けいこが来ていた。
無論一泊だが。 けいこが来ると一緒に美術館に行ったり飲食店に行ったりスーパーに行ったりするのだが、「東京の割に広い」とか「東京の割に空いている」とか「東京の割に安い」とかという言葉をとても頻繁に使う。 けいこの中では、東京は土地が狭く人が多くて混んでいて物価が高い、というレッテルがべったりと貼り付けられていて、それが自分の基準よりも良好の場合には「東京の割に○○」と出てくるのである。 しかもそれを毎度新鮮であるかのように言う。 今回一緒に行った美術館でも中華料理屋でも近所のスーパーでも言っていた。 確かに東京は蒲郡に比べれば土地が狭く人が多くて混んでいて物価が高い面はあるのだが、私も長らく東京に住んでいるので、何も敢えてそれらが凝縮されたところばかりに突っ込んで行ったりしない。 私だって喫茶店のテーブルが狭いのも、人ごみで上手く歩けないのも、物価が無駄に高いのも嫌なので、東京慣れしているからこそ、少しゆったりできてコストパフォーマンスの良いところに行くのである。 だから毎度けいこの「東京の割に○○」を聞くことになる。 何度も「東京の割に○○」ということに出くわすのだからそろそろ情報はアップデートされても良さそうだとも思うけれどそうはならないようだ。 考えてみれば私も「東京なのにこんなに土の匂いがして最高」とか「都心とは思えない静けさ」などと、大きな森のような公園を都心に見つける度に言っている気がする。 そんなものは東京にだって結構たくさんあることを既に知っているのだけれど。 反対に、蒲郡にだってとても混んでいる場所もあるし、コストパフォーマンスが悪い店だってたくさんある。 東京のそういった場所を発見したとき、マイナスがプラスに転じた嬉しさを未だ毎度味わっている気がする。 ということは私も今なお東京の実態を上書きせずに東京に対するマイナスの評価を携えているということだろうか、まさか。 まあマイナスの評価レッテルを貼っておいた方が心が楽という心理状態は分かる。 「東京の割に○○」という言い方は多少東京のことを“だめな奴”ということにしたいという上から目線な見方も含有しているだろう。 「あんたとしては上出来だわ」と。 ついでに、おそらく自分が住んでいる土地の方が総合的に優れているということの表れでもあるような気もする。 いや、でも、東京は居場所とするほとんどの土地が狭く高く人が密集しているというマイナスポイントは誰もが思っていることなのではないだろうか。 東京生まれ東京育ちならば「東京の割に○○」とは思ったり言ったりしないのだろうか。 毎度新鮮味を持って上から目線で東京の評価を上げて、それをまた都度完全リセットするような行為はしないのだろうか。 とある変化が私に起こっていてやや戸惑っている。 それは意志の行使と自然現象の結晶である。 それに付き纏う仕方のないことと仕方なくないことがある。 色々と思うことが増えそうなのだが、私は私であるために勝ち続けなければいけない、のかもしれない、尾崎豊風に言うと。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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