飲み明かした朝に食べる蕎麦は美味しい、ということをやってみたくて、時間的には昼過ぎになってしまったけれど、ふらふらと自転車で帰りがてら近所の蕎麦屋さんに入ってみる。
かけ、もり、たぬき、力うどん、鴨せいろ、かつ丼、親子丼、きつねとミニカレーセットなどなど、よくありそうな蕎麦屋の筆文字フォントで書かれたメニューがずらり。 グランドメニュー外の限定メニューは、鍋焼きうどんと油そば。 小さなテレビをサラリーマン風の人たちが見ていて、円筒型のストーブの上には大きな金色のやかんが湯気を吹いている。 厨房から、なかなか注文を決められずにいる常連客に、「早く決めてくれよ、忙しいんだから」と笑い声が飛ぶ。 店主らしき人は、別の常連客と麻雀の約束をしながら煙草に火をつけた。 月見うどんを注文する。 なぜ蕎麦にしなかったのかにはほとんど理由がなくて、どんぶりを目の前にして蕎麦にすれば良かったといささか後悔した。 少し甘くて、出汁の濃い、ぐたぐたのうどん。 温かいうどんや蕎麦はぐだぐだな方がいい。 なるとと海苔と刻み葱が少しずつ乗って、真ん中に小さなSサイズと思われるたまご。 たまごは余熱だけで白身が3分の1ほど固まっていた。 しかしながら、これはこの店に限らずだけれど、私はいつも外で食べるうどんや蕎麦はどうしても塩気が強いと思ってしまう。 チーズとかカレーとかパスタとか、決して塩気が強い食べ物全般が苦手というわけではないのだれど、こういう出汁系のツユものは塩気が強いのを好まない。 食べ終わって、私も煙草を吸う。 世間的によくありがちなことを実際に自分の体に入れてみて、あぁ、とやっとその意味を体得する。 煙草は10本に1本くらい、とてつもなく美味しいときがある。 そのまた帰り道、焼きたてのパンの匂いがした。 私はパンが好きなのだけれど、この辺りにはパン屋がないなと思っていた。 一見居酒屋かラーメン屋とも思える風体の店構えで、黒い木の柵に覆われているので中は見えない。 なのに看板には「和風の居酒屋のように見えますが、パン屋です。どうぞお立ち寄りください」というようなことが書いてある。 店内は、ケーキ屋さんのような装いでショーケースにお行儀よく各種パンが並んでいた。 白肌の美しい食パン半斤と、小さなクリームパンをひとつ。 私は上京して今まで、排他的な感じのする街に住みたいと思ってきた。 ただそこに仮住まいとして街に身を置かせていただく。 だから私のことはどうぞ放っておいてください、何もしませんから、という体を取り続けてきた。 私は今住んでいる街に根付くことはないだろうし、どこまで行っても結果的には、我関せず、というのは双方にとって最終地点として変わりはないであろうけれど、この街に暮らす、ということをせっかくなので体験したいと思っている。 私が私として世界を歩くのは、ただこの日常にさえもごく当たり前にできることであるし、しかしやってこなかったことだ。 ただ、上手くできるようになるには時間がかかりそうな気もする。 鶏のむね肉がとてもうまく茹だった。 肉質如何ではなく、しっとりジューシーに、みっちりとした肉感と、旨味を保ったままに。 生肉をめったにまな板に乗せないので、鶏肉はいつもまるのまま茹でる。 塩をもみ込んだり、ハチミツとかヨーグルトとかに漬けこんだりとかせずに、それはその方が美味しいからではなく単に面倒くさいから、水から低温で茹でる。 塩を水に溶けないように鶏肉に張り付くようにふりかけ、思い出せば酒を少々入れて。 粗方熱が行きわたったところで火を消して、余熱からその茹で汁が冷えるまで放っておく。 水から、というのは「きょうの料理」でいつかに学んだ。 食べ物の話ばかりになってしまったけれど、プールに行きたい。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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