梅雨は明けたのか。
梅雨明け宣言など要らないと言えば要らないのだが、宣言されてなおぴーかんの夏空が臨めるものものならば嬉しいではないか。 実際は蒸し風呂みたいな夏の空気に、おしっこを吸ってずっしりしたおむつのような雲が広がっている。 本当に家から全く出ずに、ほとんど子の世話以外をせずに暮らさせてもらっている。 産後術後の身体には本当に有り難い。 病院の外には早く出たい出たいと思っていたが、家の外にはこれといって出たいという気分が今のところ起きない。 私はこの家がとても好きなのである。 少しずつ、私の身体は回復してきて、あらぬところがとても痛いなどはあるものの、子のいる生活にだんだんと慣れつつある。 生後間もない赤ちゃんは3時間分ほどのエネルギーしか身体に溜めることができないらしく、私の睡眠は細切れではあるが、それでも比較的夜の方が長めに寝てくれるので睡眠不足については今のところ愚痴のない範囲である。 けいこは「おとなしいおとなしい」と驚きの声をあげている。 それは私たちが子どもだった頃と、7歳ともうすぐ4歳になる孫がとても喧しかったという経験から来ている。 そうすると、おとなしい素質は夫側から来ているのだろうか。 それが遺伝するのか否か、このままずっとおとなしめの子なのか、分からないけれど。 もちろんむずかることがないわけではない。 ただ全くの原因不明で泣きわめくこともなければ、抱き上げてもずっと収まらないということもない。 基本的には、暗くて暖かくて狭い子宮の中から出てきた外界は、自発呼吸をせねばならず、おっぱいを力いっぱい吸わねばならず、飲んだ分の排せつをしなければならず、赤ん坊にとってはやらなければいけないことだらけである。 また、夏という概念も持ち合わせぬままやや寒くて広くて身の置き所のないところだから様々な言い知れぬ不安に駆られても無理はない。 今も起きているがひとりでご機嫌そうにばたばたと手足を動かしている。 こうしてブログを書いていられるくらいなのだから、おそらく比較的におとなしいのだろう。 本当に、助かる。 ちなみに、毎日提出してきた書は、1日だけ、帝王切開をした日だけ書くことができなくて連続提出が途切れてしまった。 それ以外は、術後1日目のよぼよぼの身体でとりあえずの書を書いた。 書への執念というよりは、連続することそのものへの執念のような気がする。 おっぱいも沐浴もおむつ替えも寝かしつけも、日々の出来事変化様々、全てが初めてのことで何を基準にして文章を紡げば良いのか、それでも何か、書き留めておきたい欲は変わらずに私の中に存在する。 しかし、出来事からの何か考えを昇華させる時間と余裕がない。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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