「セックスアンドザシティ」なんかがamazonプライムに上がっているものだから、ついつい見てしまう。
たぶん、観るのは4回目くらいだと思う。 アメリカ人の大仰に見える振る舞いや描かれる恋愛至上主義の女性たちの姿は、今の私には特別に何か参考になることがあるわけでも無いのだが、そのテンポは流れの早い川のようで流されざるを得ない。 それに、よく言われることだがこのドラマの一流の女優さんたちが着る高級な洋服やファッションセンスはとても興味深いし楽しい。 何年か前、このドラマの最後の映画が上映されたとき、女友達と二人で初回を観に行った。 後に最悪の映画だと評されるこの作を、私たちも上映後すぐに言い合ったことを思い出す。 主人公のキャリーは「セックスアンドザシティ」というコラムのライターで、パソコンに向かって恋愛についてカタカタとキーボードを叩いているシーンが毎度出てくる。 私は今はライターはやっていないけれど、こうしてカタカタ文章を書きたくなったのはキャリーのせいである。 この3日間、ART SHODO TOKYOという書における現代アートの展覧会のお手伝いに、また黒いスーツとけいこから奪った黒いパンプスを履いて出かける。 葬儀で少しばかり着慣れていたのは幸いだったように思う。 3日間、ほとんど立ちっぱなしで夜帰宅しても全身の火照りが消えないほどによく働いた。 STAFFの腕章をつけた私は、何でも知っている係の人のように見えていたようだが、実は仕事の内容を当日までほぼ知らされずに行って、行き当たりばったりのいい加減な係員だった。 作品のネットサイト登録を主に担当し、その使い方やら何やらの接客も行った。 別にそんなに難しいことではないのだが、やはり新しいことというのは骨が折れる。 「この仕事、あなた向いているね」と言われ、私は「はい、そうなんです」と答えた。 肉体的にも精神的にも、久しぶりにこんなに疲れたかもしれない。 良くも悪くもマンネリ化していた私の毎日に、浅くか深くかは分からないが一筋の切れ込みが入った感じはあった。 実はこの展覧会に私も一度応募をしたのだが落選をして、審査自体には何度もトライできたのだが、さっぱり息が続かなかった。 この一年ほど、私はあまり自発的な創作をしてこなかった。 忙しかったのもあるし、何だか気分が乗らなかったのもある。 ちょっとした技術やアイディアの引き出しを増やすことを主にしてやってきた。 それは、私の見る目や書くものが変わった自覚があってとても幸いなことであったが、逆に言えば殻の中で遊んでいたにすぎないのかもしれない。 私も書道をやる人からすると、あるいはやらない人からすると、比較的よく分からないものを書く方なのかもしれないけれど、それは全然そんなことはない。 元来芸術コンプレックスの私が最もよく分からないと思っているのが、現代アート、という分野だ。 こういうことがあるから芸術アレルギーが出てしまう、そんな風に思ってきた。 「よくわからない、人種が違う人たちがやっている」そんなレッテルを貼り続けてきた。 ぐちゃぐちゃっと絵の具を塗ったものは、もはや「誰でもできるじゃん」と言ってしまいたくなっていた。 今回それが目から鱗が落ちたように開眼したわけではないが、再び"モチーフ"ということの意味や、"わざわざ創作する"ことの意味などが少しばかり分かったような気がする。 それは多くの作家さんとお話しすることができたからというのも大きい。 また、8割ほどは記号としても文字を書いていない作品だから、タイトルの持つ機能は大きい。 どんな作品も、「誰でもできる」ということはやはりなくて、やっぱり「誰にもできない」のである。 しかしながら、原理的に「誰にもできない」のだから「誰にもできない」ということだけで「良い」なんてことにも全然なるはずもない。 この度、私は初めて、あるひとりの作家さんのアート作品を購入した。 このようなものの値段はあってないようなもので、今回私が買った作品はアート界からすれば格安なのだろうと思うけれど、私の体験としてはものすごく高価な買い物となった。 大きめの画用紙にボンド墨で書かれた花の絵の作品。 私は自分のも他人のも、リビングや寝室にいわゆる書を飾ろうとは思わない。 いわゆる書は言葉なわけで読めてしまうのでその意味合いが怖いし、何よりあの独特の東洋の雰囲気がインテリアに合わないのである。 買ったのは、 私よりも少しおそらく年上くらいの男性の方の作品。 インテリアの主役となってくれる、且つ、くどくない筆路がとても印象的な作品だ。 大きさは一般的な画用紙のひと周り大きな作品。 数ある同じシリーズの中からひとつを選んだ。 もうひと回り小さいのも一緒に欲しかったのだが、安いものではない。 ひとつ飾ってみて、どうしても欲しくなったらまたお金を溜めて買おう。 そのときには、そのそれはもう売れてしまっているのかもしれないけれど。 「すぐに額装して送ります!」とメッセージをいただく。 一週間ほどで届くだろうか。 作品が買われていくことをよく「お嫁に行く」とか「嫁ぎ先が決まった」とか言うのだが、その作家さんはその表現よりも「僕の恋人がどこかへ行ってしまう」という方が近いと仰っていた。 その一抹の切なさは分からなくもない。 自分の作品がお金に変わった、評価が得られた嬉しさもさることながら。 私は彼の恋人を、まもなく家に引き入れるのである。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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