最近は息子と一緒に寝室に入り、そのまま寝ることにしている。
息子の就寝時間が後ろ倒しになりがちな傾向があり、まだ寝ないのかと待っている時間が辛く、もちろんそこでうつらうつらしてしまうので起きないとと思うこと自体もストレスになっていた。 現在は、1,2ヶ月ほど実験しているところである。 それまでは、息子を寝かせて21時半とか22時とか、そのくらいにむくりと起きて、もっぱらお字書きをすることに充てていた。 少しの作業の後、12時や1時に寝るのだが、翌日昼間や夕方にものすごい睡魔に襲われるのでどうしたものかと思っていた。 起きるのは7時から7時半と言ったところなので、睡眠時間は一般論的には十分と言えるのだろうが、私にしてみると足りないようだ。 睡眠不足はおそらく自律神経の不均衡に最も影響を及ぼすものではないかと思う。 過去の実験より、私は睡眠時刻はずれてもあまり問題はなく、トータルで寝ていればさほど不都合はないことは分かっている。 まあ妊娠する前の数年前の体の実験なので、今はどうかは定かではないが。 今回の実験では、22時半~23時ごろに就寝し、7時くらいに起きるので、8時間は寝ていることになる。 この1時間の差は大きく、日中寝るまでほとんど眠気を感じることなく、活動的に過ごすことができる。 平日は9時に息子を保育園に送り届けた後お迎えの16時半まで、自分としては日々怒涛の種々様々な予定をこなしているつもりである。 また、たくさん寝ることは私にとって幸せなことで、しかも、しっかり寝られるということはそれなりに疲労しているということでもあるので、良い塩梅の疲労感を携えての睡眠という高級な日常を送れているという気さえしていた。 ただ、ひとつ頭にずっと引っかかっていたことがある。 それは、元々深夜帯を活動の拠点としていて、深夜帯には色々と捗ることも多く、そもそも深夜の時間が大好きであり、とても名残惜しいということである。 でもまあこれは暫定的な実験なので、とりあえずは息子のせいにして諦めることにしていた。 1,2か月の実験を経て、ここ最近思うことは、やはり自分の仕事や好きなことをする活動時間が足りないと感じる。 例えば、日々のお字書きにまつわる一連のことやブログ書きやサウナに行く時間など。 しかし、これはもし息子を寝かせてからまた作業するにしても、元の昼間の睡魔に襲われる生活に逆戻りするだけで全く解決しない。 また当然ながら以前のように、「思い立ったらすぐやる」とか「できるまでやる」とかいうことができない。 息子を愛でながら、高級な睡眠を貪りながら、できうる限り「思い立ったらすぐやる」とか「できるまでやる」とか実現するためにはどうしたら良いだろうか。 現在の生活において時間制限の中で創作などをするのは、自分の成果物になかなか納得がいかないことも多い。 しかし、もうすぐ2歳の子との生活では、無理なものは無理と割り切らないといけないのかもしれない。 他人から見て私が悠長に見えるかどうか知らないが、案外私は所謂意味で前進していたいと願っているのかもしれない。 前進する、達成感を得る、ということであれば、趣向を変えて英語の勉強でもしてみようか。 あまりにも唐突で、自分でもびっくりするような発想ではあったのだが、そういうのも良いかもしれない。 私は幼い頃、英語くらいは喋れるようになると思っていたのだが、まーーったくそうはなれなかった。 憧れは少しは持ち続けていたが、旅行英会話さえも全然だめなほどのレベルから、何一つ勉強したことはなかった。 例えばギターをやる、例えば子育ての何かをやる、例えば英語をやる。 曲がりなりにも現在書道という道にいて、何かを身に着けることの難しさや道の果てしなさを知っているつもりである。 どれもゴールは見えづらく、やればやるほど奥が見えて疲弊してしまうこともあるだろう。 しかしそれでも、何にしてもほんのほんの少しでも、やり始めること以外には始まらない。 そして、ある程度腰を据えてやらないことにはそれについての評価もできない。 という、自己啓発本でも読んだかのような浮足立った気持ちで、「英語 初心者 何から始める」と検索してみた。 闇雲に単語や例文を暗記するのではなく、小さくても目標を持つと良いという記事を読んで、なるほど確かにと思い、ふと安易に「道案内できるようになってみたい」と考えた。 早速道案内の英語例文集の載った記事をざざっと見てみる。 ふむふむ、と思ったところで、気が付いたのだが、私は非常な方向音痴である。 日本語で道を聞かれてもパニックを起こし、まともに説明などできない。 完全に目標の初期設定を誤ってしまったようだ。 英語にかまけている時間があるのなら本分の書の道を邁進したらどうかと思う気持ちもなくはないが、まったく別のことをやるとどこからか相乗効果が起こり、文脈がつながるという必然はギターで体験済みである。 マンネリ化したときは、性質の異なることをやることで何か開けることもあるというものである。 さてどうなるかは分からないのだが、今日の日にこんなことを考えたことは記録しておきたく、息子が寝た後にむくりと起き上がった次第である。 途中で大きなクレバスをジャンプしたような文章になってしまった。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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