ケミカルボリュームさんというバンドのアルバム曲のミュージックビデオの撮影があった。
24曲分も書を交えてミュージックビデオを撮るというのは監督さんもさぞ大変であろうと思う。 ほとんど練習なしで撮るので、普段の私のアベレージの力がもろに出る。 新聞紙に書いたり、竹ペンで書いたり、フォントを変えたり、豆本にしたり。 日々やっていることがアイディアとしても書としても少しくらいは血肉になっているだろう。 もう慣れた監督さんとアシスタントさんの前では書くのもあまり緊張しなくはなったけれど、やっぱり人前一発というのは後悔はいくつも残ってしまうものである。 だからといってこれからの日々何をするかは、ただ自分が上手くなるように、自分の思うように書けるように鍛錬していくものなのだろう。 また英語で話す機会があった。 4、5歳の子どもが大人の会話を止めて割り込んでくるのは、「私のわからない話してないで構ってよ」ということだと思うが、その気持ちがとてもよくわかる。 少なすぎるボキャブラリーと拙すぎる会話力では、その内容を聞いていようとしても、目が回る思いで埋め尽くされてドロップアウトしてしまう。 しかし、沈黙して笑顔だけ作りながらその場に座っているだけではつまらないので、「今何話してたの?」と日本語が分かる人に日本語で聞く。 日本語で聞いたことがあって理解している話であれば、想像力をプラスすれば何とかついていける。 けれども、もちろんのことそんな話ばかりでは会話はつまらないわけだし、四方八方に派生していく。 理解できる単語やフレーズをついばんで頭の中で翻訳しているうちに、会話はどんどんと進み練りあがっていく。 終始沈黙を貫くという手もなくはないけれど、そんな大人ならばその場にいない方がましだし、やっぱり子ども心には仲間に入れてほしい。 けれども、全然理解に及ばない。 ある程度の単語やフレーズを覚えて、英語に口周りの筋肉が慣れるように日常的に発音し、スピードについていけるように実践を積む。 これしかないとは、分かっている。 何か物事を教えている立場としては、非常に似通ったことを常に偉そうに言っているではないか。 基礎と勇気が大事である、と。 あと何が必要か、というのは、それに対する敬意と覚悟と意志だ。 そう、敬意と覚悟と意志が足りないのかもしれない。 そして今日、韓国の方に英語で道を聞かれた。 どうにかこうにか答える。 教えた道は合っていただろうか。 英語は日本にいるかぎり特に必要ではないと思って暮らしてきた。 こういうことが続くようであれば、子ども心に思い悩むよりも敬意と覚悟と意志を据えて勉強した方が良い。 さらさら字が書けて本当に気持ちよさそう、と言われることがあるけれど、そしてそれは確かに気持ちが良いものだけれど、英語だってすらすら話せたらどんなに気持ちが良いだろう。 物事を体得するとき、何だって同じだ。 敬意と覚悟と意志が必要なのだ。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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