私にしては長らく、と言っても2か月ほど、ブログを書かない日々が続いていた。
大学3年生の時のゼミの研究テーマでブログを立ち上げて以来、ブログを引っ越しつつ、現在トータル9年ほど、私は2,3日に一度くらいのペースで、何でもない雑記を綴ってきた。 その辺に転がっている言葉も、格式の高いような使いづらい言葉も、とりあえず言葉の世界が好きというか、誰がいなくても喋っていたいのだと思う。 数年前にも、一度なぜか自ら宣言してブログを止めたことがあったけれど、宣言むなしく2か月で再開された。 ブログは、日々の考え事を書き留めておく、言わば自分にとっての文字アルバム的要素は大きい。 ちょっとした思い出を小さな紙に書いてピン止めして、部屋の壁に貼り付けておくようなものだ。 文章にしながら考え事をまとめていることも多い。 しかし本当にそれを紙に書いてピン止めしていたら、私の部屋は紙だらけで精神に支障を来すだろうと思う。 しかし私は文学部卒と言っていいのかと思うほど読書量が微量で、読むよりも書く方が楽なくらいだ。 これは昔からそうだった。 小学生の頃、読書感想文を「ナイチンゲール」で書いたことがあって、あらすじは誰でも知っているようなものなので本を読まずにそれを書いたら、市の文集に載ることになってしまって、先生に本の出版社や作者名を聞かれたときにとても困ったということがあった。 他にも、夏休みの自由作文のネタが何か月か前から書きたいテーマが決まっていたこともあった。 そのひとつに、確か「役立てる人に」というタイトルだったと思うけれど、部活のバレーボールでセッターをやっていて、本当はセッターでなくて私もアタッカーがやりたかったのを、セッターという地味なアシスト役でも人のためになる、人のために何かをするのは大切なことだと思う、そんな内容だった。 得点を決めるアタッカーはみんなに感謝され、トスを上げるセッターはミスをすると責められる、ずるいではないか、という愚痴も書いていたように思う。 当時の私はとても背が小さくてセッターとしての起用が当然だったように思うけれど、本当はアタッカーがやりたかった。 私だってできる、と思っていた。 でもアタッカーのポジションを取りに行ったりはしなかった、不満に思いながらもセッターの方が明らかに向いていることが自分で分かっていたから。 実はこのときの作文は、私は「人のためになる」という落としどころにすればウケるだろうということを狙って書いた。 案の定、良い賞をもらって市の文集に掲載された。 賞をもらって、それ自体は嬉しさもあって、文章を書いた満足感もあったけれど、アタッカーをやれない不満はずっと消えなかったように思う。 時々、バレーボールをやっていた過去のことを断片的に思い出すことがあって、私の打ったスパイクが鮮やかに決まったときや、きわどいサーブを打つのが好きで思い通りにいったときの映像が鮮烈に焼き付いている。 人によってはセッターの喜びも大きなものになりうるけれど、要は、私は自分で得点を獲りたかったのだと思う。 なんて幼い頃から、いろいろな点でなんてひん曲がっていのだろう。 そしてそのような傾向は、今の私にも脈々と、そしてすでにあたかも“わたし”と同化してしまっているかのように染み付いているような感じがする。 すべてが借り物だとしても、借り物と“わたし”がマリアージュしたいのに。 話はだいぶ派生して長くなったが、構わずさらに派生して、これはとても単純な話で、私はタイピングがとても好きだ。 最近PCを使う時間が明らかに減ったので、それについて単純な欲求不満があるのだなと、今これをカタタタタと高速にキーボードを叩いていて思う。 毎度思うけれど、高速でタッチタイピングするということは多くの人ができるけれど、ふと立ち返ると何だかものすごい芸当のように思えてならない。 久しぶりにギターを手に取る。 弦が最初の頃と同じくらい痛いほどに私はギターを弾いていなかったらしい。 書道でもギターでも、落語でも踊りでも、芸というのは運動を伴う。 運動を身につけるにはただただひたすらな練習が物を言う。 頭で理解することももちろん役立つ。 けれど、頭の理解と運動による何かの体現は話が全然別物である。 せっかく覚えかけたトライアドも3歩進んで2.5歩くらい下がってしまった感じがした。 理解も、運動も。 あんなにたくさんあったおいしいりんごがあと1個になってしまった。 代わりにけいこからみかんが届いた。 今年もみかん切りのバイトをやっているらしい。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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