息子、夏休み6連休。
長かった、あぁ、長かった。 夫に息子を任せて、私は仕事に出ていたりもしたけれど。 一緒にいる時間は本当に何もできない。 パソコンも本もスマホも書道用具も彼にとってみれば大変に興味深いおもちゃだし、親がそれらに夢中になっていることは彼を酷く退屈にさせて怒らせる大きな要因になる。 もっとも、彼はスマホでYouTubeの動画を操作できること、またそれをテレビに映すことができることを知っているので、自分の好きな動画を見せろと大変な勢いでせがんでくる。 外に出て時間を潰したいのだが、コロナ、猛暑、大雨、という三重苦のためになかなかそれもかなわない。 子のいる家庭は皆、そうなのだろう。 ところで、子どもが産まれてから、「時間を潰す」ということに度々難儀するようになった。 「時間がない、時間がない」というのが多くの大人の言いぐさで、現代人、特に都会人には余裕がないなんて使われ方をよくするものだ。 会社員を辞めて独立してからというもの、私はそれほどまでに「時間がない」という状況に陥ったことが無かったように思う。 もちろん一時的に徹夜するほど忙しいなどというときはあったであろうが、それがひと月ふた月続くなんてことは絶対にありえなかった。 おそらく悠長に過ごしてきた方なのではないかと思う。 まあ好きなことを仕事にしているので、オンオフがあまりなく忙しいのが何ゆえなのかは計りづらいということもあるが。 時間があれば、サウナに行っていたし、ドラマや映画や漫画を見ていたし、お字書きをしていたし、お酒を飲んでいたし、友人と喋っていたし、散歩をしていたし、寝ていた。 今挙げたもののみで日常の空き時間というのはほとんど使い尽くされていた。 それに対して、「時間を潰す」という言葉を充てることはなく、能動的にそれをしていた。 「時間を潰さなければならない」ほどの大きな時間は持っていたという自覚はない。 ところが今は「時間を潰す」ことに本当に大いに難儀しているのである。 息子と一緒では先に挙げたことのほとんど全てが出来ない。 かと言って、息子と時間を過ごすには子育て初心者の私には到底ネタが足りず。 シャボン玉もお絵描きもねんど遊びも10分潰せれば良い方で、どれもこれも、すぐに終わってしまう。 家の中にいる場合、行きつく先はやはりテレビなどの動画になってしまう。 お昼寝もやっとの思いでしたかと思えば、30分で元気満タンきらきらおめめで起きてきたりする。 何にもすることがないのに、寝ることもできない、緩慢で膨大な時間の牢獄に放り込まれたような気分になる。 ぬううううううううと長い長い時間を何やかやとやり過ごして、18時になると、やっと1日の終わりが見えてくる。 最近は一緒に寝ることにしているので、21時半頃に寝室に行くともうそれで私の1日は終わってしまう。 こんなにも有り余る「時間を潰す」ことに難儀したというのに、このときばかりは「なんて時間がないんだ」と思う。 コロナが無ければ、猛暑でなければ、雨でなければ、そんなことをもちろん思うのだけれど、立ち向かってもどうにもならない。 猛暑と雨は見通しもつく。 どんな時世であっても、子どもには関係がないので、楽しい今を過ごさせてあげたいとは思う。 応募していた、区のスポーツセンターの親子体操なるものが抽選で当たった。 9月からである。 休日の緩慢で膨大な時間に憂えるより、少し面倒で忙しいくらいの予定があった方が良い。 コロナでなくならないと良いけれど。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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