久しぶりに出産した病院に行く。
先日病院から着信があり、瞬間的に心臓が高鳴った。 何か緊急の良からぬことがあったのか。 それは私なのか、息子なのか。 それとも、そうなら良いが、事務的な高額療養費などについてのことか。 走馬灯のように、最悪の事態から何でもない事態までを一気に想像していた。 恐る恐る折り返ししてみると、私の帝王切開をした若い先生からの電話だった。 帝王切開で子宮を開いたとき、私にはこれまで何の自覚症状も無かったのだが、子宮筋腫が見つかったようでそれをついでに取ってくれていた。 2センチほどの赤黒い塊を私も手術後に見て、ラッキーだったなあと下半身麻酔がまだびんびんに効いた違和感の塊のような身体でぼんやりと聞いていた覚えがある。 その際、取った子宮筋腫を、特に問題ないと思うが念のため病理に出します、とも先生は言っていた。 退院時に病理検査結果を伝え忘れてしまったので病院に来てもらえますか、という内容の電話だった。 また私の心臓はびくりと音を立てた。 子宮がんで手術なのか、その場合はまた腹を切るのか、あの術後感をまたやるのか、腹腔鏡手術でいけるのか、子宮を摘出するのか、命に影響はあるのか、今後の生活に支障が出るのか、抗ガン剤治療をするのか、息子の面倒はどうするのか、夫の人生を奪ってしまわないだろうか・・・だめだそんなの嫌だ・・・などと会話の間の数秒の間に全て考えることができたのは何だかすごいことである。 「何か問題があったのですか?それだけ先に教えてください。」と電話口で先生に請うと「そういうわけではないです。」と言った。 私は心配で同じ質問の2回目をして、先生は同じように2回目の回答をしてくれた。 検査結果は電話ではなく直接対面で伝えなければならないルールがあるようだった。 先生から提示された来院予約は3週間後、もし問題があるようであれば急ぐはずだから本当に何でもないのだろう。 私はほっとして電話を切った。 そして来院、いつもはとても待たされる大病院なのにすぐに呼ばれた。 ベビーカーを急いで回して診察室に入ると、「わざわざ来ていただいてすみません。帝王切開時に取った子宮筋腫の検査結果をお伝えし忘れていまして。特に何も問題ありませんでしたので。」と、先生はやや気まずそうな雰囲気で私にそれを伝えた。 診察室に入って10数秒、電話でほとんどを聞いていたことが再度聞かされて、もう事が済んでしまったのだ。 内診をするでも何でもないらしい。 きっと、結果を伝えていないことで病院のチェック機能に引っ掛かり、対面口伝ルールを守ったらこうなってしまったのだろう。 先生と私の間には所在なき空気が流れた。 私は自宅から病院まで歩いて行ける距離なので良いが、もし片道2時間かけて来る人なら怒っていたのではないかと思う。 「赤ちゃんも元気そうですね。」と取ってつけたように先生が言うので、私も少し気を使って、「とても元気です。先生が文字通りこの子を取り上げてくださったのですか。」「そうです。」「ありがとうございました。」と会話をした。 「また会えるといいね。」と先生は息子に言ったので、「病院でですか?!」と半笑いで返したが、意地悪だっただろうか。 その後授乳室で授乳を済ませ、会計を30分待ち、出てきた会計はなんと5,110円。 これは退院時の合算であれば高額療養費の適用になるはずなのではなかったのか。 悶々とベビーカーを押して病院を後にした。 何でもなかった安心代、と思えば良いかとも思ったが、それとこれとは話が全然別である。 しかしまた問い合わせるには骨が折れるので多分しないだろう。 ふとしたところで、先生は後期研修医の29歳であることを知った。 病院の先生というのは自分より当然年上という観念が私の中にあることに気が付いた。 29歳の医師が帝王切開の手術をする、という単体の独立した文章は何の違和感もないのだが、29歳の5歳年下の医師に帝王切開の手術をしてもらった、となると「!?」という感じがしてしまったのだ。 仮に自分が産科医の道に進んでいたとしたら、29歳のときに人の腹にメスを入れて血まみれの赤子を取り上げていたことになる。 産科医の道はあり得なかったが、5年前の29歳の自分を思うと驚きである。 医者だけではなく、学者とか政治家とか、それになるには学問的また人間的成熟が必要であるように勝手に思っている職業においても、「29歳」や「34歳」はもうすでに前線で活躍する年齢であるということだ。 それだけ世の中的に相対的に年を取ったということと、「34歳」という世の中的な年のイメージやかつて想像していた未来の自分像とに乖離があるということだろう。 もちろん色んな「29歳」や「34歳」がいるのだが、やはりいつになっても自分の実年齢は世の中的なイメージ年齢やかつての未来の自分像に追いつかないのかもしれない。 それはかつて小学1年生だった頃に6年生のお兄さんお姉さんがとてつもなく大人びて見えたのに、自分が6年生になったときには全くそうは思えなかったことや、現在34歳から小学6年の子どもを見たときに子どもでしかないと思うことの延長だろうと思う。 病院に行って、出産入院していたときのことをまた思い返していた。 人に出産エピソードを話すときはかいつまんでハイライトを話している。 それは全く平気である。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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