週末なのでカレーを煮る。
カレーを煮るとブログを書きたくなる。 ちなみに、床を水拭きしてもブログを書きたくなるのだが、最近はもっぱら掃除機とスチームモップで床掃除をしてしまうので、ブログを書く頻度が減っている、のかもしれない。 週末なのでカレー、その意味をこれまであまり考えたことがなかったけれど、今更ながらとても納得感のある行為であると身に染みるようになった。 昔、「休みくらいごはんを作りたくない」とよくけいこが言っていたけれど、なるほど確かに。 休日、カレーさえあれば何とかなる。 そんな風に思えることが良い。 料理好きではない私からすると、カレーは結構手間が多く面倒な部類の料理だけれど、それでも手間を上回る恩恵に後から預かれる。 もし出かけて疲れて夜に帰ってきたとしても、夜ご飯はカレーで良い。 息子はお昼にカレーで、夜も再度カレーでも良さそうである。 別にふりかけご飯と納豆でも良いけれど、それは平日に食べているから、少しくらいは緩急つけていきたい。 口当たりに敏感な息子のために、また人参と玉ねぎをミキサーでガーーッとペースト状にする。 ここ数ヶ月玉ねぎが驚くほど高いので、玉ねぎを大事に大事に使わずにいたらカビが生えてしまった。 けちん坊が何とも情けない。 にんじんと玉ねぎのペーストを火にかけて水分を飛ばす。 カレールウの表示にはひと口大に切った具材を大さじ1の油で炒めることになっているのだが、水分が多いので入れずにおいた。 ところで、カレールウや麻婆豆腐の素など、パッケージ通りに作ることが最も美味しく作れる、ということはおそらく真実である。 ほとんどの料理において、大さじ小さじの計量スプーンなどのはかりの類を一切使わない私であるが、カレーの時だけは計量カップで水を計って入れている。 というのも、数年前に不意に測ってみたところ、味が歴然と違って美味しかったという経験があるからである。 それまではじゃがいもにんじんなどの具を必要以上に多めに入れて、その上しめじやブロッコリーなども好きなだけ入れて、適当に水を入れてルウを投入していた。 弛まぬ企業努力の末にできた珠玉の配合をぶち壊しにしていたというわけだ。 それからはルウや何かの素を使うときには、水をきちんと計るようになった。 ちなみに私の友人は水だけでは満足せず、にんじん中1本(200グラム)という表示の「200グラム」をはかりで計っていて、それでもまた味が変わると言っていた。 たとえ、手持ちのにんじんが2センチだけ余ったとしても。 私はそこまではできないけれど、具の量もある程度は従うようにしている。 ちなみに袋ラーメンの湯の量も計った方が良いのだろうけど、今のところやってはいない。 そういうわけで、具材を炒める大さじ1の油を入れようか迷ったのだが、そもそもパッケージの表示の「肉」は何肉かもどこの部位の肉かも指定がないわけだから、油量は大きな影響を及ぼさないのではと思い、やめておいた。 特に今日は豚ひき肉で作るので脂は多めなのではないかと思う。 録り溜めている「新・美の巨人たち」を3つくらい1.2倍速くらいで見ながら、ぐつぐつ煮込む。 一旦火を止めて、ルウを割り入れ、よく溶かしてから再度弱火で煮込む。 このあたりも、比較的忠実に守っている。 息子は今日の夜からカレーだろう。 大人はお酒を飲むので、寝かせたカレーを明日食べよう。 最近読んだ漫画と観た映画のメモ。 範馬刃牙、ホーリーランド。 閉鎖病棟、アルキメデスの大戦、インターステラー 。 「ホーリーランド」は喧嘩格闘漫画で、愛聴している「ゆる言語学ラジオ」のお二人が好きだというので買ってみた。 二人はこの漫画を紹介するときげらげら笑っていて、笑っているその理由が分かる気もしていたのだが、実際に読んでみると全然笑えなかった。 彼らが笑っていた理由と私が笑えなかった理由、それは何だか興味深いのではと思った。 ラストはよくあると言えばよくある終わりだったのだが、とっても感動的だった。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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