久しぶりにお味噌汁を作る。
私はNHKの「きょうの料理」が好きでだいたい録画して流し見ているのだけれど、そこでやっていた料理を作ったり、何かポイントを自分で作るものに反映することはほとんどない。 ただお味噌汁を作るときだけに、一本の唐辛子をまるのまま入れると味が締まる、というのを見て、実際にやってみたところ本当に味が締まっているように思えて、それ以来お味噌汁には一本の唐辛子を入れることにしている。 私が自分のために作る料理について新しく採れる面倒とは本当にそれくらいなものである。 ついでにパックごと落としてヒビが入ってしまった卵も使ってしまわないといけなかったので、買ってきた葱と豆腐と一緒に炒める。 材料を炒めているときにいまいち自分が何を目指して作っているのかが判然としない。 何となく、オリーブオイルで炒め始めたけれど、葱の青さと豆腐のぽろぽろした感じに中華系の雰囲気がしたのでウェイパーと醤油で味付けすることにする。 あと年末にお持たせで買ったほうれん草とにんじんのテリーヌなんてものを、食べずに持って帰ってきてしまって、そして今賞味期限が1日過ぎていたので切り分ける。 これも久しぶりに、ご飯を炊いた。 いつかに買った5キロのお米がようやくなくなった。 このお米はいったいいつからあったのだろうか、半年前くらいな気もするし、一年前くらいな気もする。 私にしてはとても頑張ってごはんを作った気がしたけれど、黒いトレンチにできたものを並べてみると随分と簡素な感じした。 味としてはどれも、ストライクゾーンには入っているけれど、局所を射抜かれている気はしないものだった。 割と自分で作るものに自分として信頼を置いているけれど、今日の料理はちょっとした切なさがあった。 肉が入っていなかったからだ、ということのような気はする。 焼肉とか好きではないし、ステーキ肉も苦手だし、肉食というほど肉食ではないけれど、私は“肉の力”を信じている。 やっぱり肉が入っていればある程度なんだって美味しいさ、と思う。 眠たくて眠たくて、ごはんを食べ終えて、録画してあった「きょうの料理」を見ながら寝てしまう。 足が寒かったり、首が痛かったり、テレビがうるさかったり、ときどき起きるのだけれど起きられない。 ベッドは2m先にあって、本気で寝ればいいだけのことなのだけれど、それができない。 寝ている座椅子をもっと倒したり、手元にあるリモコンでテレビを消せばいいだけのことだけれど、それができない。 こたつやホットカーペットなんてあれば、1週間とか連続でそこで夜を明かしてしまうのでそれらを持たないようにしているのに、そうでなくてもそんな寝方を繰り返してしまう。 これは、今私はお風呂はほとんど朝だけれど、昔お風呂に入らなければベッドに入ってはならない、とベッドを神聖な場所と取り扱っていたことに起因するような気がする。 部屋着のままベッドに上がることなど、自分も他人も許せなかったし、その辺で使っているクッションをベッドに上げることさえも抵抗があった。 今はそんな頑ななマイルールからはほぼ解かれている。 ということは、単に眠いときには不快な状況から逃れられる状況があったとしても動けない、だけのことか。 今日は誕生日だ。 31歳、というのは、幼い頃や小さな姪にとってはただのおばさんだと思う。 しかし現代的に言って、そして職業的に言って、なんだかまだまだ年齢としてもひよっこな感じがする。 「年なんて関係ねえ。真島37年だ」と言ったらしい、いつかにマーシーbotから拾った言葉を思い出す。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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