考え事につながったり、どこか少し嬉しかったりするものだと思うから良いのだと思う。 人間はそうして関わり合い、そうこうしているうちに季節は廻り、どうであろうと地球は回っているのだと。 話を肥大化させて締めることだってできる。 お字書き道TALKS note 「公団文字と漫画文字。キメラ文字の話。」 https://note.com/ojikakido_talks/n/nae3e47b7ada3
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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