陽だまりの中で、過去の作品を紐解いていた。
太陽の光は、冬だって遠いだけで十分な力を蓄えている。 展覧会の出品作品は展示が終わると分厚い筒の中に入れられて返ってくる。 長いのから短いのまでその筒のサイズはいろいろあって、もう10本くらいあるのだけれど、私はそれらを一度も開封したことがなかった。 馬鹿でかい作品を家で広げる気にはならないし、過去の生臭い思い出の日記のようなものを見るのは何とも言えない気持ちになる。 今回は、お仕事の関係でそれを参考としてお見せするために封を開けた。 丸められた作品には保護紙やら出品内容が書かれた紙などが表に巻きついていて、私はこういう包装紙を取るのは何だっていつも雑だけれど、中の作品を破らないようにすることと、日記を見返す気恥ずかしさとで、手がうまく定まらなくて酷くびりびりにしかそれを剥がすことができなかった。 中身がクッキーの缶だったら、もう少し手際よくびりびりにできたと思う。 どの筒にどの作品が入っているのか判別できなかったけれど、開けたものは「月の爆撃機」だった。 それは、技術云々は置いておいて、私のやりたいことのひとつが最も滲んでいると思っている作品だ。 最近あまり大きな文字を書くことがあまりないけれど、このときは当時の引っ越し先の広さを使ってできるだけ大きいのを書きたかった。 今よりもずっと思いの方が先行していて、書きながらよく泣きそうになっていたものだ。 今でも似たような何か、を表現したくてやっていることにはあまり変わりはなかったりするけれど、あの頃に恐ろしく陶酔していた自分に、3年後の今の私はもう心の回収ができなくなってしまった。 何の言い訳なのか分からないけれど、その陶酔先は甲本ヒロトそのものというわけでは全然ない。 全然ない、というかもちろん大好きし尊敬してやまないけれど、核心的なところで言えばそういうことでは全然ない。 お前自身なんだよ、と、言葉にすればするほど陳腐になるような、それを分からせてくれたきっかけが甲本ヒロトだった。 見てきた物や聞いたこと 今まで覚えた全部 でたらめだったら面白い そんな気持ち分かるでしょう(「情熱の薔薇」より) とまあ、そんな感じだった。 とか言って、ヒロトから未だ卒業できていない私がいることも重々承知で、だからこんなに揺らいでしまったりするのだろうと思う。 そう言えば、先日もとても久しぶりに彼らのライブDVDを見て、酔った勢いで泣いていた。 私は全然進んでいないのかもしれない。 などと仕事の話をしながら私は私の心を抱きしめるしかなかったわけで、翌日となって申し訳ない気分になっている。 「話半分に聞いているわけではないですから」と浮足立って言ったことはよく覚えている。 さて今日は仕事が夜からだからプールにでも行こう。 自分の体を使って稼ぎたい、仕事は夜から、などと言っていると水商売みたいだ。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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