息子が徒歩での登園降園の最中に、あらゆるものを指さして「これは?これは」と私にそのももの名前を聞くことがブームになっている。
とにかく手当たり次第に次々に「これは?これは?」と軽快に聞いてくる。 息子は私との対話を楽しんでいるに過ぎず、そんなに明確な名称を聞いてはいないと思う。 現に私が答える前に次の「これは?」を言ったりする。 「これは?これは?」と聞かれるたびに私は色々と逡巡する。 息子が指さすものの名称を明確に答えることが難しいのである。 地面を指さして「これは?」 「コンクリート」、あるいは「アスファルト」、あるいは「地面」、あるいは「道」でも良いかもしれない。 マンホールを指さして「これは?」 「マンホール」。 それは良いのだが、所謂錆びた鉄のふたのマンホール以外にも地下へと通じる何らかの穴のふたがあって、それのことも一緒くたに「マンホール」で良いのか、どうなのか。 道端の雑草を指さして「これは?」 「雑草」という言葉はこどもにとって難しいかもしれないと思い、「くさ」と答えてみる。 そうすると、その辺に生えているあれもこれも「くさ」。 では「たんぽぽ」のように名前を知っている「くさ」?が出てきたときには「たんぽぽ」と言った方が良いのか、それとも「くさ」で統一した方が良いのか。 やはり「雑草」と言っておいた方が、道端に生えている植物感が出て良かったのではないか。 しかし、「雑草」にも一つひとつ名前があるはずで、名もなき草ではない。 私が名を知らぬ草なだけだ。 何事も一つひとつの名前を知ることで、世界を良く知ることにつながり、解像度が上がる。 それは人生を豊かにするひとつの方法なのではないかと思っているので、雑草の名前もできるなら調べて教えた方が良いのではないか。 自転車のペダルを指さして「これは?」 そもそも息子が意図的にペダルのみを指さして聞いているのかどうかが判然としない。 「自転車」そのものを指している可能性が大きい気がするので「自転車」と答える。 しかしもうすでに「自転車」という言葉を息子は知っているので、パーツの名前「ペダル」を教えた方が良かったか。 民家のブロック塀を指さして「これは?」 「へい」。 「塀」の近くには柵があることも多い。 「塀」は面で隙間がなく、「柵」はストライプで先が見通せるもの。 格子状の仕切りだったとしたら何というのだろう、「網」か、それともそれも「柵」と言えるのか。 木々の新芽を指さして「これは?」 「しんめ」と答えて良いものか。 この場合は「葉っぱ」の方が適切か。 それとも「葉っぱの赤ちゃん」とちょっと詩的に言った方が伝わりやすいか。 「これは?これは?これは?これは?これは?これは?」 アクリル板、ナンバープレート、手すり、ガードレール、ボタン、自動販売機、桜、階段、マンション、植え込み、自動ドア・・・・・ 例えば、道路沿いにある駐車スペースの駐車料金精算機はそういう呼び名なのだろうか。 公園の砂場の真ん中に立っている鉄の棒のようなものは何なのだろう。 うさぎの形をした動かない遊具?には名前があるのだろうか。 とにかく名前が分からないものも山ほどある。 息子のこれはこれは攻撃に、私は何だか言葉に対しての不甲斐なさが募ってしまった。 名付け、とは、人間の叡智である。 名付けることによって世界という混沌を混沌でなく認識することに成功し、秩序だった生活を行うことを可能にしていると言っても過言ではないだろう。 脈々と受け継がれてきた各々の名前は、先人からの「愛」とも言えるかもしれない。 有り余る壮大な愛が目の前にある。 そんなことに気付かせてもらったのかもしれない。 大げさに言うと。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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